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全聖徒の日

 先に亡くなられた召天者を記念する日で、毎年11月1日に守られています。(召天者記念礼拝)古くから「諸聖人の日」(All Saints’ Day)として、多くの教派で守られてきた祝祭で、その起源は9世紀頃だと言われています。

 聖徒(聖人)とは、16世紀の宗教改革以前の教会(ローマ・カトリック)におきましては、敬虔な信仰に生き、善行を積んで社会に大きく貢献した徳の高い人を指しますが、宗教改革者たちはその概念を取り除き、キリスト者は全て聖徒(聖人)であると主張したので、先に召された全キリスト者を記念する日として、この日には多くの方が故人の写真を持って(または会堂に飾られ)礼拝に集い、礼拝の中で故人を偲び、祈りが捧げられます。

 先に召された方には、使徒パウロがテサロニケの信徒への手紙Ⅰ4章13~14節で「兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」と言っているように、神様の御許で眠りにつき、やがて「イエスと一緒に導き出してくださいます」とありますように、復活の初穂となった主イエスに続いて、死者が眠りから覚め、復活に与ることが約束されているのです。

 近年では、特に日本ではキリスト者でなくても、愛する人を偲んで、キリスト者と一緒にこの日に記念礼拝を守ります。洗礼を受けずして召された方はどうなるのかという問いがありますが、その答えは私たち人間の側ではなく、天の神にのみ委ねられた答えでありますから、死後において、キリスト者であったからどうなったか、キリスト者でなかったからどうなったかということを認識するのではなく、この召天者を覚えての全聖徒の日を守るということは、キリスト者であろうとなかろうと、共に愛する故人を覚えるということにおいて、故人がただ神の御慈しみと愛のご支配の下におられるということに委ね、信頼して、祈りの時を持つということを意味するのです。

 また、この全聖徒の日には、多くの教会で聖餐式が執り行われますが、この聖餐の恵みに与るのは、今を生きる者だけではなく、先に召された方も、共に与るのです。それは死を滅ぼして復活を遂げた神の御子イエスキリストにおいて、今この世に生きている者も、天の御許におられる召天者も結ばれているからです。この日は特にそのことを覚えて、共に神の恵みを頂くのです。

 ですから、この日は召天者を供養するのではなく、全ての召天者が復活の主イエスキリストにおいて結ばれ、天の御許にあるという平安に感謝するひと時なのです。

 「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(コリントの信徒への手紙Ⅰ15:55~58)