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2012年4月22日 復活後第2主日 「ふしぎな漁」

ヨハネによる福音書21章1〜14節
説教: 高野 公雄 牧師

 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

 ヨハネによる福音書21章1〜14節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン


先週に続いて、きょうも復活したイエスさまが弟子たちに現われた話を読みました。ヨハネ21章は、実は原文ではなく、後代に付け加えられた記事です。そのことは聖書の右隣のページを見ると明らかです。復活したイエスさまは弟子たちに現われて、《父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす》(20章21)と、あらためて弟子たちを宣教の任に召されました。つまり、今後は、弟子たちの福音を宣べ伝えることばを聞いて信じる時代が始まるということです。また、その場にいなかった弟子のトマスにも現われて、《わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである》(29節)、と宣言なさいました。つまり、今後は、もうトマスのように復活したイエスさまを肉眼で見ることはなく、弟子たちの宣教のことばを聞いて、信仰の眼で復活のイエスさまを仰ぐ時代になるということです。そして最後に、「本書の目的」という小見出しの文が続き、《これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである》(31節)、と締めくくっています。これで、ヨハネ福音はもともと20章で終わっていたことが分かったと思います。

ところで、先週読んだマルコ福音16章の9節以下の記事も、マルコ福音の原文にはない、後代の付加であって、そのしるしとして亀甲カッコで囲まれているという話しをしました。では、ヨハネ福音の21章も原著者が書いたものでないならば、なぜマルコの場合と同じように亀甲カッコで囲まれていないのでしょうか。それは、付加の部分が福音書の本文として認められた時期が異なるからです。ヨハネの付加は、一番古い写本をさかのぼっても、すでに本文として組み入れられています。ところが、マルコの付加は本文に組み入れられる時期が遅く、古い写本では8節までで終わっています。この本文として定着する時期の違いが、マルコには亀甲カッコが付けられ、ヨハネには付かない理由です。しかし、どちらの付加文も福音書の本文として教会は公に認めています。

《その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。・・・シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。》

きょうの福音の最後に《イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である》とあります。復活したイエスさまに三度もお目にかかったのに、イエスさまだと分からなかったとは、どういうことしょうか。私たちの身に引きつけて考えてみましょう。私たちは福音の宣教をとおして、イエスさまの愛と信実に触れて、復活のイエスさまを信じるに至りました。毎週の礼拝をとおして、日々の祈りをとおして、イエさまと繰り返して出会っています。ところが、いったん逆境におちいりますと、イエスさまはほんとうに私のことを見守ってくれているのだろうか、イエスさまの愛と信実は確かだろうか、とイエスさまを見失い、イエスさまがどのような方か分からなくなるのです。

ペトロとゼベダイの息子であるヤコブとヨハネは、ガリラヤ湖の漁師でした。でも、弟子がみな漁師だったわけではありません。ここでは、弟子たちがみな漁に出ます。彼らは、イエスさまに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と招かれた人たちです。この「漁」とは伝道活動のことのようです。著者のヨハネはガリラヤ湖のことを、わざわざティベリアス湖と書いています。ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスは湖の西岸にローマ風の首都を建設し、ティベリアスと名付けました。それでガリラヤの湖はティベリアス湖とも呼ばれるようになりました。ティベリアスとは、ティベリウスに献げる町という意味ですが、そのティベリウスとは、イエスさまが十字架に上げられた当時のローマ皇帝です。ティベリアス湖はローマ世界を象徴し、「漁」は、ローマ帝国の各地に伝道に出たことを表わします。《しかし、その夜は何もとれなかった》とあります。初期のキリスト教は、ローマ帝国からも迫害を受け、同胞のユダヤ教徒からも迫害を受けて、伝道は困難を極めたことでしょう。殉教者も出れば、背教者もいたことでしょう。この苦境にあって弟子たちの群れは、共に歩んでくださっているはずのイエスさまへの信頼が揺らぎ、イエスさまを見失い、イエスさまが誰だか分からなくなる試練を味わったことでしょう。

