2012年4月1日 受難主日 「十字架の道」

マルコによる福音書15章1〜39節
説教: 高野 公雄 牧師

 イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。

昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

マルコによる福音書15章1〜39節
(長文につき一部抜粋)


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した》。

このように、きょう私たちが読んだ個所は、ローマ総督ピラトの裁判から始まります。14章でユダヤ人指導者たちによる最高法院における裁判で死刑を言い渡された後、イエスさまはローマ側に送られて来たのです。死刑を行なう権限はユダヤ人側にはなくて、その権限は支配者であるローマ総督が専有していたためです。

聖金曜日の出来事は時刻も記されています。まずここでは「夜が明けるとすぐ」とあります。朝の6時頃のことです。

イエスさまの罪状については、ユダヤ人にとっては「神の子を僭称した」ことの方が重いものだったことでしょう。ユダヤ人は「神」と名指しすることを避けて「ほむべき方の子」(14章61)と言っています。しかし、その罪状でもって総督に死刑判決を求めても、それはユダヤ人たちの内部問題だとして取り合わなかったでしょう。「ユダヤ人の王」を名乗っているという訴えの方が、死刑判決を求め易かったのです。「ユダヤ人の王」を名乗ることは、ローマ帝国の支配下で重苦しい生活を強いられていたユダヤ人を扇動し、政治的軍事的にローマ帝国に反旗を翻して、その支配を跳ね返そうとする運動の指導者を意味しました。それは、国家反逆罪という大罪であったのです。

《ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた》。

総督ピラトの問いに対するイエスさまの答えは、肯定しているのか、否定しているのか、分かりにくい答えです。私たちが以前に使っていた口語訳聖書では、「そのとおりである」と分かり易く訳していますが、それでは訳し過ぎになります。新共同訳では原文を直訳しています。つまり、イエスさまの答えは、Yes and No なので分かりにくいのです。つまり、ピラトが考えるような政治的軍事的な意味では王ではないけれども、クリスチャンたちが考える信仰的な意味では王である、と二重の答えをしているのです。

ピラトによる審問の場面は、緊迫感がない印象があります。なぜなら、政治家であるピラトには、《祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである》。イエスさまその人はローマにとって脅威ではないと思っていたのです。それでも、ローマの政治家であるピラトは、イエスさまを巡るユダヤ人たちの熱気は危険なものに見えたのでしょう。「十字架につけろ」という叫びに妥協して、暴動を起こした罪で死刑判決を受けていたバラバを釈放し、その代わりにイエスさまを「ユダヤ人の王」として死刑の判決を下します。

総督から処刑をゆだねられたローマ兵たちは、イエスさまを鞭打ったり、唾を吐きかけたり、ついには侮辱するために、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼したりします。皇帝が戦勝してローマに凱旋するとき、人びとは「皇帝、万歳(アヴェ・カエサル)」と歓声をあげて迎えます。ローマ兵たちがそれを真似たのだとしたら、「アヴェ」と叫んでいたのかも知れません。天使ガブリエルが「アヴェ・マリア」と呼びかけたあの「アヴェ」です。マルコ福音はギリシア語で書かれていますから、「万歳」は「カイレ(喜べ)」という言葉が使われています。

《このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した》。《そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った》。《イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった》。

イエスさまの磔刑を描いた作品には十字架上に、「捨て札」と呼ぶのだそうですが、罪状書きが付いていて、そこには「INRI」とローマ字が刻まれているのを目にすると思います。この礼拝堂の入口には目黒教会から受け継いだ十字架像が設置してありますが、そこにもINRIの四文字が見られます。これは次のラテン語の四語の頭文字を並べたものです。Iesus(イエス)、Nazarenus(ナザレの)、Rex(王)、Iudaeorum(ユダヤ人の)。

《そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。》

総督の官邸の中ではローマ兵がイエスさまを思うがままに虐待しましたが、ゴルゴタの丘では、今度はユダヤ人同胞が、すなわち祭司長、律法学者、通りがかりの民衆、両隣の死刑囚たちが、イエスさまを侮辱する様子が描かれます。しかし、その侮辱の言葉が、かえってイエスさまの十字架の死の意味を明らかに示しています。

《他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう》。この言葉のとおり、イエスさまは身を捨てて、他人のために生きた、そして死んだお方でした。マルコ10章45に《人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである》、ともあります。自分勝手をする、自分が得をする、自分の身を守る、そういう己を捨てて、まず他人の益となす。喜ぶ者とともに喜び、悲しむ者とともに悲しむ。弱い人、苦しむ人の傍らにつねに寄り添う。イエスさまはこういうご自分の生き方と死に方を通して、私たち一人ひとりを誰ひとり漏らすことなく愛する神の真実を人々に身をもって証ししたお方であったのです。

総督やローマ兵はイエスさまを「ユダヤ人の王」と呼びましたが、ここで同胞のユダヤ人たちは、「イスラエルの王」と呼んでいます。この表現の違いにも意味があります。ユダヤ人とはユダヤ地方の住民を指す民族名ですが、イスラエルとは聖書が証しする神を信じる人々を指す宗教的な呼び名です。ユダヤ人たちは誇りをもって自分たちをイスラエルと称しました。私たちクリスチャンも、イエスさまは、神により頼む民の王であり、メシアであり、救い主であると信じています。

《昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である》。

イエスさまは午前9時に十字架につけられ、午後3時にいたって、断末魔の叫びをあげます。これがマタイ福音では「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(マタイ27章46)と少し違いがあります。ふつう、マルコの「エロイ」はイエスさまが日常使っていたアラマイ語、マタイの「エリ」は旧約聖書のヘブライ語と説明されます。

このイエスさまの叫びの意味は、重要です。本気で神を信じている人が、神に対して抗議する絶望の言葉です。詩編22編2の言葉ではありますが、それを引用したというよりも、すっかりなじんでいた言葉が、自分の心境を表わす表現として、最後におのずと心に浮かんだということでしょう。

親しい人は皆、離れ去り、そばにいるのは責めさいなむローマ兵のみ。「他人は救ったのに、自分は救えない」。まさに孤立無援、イエスさまは神にも見捨てられて絶望のうちに死にました。弟子たちは、イエスさまのこの叫び「なぜ」という問いをあたため続け、この「なぜ」を思い巡らすことから、イエスさまをキリストと信じる信仰にいたったと言えるでしょう。私たちも、この「なぜ」という問いに対する答えを信仰の中に見出すことができますように。

《イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った》。

神殿の垂れ幕が裂けたことは、イエスさまの十字架の苦難と血によって、永遠のあがないが成し遂げられ、いまや動物の血によるあがないは廃棄されたことを、象徴的に表わしています。イエスさまの十字架によって、旧約の時代は終わり、新約の時代が始まったのです。

百人隊長とは、ローマの軍隊制度で、十人の兵をまとめるのが十人隊長で、その十人隊長を十人まとめるのか百人隊長です。この人が、イエスさまたちを処刑する責任者だったかも知れません。唐突ですが、マルコはここで、この惨めな死にざまを目撃した百人隊長の口を通して、「本当に、この人は神の子だった」という自分の信仰告白を書き入れます。これは、悲惨な死にざまにもかかわらず、ではなく、悲惨な死であるからこそ、イエスさまは神の子であるのだというマルコの強烈な信仰告白です。

マルコは、この福音書を読む私たちにも、ここに証しされたイエスさまの姿への応答として、信じることへと招いているのです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン