2001年1月7日 顕現主日 「神様の愛することは、細かく考えることです」

第1日課   イザヤ書60:1-6

起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。国々はあなたを照らす光に向かい、王たちは指し出でたるその輝きに向かって歩む。目を上げて、見渡すが良い。みな集い、あなたのもとに来る。息子たちは遠くから、娘たちは抱かれて、進んで来る。そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き、おののきつつも心は晴れやかになる。海からの宝があなたに送られ、国々の富みはあなたのもとに集まる。らくだの大群、ミディアンとエファの若いラクダがあなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。

第2日課   エフェソ人への手紙3:1-12

あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは……。あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなた方は聞いたにちがいありません。初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。この計画は、キリスト以前の時代には人の子らには知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。この恵みは聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富みについて、異邦人に福音を告げ知らせており、すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に解き明かしています。こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信を持って、大胆に神に近づくことができます。

福音書   マタイによる福音書2:1-12

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、私の民イスラエルの牧者となるからである。』」

そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に留まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリヤと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れてエジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。

「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない。子供たちがもういないから。」

説教  「神様の愛することは、細かく考えることです。」

マタイの福音書の2章、1節から12節までのお言葉でございます。

クリスマスのお話の中の、ラクダに乗って遠い国から博士たちが来たというお話を若い時から関心を持っておりました。今は、占星術の学者と言われておりますが、これは正確にそうであるかもわかりませんが、当時の博士とは何でも知っている人であったようです。いろんな学問をした人でした。最近は専門の一つをちゃんと勉強をしている人と知られていますが、この場合、昔風の博士とわたしは考えたいのです。また、博士が何人イエス様のところへ訪ねて来たかは、これも、黄金、乳香、没薬という三つの贈り物があったから、一人一人がそれを持ってきて、三人となっていますが、実際にはもっと大勢だったかも分かりません。あるいはもっと少なかったかも分かりません。これは何人とは聖書には書いてありません。もう一つ、クリスマスの話のところで、馬小屋でみんなが集まっているところに博士たちが来てイエス様を拝んでいる絵が、クリスマスカードに描かれているのをよく見ます。実際に聖書を見ますと、先週の説教で、男の子が生まれたら、四十日後に宮参りをするという習慣があったと話しましたが、イエス様もそのように、エルサレムの神殿に連れて行かれてそこでシメオンとアンナいう熱心な老人の信者と会ったのですね。このように、聖書では、博士がいらした時は、十一節にありますが、「家に入ってみると、幼子が母マリヤと共におられた。」と書いてあります。家と書いてあります。馬小屋ではないのです。ですから、しばらくは宿が無かったから仕方なく馬小屋を借りたのかもわかりません。それもはっきりと馬小屋とは書いて無いのですが、でも、飼い葉桶に寝かされたとありますので、馬小屋にあるものですので、それで、馬小屋であったでしょうとわたしたちは解釈しております。

この話しで、一番わたしたちが関心を持つことは、博士たちが遠い国から来たということです。彼らは当時の学問をよく分かっていて、恐らくユダヤ教ではこのようなことがあるということも知って、救い主の約束も知って。それを信じて、遠い国から来たというように考えてもよろしいと思います。少なくても四十日はかかった。二、三ヶ月はかかったでしょう。昔は飛行機は飛ばしていませんでしたから、そんなに早くどこへでも行けなかったのです。だからラクダに乗ってゆっくりと歩いて、恐らく砂漠も通り越して、エルサレムまで来たのでしょう。ということは、ベツレヘムの東側、ヨルダン川を渡ったらほとんど砂漠です。今でも、サウジアラビヤと言う国がそちらの方にあります。ですからラクダに乗ることは当然でしょう。でもここで大切なことは、わたしたちの関心を持っていることは、「よその国の人」ということです。どうしてあんな遠いところからイエスさまの誕生ということを思いながら、来たのかと言うことです。「よその国の人」とはユダヤ人にとっては、異邦人と言っていたのです。わたしたちの言葉では異邦人とは、ただの外国人を意味しますが、ユダヤでは異邦人と言えば宗教が違うことの意味が大きかったのです。その人たちには救いが無いとユダヤの教徒たちは解釈をしていたのです。仲間になるための特別な儀式も行っていたのです。その中に、洗礼式もあったのです。異邦人。外人。でも、考えてみたらわたしたちもみんな外人ですね。ユダヤ人で無いから、国籍としてはそうではないから、異邦人です。そのわたしたちにこの福音が伝わってきた。このことが一番わたしたちに大切なことでございませんでしょうか。遠い東の国はどこかは良くは分かりませんが、贈り物を見ますとアラビアの方に出来るもので、乳香や没薬は少しはイスラエルの国にも出来ると聞いておりますが、その贈り物によって、どこからいらっしゃったかということは分かりません。ただ、大切なことはそのような高価な贈り物を持ってきて、それをイエス様にささげたと言うことです。彼らはイエス様を救い主と信じて、遠い国からの旅でしたがそこまで来たのです。彼らは当然、国の主都である、そこにいる王様の子供でしょうと思って、ヘロデ王を訪ねて聞くのです。それが大変なことになるのです。ヘロデ王も知らない。調べてもらって、聖書学者を集めてそこで、ミカ書の聖句を引用してベツレヘムだということ、すぐ近くの小さい村ですね。そこに生まれるという預言があるのです。それを博士たちに教えました。でも、その話に当時の人たちは恐怖を持ちました。ヘロデ王がどうするか、と。ヘロデ王は有名人だったのです。自分の子供までも殺すような人でした。自分の愛する妻も殺したのです。彼らに対して疑いを持ったから殺してしまったという恐ろしい人でした。それで、エルサレムの人たちは不安を感じたのです。その通りに、その後、ヘロデはベツレヘムの二歳以下の子供を全部殺したのです。小さい村でしたからそんなに大勢では無かったかも分かりませんが、でも一人一人はその親にとっては大切な子供です。それを殺してしまったのです。何人であったかは、色々の説があるのですが、それほど大変なことになりそうだと、エルサレムの人たちは心配していたのです。神様は博士たちをベツレヘムへ行かせて、ヘロデが教えてくれるように頼んだのですが、その言葉を守るなと神様に教えられて、博士たちは違う道を通って自分たちの国へ帰ったと書いてあります。ヨセフもマリアも神様に知らされて、イエス様を抱いてエジプトへ逃げて行くのです。これは二章の十三節にございます。そのように、神様が細かくわたしたちのことを心配して、助けてくださる。守ってくださると言うことが見えるのです。きょうはその大切な一例です。実際はその後ヘロデ王は死にました。いろんな病気を患っていたようです。死んだ後、また国へ帰ろうと思っていたのです。よその国へ旅をすることは出来るでしょうが。ことに知らない土地へ行って、そこへ住むとしたらお金もかかるでしょう。それもちゃんと神様が準備してくださったのです。博士たちの黄金、乳香、没薬という贈り物で。エジプトでは乳香や没薬は彼らの宗教儀式に、殊に埋葬に使う大切な高価なものでした。彼らの欲しがっていたものでした。エジプトにはそのようなものがなかったので、神様が博士たちに持たせて、ヨセフとマリアに渡して、それを持ってエジプトへ逃げることが出来たのです。これも神様の色々工夫なさったことでした。このように、神様が思いがけないよその国の人をわざわざベツレヘムまで送られて、ベツレヘムでイエス様にお会い出来たことも嬉しいことですが、同時に神様は危険なこともよくご存知で、わたしたちの救い主を守ってくださったことをわたしたちは今日聞かされております。わたしたちは知らず知らず、博士たちと同じように、ヘロデという恐ろしい人があそこにいると知らずにいて、エルサレムをちょっと騒がせたことでしたが、彼らの信じる通りにベツレヘムまでお連れになって、帰り道も守られて、またヨセフとマリアも知らされて、イエスさまを連れてよその国へ行くようにして、そこの滞在の費用もちゃんと用意なさったというように考えられます。そのように神様はわたしたちのことも色々心配してくださるでしょう。時々わたしたちも本当に困っていてどうしょうかと思っている時に思いがけないことが起こってわたしたちが助かるということがたびたびございませんでしょうか。わたくしの一生においてもそういうことがあったとわたくしは思っております。中には全然気がついてないときもあるでしょう。神様がちゃんと心配してくださるのですが、わたしたちは頭がそれほど良くないのですから、気が付いてないところもあって、神様に見守られているとわたしたちはのんきにしているのです。それもあるでしょう。とにかく、神様は細かく、わたしたちのことを考えておられます。今日の話しの中でも、くりかえし。いろんな時、いろんな場所で、いろんな違う人をみ守っておられることが見えるのです。

神様は何時までもわたしたちを生かしてはおられません。良いところを準備しておられるのです。そしてその良いところへわたしたちが行かれるように救い主をこの世に送ってくださった。主イエス様がわたしたちの罪を贖ってくださって、わたしたちの足りないところを全部補って、わたしたちはそのときにならなければ分からないでしょうが、わたしたちも天国にいるのに相応しい者に代えてくださるのです。これがわたしたちの信じている信仰でございます。それで博士の話しも、このように神様のわたしたちに対する大きな愛というものを学びました。新しい年に向かって、大きな希望を持っていますが、よく考えれば、すべてがわたしたちの思うようになるとは考えられません。あるいは突然何かが起こって、わたしたちが困ることもあるでしょう。しかし、神様は全てをご存知であって、わたしたちに助けを考えていてくださることを、わたしたちは信じて良いと思います。だから、本当の喜びを持って、一日一日を生きていきましょう。神様に全てを任せて、わたしたちの出来ることはやっていましょう。