しかし、実はイエスさまは岸辺に立って、弟子たちの働きを見守っておられたのです。それだけでなく、「舟の右側に網を打ちなさい」と助言を与えて、弟子たちを大漁に導きます。そのとき、《イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った》とあります。「イエスの愛しておられたあの弟子」とは、この福音書の著者だと言い伝えられています。ここには、最初に復活したイエスさまに対して「主だ(彼は主である)」という信仰告白をしたのは彼だという主張が書かれています。もともとイエスさまを救い主と信じる信仰は、「イエスはキリスト」であるという表現をとっていました。そこから「クリスチャン」という言葉も生まれました。ところが、たちまち「キリスト」の意味は忘れられ、単なるイエスの別名となってしまいました。そこで新たに生まれた信仰告白の言葉が、「イエスは主である」または「イエス・キリストは主である」という表現です。当時、ローマ皇帝は神の子であり、主であると信じられていました。キリスト者たちはそれを否定して、真の主は、皇帝ではなく、イエスさまであると告白したのです。キリスト者にとって「主」とは、地上で十字架と復活の道を歩まれたイエスさまこそが真の王であって、全人類を愛をもって支配されるお方、そればかりか世界の万物を司っておられるお方であるということを言い表す言葉です。弟子たちは苦難の中でイエスさまを見失っていましたが、「主」が自らを現わしてくださって、弟子たちはふたたびイエスさまを「主」とする信仰に立ち帰ることができたのです。

弟子たちが陸に上がってみると、すでに《炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった》のです。夜通し働いた弟子たちのためにイエスさまは朝の食事を用意万端整えて待っていてくれました。うれしいことに、《「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた》とあります。弟子たちの働きをも、ご自分の行おうとするわざの中に取り入れてくださることが示されます。

これは、私たちも経験することではないでしょうか。教会として、また個人として、私たちは自分のなすべきことを知恵と力を尽くして行います。行なったのは私たち自身です。でも、時も場も協力者もあって出来たのです。それらすべてを取り計らってくださったのは主だ、主が私たちの行いを祝福してくださったのだと感謝をもって振り返ります。

また、こうも言えると思います。私たちは復活祭のお祝いを、参加者の一品持ち寄りで行いましたが、教会の交わりは、お互いが持ち寄り、分かち合うときに生き生きと成長していきます。教会から何かをいただく、教会から持ち出すだけの信仰のあり方に留まっていたら、教会の交わりは生き生きとしたものになれません。

《イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた》。

こうして、弟子たちは、復活のイエスさまが備えてくださった食事にあずかります。聖餐にあすかることを通して、慰めと励ましと、希望と力を与えられることを表わしているのでしょう。

ところで、迫害の時代、キリスト教のシンボルは、今のように十字架ではありませんでした。十字架は、むごたらしい処刑方法としてあまりに生々しく、とうていシンボルにはならなかったのです。十字架刑が残酷すぎるために廃止されて、生々しさが消えて初めて、十字架はキリスト教を表わすものとなりました。それ以前は「魚」がシンボルでした。キリスト者は人間をとる漁師から釣り上げられた者という意味もあったかもしれません。同時に、魚はギリシア語でΙΧΘΥΣ(イクスース)と言いますが、その五文字の一つ一つをイニシアルとする言葉を並べますと、「イエス・キリスト、神の子、救い主」となります。「魚」はイエスさまを表わすと共に、イエスさまが与えてくださる食事のシンボルでもあります。

聖餐をいただくとき、お昼の食事を共にするとき、私たちは、イエスさまがご自分の命を分け与えてくださったことを覚え、私たち自身が互いに命の基であるイエスさまの愛と恵みを分かち合うものであることを覚えたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年4月15日 復活後第1主日 「復活者の出現」

マルコによる福音書16章1〜8節
説教: 高野 公雄 牧師

 〔イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。

その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。

その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」

マルコによる福音書16章1〜8節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

先週の復活祭の礼拝では、マルコ福音16章1~8を読みました。今日は先週の個所に続く9~18節です。ところで、きょうの個所については、本文の内容に入る前に、この本文自体がはらむ問題について説明しておくことが必要です。

聖書を良く見ますと、9節以下には「結び一」という見出しがあって、9節の頭に亀甲カッコが付いているのに気づくと思います。このカッコは20節でいったん閉じます。次に「結び二」と見出しがあって節番号が付いていない文章が別のカッコに囲まれています。この亀甲カッコは、聖書では、原文ではなく、後代に書き加えられたと見なされる文に付けられます。ここの他には、ヨハネ福音8章の、有名な「姦通の女」の話がやはり亀甲カッコに囲まれており、後代の付加であることが分かります。

亀甲カッコが「結び一」と「結び二」と、二つに分かれているには、その訳があります。マルコ福音は西暦70年代に書かれたと言われていますが、著者マルコが書いた原本はパピルスという草の繊維でできた紙に書かれたものでした。これは古びて、もう無くなってしまい、いまあるのは、原本を代々書き写してきた写本です。写本が古びると、またそれを書き写すというように受け継がれたものです。材質も羊皮紙に替わり長く保存できるようになりました。また、書き写すときに、写字生が本文に加筆することも生じました。

こうして伝えられてきたマルコ福音書の写本には、三種類あります。一番古いものは、16章8「恐ろしかったからである」で終わっているもの。二番目に、二世紀からは、「結び一」つまり9~20節が付いているものが現れます。三番目に、四世紀からは、「結び二」が付いているものも出てきました。ですから、学者たちは、マルコ福音は本来は8節で終わっていたと考えます。しかし、それではあまりにも唐突な終わり方であるというので、二世紀に入ってから、結びの部分が書き加えられたのでしょう。そして8節で終わっているものよりも、20節まで書き加えられたものの方が、好んで書き写されて広く流布するようになりました。ついには、カトリック教会は、正式に20節まである「結び一」を聖書本文と公式に認めるに至りました。「結び一」には節番号が付けられましたが、もっと後の書き加えである「結び二」は、聖書本文とは認められず、節番号が付いていません。ですから、私たちが以前使っていた口語訳聖書では、「結び二」は訳出されませんでした。

以上のことは、本文の内容ではなく、形式にかかわる事柄ですが、聖書に知的な関心を持つ人たちがよく知っていることですので、皆さまにも承知しておいていただきたいと思い、お話ししました。

《イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった》。

先週読みました8節までの話では、マグダラのマリアほか三名の女性たちは、イエスさまの葬られた墓に行き、そこで天使に会い、「イエスさまが復活されたこと、共に伝道の旅をしたガリラヤ地方で復活のイエスさまに会えることを、弟子たちに伝えなさい」と命じられましたけれど、《だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである》で終わっていました。天使によるイエスさま復活の知らせは、かつて聞いたこともなく、また自分で口にすることもできない驚異であったのです。

信じられなければ、それでお仕舞ではありません。復活を信じられない女性たちの一人マグダラのマリアに、イエスさまは自ら現われます。そしてマリアは、仲間たちのところへ行って《イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たこと》を伝えます。でも、誰も信じようとしませんでした。

《その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった》。

信じないだけでなく、二人の弟子は仲間からも離れて去ろうとしていました。ルカ福音24章によれば、エルサレムの西北のエマオという村に向かっていました。そういう弟子に、ふたたびイエスさまは姿を現わします。二人は急いで戻って、仲間の弟子たちに知らせます。しかし、今度も誰も信じようとしませんでした。

《その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る》。

ついにイエスさまは、信じない側近の弟子たちに現われます。十一人とはただ人数を言っているのではなく、ペトロやヨハネなど十二人の直弟子たちを指しています。ユダが欠けて十一人です。イエスさまは彼らの《不信仰とかたくなな心をおとがめになった》とあります。「かたくなな心」とは、信じない頑固な心ですが、「かたくな」という言葉は、「乾かす」という意味の言葉からできています。10節に《マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた》とありました。生前のイエスさまに接して、この方と共に生きることこそが救いだと信じて寄り頼んでいた弟子たちです。その大事なイエスさまが十字架にかけられて殺されてしまった。そのとき自分たちはイエスさまを守るどころか、見棄てて逃げてしまった。悔やんでも悔やみきれない、泣いても泣ききれない悲しみのどん底に落ち込んでいたのです。彼らの心は干からびて何も受け付けられなかったことでしょう。

そういう彼らのところに復活したイエスさまが現われ、イエスさまの力ある愛が彼らの心を潤し、温め、光を注いで、彼らを再生させます。復活のイエスさまを信じることは、信じる者にとって自らが復活することをも意味します。

そして、復活されたイエスさまは、魂の復活した弟子たちに向かって、《全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい》と、ご自分の福音の宣教を委ねます。

イエスさまの十字架の死と復活による私たちの贖い、救いということは、前代未聞、奇想天外、驚異そのものであって、直弟子たちにとってもまったく理解できないこと、信じられないことでした。復活の知らせを信じようとしなかった、信じられなかった自分たちだからこそ、こんどは人々に確信をもって言える。神のみわざは不思議であり人知で極めることはできないけれど、大丈夫。イエスさまの地上の生涯における言葉と行いを通して、こんな不信仰な自分たちをも一人も漏らさず愛し、見守ってくださり、支え導く神の信実な心を見出すことができる、信頼することができるのです。

