イザヤ書40章1-11節
説教: アンドルー・バーテルト 博士 – Rev. Dr. A. Bartelt
慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ、苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを、主の御手から受けた、と。
呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
高い山に登れ、良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ、良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな、ユダの町々に告げよ。
見よ、あなたたちの神、見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ、御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い、主の働きの実りは御前を進む。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。
イザヤ書40章1〜11節
皆さんも、時には神が縁遠い存在、隠れた存在ではないか、さらには、存在していないように感じることがあるのではないでしょうか。多くの人は一体神は本当にいるのだろうかとか、どんな方なのだろうかという疑問を持っています。ある人は「神」をとても曖昧で、漠然とした存在と感じており、ある人は身近な、自分の必要を満たしてくれる個人的な召使のように働く神を求めています。
私たちはクリスチャンとして、一人の人格的な神を、三位一体の神を知っています。神は全世界の創造者でありながら、私たち一人一人を個別に知ることを望み、さらに私たちを名前で呼ぶことを望んでおられます。
神はまた私たちの贖い主であり、救い主であって、私たちの精神的、肉体的にもっとも必要とするものを満たしてくださいます。神は創造した者が離れていくのを見守っているだけでなく、連れ戻すために来てくださいます。
しかし、私たちクリスチャンでさえ、時には、神が遠い存在で隠れているように思えます。この世界の、悪と苦難と、神に対する公然たる罪と反逆の中で、神はいったいどこにおられるのだろうか。地震や津波に襲われた世界の中で、神はいったいどこにおられるのだろうか。たとえ、アメリカの私たちが市民として、またルター派の兄弟姉妹として支援するとしても。そしてアメリカの私たち自身も近年は記録的な自然災害を経験してきたのです。
これらの災害は、神の罰なのでしょうか。それとも、神はまったく関与していないのでしょうか。気候変動がもたらす結果でしょうか。ただの偶然でしょうか。単に最悪の年なのでしょうか。あるいは、まさにローマ書8章でパウロが言っている、罪に堕ちた被造世界の結末としての「うめき」なのでしょうか。
本日のイザヤ書のテキストは、神の民がいったい神はどこにおられるのかと自問している時に語りかけた箇所であります。はたして神はおられないのでしょうか、あるいはただみ顔を隠しているだけなのでしょうか。
その当時、初めはアッシリア、次にバビロンによって神の民は崩壊に直面していました。そして、イザヤ書40章の有名なみ言葉によって、預言者が慰めのメッセージを伝えます。事実、神は預言者イザヤを通して神の民に語ったのであります。その時はそう見えたかもしれませんが、彼らを忘れ去ったわけでも、見捨てたわけでもなかったのです。
彼らは以前にもそのような絶望を経験していました。神の民の歴史は、悲しみと不幸、破壊と絶望の時を多く経験しています。エジプトの奴隷時代を思い出してください。神もまたよく覚えてくださっています。そして、何が起こったか思い出してください。神は強いみ手によって彼らを救い、導き、荒野へと連れて行かれました。彼らはそれを良い計画とは思わなかったようですが、神にはすばらしいご計画がありました。神はシナイの荒れ野で彼らを神の民とされたのです。
そして、イザヤの時代に、神は「第二の出エジプト」のような新しいこと行うと言われました。今度は砂漠をさまようようなのろのろした旅ではありません。高速道路(日本だったら、新幹線?)を造って、約束の地へ彼らを連れて行くと言うのです。
いまや、すべて肉なる者は(誰もが)、神がその民と共にいるのを見るであろう。
これは、慰めと喜びに満ちた実にすばらしい宣言であります。そして、それは今や私たちに、この待降節第二週に私たちに告げられているのであります。私たちはふたたび神を待ち望んでいることに気づかされるのです。目で見ることはできませんけれども、神は最もリアルに個人的な方法で私たちと共におられるのです。
このテキストの中心は9節にあります。そこで預言者は、神の民に「あなたたちの神はここにいる。あなたたちと共にいる。神がおられるしるしが見えますか」と呼びかけます。
神はあなたたちの罪をゆるしてくださいました。あなたたちに命を与えてくださいました。それは、いかなる国家も戦争も、自然死でさえもが私たちから奪い去ることができない命です。
神の腕は、まさに神の国を司る力を持っています。それと同時に子羊をやさしく抱く良き羊飼いの柔和な腕でもあります。
キリストに連なる親愛なる友である皆さん、私たちの神は現実です。隠れているように見えても、イエス・キリストの人格において、自らを私たちに現わされました。これが、待降節のメッセージです。私たちの神はこの地上に来てくださった。私たちを救うために来られました。そして、再び来られます。
きょうの福音書は、最後の偉大な預言者である洗礼者ヨハネとの関連を示しています。彼はイエスさまの到来を告げるために、このテキストの言葉をそのまま復唱します。あたかも彼は当時の人々に「あなたたちの神はここにいる」と語っているかのようです。
私たちは、イエスさまにおいて神を見ることができます。彼が慰めをもたらすために来たのですが、それは、私たちの罪が赦されること、罰が過去のものとなるたことを、ただ「告げる」ことによってではありません。「彼はわれわれの苦しみを負い、われわれの悲しみを担った」とイザヤが後に語るたように(イザヤ53章参照)、私たちの罪に対する罰を自らの上に引き受けられたのです。
イエスさまの死と復活によって、私たちに、自然の大災害や自然死でさえも二度と取り去ることのできない命を与えてくださいました。被造物の「うめき」の真中にあっても、私たちに平安をもたらしてくださいます。私たちの創造主であり贖い主である神は、イエス・キリストを通して私たちを新しい存在としてくださいました。それは、地上のいかなるものも破壊することはできません、
そうです。この時代の苦しみの最中にあっても、神は私たちと共にいまして、私たちを慰め、励ましてくださいます。
今の時代の成功と繁栄の中にあっても、神は私たちと共にいまして、何が永遠に続くものかを私たちにお示してくださいます。
私たちの日々の生活の葛藤の中にあっても、神は私たちと共にいまして、私たちを赦してくださいます。
そして、隠れている遠い存在のように思える時でも、神は私たちと共にいてくださいます。
最後に個人的な話で締め括りにしたいと思います。皆さんも「かくれんぼ」を小さな子どもとしたことがおありになるでしょう。我が家では、玄関口からリビングルーム、台所、そしてまた玄関口へとぐるっと走り回れるようになっています。お父さんが隠れ、子どもたちはお父さんを探して家の中をぐるぐる走り回ります。私は実際にはしばしばただ隅っこに立っているだけだったのですが、私の娘は私の前を通過して走り去ります。仕方なく、私は前に出ていきます。すると、娘は私を目がけて走ってきます。そして、子どもは何と言うか、皆さんお分かりですね。「お父さん、見つけた」。もちろん、私はずっとそこにいたのです。ただ、私が自分からここにいることを示すまでは、娘が気づかなかっただけなのです。娘は、私を見つけると、喜びいさんで「見つけた!」と言うのです。
キリストに連なる親愛なる友である皆さん、
待降節は、神が「私はここにいる」と告げる時です。
イザヤは暗やみをさまよう人々に告げました、「あなたたちの神はここにいる」と。
私たちは、神のみ前を走って通り過ぎてしまうそんな世界に住んでいます。そして、神はいったいどこにいるのか、なぜ隠れているのかと不思議に思うのです。イエス・キリストにおいて神は言われます、「あなたたちの神はここにいる」と。
聖霊によって身ごもり、おとめマリアより生まれて、この世に来られた救い主において、神は言われます、「あなたたちの神はここにいる」と。
神の恵みによって私たち一人一人の人生に関わってくださり、嘆き悲しむ者を慰めるため、弱き者を強めるため、死んだ者をよみがえらせるためにこの世に来られた救い主の真実の人格において、「あなたたちの神はここにいます」。
私たちに与えられたいのちによって、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで、私たちのために、そして私たちの救いのために与えられたいのちによって、「あなたたちの神はここにいます」。
イエスさまの恵みのうちに、イエスさまの力によって、イエスさまの奉仕のうちに生きる私たちのいのちによって、神は私たちを取り巻く世界に言われます、「あなたたちの神はここにいる」と。
異なった場所・文化から私たちを集め、キリストのみ前を取り囲み、あらゆる国民・民族の人々が口々に「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主のなる神」と歌う信仰の交わりの中で、私たちの神はみ言葉と水において、パンとぶどう酒において私たちのもとに来ます。「あなたたちの神はここにいます」。
決して忘れないでください。人生の最悪の時にあっても、死に直面している時にあっても、私たちの神は共にいてくださり、新たないのちを与えてくださることを、そして私たちは顔と顔を合わせて神を見ます、そしてとこしえに言うことを、「あなたたちの神はここにいる」と。
父と子と聖霊のみ名により、アーメン。
“Here is your God!”
Comfort, comfort my people, says your God. Speak tenderly to Jerusalem, and proclaim to her that her hard service has been completed, that her sin has been paid for, that she has received from the LORD’s hand double for all her sins.
A voice of one calling: “In the wilderness prepare the way for the LORD; make straight in the desert a highway for our God. Every valley shall be raised up, every mountain and hill made low; the rough ground shall become level, the rugged places a plain. And the glory of the LORD will be revealed, and all people will see it together. For the mouth of the LORD has spoken.”
A voice says, “Cry out.” And I said, “What shall I cry?” “All people are like grass, and all their faithfulness is like the flowers of the field. The grass withers and the flowers fall, because the breath of the LORD blows on them. Surely the people are grass. The grass withers and the flowers fall, but the word of our God endures forever.”
You who bring good news to Zion, go up on a high mountain. You who bring good news to Jerusalem, lift up your voice with a shout, lift it up, do not be afraid; say to the towns of Judah, “Here is your God!”
See, the Sovereign LORD comes with power, and he rules with a mighty arm. See, his reward is with him, and his recompense accompanies him. He tends his flock like a shepherd: He gathers the lambs in his arms and carries them close to his heart; he gently leads those that have young.
Isaiah 40:1~11 (New International Version, NIV)
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There are times when God seems far away, hidden, even non-existent. For many people the question is whether there even is a god – or what kind of a God He is. Some perceive “God” as very vague and general; others want a god who is close to them, even acts like a personal servant to meet their needs.
As Christians, we know a personal God – in fact, a God in three persons, blessed Trinity! He is the Creator of all the world, yet He wants to know each of us as an individual, even calling us by name.
He is also our Redeemer, our Savior, who has met our deepest needs in both spirit and body. He has watched His creation go away from Him, but He has come to claim it back.
But even for us Christians, God can seem far away, hidden. Where is God in a world of evil, hardships, open sin and rebellion against Him? Where is God in a world of earthquakes and tsunamis, even as we in the United States both as citizens and as Lutheran brothers and sisters support you in Japan, and even as we in the United States have ourselves experienced a record number of natural disasters in these recent years!
Are these punishments from God? Or is God involved at all?? The result of climate change? Simple chance? A really, really bad year? Or just the result of a fallen creation that is “groaning” as St. Paul says in Romans 8.
Our text from Isaiah speaks to God’s people at a time when they wondered where God was. Was He there at all — or just hiding His face?
At that time, God’s people were facing destruction by the nations around them, first Assyria and then Babylon. And in these well-known words of Isaiah 40, the prophet speaks a message of comfort. Actually God was telling His prophets to comfort His people, to announce to them that they were not forgotten or forsaken, even if it appeared that way.
They had faced despair before. The history of God’s people is filled with times of sorrow and sadness, destruction and despair. Remember the slavery in Egypt? God did, too. And remember what happened: God led them out by a mighty hand, but right into the wilderness. They were not so sure this was a good idea, but God had a greater idea. He would form them as His people at Sinai.
Now at the time of Isaiah, God had said He would do a new thing, like a second exodus. This one would not be a slow journey, lost in the desert. He would make a highway, an expressway (like a bullet train?) for them to come home to their land of His promise.
In fact, all flesh – everyone – would now see and witness God’s presence with His people.
This is a wonderful proclamation of comfort and joy, and it comes to us now in the second week of another Advent season. Again we are reminded that we are waiting for God, a God who is not seen yet is present with us in a very real and personal way.
The focus of this text really comes in verse 9, when a messenger comes to God’s people to say, “Here is your God! He is here. He is with you. Can you see the signs of His presence?”
He has forgiven your sins. He has given you life. It is a life that no nation or war or even natural death can take away from us.
His arm is an arm of power, ruling the kingdom of God. His arm is the tender arm of a good shepherd gently holding the little lambs.
Dear Christian friends:
Our God is real. He may seem hidden but He has shown Himself to us in the person of Jesus Christ. That is the message of Advent: Our God has come to earth. He has come to save us. And he will come again.
Our Gospel shows the connection to the last of those great prophets, John the Baptist, who echoed the words of our text in announcing Jesus. It is as though he said to the people of his day, “Here is your God!”
In Jesus we see our God. He came to bring comfort not just by announcing that our sin is forgiven and that our punishment is past, but even to take the punishment for our sin upon Himself, as Isaiah would say later, “He has born our griefs and carried our sorrows.”
By his death and resurrection, he came to give us a life that can never be taken away, not by natural catastrophe and not by natural death. He came to bring us peace, even in the midst of a groaning creation. Our creator and redeemer has make us into a new creation, in Christ Jesus, that nothing on earth can destroy.
Yes, even in the sufferings of this present age, God is with us, to comfort and sustain us.
Even in the successes and prosperity of this age, God is with us, to show us what lasts forever.
Even in the struggles of our daily life, God is with us, to forgive us,
And even when God seems far away and hidden, God is with us.
If I may close with a personal story, you, too, may have played “hide and seek” with your small children. Our house is one in which you can run in a circle, from the front hall to the sitting room to the kitchen to the front hall. Daddy would hide and the children would run around and around to find him. Actually, I would often just stand in the corner, but my daughter would run right past me. Then I would step out and she would run right into me. And do you know what she would say? “Daddy, I found you.”
Of course, I was there all the time. And she did not find me as much as I revealed my presence to her. But she delighted to know that I was there, and she would say, “here you are!”
Dear friends in Christ,
Advent is God’s time to say, “here I am.”
Isaiah spoke to people walking in darkness, and he said, “Here is your God!”
We live in a world that runs right past the presence of our God, and even we sometimes wonder where – and why – God seems to be hiding. But In Jesus Christ, God says: Here is your God!
In the person of a savior who came into our world, conceived by the Holy Spirit and born of the virgin Mary, God says: Here is your God!
In the real person of a savior who touched lives with God’s grace, who came to comfort those who mourn, to strengthen the weak, even to raise the dead, HERE IS YOUR GOD!
By a life given for us, even unto death, yes death on a cross, for us and for our salvation: HERE IS YOUR GOD!
By our lives lived in his grace, by his power, and in his service, God says to the world around us: HERE IS YOUR GOD.
In the fellowship of faith that brings us together from different places and cultures, to gather around the presence of Christ, where those of every nation and tribe and people and tongue sing, “Holy, Holy, Holy, Lord God of Saba’oth,” our God comes to us in Word and water, in bread and wine: HERE IS YOUR GOD.
And know this, that even in the darkest days of life, and into the face of death, our God has been there and given us a new life where we shall see him face to face, and forever say, here is our God!
In the name of the Father, Son, and Holy Spirit, AMEN.