実は聖書に由来している日本の諺

◆「目からウロコが落ちる」使徒言行録9:18

「目から鱗が落ちる」とは、「あることをきっかけとして、急に物事の真相や本質が分かるようになること」(広辞苑)です。

キリスト教徒を激しく迫害していたサウロ(後のパウロ)が旅の途中に天からの光に打たれ、主の声を聞く。彼は地に倒れ、目が見えなくなっていた。
主に遣わされたアナニヤがサウロを訪ね、サウロの上に手を置き「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、私をお遣わしになったのです」と言うと、目からうろこのような物が落ち、見えるようになり身を起こして洗礼を受けた。その後のパウロの大活躍は宣教に多大な功績を残します。聖霊に満たされると、物事の真相や本質が分かるのでしょう。
余談ですが、日本語の聖書には「うろこ」としか書かれていませんが英語の聖書には「魚のうろこ」とあります。つまり、ヘビのうろこじゃないです。

英語では:the scales drop from one’s eyes

 

 

◆「豚に真珠」マタイによる福音書7:6

「豚に真珠」とは、「高い価値あるものでもそれの分からない者には無価値に等しいことのたとえ」(広辞苑)。

「神聖なものを犬に与えてはならず、また真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」
イエス様の有名な「山上の説教」(マタイによる福音書5〜7章)の中の1節です。山上の説教は、エッセンスの宝庫です。何度も読み返したいですね。
ちなみに「猫に小判」は聖書に出てきません。

英語では:cast pearls before swine

豚

 

 

 

 

 

 

 

◆「砂上の楼閣」マタイによる福音書7:26

「砂上の楼閣」とは、「砂上に建てた楼閣は基礎がやわらかくて、顚覆するおそれがあることから、長続きしない物事、または、実現不可能な計画のたとえ」(広辞苑)。

「わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」これも山上の説教でのイエス様のことばです。聖書から知恵を得ても、実践しない愚かな人は倒れる、という事でしょうか。
3匹の子豚の話を思い出しましたけど、それはちょっと違いますね。

英語では:a house built on sand

楼閣

 

 

 

 

 

 

 

◆「笛吹けども踊らず」マタイによる福音書11:17

「笛吹けども踊らず」とは、「お膳立てをし、いくらすすめ誘っても、人がこれに応じて働き出さないのにいう」(広辞苑)

英語の聖書には「We played wedding music for you, but you wouldn’t dance!」とあります。結婚式での笛吹きだったのですね。
「知恵の正しさは、その働きによって証明される」と聖書はこの話を締め括っています。

この諺の起源は『イソップ寓話集11』とする説やヘロドトスの『歴史』1.141とする説もあります。

踊らず

 

 

 

 

 

 

 

◆「狭き門より入れ」

マタイによる福音書7:13
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

ルカによる福音書13:24
「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。」

「狭き門より入れ」とは、「天国に至る道のけわしさのたとえ。転じて競争が激しい入学や就職についていう」(広辞苑)。
「苦難の道をとってたゆまぬ努力をした者が本当のものをつかむことが出来るのだといったもの」(常用ことわざ辞典)。
「楽な方法よりは、苦しい方法を選ぶほうが、人格を高めるのに効果があるということ」(日常ことわざ集)

とありますが、上記のような例えば難関校の入試や、あえて苦しい道を歩くことを選ぶ事を狭き門と言うのは聖書での本来の意味とは違っていると思います。「狭き門」とは、入りにくい場所ではなく、見つけにくい場所や気付きにくい所にこそ真理への道がある、という意味ではないでしょうか。どう思いますか?

英語では:The narrow gate

門