神さまを信じるために、たとえば十字架と復活というような不可解なことを、無理矢理に自分の力わざでもって信じ込む必要はありません。直弟子たちでさえも自分の力で信じることはできませんでした。復活したイエスさまが彼らの干からびた心に愛を注ぎ、生き返らせてくださった、それによって信じることができたのです。現代の私たちも同じです。聖書をとおして復活のイエスさまにお会いすることができる、復活のイエスさまの愛の招きを聞くことができます。

人生のいろいろな重荷を背負って歩む人々と共に歩んだイエスさまの言葉と行いについて聖書や説教をとおして聞くことによって、愛なる神がそして復活したイエスさまが、弱く貧しい私の人生を共に歩んでくださっている、重荷を共に担ってくださっていることを察知して、その気配をそこはかとなく感知して、このお方の力と愛に信頼して生きる、それが私たちの信仰です。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年4月8日 復活祭 「復活の知らせ」

マルコによる福音書16章1〜8節
説教: 高野 公雄 牧師

 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

マルコによる福音書16章1〜8節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

みなさま、主イエス・キリストのご復活、おめでとうございます。

きょう新しい復活のローソクを灯しましたが、これは十字架上で死んだイエスさまがよみがえって、私たちと共におられることを象徴するものです。復活されたイエスさまは、折に触れて弟子たちにその姿を現わされましたが、40日後には、天に上げられて、もうその姿を目で見ることができなくなりました。これを覚えて、昔は復活祭から40日間だけ灯されていましたが、今では少し長く聖霊降臨祭まで点灯されます。その後は、洗礼式と葬送式のときにだけ灯され、それ以外のときには仕舞うようになっています。

復活のローソクが灯されているのを見たら、「キリストの光が、私たちの心の闇をすべて追い払いますように」と心に祈りましょう。

《安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った》。

イエスさまが十字架で死んだのは、金曜日の午後3時ごろのことでした。古代のユダヤでは日没を新しい一日の始まりとしていましたので、この日を1日目とすると、金曜日の日没から土曜日の日没までの「安息日」が2日目、土曜日の日没から日曜日の日没までの「週の初めの日」が3日目ということになります。

「安息日が終わると」、今で言うと、土曜日の日没後に、イエスさまの弟子であったこの女性たちは、香料を買ったのです。安息日にはお店を開くことも、買い物に出かけることも禁じられていましたから、日没になるのを待ち構えて香料を買ったのでしょう。

この女性たちについては、15章で前もって紹介されています。40~41節に、この人たちは故郷のガリラヤで弟子になって以来、ずっとイエスさまに従ってきたこと、そして男の弟子たちがみな逃げ去ったあとも刑場に留まり、遠巻きに成り行きを見守っていたと書かれています。午後の3時ごろに息を引き取ったイエスさまの遺体は、夕方、まだ安息日に日が替る前に、最高法院の議員であるアリマタヤのヨセフによって墓に葬られました。47節には、彼女たちが墓の場所を確認していたことが記されています。

《そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った》。

女性たちは、日曜日の午前3時から6時という早い時間帯に、香料をもって墓に向かいます。ヨセフがイエスさまの遺体を葬るときすでに香油は塗られたはずですし、パレスチナの気候を考えると、すでに腐臭が立っているにもかかわらず、女性たちは自らの手でイエスさまを葬りたかったのでしょう。これが最後のご奉公と思ったことでしょう。14章でベタニアの女性が高価なナルドの香油をイエスさまの頭に注ぎかけた、葬りの準備も思い出されます。

《ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた》。

パレスチナの墓は、斜面に人が歩いて入れるほどの大きな横穴を掘って遺体をいくつも寝かせるもので、入り口を大きな丸い板の石でふさぎます。入るときは、その石を横に転がして墓穴を開けます。「転がされている」は主語である神を隠した形の受身形です。転がしたのは神さまです。女性たちは誰が墓を開けたのか分からないのに、さほど驚きもせずに中に入ります。中に天使が座っているのを見て初めて、神と出会った人の恐れとおののきを経験します。

《若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と」》。

天使の本来の意味は使者・伝令です。ここで天使は神の使者の名にふさわしく、神からの伝言を伝えます。「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない」。イエスさまは人にも神にも見捨てられて死んだ、これが最後の別れだと思って、女性たちはイエスさまに会うために墓に来ましたが、「ここにはおられない。復活なさった」、これがイエスさま復活の最初の告知であり、聞いたのは女性たちです。

天使は伝言を続けます。「弟子たちとペトロに告げなさい」と。逃げ去った弟子たち、またとくにも三度もイエスさまを否んだぺトロに対する神の深い愛は、これで終わらない。イエスさまと最初に出会ったガリラヤに戻りなさい、そこで復活したイエスさまにお会いできる。まだ立ち直るチャンスがある、と言うのです。弟子たちが犯した失敗や罪をゆるし、もう一度弟子として召すという再出発への招きです。

このことが、まさにイエスさまの十字架と復活の意味を明かしています。それは、弱く不信実な人間に対する救いの出来事であり、イエスさまを通して人間に対する神の愛と真実な心を証しする出来事だったのです。神の愛の力が人を支配する悪の力を滅ぼした出来事だったのです。失敗しても、罪を犯してしまっても、もう一度人生をやり直すことができる。イエスさまの十字架と復活を通して、神はもう一度生き直すチャンスをくださっているのです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年4月1日 受難主日 「十字架の道」

マルコによる福音書15章1〜39節
説教: 高野 公雄 牧師

 イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。

昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

マルコによる福音書15章1〜39節
(長文につき一部抜粋)


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した》。

このように、きょう私たちが読んだ個所は、ローマ総督ピラトの裁判から始まります。14章でユダヤ人指導者たちによる最高法院における裁判で死刑を言い渡された後、イエスさまはローマ側に送られて来たのです。死刑を行なう権限はユダヤ人側にはなくて、その権限は支配者であるローマ総督が専有していたためです。

聖金曜日の出来事は時刻も記されています。まずここでは「夜が明けるとすぐ」とあります。朝の6時頃のことです。

イエスさまの罪状については、ユダヤ人にとっては「神の子を僭称した」ことの方が重いものだったことでしょう。ユダヤ人は「神」と名指しすることを避けて「ほむべき方の子」(14章61)と言っています。しかし、その罪状でもって総督に死刑判決を求めても、それはユダヤ人たちの内部問題だとして取り合わなかったでしょう。「ユダヤ人の王」を名乗っているという訴えの方が、死刑判決を求め易かったのです。「ユダヤ人の王」を名乗ることは、ローマ帝国の支配下で重苦しい生活を強いられていたユダヤ人を扇動し、政治的軍事的にローマ帝国に反旗を翻して、その支配を跳ね返そうとする運動の指導者を意味しました。それは、国家反逆罪という大罪であったのです。

《ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた》。

総督ピラトの問いに対するイエスさまの答えは、肯定しているのか、否定しているのか、分かりにくい答えです。私たちが以前に使っていた口語訳聖書では、「そのとおりである」と分かり易く訳していますが、それでは訳し過ぎになります。新共同訳では原文を直訳しています。つまり、イエスさまの答えは、Yes and No なので分かりにくいのです。つまり、ピラトが考えるような政治的軍事的な意味では王ではないけれども、クリスチャンたちが考える信仰的な意味では王である、と二重の答えをしているのです。

ピラトによる審問の場面は、緊迫感がない印象があります。なぜなら、政治家であるピラトには、《祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである》。イエスさまその人はローマにとって脅威ではないと思っていたのです。それでも、ローマの政治家であるピラトは、イエスさまを巡るユダヤ人たちの熱気は危険なものに見えたのでしょう。「十字架につけろ」という叫びに妥協して、暴動を起こした罪で死刑判決を受けていたバラバを釈放し、その代わりにイエスさまを「ユダヤ人の王」として死刑の判決を下します。

総督から処刑をゆだねられたローマ兵たちは、イエスさまを鞭打ったり、唾を吐きかけたり、ついには侮辱するために、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼したりします。皇帝が戦勝してローマに凱旋するとき、人びとは「皇帝、万歳(アヴェ・カエサル)」と歓声をあげて迎えます。ローマ兵たちがそれを真似たのだとしたら、「アヴェ」と叫んでいたのかも知れません。天使ガブリエルが「アヴェ・マリア」と呼びかけたあの「アヴェ」です。マルコ福音はギリシア語で書かれていますから、「万歳」は「カイレ(喜べ)」という言葉が使われています。

《このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した》。《そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った》。《イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった》。

イエスさまの磔刑を描いた作品には十字架上に、「捨て札」と呼ぶのだそうですが、罪状書きが付いていて、そこには「INRI」とローマ字が刻まれているのを目にすると思います。この礼拝堂の入口には目黒教会から受け継いだ十字架像が設置してありますが、そこにもINRIの四文字が見られます。これは次のラテン語の四語の頭文字を並べたものです。Iesus(イエス)、Nazarenus(ナザレの)、Rex(王)、Iudaeorum(ユダヤ人の)。

《そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。》

総督の官邸の中ではローマ兵がイエスさまを思うがままに虐待しましたが、ゴルゴタの丘では、今度はユダヤ人同胞が、すなわち祭司長、律法学者、通りがかりの民衆、両隣の死刑囚たちが、イエスさまを侮辱する様子が描かれます。しかし、その侮辱の言葉が、かえってイエスさまの十字架の死の意味を明らかに示しています。

《他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう》。この言葉のとおり、イエスさまは身を捨てて、他人のために生きた、そして死んだお方でした。マルコ10章45に《人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである》、ともあります。自分勝手をする、自分が得をする、自分の身を守る、そういう己を捨てて、まず他人の益となす。喜ぶ者とともに喜び、悲しむ者とともに悲しむ。弱い人、苦しむ人の傍らにつねに寄り添う。イエスさまはこういうご自分の生き方と死に方を通して、私たち一人ひとりを誰ひとり漏らすことなく愛する神の真実を人々に身をもって証ししたお方であったのです。

総督やローマ兵はイエスさまを「ユダヤ人の王」と呼びましたが、ここで同胞のユダヤ人たちは、「イスラエルの王」と呼んでいます。この表現の違いにも意味があります。ユダヤ人とはユダヤ地方の住民を指す民族名ですが、イスラエルとは聖書が証しする神を信じる人々を指す宗教的な呼び名です。ユダヤ人たちは誇りをもって自分たちをイスラエルと称しました。私たちクリスチャンも、イエスさまは、神により頼む民の王であり、メシアであり、救い主であると信じています。

《昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である》。

イエスさまは午前9時に十字架につけられ、午後3時にいたって、断末魔の叫びをあげます。これがマタイ福音では「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(マタイ27章46)と少し違いがあります。ふつう、マルコの「エロイ」はイエスさまが日常使っていたアラマイ語、マタイの「エリ」は旧約聖書のヘブライ語と説明されます。

このイエスさまの叫びの意味は、重要です。本気で神を信じている人が、神に対して抗議する絶望の言葉です。詩編22編2の言葉ではありますが、それを引用したというよりも、すっかりなじんでいた言葉が、自分の心境を表わす表現として、最後におのずと心に浮かんだということでしょう。

親しい人は皆、離れ去り、そばにいるのは責めさいなむローマ兵のみ。「他人は救ったのに、自分は救えない」。まさに孤立無援、イエスさまは神にも見捨てられて絶望のうちに死にました。弟子たちは、イエスさまのこの叫び「なぜ」という問いをあたため続け、この「なぜ」を思い巡らすことから、イエスさまをキリストと信じる信仰にいたったと言えるでしょう。私たちも、この「なぜ」という問いに対する答えを信仰の中に見出すことができますように。

《イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った》。

神殿の垂れ幕が裂けたことは、イエスさまの十字架の苦難と血によって、永遠のあがないが成し遂げられ、いまや動物の血によるあがないは廃棄されたことを、象徴的に表わしています。イエスさまの十字架によって、旧約の時代は終わり、新約の時代が始まったのです。

百人隊長とは、ローマの軍隊制度で、十人の兵をまとめるのが十人隊長で、その十人隊長を十人まとめるのか百人隊長です。この人が、イエスさまたちを処刑する責任者だったかも知れません。唐突ですが、マルコはここで、この惨めな死にざまを目撃した百人隊長の口を通して、「本当に、この人は神の子だった」という自分の信仰告白を書き入れます。これは、悲惨な死にざまにもかかわらず、ではなく、悲惨な死であるからこそ、イエスさまは神の子であるのだというマルコの強烈な信仰告白です。

マルコは、この福音書を読む私たちにも、ここに証しされたイエスさまの姿への応答として、信じることへと招いているのです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン