Baptism

主の洗礼日

洗礼(バプテスマ)とは、キリスト教会が最も大切にしている礼典の一つです。バプテスマとはギリシア語で「浸す」という意味で、本来は水に身体を浸して清める宗教的儀式を指すのですが、この洗礼の意義は神の福音を信じ、罪の告白をして悔い改めた者が、罪深い古い身体を水に沈めて、罪の赦しを受け、罪赦された新しい身体として、キリストと共に歩む者となることです。パウロはローマの信徒への手紙で「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです(6:4)」と言い、洗礼がキリストの死と復活に結ばれていることを強調しているのです。

洗礼者ヨハネは、ヨルダン川で人々に神の国の救済を解き、人々に、神の国に入るために、自らの罪を告白し、悔い改めるように教え、そのしるしとして、人々に洗礼を施していました。このヨハネのもとに、イエスが洗礼を受けるために、ヨルダン川にやってきます。ヨハネは最初イエスを思いとどまらせようとしますが、彼はイエスに洗礼を施しました。このイエスの洗礼を記念するのが主の洗礼日です。マルコによる福音書にはイエスの誕生の物語が記されてはいませんが、このイエスの洗礼が、イエスの誕生と幼子の物語に代わるものとなっているのです。

イエスは罪がないのに、洗礼を受けました。それは神の子であるイエス御自身が人間の罪の深みにまで降り立ってくださったということです。イエスも罪人の一人として、私たち人間と同じ立ち位置に立たれて、私たちの罪の汚れを共に負って下さり、生涯共に歩んでくださるのです。ですから、主の洗礼の出来事も、一人の罪人として、この世界に顕れた神の子の顕現を示しているのです。このイエスの洗礼を通して、イエスの公生涯は始まったのです。