2012年9月9日 聖霊降臨後第15主日 「諦めない祈り」

マルコによる福音書7章24〜30節
高野 公雄 牧師
イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。
マルコによる福音書7章24~30節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった》。

イエスさまはこれまでご自分の育ったガリラヤ地方で活動していましたが、そこを立ち去って、北西の国境を越えてフェニキア(今のレバノン)の港町ティルスに行かれました。この町は口語訳ではツロと表記されていましたが、新共同訳ではティルスと表記が代わりました。しかし、一般にはテュロスという音訳が普及しています。

テュロスは、今はただのさびれた漁村にすぎませんが、大昔から栄えていた港湾都市でして、繫栄していた当時の遺跡が残っており、ユネスコの世界文化遺産として登録されています。テュロスは、もとは陸地から約1キロ離れた島でした。前332年にアレクサンダー大王が遠征したとき、島全体を要塞化したテュロスは激しく抵抗して攻めきれませんでした。それで、アレクサンダー大王は7か月かけて堤防を築いて埋め立てをして、陸続きにした上でやっと攻略できた、そういう歴史がある町です。

イエスさまがわざわざここまで来る動機については何も分かりませんが、積極的に異邦人伝道をするつもりではなかったようです。しかし、この外国の町でも、人に知られずにいることはできませんでした。

《汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ》。

ここに登場する女性が異邦人であることは明らかですが、なぜか詳しく書き込まれています。「シリア・フェニキアの生まれ」とあります。ジャパニーズ・アメリカン(日系アメリカ人)という言い方と同じで、彼女は血筋から言うと隣りのシリア人ですが、フェニキア(今のレバノン)に暮らしている人です。さらに生活スタイルで言うとギリシア人だと紹介されています。これは血筋や国籍を言うのではなく、彼女は、当時の世界の共通語であったギリシア語を母語とするコスモポリタンである、という意味です。イエスさまの当時、ローマ帝国が地中海を取り囲む広い世界を支配しており、「ローマの平和(パックス・ロマーナ)」と呼ばれますが、広い世界が平和に治まり、人々の往来が盛んになり、ギリシア風の生活スタイル(これは、一般にはヘレニズム文化と呼ばれています)が世界に深く浸透していたのです。イエスさまの弟子のアンデレとフィリポは、ユダヤ人ですがギリシア風の名前を持っています。

この女性は母親であって、娘は重い病気にかかっていたのでしょう。汚れた霊(悪霊と同じ意味)に取りつかれていました。こういう表現は私たちにとって受け入れにくいのですが、当時のヘレニズム文化と現代の文化では世界観が違うのは仕方ありません。現代人は、この世界は自然法則によって動いていると考えますが、昔は世の中は人間を超えた霊的な存在によって支配されていると考えられていました。神や天使の軍勢と悪魔と悪霊の軍勢が、人を支配しようとせめぎ合っているのです。日本でも、昔は人に災いをもたらす霊的な力を疫病神とか貧乏神とか名付けていましたが、それと同じ感覚です。イエスさまは悪霊を追い出すことができると信じられていました。イエスさまがこの町にお出でになったのは、母親にとって千載一遇のチャンスです。今の機会を逃したら、もう次はありません。全身を投げ出して、必死にイエスさまに懇願します。

《イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」》。

イエスさまの最初の応答は、拒否でした。この比喩で、子供はユダヤ人を、子犬は異邦人を、そしてパンは神の救いを表わしています。この応答は、「パンは子供たちの分しかないので、子犬に与えると子供たちに十分に与えることができなくなる」という意味ではありません。端的に「このパンはユダヤ人たちのためのものだ」と言っているのです。イエスさまはこのユダヤ教の考え方を全面的に受け入れていたわけではありませんが、自ら異邦人伝道に乗り出す気もなかったためでしょう。まずはこう答えて、母親の反応を注視します。

《ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」》。

イエスさまの言葉を聞いても、母親は諦めません。ここは、翻訳の問題があります。「しかし」は、カイという言葉を訳したものらしいのですが、カイは英語のandに相当する言葉であって、butの意味はありません。そして、このカイは「小犬も」の「も」として訳出されています。つまり、原文には「しかし」と訳せる言葉はありません。

母親は「しかし」と言って、イエスさまに反論しているのではないのです。イエスさまの言うとおり、パンは子供たちのためのものです、自分はあのパンをもらう権利があると主張できるような者ではありません。そう受け入れた上で、子供が十分にパンをもらうからこそ、子犬もそのおこぼれに、おなさけにあずかることができます。母親はそう訴えます。神さまの恵み、憐れみは、そのようにこぼれ落ち、溢れ出るものではないでしょうか。神さまは、弱い者・小さい者・片隅の者・悩む者・悲しむ者に対して信実である。イエスさまの言行はそのことを私たちに現してくださるのではないでしょうか。そうです。イエスさまをとおして現わされた神は、病に苦しむ娘をもった母親の願いに応えることができないはずはありません。

《そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた》。

イエスさまの言葉を直訳すると、「その言葉のゆえに、行きなさい」です。口語訳は「その言葉で、じゅうぶんである」と意訳しています。イエスさまの言葉は、母親の応答を「わが意を得たり」と高く評価しているのです。新共同訳の「それほど言うなら、よろしい」は意訳のし過ぎで、それだと、イエスさまはしぶしぶ彼女の願いに応えたようなニュアンスとなりかねません。マタイ福音書では、イエスさまが《婦人よ、あなたの信仰は立派だ》(15章28)と称賛されたと記されています。

《女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた》。

イエスさまは、遠く離れたところから娘に取りついた悪霊を追い出しました。この奇跡そのものは、強調されることなく、静かに進行しました。悪霊は出てゆく際に娘に対して最後の悪さをしました。それで、娘は疲れ切ってぐったり横たわっていますが、もう大丈夫です。

以上、「シリア・フェニキアの女」の物語を読んできましたが、最後に、この母親の信仰から私たちが学ぶべきことを3点、確認しておきましょう。

まず1点目。この話しは、後に弟子たちが外国に出ていって伝道することに道を開くものでした。神の救いは、人種や国の壁を乗り越えます。ペトロも外国人伝道のきっかけとなった港町カイサリアの百人隊長コルネリウスの家で《神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました》(使徒言行録10章34)と言っています。

2点目は、この母親の謙遜さです。私たちは祈るとき、まるで神が「アラジンと魔法のランプ」のランプの魔人であるかのように思いなし、神が即座に願いをかなえてくれることを期待します。そして、祈りが聞かれないと、神は無力だと毒づいたりします。しかし、神は私たちの召使ではなくて、主人です。私たちはあくまでもイエス・キリストのあがないと執り成しをとおして神の恵みと憐れみに依り頼むのです。

3点目。この母親の大胆さです。彼女はただ病気の娘のために必死だったのではありません。神が強い者の神であるよりもむしろ弱い者の神であり、それゆえにこそすべての者から神として崇められるお方であると信じ、その神に訴えます。イエス・キリストの救いなしには朽ち果てるほかない身の願いであるにもかかわらず、否、それゆえにこそ、神は必ず聞き届けてくださるという、恵みの神に対する確信です。母親の祈りの基は、この神の恵みに対する篤い信頼です。私たちもこの神さまへの信頼をもって、家に帰りたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン