2012年10月21日 聖霊降臨後第21主日 「天に富を積む」

マルコによる福音書10章17〜31節
高野 公雄 牧師

イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。

イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」
マルコによる福音書10章17~31節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

場面は先週に続いて、ガリラヤ地方から都エルサレムに向かう旅の途上のできごとです。金持ちの男がイエスさま一行に走り寄って、ひざまずいて尋ねました。《善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか》。この男との会話のテーマは、イエスさまの弟子の生き方についてです。

「永遠の命を受け継ぐ」は、「神の国に入る」とか「救いを得る」と同じ意味です。「受け継ぐ」つまり「相続する」という表現は、永遠の命は昔からユダヤ人の先祖たちに約束されていたものですから、それを自分たちは遺産相続するように受け継ぐのだという感覚です。イエスさまは、何をすればよいかという掟についてならばあなたは知っているはずだと言って、十戒の後半を数え上げます。すると彼は《先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました》と答えます。彼が言うとおり、彼はユダヤ教の倫理をまじめに守って生活してきたし、人々からも善い人として高い評判を得ていたのでしょう。

だったら、なぜ彼はイエスさまに教えを乞うのでしょうか。たぶん彼は何か善い行いをもう一つプラスして、相続者の資格を確かなものにしようと願っているのでしょう。イエスさまは答えます。《あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい》。金持ちの男が予感していたとおりです。十戒を守っていても、まだ欠けているものがあったのです。「持っている物を売り払って、貧しい人々に施しなさい。そして、わたしに従いなさい」。この言葉を、《イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた》とあります。「慈しんで」は神の愛を指す言葉アガペーの動詞形が使われています。イエスさまは厳しいことを言いますが、それは彼を拒否したり軽んじたりしてのことではないことは明らかです。しかし、彼は《この言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである》。彼に欠けている一つのこと、それは財産を手放すことができなかったことでした。

ルターは、神を信じるとは何ものよりも神を畏れ、愛し、信頼することだと言いました。そして、唯一のまことの神よりも、畏れ、愛し、信頼する人や物、それが当人にとっての他の神々つまり偶像だ、とルターは言います。きょう登場した金持ちの男にとっては、財産が、律法を守ってきたことが、良い評判が最終的な信頼を置く彼の神または偶像ということになります。彼はイエスさまの言葉を聞いて、今初めて自分の内面を見ることになりました。そして、今初めて彼は自分が頼りにしてきたものが実は神ご自身ではなく偶像であることを悟ったことでしょう。この人に限らず、私たちは神の救いは善行の報酬として与えられるものだと考えがちです。そうすると、この人のように、神の救いを確かにするために、自分の側の拠り所をその保証としてしっかりと握っていることが大事だと考えてしまいます。しかし、自分が持っているものを救いの拠り所にすることは、本当の神信仰ではありません。救いを神の恵みとして、人に対する神の信実から出た無償の賜物として待ち望むこと、それが真の神を信じることであり、また神の信実にのみ救いの確かさがあるのです。

ですから、仮に彼が持っている物を売り払うことができたならば、その善行のゆえに永遠の命の相続人の資格を得ることができるのでしょうか。そうではありません。その場合でも、イエスさまの招きに応えて、空の手でもって神の救いをいただく信仰をもってイエスさまに従うことが求められるのです。その場合、従うことは自分の資格や能力によるのではなく、従うこと自体がすでにイエスさまの招きの力、イエスさまの恵みです。このことに気づくことによって、人ははじめて持ち物を手放すことができるようになるのです。手放すことができないのは、貪欲のためだけではありません。他に拠り所となるものを知らないから、神の恵みを知らないからです。

弟子たちもこの金持ちと似たような状態だったようです。《ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした》。マルコ福音ではこれだけの文章ですが、マタイ福音ではペトロがこう言い出した訳がもっと露骨に書き込まれています。《すると、ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」》(19章27)。これに対して、イエスさまはご自分に従う者への報酬を約束なさいます。しかし、ほんとうは人の功績が問題でなく、ここでもイエスさまはすべての人に対する神の愛を説いているのです。使徒のパウロはこう書いています。《あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです》(Ⅱコリント8章9)。

この金持ちが悲しみながら立ち去ったあとのことに、話を少し戻します。イエスさまは弟子たちに言われます、《財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか》。山上の説教でも《あなたがたは、神と富とに仕えることはできない》(マタイ6章24)と言っておられます。神さまを信じることと、神ならざるもの(この世の人や物)を頼りにすることとは両立できません。

しかし、神と富とは両立するという考えもあります。事実、イエスさまの時代、富みは神の祝福だという見方もありました。むしろ、それが一般的な見方でした。弟子たちの中に金持ちは少なかったと思いますが、やはりそのように考えていたようです。イエスさまの言葉に驚いて《それでは、だれが救われるのだろうか》と互いに言ったと書かれています。

日本のことわざに「衣食足りて礼節を知る」とあります。生活に余裕ができて初めて礼儀や節度をわきまえることができる、という意味です。その反対に、「貧すれば鈍する」、貧乏すると生活の苦しさのために精神の働きまで愚鈍になる、という言葉もあって、貧乏を貶める見方がある一方で、少数派ではありますが、清貧の思想というのもあって、金の有る無しにかかわらず私欲を捨てて質素な生活を理想とする見方もあります。心豊かに暮らすためには、金品に固執しない生活をすることが必要だという考えです。物質的な生活が安定すると、神への感謝の心を失う危険が増大するのは事実ではないでしょうか。これが人の現実ですから、イエスさまの言葉にこういうのがあります。《人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる》(マタイ4章4、申命記8章3)。また、《どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである》(ルカ12章15)。

《弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」》。これらの聖句はすべて、救いの根拠は、「人間にできること」ではなく、人に対する神の信実、一人ひとりの人を大切に配慮する神の大いなる愛にあることを強調するものです。イエスさまの言行のすべてはそのことを証ししています。イエスさまを信じることによって、確かな救いを得られることを、それが心豊かに生活する基であることをしっかりと受けとめたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン