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2012年12月9日 待降節第2主日 「洗礼者ヨハネ」

ルカによる福音書3章1〜6節
高野 公雄 牧師

皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。

「荒れ野で叫ぶ者の声がする。

『主の道を整え、

その道筋をまっすぐにせよ。

谷はすべて埋められ、

山と丘はみな低くされる。

曲がった道はまっすぐに、

でこぼこの道は平らになり、

人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

ルカによる福音書3章1~6節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

ルカ3章には、洗礼者ヨハネの活動とイエスさまがヨハネから洗礼を受ける出来事が書かれています。きょうの福音はそのうちのヨハネの活動の部分だけが選らばれていますが、著者ルカはヨハネの活動自体に関心があるのではなく、それがイエスさまの活動の始まりだから報告しているのです。つまり、待降節の二週目を迎えて、教会はイエスさまの公生涯 public ministry の始まりを学ぶことで、イエスさまを迎える心備えをするのです。

《皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、・・》

イエスさまが公の活動を始めたのは「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」のことでした。ティベリウスはローマ帝国の二代目の皇帝です。養父である初代皇帝アウグストゥスの死を受けて、紀元14年に即位しましたから、イエスさまは紀元28年か29年に活動を始めたことになります。

アウグストゥスについては、ルカ2章1に《皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た》と出てきます。イエスさまがユダヤのベツレヘムで生まれたのは、住民登録をするための旅先の出来事でした。

イエスさまがガリラヤで活動を始めたとき、《ヘロデ・アンティパスがガリラヤの領主》でした。このヘロデはガリラヤ湖畔にガリラヤの首都をローマ風に建築し、ティベリアと名付けました。ときの皇帝に敬意を表すためです。イエスさまはこの都市を好まなかったのでしょうか、福音書にはこの町に入った記事がありません。このヘロデはヨハネの首を刎ね、イエスさまの裁判に立ち合いました。

ヘロデ・アンティパス《の兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主》とあります。ガリラヤ湖の東側とその北の地域です。このフィリポも自分の領地の首都を建てて、「カイサリア」と名付けました。これもカイサル・ティベリウスにちなんだ命名です。聖書では、地中海岸の港町カイサリアと区別して、この町をフィリポ・カイサリアと呼んでいます。この町は、イエスさまが訪れた最北の地として聖書に出て来ます。

ユダヤ教の中心であるエルサレム神殿のあるユダヤは、ローマの貴族ポンテオ・ピラトが総督として派遣され(在任:26年~36年)、普段は地中海岸のカイサリアの官邸に常駐していましたが、必要とあればエルサレム城内の官邸に出張して監督していました。イエスさまはその官邸の庭で裁かれました。

このように、ユダヤ人領主たちはローマの圧倒的な支配の下にありましたし、人々は圧政に喘ぎ、人頭税反対の運動も起こりました。ローマ支配から脱するために、メシア待望の熱気も高まっていました。ちなみに、《皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい》(ルカ20章20~26)の言葉で有名な、ローマ帝国に支払う人頭税の納税問答に出てくるデナリオン銀貨には、このティベリウス皇帝の肖像と銘が描かれていました。そして、イエスさまが十字架刑に処せられたのは、この皇帝への反逆罪という罪状によってでした。

《神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。》

このような時代に「神の言葉が・・ヨハネに降」りました。この表現は、預言者が神に召し出されるときの常套句です。旧約聖書の最後は「マラキ書」ですが、そのマラキが預言した後、四百年間、預言は絶えていました。ヨハネは四百年ぶりに現われた預言者ですが、その出現はマラキが預言していました。それがきょうの旧約の日課に選ばれています。

《見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は、突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者。見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。彼は精錬する者、銀を清める者として座し、レビの子らを清め、金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を正しくささげる者となるためである。》(マラキ書 3章1~3)

神が語りかけたとき、ヨハネは荒れ野で修業していたのでしょう。神の言葉を受けると、ヨルダン川に沿った地方に行って、宣教活動を始めました。宣教の中味は、次のようなものでした。「メシアの来る日は近い。その日に備えて、悔い改めよ、つまり神に立ち返って神の赦しを得よ。立ち返りのしるしとして、洗礼を受けて身を清め、律法に忠実に従え」。

《これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」》

福音書では、メシア到来への期待を語る洗礼者ヨハネが、旧約時代のバビロン捕囚の解放への期待を語ったイザヤに重ね合わせて紹介されます。カギカッコ内はイザヤ書からの引用ですが、イザヤ書ではその前に、神の恵み深い語りかけが声高らかに告げられています。《慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ、苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを、主の御手から受けた、と。》(イザヤ40章1~2)人々は補囚の苦しみを通して傲慢な自分たちを知り、神に立ち返る生き方によってその罪は償われた、というお告げです。そして、「荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整え・・」と引用された部分に続きます。神はみ力を振るい、思い上がる者を引き降ろし、低い者を高く上げてくださる。そのようにして神とつながる道が整えられ、世々の人々が神の救いを見る、と良き知らせが告げられます。

きょう交唱した賛美唱も、この神の救いへの期待を歌うものでした。

《主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて、わたしたちは夢を見ている人のようになった。そのときには、わたしたちの口に笑いが、舌に喜びの歌が満ちる。そのときには、国々も言う、「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた。」主よ、わたしたちのために、大きな業を成し遂げてください。わたしたちは喜び歌います。主よ、ネゲブに川の流れを導くように、わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。・・》(詩編126編)

洗礼者ヨハネはイエスさまの先駆けとして、神の救いの良き知らせをもたらす方です。その役割について、天使ガブリエルは父ザカリアにヨハネ誕生を予告して、こう告げています。

《恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。》(ルカ1章13~17)

父ザカリアもまたヨハネ誕生に際して、このように預言して歌っていました。

《幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを、知らせるからである。これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。》(ルカ1章76~79)

神は洗礼者ヨハネによって、み子イエスさまの来臨を告げ、その道を備えられました。私たちがその知らせに耳を傾けて、神のみ心を悟り、イエスさまと共にこの世を歩みつつ、この良き知らせを周囲の人々に語り伝え、また、クリスマスの祝いに備えることができますように。

きょうの第二朗読でパウロが祈る執り成しの祈りに心を合わせて、私たち自身の祈りとしてささげたいと思います。

《わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。》(フィリピ1章9~11)

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年12月2日 待降節第1主日 「エルサレム入城」

ルカによる福音書19章28〜40節
高野 公雄 牧師

イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。二人は、「主がお入り用なのです」と言った。そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。

イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。

「主の名によって来られる方、王に、
祝福があるように。天には平和、
いと高きところには栄光。」

すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」

ルカによる福音書19章28~40節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン
きょうから教会の暦が新しくなり、待降節つまりイエスさまの降臨を備えて待つ季節を迎えました。この季節は英語でアドヴェント Advent と言いますが、ラテン語の「到着する」とか「現れる」という意味の言葉が元になっています。

きょうの福音は、イエスさまが都エルサレムに到着したときの話です。弟子たちがどう振る舞ったか、当時の指導者層の人たちがどのように迎えたかを読むことをとおして、そこから私たちがイエスさまを迎える心構えを学びたいと思います。

《イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた》。

イエスさまのエルサレムへの旅の始まりは、9章51に、《イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた》と記されていました。そして、きょうの個所に来て、長い旅のあと、いまやっとエルサレムに到着されました。イエスさまはこの旅がご自分の死に繋がることを予感して、弟子たちに予告していました。《人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている》(9章22)。たとえ死に繋がる道であっても、それが神に従う道であると確信して歩みを進めます。イエスさまはこうも言います。《だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ》(13章33)。

しかし、弟子たちの側では、エルサレム行の意味がよく分かっていませんでした。19章11に、《人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである》とあるように、当時、人々の間に政治的、軍事的なメシアへの期待が高まっていました。弟子たちもそうしたメシア理解から脱皮できていません。

《そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき・・》。

ベトファゲもベタニアもオリーブ山の南の裾野にある村で、ベタニアはエルサレムから約3KMの位置にあり、ベトファゲはベタニアとエルサレムの中間にある村だそうです。

ここでは「オリーブ畑と呼ばれる山」と書かれていますが、ふつうはもっと短く「オリーブ山」と呼ばれています。この山はキドロンの谷をはさんで「神殿の丘」の東に位置しています。都の住民にとっては、朝日はオリーブ山から現れます。それで、メシアはオリーブ山に現れるとも、イエスさまはオリーブ山から昇天したとも言われます。《その日、主は御足をもって、エルサレムの東にある、オリーブ山の上に立たれる》(ゼカリヤ14章4)。また、《イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた》(24章50~51)。

《・・ベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい」》。

イエスさま一行のガリラヤ地方からの長い旅も終わりに近づき、いよいよオリーブ山から都エルサレムに向かって進む時が来ました。そこでイエスさまは、弟子たちに村人から「まだだれも乗ったことのない子ろば」を借りてくるように言いつけ、その借り方まで教えます。

《使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。二人は、「主がお入り用なのです」と言った。そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた》。

すでに段取りがつけてあったのでしょうか。不思議なことに、イエスさまが言ったとおりのことが起こり、弟子たちは容易に子ろばを引いて来ることができました。そして、ろばの背に自分の服をかけて、イエスさまをお乗せします。王をろばに乗せることは、故事に由来しています。《王は言った。「お前たちは主君の家臣を率いて、わが子ソロモンをわたしのらばに乗せ、ギホンに下らせよ。祭司ツァドクと預言者ナタンは、そこでソロモンに油を注いで、イスラエルの上に立つ王とせよ。角笛を吹いて『ソロモン王、万歳』と叫び・・」》(列王上1章33)。王の進む道に上着を敷いたことも書かれています。《彼らはおのおの急いで上着を脱ぎ、階段の上にいた彼の足もとに敷き、角笛を吹いて、「イエフが王になった」と宣言した》(列王下9章13)。

しかし、イエスさまは平和のメシアであって、人々が期待するような政治的、軍事的なメシアではありません。乗り物が軍馬でなく、子ろばであることがそれを現わしているのです。《娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って。わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ》(ゼカリヤ9章9~10)。

《イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光」》。

こうしてオリーブ山を登りつめると、向かい側に神殿と都の街並みが見えてきます。弟子たちは期待と喜びに満たされて、賛美の声を上げます。この弟子たちの賛美を私たちもまた聖餐式の際にいつも歌っています。聖餐設定の言葉を聞く前に、サンクトゥスに続けて歌うベネディクトゥスがそれです。「主のみ名によって来られる方をたたえよ。天にはホサナ」。

また、この弟子たちの賛歌は、ベツレヘムの夜空に現われた天使たちの歌声とそっくりです。《すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」》(2章13~14)。昔、天使たちが羊飼いに告げた喜びのおとずれを、今や弟子たちがすべての人々に告げているのです。

《すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす」》。

弟子たちが賛歌をうたっているさなかに、イエスさまは前方の都を見て、泣いて語りかけます。《エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」》(19章41~44)。

この柔和な王イエスさまの到来をエルサレムは歓迎しません。それどころか、数日の後には十字架に付けて殺してしまいます。イエスさまは自分が殺されることよりも、そのことがエルサレムの崩壊を招くことを嘆くのです。イエスさまの平和の勧告を拒否して戦争に突き進んだイスラエルは、紀元70年に都の陥落と神殿の崩壊をもたらすことになります。壮麗な神殿を築いていた石が、今はがれきの山となって、イスラエルの不信仰の罪を、そして弟子たちの賛美と証しが真実であることを叫んでいるのです。《エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない」》(ルカ13章34~35)。

イエスさまを救い主と信じる者の群れである私たちは、この賛歌をうたいつつ主の福音をこの世に証しする務めを負っています。私たちは弱く貧しい者でありますが、あの子ろばのように、「主がお入り用なのです」というみ言葉によって招かれ、イエスさまのご用にあずかれる光栄に感謝して応えていく者でありたい。そして、あの子ろばが味わったであろう喜びと感動を自分のものにしたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年11月25日 聖霊降臨後最終主日 「キリストの到来」

マルコによる福音書13章24〜31節
高野 公雄 牧師

それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」

「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。
マルコによる福音書13章24~31節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

毎年11月に入りますと、礼拝の主題は「世の終わりは近い」ということになります。そして、教会の暦では新しい年を迎えて待降節に移ります。そこでの主題は「キリストの到来は近い」ということです。聖霊降臨節と待降節は、暦の上では一年の終わりと始まりという大きな区切れ目ですが、礼拝の主題はなめらかに続いているのです。

きょうの福音は、マルコ13章です。これは、イエスさまの受難の出来事が始まる直前の場面で、弟子たちにまとまった教えを説く最後の機会となりました。

エルサレム神殿の建つシオンの丘の東側にオリーブ山が向かい合ってあります。イエスさまは最後の一週間、その山のふもとのベタニア村に宿をとり、毎日、そこから神殿に上って、そこで出会う人々と対論をしたり教えたりしました。それもこの日が最後で、弟子たちが神殿を見納めする場面から、13章の話は始まります。

《イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」》(1~2節)。

このように、イエスさまはこの壮大な建築物である神殿の崩壊を予言します。神殿の崩壊は、ユダヤ人にとって宗教と民族の滅亡を意味するものでした。神殿からの帰路、オリーブ山に差し掛かったとき、イエスさまに最初から着いていた四人の弟子たちが尋ねます。

《イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。・・》(3~5節)。

イエスさまは弟子たちに答えて、偽キリストの出現、戦争や天災、弟子たちへの迫害、飢饉、そして神殿の崩壊などが起こると答えます。そして、最後に起こることとして話されたのが、きょうの個所です。

《それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」》(24~27節)。

この世が終わり、人の子が再来すると言うのです。このような話は現代の私たちにとって、荒唐無稽な話、別世界の話という印象が強いのですが、イエスさま当時の人々やマルコ福音が書かれた当時の人々にとっては、これは現実的な話でした。

《憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら――読者は悟れ――、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。屋上にいる者は下に降りてはならない。家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。》(14~16節)。

こう語られる出来事は、イエスさまが話したときには将来のことでしたが、マルコが福音書を書いたときには直前に起こった生々しい出来事でした。この同じことを、ルカ福音はもっと直接的に紀元70年の出来事として描いています。ルカは神殿崩壊を神の裁きと見ています。

《エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい》(ルカ21章20~21)。

「ユダヤ戦争」は、紀元66~70年に起きました。当時ユダヤを支配していたローマ帝国に対してユダヤ人たちが一斉に武装蜂起して独立戦争を仕掛けたのです。イエスさまの言葉に「そこから立ち退きなさい」とあるように、イエスさまを信じる者たちはこの戦争に加わらず外国に避難したのです。ユダヤ人にとってそれは神と祖国への裏切りであり、この戦争を機に、イエスさまを信じる者たちは正式にユダヤ教の会堂から破門されることとなり、キリスト教という別個の宗教として歩み出すことになったのです。

これは民族の存亡を懸けた壮絶な戦いとなりましたが、ついに最後の砦であったエルサレムが攻め落とされ、イエスさまの予言にあったように、神殿は西壁(「嘆きの壁」と呼ばれます)を残すのみで、跡形もなく破壊し尽くされました。生き残ったユダヤ人たちは所払いとなり、以来二千年祖国のない流浪の民となったのです。

この時代、キリスト教徒にとっても存亡の危機を迎えていました。ユダヤ戦争が始まる66年までには、ペトロとパウロはローマで殉教死していました。このころまでにはイエスさまの直弟子たちは世を去り、いなくなってしまったでしょう。そして、ユダヤ教の会堂からは破門されて迫害を受け、ローマ帝国からは非合法宗教として迫害の対象となりました。マルコが避難の地シリアでイエスさまの伝記の形で福音書の書いたのは、こういう危機の時に、それを乗り越えるようキリスト教徒を励ますためでした。

ユダヤ人にとって敗戦と祖国の喪失は、世の終わりと思うような出来事だったでしょう。日本人にとっても先の大戦における爆撃や原爆投下は世の終わりと感じられたことでしょう。東日本大震災も被災地の人々には、そういうものと思えたかも知れません。しかし、《慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。・・これらは産みの苦しみの始まりである》(7~8節)、そして、《いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない》(28~29節)、こうイエスさまは諭されます。

《「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。い。」》(32~37節)。

家の主人が旅に出たのに似て、私たちは今イエスさまが目に見える姿では不在の時を過ごしています。そして、世の終わりとキリストの再臨の時がいつであるかは神のみぞ知ることであって、私たちには分かりません。しかし、その時が来ることは確かなことですから、私たちはまどろんだりしてないで、気をつけていなさい、目を覚ましていなさい、とイエスさまは言われます。

気をつけている、目を覚ましているとはどういう意味でしょうか。ルターの言葉として知られている言葉に、「たとえあす終末が来ようとも、きょう私はりんごの木を植える」という言葉があります。あす世界が終わりになってしまうなら、きょうリンゴの木を植えても実りを得ることはできません。にもかかわらず、あす世界が終ろうが、自分の命が尽きようが、明日への希望を持って日々の務めを果たしていく。私はそうしているところで、再臨のイエスさまにお会いしたい。この言葉は、そういう心を表わしているのでしょう。気をつけている、目を覚ましているとは、こういう姿勢で生きることを意味しているのだと思います。

この関連で、アメリカの神学者ラインホールド・二ーバーの「平静の祈り Serenity Prayer」が思い出されます。

「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」。

きょうはマルコ福音を読み継いできた最後の日曜日、来週からは待降節に入り、ルカ福音を読んでいく年に替わります。きょうはマルコ福音の読み納めになります。そして、きょうの福音、マルコ13章は、いわば、ご自分の死を目前にしたイエスさまの弟子たちに対する遺言です。そういう意味で特別に注意して聞くべき教えが書かれていたと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年11月18日 聖霊降臨後第25主日 「貧しいやもめの賽銭」

マルコによる福音書12章41〜44節
高野 公雄 牧師

イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
マルコによる福音書12章41~44節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

きょうの福音は、その前の段落でイエスさまが律法学者たちは「やもめの家を食い物にし」ていると非難している、その実例として記されていると見なされています。それで、他の教会では、きょうの福音を私たちよりも長く38~44節と、前の段落を含めています。きょうの福音が置かれている文脈を理解するために、前の段落の言葉を読んでおきましょう。

《イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」》(マルコ12章38~40)。

イエスさまは、律法学者がやもめの家に行って、見せかけの長い祈りをして、謝礼金を巻き上げている、と律法学者の振る舞いを厳しく批判しています。しかし、イエスさまの批判は単に道徳のレベルにとどまりません。その批判はきょうの福音の次の段落を読みますと、神殿の崩壊を予言するまでに、ユダヤ教のあり方そのものを根本的に批判するものでした。こう言っておられます。

《イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」》(マルコ13章1~2)。

前後にこういう聖書個所があるのを知った上で、もう一度、きょうの福音を注意深く読んでみましょう。

《イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」》。

一人の貧しいやもめが神殿に来て、小銭二枚、金額にすると一クァドランス、つまり100円ほどを賽銭箱に投げ入れたのですが、イエスさまの見るところ、それは彼女の有り金のすべてであったということです。

前後の脈絡を頭において読みますと、この物語は、ふつうそう読まれているように、有り金全部を神殿に捧げた信仰深いやもめを称える美談であるというよりも、イエスさまはここに宗教が人間を疎外する悲劇を見ているようです。

やもめは有り金のすべてを神殿に献げました。それは死を覚悟してのことでしょう。その献金が何か有益なことに生かして用いられると良いのですが、イエスさまの見るところ、この神殿は間もなく滅びます。ならば、この献金は死に金、彼女の死は犬死です。イエスさまは彼女の行為を悲劇と見て嘆いているのであって、弟子たちに彼女のしたことを見習いなさいとは言っておられません。彼女は敬虔な振る舞いでもって生活に必要なお金を失いました。イエスさまは、彼女にこのようなことをする信仰を植え付けたユダヤ教の指導者たちを批判しておられるのです。

私たちは新聞やテレビの報道をとおして、繰り返して、宗教家に騙されて大金を奪われた人々の悲劇について聞きます。そのたびに、宗教っておそろしいものだな、宗教ってうさんくさいものだなという印象を深めています。にもかかわらず、人生に生・老・病・死の苦難があるかぎり、人は宗教に救いを、益を求めることを止めることができません。そして悲劇は繰り返されます。

聖書に描かれたイエスさまは、宗教よりも人間性を優先しておられます。信者から生活費を搾取するような宗教指導者ではありません。いくつかのエピソードを思い出してみましょう。

安息日(の律法)は人のために定められた、人が安息日のためにあるのではない、と宣言されました(マルコ2章27)。イエスさまは安息日に病人を癒されました。安息日の律法を破ってでも人道的な援助を優先させました(マルコ3章1~6)。善きサマリア人のたとえでも、宗教上の掟を守る同胞のユダヤ人よりも、傷ついた旅人を介抱する異教徒を弟子たちの身習うべき者とされました(ルカ10章25~37)。コルバン(神への供え物)の掟を優先させて両親の必要に答えない人々を非難しました(マルコ7章10~13)。

《とこしえにまことを守られる主は、虐げられている人のために裁きをし、飢えている人にパンをお与えになる。主は捕われ人を解き放ち、主は見えない人の目を開き、主はうずくまっている人を起こされる。主は従う人を愛し、主は寄留の民を守り、みなしごとやもめを励まされる》(詩編146編6~9)。

これは、きょうの賛美唱の一節です。人を救うはずの宗教が、往々にして、人を抑圧する、人間性を阻害する原因となります。イエスさまはそういう宗教を改革しようとしたお方です。イエスさまはその言葉と行いにおいて、弱い人々に対する神の信実を証しされました。みなし子、やもめ、寄留の難民は、弱い人々の代表です。

貧しい人々は幸いだ、今飢えている人々は幸いだ、今泣いている人々は幸いだ、とイエスさまは神が彼らと共におられることを説かれます(ルカ6章20~23)。あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は必ず報われる、と弱者への愛を高く評価します(マルコ9章41)。何を食べようか何を飲もうか何を着ようかと言って思い悩むな、天の父はその必要をよくご存じでお与えくださる(マタイ6章25~34)。あなたがたは神と富とに仕えることはできない、と神のみを愛する生き方を示されました(マタイ6章24)。

この物語を読むについては、以上のイエスさまの宗教改革の心をしっかりと受けとめ、私たちが人を軽んじるような間違った方向に引っ張られないように、その信仰を聖書のみ言葉の上にしっかりと立てる必要を確認したちと思います。

その上で、次に、この貧しいやもめの姿は、これから起こるイエスさまの死を賭した献身、十字架への道を前もって示すものでもあることに目を留めましょう。

この貧しいやもめは、その動機が絶望からか、何かの償いであったのか、注目されたいからか、または深い献身であったのか、何が本当の動機であったかは書かれていませんが、ともかく、彼女は持てる物のすべてを、生活のすべてを神殿に献げました。しかも、それはまったくの無駄になったように見えます。

イエスさまの場合も同じようです。イエスさまの動機は、人間に対する神の愛を極限までの実践で示すためでした。そして、それは十字架刑による死に極まり、すべては無に帰したように見えました。しかし、神は三日目にイエスさまを復活させて、人々にイエスさまの証しが真実であることを示されました。

このイエスさまの生き方をとおして、私たちは弱い者に配慮してくださる神を知りました。この神に私たちのすべてを委ねることができることを知りました。イエスさまが共に歩んでくださることを信じて、自分を神に委ね、神に献げて生き者となりたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン