2018年12月23日 降誕祭「真理と恵みはすべての中に」

ヨハネによる福音書1章1~14節  藤木 智広 牧師

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

 皆様、クリスマスおめでとうございます。平成の時代の最後のクリスマスとなりました。この平成の30年の時代の歩みを振り返る時、皆様はどのような思いを抱くでしょうか。新しい時代の幕開けとなりますこの時に、クリスマスのメッセージを聖書の言葉から聞き、神の言葉からクリスマスの喜びと恵みを共に聞いて、受け止めてまいりたいと願います。

 クリスマスは冬至の季節、すなわち一年間で最も夜の長い日に迎えます。ですから、クリスマスは暗さ、闇が最も極まる時でもあるのです。その極まった深い闇に、すべての人を照らす真の光であるイエスキリストが来られ、この光は暗闇の中で輝くのです。

 聖書は光について、今日の福音書でこう言います。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」言という言葉で始まります。主語は光ではなく、言です。しかも、万物は言によって成ったとありますから、光もまた言によって造られた、成就したということです。その言とは、1節に「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」とあるように、神であると言います。だから、神の言によって造られたのです。神は言でありますから、初めに言があったのです。

 言葉には自己と他者との結びつきがあります。それは話す者の心の状況や意思、思想などを伝える役割があるからです。だから、初めに言葉があったというのは、言葉を発したものがいるということであり、その言葉を発した者の意思が込められています。言葉とはヘブル語で「ダーバール」と言い、そのダーバールには「出来事、事柄、行為」という意味もあります。言葉には力があるだけでなく、その人の行為そのものが表されているということです。だから神の言葉とは、言ってみれば行動する神ご自身でもあるということです。

 旧約聖書の詩篇に、こういう言葉があります。「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。」これは詩篇119編105節の言葉です。ちょうど今、聖書を分かち合う会で、この119編を22回に分けて、長丁場で読みすすめていますが、この詩篇の作者は、神様の言葉をただ美しく、すばらしい思想の言葉とだけ捉えて、理解しているわけではありません。神様の言葉を聞き、その内容を模範として、自分の人生を自分で整えていこうと言っているのではないのです。わたしの人生の歩み、道、その道案内と言いましょうか、ナビと言いましょうか、それは神様、あなたの言葉そのものですと言われるのです。わたしの歩みは楽しく、喜びに満ちているから光が照らされているのではなく、わたしの人生の全ての出来事の中に、あなたの言葉が及ばないところはない。あなたの言葉が照らすことができない闇などないと言わんばかりに、この作者はこのように告白するのです。この道の光とは、安全で苦労や困難のない最高の道を示しているのではなく、その只中にあっても、神様の言葉が共にあって、必ず目的地へと導き、自分を支えてくれる約束の光なのです。

 そして9節で「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」と言います。世とは私たちの生きるこの地上の世界、私たちひとりひとりの歩みの只中と言えるでしょう。その中に来て、すべての人。ひとりひとりを照らすのだと言います。この光からもれるものはないのだと力強くヨハネは証しするのです。

 神の言葉は、出来事は、この光がどのようにして私たちに顕にされたのかということを14節でこのように言います。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」肉というのは、弱さやもろさを意味します。限りあるものです。それは現実に生きる人を意味します。言はその人となったというのです。これが、神が人となったという出来事であり、クリスマスの本当の意味、クリスマスの出来事です。神がもろく、弱く、小さく、限りある人となった出来事。だから「わたしたちの間に宿られた。」と言うのです。私たちから遠く離れた別次元の世界で、人となったのではない。何か特殊な超能力をもつものではなく、私たちと同じ現実の歩みの中にある一人の人として宿られた。この世界にお生まれになったというのです。

 先ほど、言葉には自己と他者との結びつきがあると言いました。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。という出来事は、神様と私たちとの結びつきが確かなものとなった。私たち人間の歴史から決して引き離すことができないほどに、結びついた出来事を示しているのです。

 肉は人であり、私たちの現実を表しています。目に見える現実を表しています。その肉が言葉になったのではなく、言葉が肉となったのです。それは、言葉が、神がこの現実の私たちの歩み、人生ひとつひとつに欠けることなく、働かれていることを意味しているのです。

 私たちは今日のこのクリスマスに、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」という約束の救いのメッセージを共に聞いています。アドベントからのクリスマス物語を聞いてきて、私たちと同じ肉となったその方がマリアの胎内に宿ったイエスキリストであるということを、その喜びのメッセージを聞いているのです。肉となられた主イエスのご生涯は神の言葉の実現であり、私たちの歩みと密接に結びついているのです。

 この神様が顕された栄光を私たちは見ている。目撃者であると言います。その栄光は恵みと真理とに満ちていた。と言います。言葉が肉となって、肉なる世界全体に恵みと真理とが満ち満ちている。すべての中に、肉なる方、主イエスによって真理と恵みに満たされている。私たちひとりひとりの歩み、命はその中にあって、ちゃんと養われているのです。ここに「あなたの御言葉は、わたしの道の光」という言葉が成就したのです。主イエスがわたしの道の光であり、命の道しるべです。主イエスご自身が「私は道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)と言われた言葉は、このクリスマスの出来事によって明らかとなりました。

 成人された主イエスは、後にこう言われました。「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に収めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか」(マタイ 6:26)ここに、肉なる者の中に満ちている恵みと真理があります。ひとりひとりが養われ、大切にされている愛の根拠が示されています。主イエスを通して、神様の方から私たちに近づき、私たちを照らしてくださる光を与えてくださいました。この光を心に灯して、クリスマスからのまた新しい一歩、新しい時代を共に歩んでまいりましょう。

 人知では到底計り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン。