2009年5月31日 聖霊降臨祭 「神さまのバリア・フリー」

使徒2章1節~21節
大和 淳 師

さて、ペンテコステの日が満ちた時、彼らはみな同じ場所に集まっていた。
すると突然、激しい風が吹いてきたように、天から音が聞こえ、彼らが座っていた家中を満たした。
そして、火のような舌が彼らに現れ、それが分かれて彼らめいめいの上にとどまった.
すると、彼らはみな聖霊で満たされ、その霊が彼らに語り出させるままに、さまざまな言語で語り始めた。
さて、エルサレムには、天下のあらゆる国から来た信心深いユダヤ人が住んでいた。
この物音が起こると、群衆は集まって来た.そして困惑してしまった.なぜなら、めいめいが、自分たちの方言で弟子たちが語るのを聞いたからである。
彼らは驚きあきれて言った、「見よ、話しているのは、みなガリラヤ人ではないか?
それなのに、わたしたちの生まれた故郷の方言で彼らが語るのを聞くとは、いったいどうしたことか?
わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤとカパドキヤ、ポントとアジア、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住んでいる者、旅をしているローマ人、ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのに、わたしたちの言語で、彼らが神の大いなるみわざを語っているのを聞くとは?」
彼らはみな驚き当惑して、「これはいったい、どういうことなのか?」と互いに言った。
しかし、他の者たちはあざけって言った、「彼らは新しいぶどう酒に浸っているのだ!」
そこで、ペテロは十一人と共に立って、声を張り上げて人々に語り出した、「ユダヤの人たちよ、またエルサレムに住んでいるすべての人たちよ、このことを知っていただきたい.そして、わたしの言葉に耳を傾けていただきたい。
今は午前九時ですから、これらの人たちは、あなたがたが想像しているように、酔っているのではありません.
これは預言者ヨエルによって語られたことなのです.
『神は言われる.終わりの日には、わたしの霊をすべての肉の上に注ぎ出す.あなたがたの息子と娘は予言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見る.
また、わたしの奴隷たちには、男にも女にも、わたしの霊をそれらの日に注ぎ出す.すると彼らは予言する。
また、わたしは上の天には不思議を、そして下の地にはしるし、すなわち、血と火と立ち昇る煙とを示す。
主の大いなる際立った日が来る前に、太陽は暗やみに、月は血に変わる。
そして、主の御名を呼び求める者はすべて救われる』。

岡山県に博愛会という教会、そして社会事業の病院があり、その病院、教会の裏庭に、「祈りの場」という場所があるそうです。実は、その「祈りの場」と呼ばれる場所は、その教会の庭ではなくて、となりのお寺の庭なのだそうですが、そこが、教会の「祈りの場」呼ばれるのは、その昔、博愛会の前身である岡山孤児院を創設した石井十次という人が祈った場所だったからなのです。石井十次は、1923年に起きた関東大震災の後、震災にあった5600人の孤児たちを収容しました。その5600人の子どもたちを養っていくのに、明日の米どころか、もう今晩食うものがない、もう祈るしかない、そういう日々、石井十次はそのお寺の庭に行って、そこへひざまずいて祈ったのだそうです。しかも、彼がしょっちゅう来て祈るために、そこに草が生えてくる間がなく、やがて彼の跪いた、その膝小僧の所だけ地面が固くなってしまった。そうして、そこが「祈りの場」として残っているのだそうです。

そんなエピソードがあるように、ともかく、石井十次は、想像を絶するような苦労をして、その都度、それこそ、一日一日、一食、一食、どこからか食料が与えられて、孤児たちを育てていくことできたと言うのですが、それは大変な非難も浴びたのです。この石井十次という人は、今日の児童福祉・養護教育のバイオニアと言ってもいいのですが、それこそ、児童福祉・養護教育などという言葉さえない時代に、地震で焼け出され、親、家族を失った子供たちを、それも一人二人ではなく、5、600人という子どもたちを引き取り、しかもその子どもたちのために教育も始めた、当時、政府はおろか誰も考えなかったし、考えられなかった時代に、彼は独り忽然と日本で最初の養護教育を始めたのです。だから、石井十次は祈るしかなかったと言ってもいい。勿論、ただ祈るだけで何もしないのではなかった。石井十次は必死に努力をし、それこそ日本中をかけずりまわりました。たとえば、全国の駅に献金箱を置かしてもらってお金を集めたり、子どもたちの中の音楽に長けたものに楽器を教え、ブラスバンドを作り、あちこち公演して、お金を稼いだりしました。ところが、そういうことがむしろまた返って、彼があたかも子どもを餌に金儲けを企んでいるかのような根も葉もない非難を起こしたりして、更に彼を苦しめたようです。ともかく、石井十次は、日々ひたすら祈るしかない。彼の力では不可能なんだ、これをなさるのは神様しかない、ただその信仰に、必死に生きた人でした。

みなさんもまた、石井十次ほどの中にいなくても、ここから一歩も前に進めないような、もうこれっきりなんだというような絶望的な思いにさせる状況を経験させられことがあるでしょう。あるいは、全く逆に、これだけ条件が揃っているのに、これだけ力があるのに、思うにことが運ばない、そういうこともあります。思うに任せない、そういうとき、わたしどもは、大抵ともかく「足りない」「ない」ということに思いがいきます。あれが足りない、これも足りない。あれがない、これがないから、駄目なんだという風に。けれどもし、石井十次が、そんな風にあれが足りない、これも足りない。あれがない、これがない、だから駄目なんだという風に、資金が足りないからとか、このやり方が悪いではないか、そうして、だから自分には出来ない、そんな思いでいたら、決して草が生えなくなるほど祈れなかったでしょう。どだいあの時代に、5、600人の子どもを養う、しかも、一日一日、ぎりぎりのところでやっていく、石井十次が信念の強い人であることは確かですが、しかし、彼が、それほどに祈らざる得なかったということは、ただ単に彼の確信の強さを物語るのではなく、また、奇跡を期待していたからでもないでしょう。そんな気休めでは祈れないのです。今ある、今与えられているその状況、その日、その場において、しかし、何とか子どもたちを生かしたい、わたしひとりではなく、他者と共に生きるための精いっぱい生きる力、それを与えてくれる、それが祈りの力です。あれがない、これが足りない、だから駄目なんだ・・・それは、結局自分一人に籠もらせる、したがって今を、その場を精一杯、誠実に生きられないのです。不満は、現実や他者からわたし自身を遠ざけます。そういう中で、奇跡を願うようなことは、単なる現実逃避にしかならない。しかし、祈りは現実逃避ではないのです。わたしを、今ここへと生きさせるものです。今、与えられている、自分の持っているものを精いっぱい、喜び生かすことです。

さて今日、わたしたちは聖霊降臨日を迎えました。使徒行伝2章、そこには、この聖霊がイエスの弟子たちに降ったことが報告されています。よく言われるように、教会の誕生です。しかし、何より大変月並みですが、この出来事が、「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっている」、その時起きたことであるということを思うのです。彼ら、キリストの弟子たちが集まっていたのは、「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」(1:14)とありますように、祈るためであった。つまり、聖霊降臨、ペンテコステは、祈りの出来事なのです。彼らは祈っていた。それは、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」(1章4節)というキリストの命令に従っただけのことです。そのようにして、今ある自分たち、そのわたしにできることにただ誠実に、精いっぱい生きていた人間がそこにいたのです。その彼らには不安もあったでしょう。彼らが「百二十人ほどの人々が一つになって」「心を合わせて」生きるには、様々な労苦があったのではないでしょうか。しかし、「一つとなる」ことができた。この「一つとなっていく」祈り、主のみ旨を信じて、そのあるがままに、今あることに共に精いっぱい生きることの喜び、それを発見すること、それを具体的に経験するのが教会なのです。

しかし、この使徒行伝が語っている最も不思議な出来事と言えるのは、何と言っても4節「すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」ということでしょう。「この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまった」と言う出来事、それは、「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っている」、様々な国の言葉で、彼らが語り始めたからだというのですが、これは弟子たちが突然、今風に言えばバイリンガルになった、そういうことを聖書は語ろうとしているのではないでしょう。そうではなくて、ここで聖書が伝えようとするのは、いわば神さまのバリア・フリーが起きたということです。言葉、民族、宗教の違いを超えて、「神の偉大な業」を誰もが聴く。聖霊が降るというのは、言葉、民族、宗教の違い、そういうもの、今わたしたちを妨げるもの、その中で差別したり、疎外したりされたりするもの、だがしかし、それは最早わたしたちの根本的障害とはならないということです。悔い改めとは、この神のバリア・フリーにわたしの心を開くこと、いや開かれることです。そもそもバリア・フリーということは、違いをなくすことではありません。むしろ違いを認めることから始まります。それぞれに限界があることを認めることです。そこに神はわたしの心のバリア・フリーを起こしてくださる。それが「悔い改め」です。

何より、神との間に超えることのできなバリアがあったのです。そこから人間の苦しみ、悲しみの歴史が始まったのだ、創世記はそう語るわけです。神と人間が離反、対立し、そして、人間同士が互いに分離、反目、そして互いに抹殺し始めた。しかし、あのイエス・キリストの十字架は、まさにそのバリアの、敵意の真ん中に立ったのです。そして、このお方の十字架は同時に、そのバリアを神ご自身が今や取り除くのだ、キリストは、その苦しみを通してそのバリアを突破されたのだ、このお方の復活はそのことを語り告げるのです。イエス・キリストにはバリアは最早ないのだ、と。それ故、パウロは言います。「しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。実にキリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソ2章13~18節)。

ペンテコステ、それはこの神のバリアフリーがわたしたち一人ひとりに起こる、いや起きているのだということです。もちろんなるほど、わたしたち自身は、全くこのペトロたち自身のようではないでしょう。むしろ、相変わらず言葉の壁、信ずることの違い、あるいは民族、人種、環境の違い、そうした様々なバリアがもたらす葛藤の中で、深刻な対立、争いをまだ経験しなければならない、それが生身のわたしどもです。いや、それどころか、同じ言葉を話し、同じことを信じているはずなのに、もっと言えば、同じ家、あるいは同じ仕事をしながら、いや、時には血を分けた肉親同士であるにも関わらず、どうしてこうも理解し合えないのか、どうしてこんなに憎しみ合わなければならないのか、わたしどもは、本当にため息をつきながら、涙の出るような思いで、バリアの中に立つ、それがわたしどもが立っているところなわけです。したがって、この神のバリア・フリーに立つ人たち、今やこのペトロのような人は「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」(13節)、そのような揶揄をもって、嘲笑いながら見るような、実におかしな人間に思えてしまうわけです。

しかし、そのようなわたしどもに、今日、ペトロは語りかけます、本当に力強く語りかけるのです、「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください」(14節)と。今やこのペトロは、自分たちを嘲笑う、自分の前に立っているバリアに立ち向かう、敢然と挑戦していくのです。そうして、みなさん、注意していただきたいこと、それは彼が語ること、それはただ一つのことであることです。「イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です・・・・・・」(22節)、「ナザレの人イエス」「神から遣わされた方」のことです、と。自分たちを訝しがり奇異に思うような人々、嘲笑う人々、いやもっと言えば、「あなたがたが十字架につけて殺した」(36節)という人々、したがって、自分たちを封じ込めている、わたしたちを互いに妨げるバリア、最早それらを決して越えることは出来ないし、あり得ない、そう思っている人々、そのような人間に対して、今やただ一つのこと、ただ一人の名が告げられるのです。そこに、このバリア・フリーが起きているのだ、と。実に、「あなたがたが十字架につけて殺した」、そのような人間に対しても!いや、そのような人間であるからこそ!「イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください」と。

そうして、この聖霊降臨、その日、「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった」と聖書はこの物語の終わりに告げています。そのことは何を意味するのでしょうか?わたしは今日、ただ一つのことだけを考えたいと思います。それは、あえて言えば、「その日に仲間に加わった」のは、たった「三千人ほど」だったということです。聖書は、決して、このペトロの語るのを聞いて「すべての人が」「その日に仲間に加わった」とは言っていないのです。だが、「三千人ほど」の人々、ほんのわずかであっても、バリア・フリーが起きたのだ、と。

そのようにして、今や新しい人間の歴史が始まったのです。それは、人間のバリア、その巨大な壁のほんの小さな穴のようなものに過ぎない、あいているのも分からない、小さな小さな一点です。少なくともわたしたちの眼には。だが、「ナザレの人イエス」、「あなたがたが十字架につけて殺した」その人、そのひとりの「神から遣わされた方」によって、既に「御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊」されているのです。今や、このペンテコステの日、神は、その壮大な歴史を、新しい人間の歴史を始めたのです。
今や、この日から、神は、このお方、イエス・キリストを独りにし給わないのです。ほんの少数でも、いやたった一人でも、このお方と共に、ご自身のバリア・フリーに立つ人間を、たった三千人、いやたった一人でも求め、欲し給うのです。わたしたちにとっては気の遠くなるような壮大な神の新しい歴史がこの日、始まったのです。そうして神は今、あなたを苦しめている壁、バリア、しかし、それは最早、わたしを根本的に封じ込めるものではない、そのことを信ずる人間を求め給うのです!

その神が必要とし、用いてくださる人間は、どのような人間なのか?それは何より、このペトロです。他ならない、キリストを見捨てて逃げ去った人間です。それゆえ、まさに彼もまた「十字架につけて殺した」、その人間です。それはまたあのどうすることも出来ず、最早教会の聖壇の前ではなく、お寺の庭の隅に蹲った、着古しの襤褸をまとった石井十次のような人間です。すなわち、本当は逃げ出したい、どうしたらよいか分からず、泣いて祈るしかない人間です。したがって、みなさん、裸のわたしたち、ありのままのこのわたし、何一つないわたしたち自身なのです。しかし、みなさん、聖書が語ることはそれはもう既にキリストご自身が歩いた道なのだ、とういうことです。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」、このお方が既にそこで逃げ去りたい思いで祈った道なのです。そして、このお方がそうして一人突破された道なのです。

今や、大事なこと、肝心なこと、それは、わたしが、このわたしが、今ここでそのキリストと共に、ここに立つことです。ペンテコステは祈りの出来事です。祈りとは、私どもを苦しめるバリアの中で、だがキリストと共に立つこと、立とうとすることです。かつて初めて月面に降り立った人間となったアームストロング船長が、その時「この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては実に偉大な一歩である」、そうメッセージを送りました。同じように、ペンテコステ、わたしたちの祈り、それは小さな小さな一歩です。しかし、わたしたちは実に偉大な一歩をそこで歩み始めているのです。こわごわでもいい、泣きながらでもいい、主と共に、この足で、この一歩を歩み出しましょう!のろくてもいい、よろめきながらでもいい、でも一歩、一歩、大地を踏みしめて歩んでいきましょう。あなたの歩む道は、イエス様が歩んでくださる道です!