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聖金曜日

 受難週(聖週間)の金曜日を聖金曜日(Good Friday)と言い、イエスの十字架と死を記念する日です。
 イエスは弟子のユダの裏切りによって、ユダヤの宗教権力者たちに捕らえられ、彼らの手によって裁判にかけられますが、当時ローマ帝国の支配下にあったユダヤ人たちには、死刑の判決を下す権限がなかったので、彼らはイエスをローマの総督ポンテオ・ピラトに引き渡し、ピラトはイエスに死刑判決を下します。イエスは十字架を背負ってゴルゴタに引かれ、そこで十字架につけられ、現在の午後3時に息を引き取り、墓に葬られました。(マタイ26:47~27:66、マルコ14:43~15:47、ルカ22:47~23:56、ヨハネ18:1~19:42)
 聖金曜日の礼拝、祝祭は、4世紀頃のエルサレム教会に起源を持つと言われています。カトリック教会、プロテスタント各教会によって礼拝の構成は様々ですが、現在は、礼拝の終わりのところで、祭壇の布や装飾(お花、ろうそく)をすべて取り除き、祭壇を黒い布で覆い、(黒は「死と暗黒」のしるし)沈黙の内に礼拝堂から退場するという礼拝式や、また、前日に祭壇をすべて空にしておき、礼拝の中ではオルガンや鐘も鳴らさず、ただひたすら沈黙の中で、祈りが捧げられるという礼拝のもち方もあります。そして、伝統的にこの日は報告やお知らせ、愛餐会やその他集会などは一切行いません。
 キリストの十字架、それは呪いと敗北、死という終わりを象徴しているものに過ぎないかもしれません。しかし、このキリストの十字架によって、人の罪は赦され、(コロサイの信徒への手紙1:14)そして3日後に、神様はこのキリストを死から復活させ、死を超えて復活の命に与ったことによって、死が打ち破られ、死が終わりではないということが示されたのです。その復活の喜びを真の喜びとして受け止めるためにも、しばし、この十字架の死に思いを向けるのです。「光は暗闇の中で輝いている(ヨハネによる福音書1:5)」ように、十字架の闇と復活の光は切り離すことができないのです。

受難主日

 棕櫚の祝祭をもってしてイエスのエルサレム入場を記念することよりも前に、教会では(主にローマでは)受難週(聖週間)の最初の日曜日をイエスの受難記念日として礼拝が守られていました。(受難主日)礼拝の始まりに、エルサレムへの入場、それはイエスの受難と十字架への道を記念して、マタイによる福音書からイエスの受難物語が朗読されてきました。(マタイ26~27章)
 現在では受難週(聖週間)の最初の日曜日を受難主日として礼拝を守る場合、その日の福音書は年によって、マタイ、マルコ、またはルカの福音書から、イエスの受難物語から選ばれます。教会によっては、イエスの受難物語に登場する人物とナレーター(福音史家)のセリフに担当者を決めて、それぞれ割り振られた担当の言葉を朗読していくというやり方もあります。

枝の主日

 レントの最後の一週間を受難週、または聖週間と言います。イエスキリストの生涯における最後の一週間について、エルサレム入場、最後の晩餐、十字架上の死、復活の出来事を4つの福音書が克明に記録している厳粛な期間であります。
 イエスはロバに跨って、おごそかにエルサレムに入場しました。(マタイ21:1~11、マルコ11:1~11、ルカ19:28~38、ヨハネ12:12~19)その姿は旧約の預言者ゼカリヤによって預言された、来るべき救いをもたらす正義と平和の王にイエスを重ねたものでした。けれど、それは権威と力を重ね備えた力強き王の姿ではなく、それらの力を破棄した柔和な王の姿でした。人々はこのイエスを歓呼の声をもってして迎え入れ、歓迎し、その際に自分たちの衣服を道に敷き、また木の枝を切って道に敷いた人もいました。ヨハネによる福音書の記事では(ヨハネ12:13)、なつめやしの木の枝を振って迎えに出たと記されています。このなつめやしの葉が棕櫚の葉ではないかと言われています。
 この聖書の出来事から、受難週を迎える最初の日曜日は「棕櫚の主日(日曜日)」または枝の主日(Palmarum,Palm Sunday)と呼ばれるようになりました。その起源は7世紀のスペイン、ガリア地域に遡ると言われています。この日曜日の礼拝の中で、イエスのエルサレム入場を独自に祝う棕櫚の行進行列を伴う祝祭が行われるようになっていき、棕櫚の枝がない地域では、代わりに常緑樹の枝や花をつけた枝を用いて行われていました。
 棕櫚の葉は、花言葉で「勝利、成功」という意味があり、月桂樹などと共に、勝利のしるしとされています。イエスを迎えた人々は、「ホサナ(ヘブライ語で「今救い給え」という意味)」と叫んで、自分たちを救ってくれる力強い救い主(メシア)としての期待を抱きました。しかし、このホサナの大合唱は、数日後には「十字架につけろ」という大合唱に変わるのです。棕櫚の葉が示す勝利のしるしは、武力において、人々が求めていた苦しみからの解放(当時イスラエルはローマ帝国に支配されており、その圧政からの解放を人々は願っていました。)をもたらす救い主の姿においてではなく、柔和な王の姿に示された無力な救い主の姿における十字架上の死、そしてその死の支配を打ち破った復活における罪と死からの勝利を示しているのです。