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2011年4月24日 復活祭 「復活宣言」

マタイによる福音書28章1〜10節
説教:高野 公雄 牧師

さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」

マタイによる福音書28章1〜10節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

皆さま、復活祭おめでとうございます。皆さまと共に、主のご復活をお祝いできることをうれしく思います。

きょうの福音は、《さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に》と、始まります。

古代のユダヤの暦では、今のように時計の上でしか分からない深夜の午前0時で一日が区切られていたのではなく、日没を一日の区切りにしていました。日没でその日が終わり、次の日が始まります。ですから、土曜日の「安息日」は、今で言えば、金曜日の日没から土曜日の日没までのこととなります。イエスさまが週の初めの日に復活なさったというのは、今で言えば、土曜日の日没後から日曜日の明け方となります。それで、伝統を大事に守る教会では、土曜の深夜というか日曜の始まりの午前0時に、復活の徹夜祭を行います。それが復活祭の主たる礼拝となるのであって、通常の午前10時とか11時に始まる礼拝は主たる礼拝とはされません。私たちの教会の伝統でも、復活祭には必ず早天礼拝とか早朝礼拝と言って、日曜の朝早く野外に集まってイエスさまのご復活を祝っていました。

《さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った》。

二人の女の弟子たちは、日曜の夜明け前に墓を見に行きます。土曜日は安息日で、遠出を禁じられていたからです。彼女らは安息日が終わるのを待ちかねて、日が日曜日に変わると、つまり週の初めの日になると、まだ暗いうちに墓に来ます。すると、ちょうどその時に大きな地震が起こって、主の天使が現われ、墓をふさいでいた石を取りのけてくれます。天使はその石の上に座って、彼女らに伝言します。地震は午後3時にイエスさまが息を引き取られたときにも起こっています(27章52)。地震や天使といった一連の出来事は、そこに神さまの力が働いていることを現しています。5節以下の天使のことばは、まさに神さまご自身のことばとして聞かれるべきことを示しています。

《天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。・・・」》。

イエスさまは、復活なさったのです。ユダヤ人指導者は、ピラトに願って、墓石に封印をし、見張りを墓に立てていました(27章62~66)。彼らはイエスさまを処刑するだけでは足りず、手立てを尽くしてイエスさまの運動を封じ込めようとしました。しかし、その努力も空しく、神はイエスさまを墓から解放したのです。

お墓参りに来たこの女性たちは、《マグダラのマリアともう一人のマリア》だといいます。この女性たちは、イエスさまが十字架に掛けられた姿を見守っていました(27章55~56)。また、お墓に葬られるのも見守っています(27章59~61)。男の弟子たちが逃げ去ったあとも、最後まで女性たちがイエスさまに着いていた姿は印象的です。

二千年前、女性は証人としての法的資格が認められていませんでした。ですから、ここで女性たちが復活の最初の証人として報告されていますが、法的にはこの人たちの証言は無効です。ところが、教会ではいつでもどこでも女性たちは神の力の証人として欠かせない存在でした。だからこそ、この物語は教会に大いに愛されてきたのです。

復活したイエスさまと出会った弟子たちの話は、二千年前の一回限りの出来事というだけでなく、今も私たちの間で起こっているイエスさまとの出会いの物語として読むことができます。

地震と天使の出現によって、見張りをしていた番兵たちは《恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった》と書かれていますが、二人の女性たちも同じだったようです。天使は女性たちに《恐れることはない》と語りかけますが、「恐れているのを止めなさい」という意味です。女性たちは恐れていたのです。「イエスさまは復活なさった」という天使の言葉を聞いた女性たちは、《恐れながらも大いに喜び》ました。恐れと喜びが併存している状態でしたが、女性たちは天使の言葉を信じ、その指示に従って弟子たちに知らせに行きます。信じて従う彼女たちにイエスさまは自らを現します。イエスさまが行く手に立っていて、この女性たちに《おはよう》と声をかけます。

話しの流れから離れますが、ここでちょっと注釈を入れます。「おはよう」と訳された言葉は、新約聖書の言葉ギリシア語では「カイレテ」です。これは、直訳すると「あなたがたは喜びなさい」という意味ですが、「喜べ」はふつうのギリシア語の挨拶の言葉でして、「おはよう」でも「こんにちは」でも「さようなら」でも、ギリシア語では「喜べ」が使われます。ですから、新共同訳聖書では「おはよう」という日本語に訳されています。岩波書店版では、ここは原語の意味をとって「喜びあれ」と訳されています。私たちが以前に使っていた口語訳聖書では「平安あれ」です。これは、イエスさまは女性たちに自分の国の言葉で話しかけたと考えられますから、そうすると「シャローム」と言ったはずです。ヘブライ語「シャローム」は訳せば「平和」または「平安」です。

さて、話しを元に戻します。復活のイエスさまと出会うことによって、彼女たちは本当に恐れから解放されます。「恐れ」が「喜び」に変えられる出来事、それが復活の体験だと言えるでしょう。

ところで、天使の指示とイエスさまの指示は同じ内容ですが、注目すべき違いがあります。それは、天使は《急いで行って弟子たちにこう告げなさい》と、「弟子たち」と言っているところで、イエスさまは「わたしの兄弟たち」と言いるのです。《行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる》

《イエスを見捨てて逃げてしまった》(26章56)弟子たち、《そんな人は知らない》とイエスさまを否認したペトロ(26章69~75)のことを、イエスさまは《わたしの兄弟たち》と言います。復活の主は、慈悲深くも彼らを赦し、「弟子」以上に固い絆で結ばれた者として、ご自分の親密な「兄」弟として受け入れることを表しています。先ほどは、女弟子たちにとって、復活は「恐れ」から「喜び」へと変えられる出来事と言いましたが、男の弟子たちにとっては、復活は「悔恨と絶望」から「再起と希望」へと変えられる出来事であったと言えると思います。

復活は、言葉で書き尽くすことができない、説明のできない出来事です。神さまだけが信頼できる方であるがゆえに、私たちは信じることができるのです。

復活祭の出来事は、聖金曜日の出来事についての神さまの注釈と見ることができます。聖金曜日にイエスさまは《エリ・エリ・レマ・サバクタニ。わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか》

と問うていますが、復活は十字架に対する神さまの側の答えだと受け取るべき事柄です。十字架にかけられたメシアのよみがえりです。十字架によってイエスさまがメシアであることが無効にされたように見えるけれども、復活がイエスさまがメシアであることを確証しているのです。十字架は神さまの救いの歴史の中心的な出来事として解釈できるのです。それゆえにこそ、弟子たちはイエスさまの死を悲劇ではなく、勝利として理解したのです。

復活のイエスさまは今も、私たちと共にいて、私たちの歩みを支え、導いてくださいます。「恐れ」を「喜び」へと、「絶望」を「希望」へと変えてくださいます。主はよみがえられた。ハレルヤ。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2011年4月17日 受難主日 「イエスの死の意味」

マタイによる福音書27章11〜54節
説教:高野 公雄 牧師

さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。

ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。

それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。

兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。

さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。

そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。

百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

マタイによる福音書27章11〜54節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

教会の暦で、復活祭前の一週間、きょうからの一週間を「聖週間」といいます。週の初めの日、イエスさまはエルサレム神殿に、柔和な動物であるロバに乗って、入城しました。ラザロの復活の奇跡を見聞きした群衆は、しゅろの枝を打ち振って「ホサナ、ホサナ」と喜びの声を上げて歓迎します。今朝の礼拝は、その日を記念して、マタイ21章1~11にあるその記事を読み、そして讃美歌77番を歌って、私たちもまた「ホサナ、ホサナ」とイエスさまを称えることから始めました。

このように、群衆は、大きな歓声をもってイエスさまのエルサレム到着を迎えたのですが、その週の木曜日にはイエスさまは弟子たちの足を洗い、最後の晩餐を祝い、弟子たちに別れの説教をします。そして、ユダの裏切りによって逮捕され、翌日の金曜日には、十字架に付けられて殺されてしまいます。そして、三日目に、次の日曜日の朝早く、復活されます。来週は、ご復活を祝う復活祭です。

教会の暦は、日曜日の礼拝において、イエスさまの生涯の大事な出来事を読むことになっていますから、きょう、受難の主日には、マタイによる福音書の受難の記事を読みました。そして聖金曜日、受苦日には、伝統にしたがって、ヨハネによる福音書の受難の記事を読みます。

