2010年11月21日 聖霊降臨後最終主日 「明日の生命の心配は無用」

ルカによる福音書21章5〜19節

説教:安藤 政泰 牧師

ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石 も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こ るときには、どんな徴があるのですか。」イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と か、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっている が、世の終わりはすぐには来ないからである。」そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や 疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡 し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決 めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで 裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくなら ない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」


私達にとって終末について考える事はなかなか難しい事のように感じます。

 

それは、自分の今の問題として考えにくい、と言う点があるからです。

21:06  「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」

さてキリストの6節の言葉は、紀元70年に起こったエルサレム神殿の崩壊の予告とされています。それまではエルサレムに神殿を持ち、ユダヤ人社会、 国家を曲がりなりにも形勢していましたが、神殿の崩壊と共に国家も崩壊していくのです。その後約2000年の後にイスラエル共和国が誕生する事はよくご存 じの事です。

しかしこのイエス・キリストの予言は単に、エルサレム神殿の崩壊だけを述べているのでは在りません。そうではなく、終末の前兆とその危険のなかで、 それは現在も継続しているが、総てのクリスチャンへの警告と祝福なのです。

それでは、具体的に私達はどのように終末を自分の生活の中で考え受け止めているでしょうか。私達の姉妹教会であるアメリカのミズリー派ルーテル教会 の一部の人達は決して、火葬に伏す事を良しとしません。それは、蘇りの時に自分の戻る身体の事を考えるからです。葬る時は、足を十字架の根元に向けていた します。それは、蘇りの時に十字架を見上げるようにな姿勢になる事を意図してのことです。

私達はこの事の善悪を論じる必要はありません。しかし、甚だ具体的に自分達の問題として、身体の蘇りを考えて居る、と言うことには注目する必要があ ります。礼拝毎に告白する私達の使徒信条では、その最後の条項で「我は聖霊を信ず。また聖なるキリスト教会・聖徒の交わり、罪のゆるし、身体のよみがえ り、限りなきいのちを信ず」と言っています。この、信条は単なる題目ではありません。私達が告白する内容がどのように自分自身の中で具体的になっている か、が問われるはずです。

21:07  そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」

7節の弟子の質問、「終末の前兆について」は誰でも関心を持っています。聖書によれば、偽キリストの出現、戦争、暴動、大地震、疫病、飢餓、天地異 変があると言っています。

私達の世界を考えると、聖書で述べている終末の前兆は起こり続けて居るように思えます。中東では利害関係とイデオロギーを交えた、宗教戦争が起こっ ている、と言ってよいでしょう。テロ活動が今でも続発し、子供達の間では生命に付いての価値観が混乱し、いじめなどが起こっています。

気候の不順は作物に影響を与え、深刻な食糧問題ともなってきています。

このような事はいつの時代にも起こったはずです。ただ現代は情報がよく伝わるので世界の出来事がまるで自分の出来事のように感じてしまうということ でしょう。

紀元51年ごろすでに偽の終末についての情報が流されています。(第2テサロニケ2章2節)

私達は偽の、みせかけのものに惑わされてはなりません。キリスト教と言う名のもとに、キリスト教でないものがそれらしく振る舞っています。

終末、再臨の前兆、といったものは、私達人間が自分勝手にそのように解釈してでっち上げているものが大部分です。その前兆は、終末や再臨の本質的意 味から考えるとほんの枝葉の事です。そのような前兆に惑わされて主イエス・キリストから離れてしまう事、に警告を発しているのです。

変わった何かに、新しい何かに飛び付くのではなく、今の与えられた自分の場所で、自分の信仰をよく見詰めて行くことが大切です。

「21:19  忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

19節、自分勝手にその前兆を解釈せず、主の約束を信じて耐え忍ぶ事が勧められています。それは又、今日の生活を大切にする事が、具体的には主の再 臨に備える事でもあります。それは16~18節 たとえ肉体は殺されても、「しかし、あなたがたの髪の毛ひとすじも失われる事はない」ほど私達の魂の平安は必ず守られる、と言う約束があるからです。

先の事を心配のあまり、色々労して元のものをなくしてします、そのような誘惑に強く立ち向かいたい。