イエスさまの受難の物語はたいへん大事ですので、いつもよりも長い区分を読みました。そして、より良く味わえるように、みんなで配役を分け持って、受難劇として読むのが習慣です。そのために、便宜上、ト書きの部分と、登場人物のセリフの部分をはっきりと分けました。

一緒に読んでみて気づかれたと思いますが、聖書はイエスさまの十字架については、不思議と、細かいことは書きません。ただ、《彼らはイエスを十字架につけると、・・・》としか書かないのです。ところが、イエスさまをとりまくさまざまな人については、彼らがイエスさまをどう取り扱ったか、こまごまと書かれています。ピラト、祭司長や長老たち、群衆とローマ軍の兵隊たち、十字架上の強盗たちが、どのようにイエスさまを嘲弄し、イエスさまを十字架に付けたかが詳しく書かれたのは、私たちのためです。私たちが彼らと同じようにイエスさまの十字架の意味を悟らないで、イエスさまをののしる者にならないためです。

群衆は、日曜日には「ホサナ、ホサナ」と叫んで、イエスさまを大歓迎していました。ところが、そのイエスさまが逮捕され、裁判に付され、ついには十字架に掛けられるという無力な姿を見せますと、とたんに気持ちが離れてしまいます。救い主は強者であってほしいのです。人に仕えるような者ではなく、人に仕えられるような支配者がほしいのです。ところがイエスさまは、病人を癒したり、助けたりはしましたが、自分自身を助けることはできない、自分のことには無力なのです。人々はそういうイエスさまを望んでいません。期待外れもいいところです。そんな奴は捨ててしまえ、という心境でしょう。まだ強盗のバラバの方が、ローマ軍に対して何かやってくれそうな期待がもてます。すでにローマ軍に反抗した実績があり、そのために死刑判決を受けて囚人となっているのですから。

犯罪人のバラバと比べると、イエスさまは無罪なのです。死刑に当たるような悪事はなにもしていません。ただ、ユダヤ人指導者の目から見て、イエスさまの活動とそのメッセージが危険なものと映ったので、殺されたのです。それを正当化するために裁判の形が採られました。ですから、裁判の記録を読みましても、死刑にならなければならないような理由ははっきりとしません。

《そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。『神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。』同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから》(40~43節)。

イエスさまの受難は、神さまのご意志です。ですから、イエスさまが自分を救って、十字架から降りてしまったら、その自助努力は、神から離れてしまうことを意味しています。「自分を救い、十字架から降りてみよ」という群衆の声は、神の意志を無視せよという悪魔の誘惑の声なのです。それは、荒れ野における悪魔の誘惑と同じ誘惑です。

《「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある」》(マタイ4章6)。

神から離れよという悪魔の誘惑は、目立つような悪を行なえという誘いであるよりも、目立たない形でありながら、実は神の意志に反することを行う、または選ぶというような誘惑の方が危険です。

ところで、イエスさまは十字架上で叫びます。

《エリ、エリ、レマ、サバクタニ》(46節)。

それは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。苦しむとき、悲しむとき、こう叫びたくなるのは自然なことかもしれません。でも、私たちならば、そう言いながらも、「あのときの自分の言動のせいかな」というように、見捨てられても仕方がないような理由が次々に思い出されるのではないでしょうか。そう考えると、この問いを、この祈りを口にできるのは、イエスさましかいないとも言えるのです。

つまり、ここでは、本来ならば、見捨てられるはずのない方が、見捨てられ、苦しんでいるのです。見捨てられるはずのない方が、見捨てられるのが、神のみ心であるならば、それは神さまの特別な意図があるはずです。十字架に続いて、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたことと、墓が開いて生き返った人がいたという出来事が、神さまの意図を現しています。

神殿の垂れ幕は、神さまが臨在される至聖所と神殿に仕える人々とを区切るものでして、罪ある人間は神さまのみ前に出ることを表していました。その垂れ幕が裂けたということは、神と人との隔たりが除かれたことを意味します。イエスさまの十字架によって、罪の贖いが完成され、神さまと私たちとを隔てるものが取り除かれて、私たちが自由に神さまと交わることができるようになったことを意味しています。

死んだ者が復活したことは、「死の克服」を意味しています。

《罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです》(ローマ6章23)。

十字架はイエスさまの無力を証明するものではありません。イエスさまは十字架によって、罪と死の力に勝利されたのです。イエスさまは、私たちを神と和解させ、新しい命を与えてくださったのです。

罪のないイエスさまが神さまに見捨てられたのは、見捨てられるべき私たちが見捨てられないようになるためでした。イエスさまの贖いを感謝して受けて、神さまと和解させていただきましょう。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださるように。アーメン

2011年4月10日 四旬節第5主日 「死を招く復活」

ヨハネによる福音書11章17〜45節
説教:高野 公雄 牧師

さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。

マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。

マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。

イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。人々が石を取りのけると、

イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」

こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。

ヨハネによる福音書11章17〜45節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

いま私たちが過ごしている教会の暦の季節は、「四旬節」と言います。四十日間という意味です。むかし、復活祭に洗礼を受ける志願者は、その前の四十日間を特別な期間として守り、断食や節制をして信仰の学びと祈りに打ち込み、信仰の決断へと導かれることを待ち望みました。ヨハネ11章の話は、そういう人たちの決断を助ける聖書箇所として読まれました。長い話ですので、読むときは始めの部分と終わりの部分を省略していますが、きょうの説教は11章全体の話が前提になります。

今、この場に集まっている私たちは、すでに洗礼を受けた者と、まだ洗礼を志願するに至っていない者が多いと思いますが、私たちもまたこの聖書箇所を学ぶことを通して、イエスさまを救い主と信じることの意味をより深く理解できるように願っています。

さて、聖書の話の筋をたどっていきましょう。エルサレムに近いベタニア村に、マルタとマリアという姉妹が住んでいました。この姉妹は、すでにイエスさまと出会っており、イエスさまの弟子となっていたと考えられています。この姉妹にラザロという兄弟がいますが、重い病気にかかって死にそうです。姉妹はイエスさまに使いを送って、早く助けに来てくださいとお願いしました。しかし、イエスさまが到着する前に、ラザロは息を引き取ってしまいました。ユダヤにおける当時の埋葬の仕方は、火葬でも土葬でもなく、洞穴の中に寝かせるものでした。墓穴は大きな石でふたをします。暑い地方ですから、腐臭を消すにおい物、つまり没薬(ミルラ)をたくさん入れて布にくるんで寝かせます。

イエスさまが到着したとき、ラザロの死を悲しむ人々の泣き叫ぶ声は、あたかも絶対的な力をもつ「死」を称える賛美の歌声のようでありました。イエスさまははげしく心を動かされました。35節に《イエスは涙を流された》とあるとおりです。悲しむ人々に対してイエスさまが深く共感されたことを表す出来事です。イエスさまはラザロの眠る墓に行くと、「死」を叱りつけるかのように、大きな声でラザロに命じます。

《「ラザロ、出て来なさい。」》

すると、死人が起き上がり、布にくるまれたまま墓穴から出てきたというのです。

これが「ラザロの復活」と呼ばれる記事のあらすじです。この記事は、イエスさまが死人を蘇生させるという奇跡を伝える物語のような体裁になっていますが、じつは、ヨハネ先生はこの出来事を物語ることを通して、もっと深い話をしているのです。

ヨハネ先生はラザロのよみがえりの奇跡を題材にして、古いいのちの復活ではなく、新しいいのちの誕生について話しているのです。この世のいのちだけを見るならば、復活したラザロはいずれまた死にます。しかし、イエスさまを信じ、新しいいのちに目覚めた人は、《死んでも生きる》または《決して死なない》とイエスさまは言います。マルタとの対話に聞いてみましょう。

《イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」》。

私たちがまことの神を信じ、神さまのみ心を体現するイエスさまを信じ、神さまの愛に包まれていることを信じると、私たちはイエスさまから古い自分を脱がされ、新しいいのちを着せられるのです。この新しいいのちのために、死の手前のこの世にありながら、すでに死を超えて神さまの世界に生きるのです。死後の復活ということも、この新しいいのちがあればこそ信じられるのです。ですから、《終わりの日の復活の時に復活する》と信じることは、間違いではありませんが、それは真理の半分です。イエスさまは、信じれば、今ここで、新しいいのち、復活のいのちをいただける、と言うのです。《このことを信じるか》と問われて、マルタは答えます。

《マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」》

これがマルタの信仰告白です。イエスさまは「主」であり、「世に来られるはずの神の子」であり、「メシア(キリスト)」であると、三つの称号で答えます。ヨハネ福音書には、他の福音書にあるペトロの信仰告白「あなたこそ生ける神の子メシアです」という記事はなく、女弟子マルタが弟子たちを代表して信仰の告白します。

イエスさまは、そのようなメシアとして、これからどのような道を歩まれるのでしょうか。この点に関しても、ヨハネ11章は私たちに大事な真理を伝えています。

ヨハネ福音書はこのあとの12章で、このラザロの復活の出来事がエルサレム入城のときに人々が「ホサナ、ホサナ」と歓呼して迎えたことの理由だと述べています。

《イエスがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたとき一緒にいた群衆は、その証しをしていた。群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのようなしるしをなさったと聞いていたからである。》(ヨハネ12章17~18)。

しかし、祭司長たちが、イエスさまを殺さなければならないと決心するのも、ラザロの復活がきっかけでした。

《マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。しかし、中には、ファリサイ派の人々のもとへ行き、イエスのなさったことを告げる者もいた。そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである。この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ》(ヨハネ11章45~53)。

つまり、ヨハネ先生は、他人にいのちを与えるという奇跡が、イエスさまに死をもたらすという皮肉な結果を招いた、と言っているのです。マルコによる福音書によると、この矛盾ないしは逆説を突いて、人々はイエスさまをあざ笑ったといいます。

《そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。》(マルコ15章29~32)

この「他人にいのちを与えるという奇跡が、イエスさまに死をもたらす」ことの中に、大切な真理が隠れて現れているのです。ときの大祭司カイアファは言います。

《「あなたがたは何も分かっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである》。

これが、神の救いの真理、十字架の論理です。イエスさまは救い主として私たちにいのちを与えるために自らを犠牲になさいます。この真理について、ヨハネ3章16節はこう言っています。

《神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである》。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださるように。アーメン

2011年4月3日 四旬節第4主日 「ユダヤ会堂からの追放」

ヨハネによる福音書9章13〜25節
説教:高野 公雄 牧師

人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」

ヨハネによる福音書9章13〜25節

 


 

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。 アーメン

体の具合が悪くなると、お腹を冷やしてしまったからかなとか、夜更かししすぎたからかななどと、思い当たる原因を考えて、対処の仕方を考えるのではないでしょうか。体の不調の原因は、自分が罪を犯したためとまでは考えないにしても、自分の不注意とか不摂生のせいだと反省することしばしばです。

障がい者に対しても同じような考え方をすることが多いと思います。わたしの経験ですが、生まれつき目の不自由な人が教会に訪ねてきました。わたしが彼女にまず尋ねたのは、目が悪いのは小さいときからなのかとか、いまどの程度目が効いているのか、というようなことでした。彼女は、わたしの問いに誠実に答えてくれたのですが、わたしの質問は彼女にとって何の意味があったでしょうか。

二千年前のイエスさまの弟子たちにも同じようなことが起こったことが聖書に述べられています。

≪さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」≫

目の見えないこの男は物乞いをするしかありませんでした。そんな社会の片隅に追いやられている人に、イエスさまは目を向けられます。弟子たちは彼の目が見えないのは「生まれつき」だと知っていたということは、すでに何度かこの男の前を通っていて、彼の噂を聞いていたのかもしれません。しかし、素通りしたのではこの人の人生はなにも変わりません。イエスさまが目を留め近づかれたということが、一切の始まりです。イエスさまは弟子たちに答えます。

≪「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」≫

福島県に住む人々は津波と原発事故で苦しい状況に置かれただけでなく、放射線の影響についての誤った風評による被害にも遭っています。二重の痛みを負うことになり、本当に気の毒です。この男の場合も、生まれながらに目が見えないだけでなく、それは本人の罪のためだ、いや親の罪のためだと論じられることで、さらなる痛みを負わされていたのです。イエスさまはこの負の連鎖をきっぱりと断ち切ります。これは本人のせいでも親のせいでもない。ひとごとのように因果応報を論じる、そんなことはこの人にとって何の役に立つと言うのか。むしろ、神さまがこれからこの人をどう恵まれるか、どう導かれるかということに目を向けようではないか。こうイエスさまは諭されます。これはすでにこの人にとって望外の福音であったに違いありません。

わたしが出会った目の不自由な人の場合を思い起こします。彼女が求めていたのは、人生の指針であり、人生の支えです。彼女は先に光が見えない、出口が分からない、暗いトンネルの中にいるような心境で、明かりとなってくれるキリストを求めていたのでしょう。彼女は当時、大学3年生で、大人として生きるために道を求めていたのだと思います。実は、わたしも大学生になって初めて教会を尋ねたのですが、社会人として、大人として生きるために、自分の生き方の芯となるものとしてキリスト教を学ぼうとしたのでした。五里霧中の状態で自分がどう生きるべきかを探し求めていました。それはまさに、生まれつき目の見えない人が、物乞いをしている状態だったと言えます。

聖書の中のこの人は、イエスさまと出会って、視力を回復させてもらいました。しかし、神のみ業は、この奇跡的な癒しに限られません。むしろ、聖書がわたしたちに語るところによれば、彼の心眼が開かれたことの方が重要です。

四旬節は、もともと復活祭に洗礼を受ける志願者が信仰を告白する準備のときでした。今日の福音、ヨハネ9章もこの時期に読まれる伝統的な個所です。生まれつき目の見えない人がイエスさまと出会い、闇から光へと移される、闇から光へと生まれ変わる物語です。

聖書の表現では、目が見えないこと、耳が聞こえないことは、神を知らずに、または神を信じずに生きていることのたとえです。聖書は、その状態を「罪」と言い表しています。イエスさまを世の光として認めることができない状態です。しかし、イエスさまは自らその盲人に近づき、彼の目を開かれます。自分を照らす世の光としてイエスさまを知ること、それが救いであり、新しい命を生きることであります。

ですから、盲人が見えるようになることは、聖書の表現では、神のみ業が現われたことであり、世の救い主が現われたことであり、イエスさまこそまことの救い主であることを指示しているのです。イエスさまのみ言葉≪シロアムに行って洗いなさい≫は、イエスさまを救い主と信じて洗礼を受けなさい、新しく生まれ変わりなさいという福音的な勧めに他なりません。

自分が目の見えないこと、耳の聞こえないことを認めて、門をたたく者、求める者には、必ず門が開かれ、探すものが見つかります。しかし、見えると言い張る者は、実は見るべきものを見てはおらず、闇に留っていて、それが闇であることを知りません。

さらに、聖書は、イエスさまを自分の目を開いてくださった方と知った男は、ユダヤ教の会堂から追放されることをも辞さず、イエスさまをメシア、キリストであると告白したと語ります。

≪ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。≫

このことは、少し説明を要します。イエスさまの在世中には、キリスト教徒という概念はありませんでしたし、キリスト教徒をユダヤ人社会から追放するという決定もありませんでした。ヨハネ先生は福音書を、ただ過去の出来事を歴史として書いたのではなく、自分の教会の信者たちの直面している状況に合わせて書いています。ヨハネ先生が福音書を書いたのは一世紀の末だと考えられていますが、その当時には、キリスト教はユダヤ教の一派とは認めらなくなり、クリスチャンはユダヤ教の会堂から締め出され、破門されるようになっていたのです。ヨハネ先生は自分の教会に集う者に向かって、イエスさまは信じる者を必ず守ってくださるから、追放されることを恐れずに信ぜよ、と教えているのです。

ところで、今日の日本社会でキリストを信じて生きることもまた、容易なことではありません。世俗的、実利的なものの見方、考え方が行きわたり、神を仰ぎ見るわたしたちは昔の人か異星人のような異質の存在となっています。また、地鎮祭や法事との付き合いも欠かせないのが悩ましいところです。そんな中でも、キリスト者として気骨をもって生きよ、もう一度その覚悟を固めよ、とイエスさまはわたしたちに呼びかけています。イエスさま自身、わたしたちの救いのために罪人としてユダヤ教指導者によって棄てられました。イエスさまを信じ従うわたしたちもまた、イエスさまと同様の道を歩み、苦難をとおって栄光へと至るのです。しかし、わたしたちはこの点において、あまりに不徹底であると思います。わたしたちはかつては闇の中に住んでいましたが、いまは主の恵みを知り、命の光の中に生かされています。この幸いを喜び、イエスさまと出会った盲人のように、決然と、心の底から主に感謝し、主を賛美しましょう。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださるように。アーメン