ヨハネによる福音書16章25〜33節
説教:安藤 政泰 牧師
「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
今日は全聖徒の主日です。自分が生きること、死ぬことを共に考える時でもあります。
同時に、この世の命を終わった者の事を「思い起こす」主日でもあります。
「思い起こすとき」、聖書的には、思い起こしたことが、実際に現実に再現される事でもあります。それが 今日聖餐式で行われます。聖餐式は最後の晩餐の再現とも 復活後のイエスと弟子とのエマオへの道での食事の再現とも言われています。その事を行ったとき、弟子たちはキリストとは意識しなかったが、食事を共にしたときに「キリスト」だと認識したのです(ルカによる福音書24章13節以下)
今日 私たちは、主のもとにある全ての人々(聖徒)と共に、天国での主の食卓に招かれるです。
16:25節 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。」
キリストの弟子への別離を前提に言われていることです。イエスは今、たとえではなく、直接に弟子に話そうとしています。何を話そうとしているのでしょうか?その話しが、これからの関係を暗示しているのです。喩えでは、このことは 決して話すことが出来ない内容です。それは 弟子とイエスの関係が変化することだからです。同時に 私たちと、イエスとの現在の関係でもあります。
16:26節 「その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。」
キリストは もやは 一人一人を思いやり、各自の願いを推測して、父なる神に願う事はされないと、言われています。それは イエスの十字架の死を前提しているからです。
その代わり、直接、父なる神に、キリストの名によって願うように、指示されています。
これは 当時の弟子とイエスとの関係の性格の変化です。今まで、弟子たちはイエスに父なる神への祈りをしてもらっていたのです。しかし、これからは、イエスに自分に代わって祈っていただくという、イエスの文字通りの仲介は必要がない、と宣言されているのです。
その理由は
16:27節 「父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである」
私たちがイエスを愛し、イエスが神から来たことを信じたので、神の愛の中に抱きいれられるのです。イエスを神の御子と信じるから、神は信じるあなたの願を直接聞いて下さるのです。
16:28節 「わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」
イエスは神のもとに帰られるが、神と人との関係は継続するのです。もはや 神と私たちの関係は、イエスの直接的な仲介なしに、その関係が復活することを予言されているのです。それは あたかも 創世記のアダムのイブの楽園追放以前の神と人間の関係に戻るということで、イエスの仲介により イエスの十字架の死と復活により完成するのです。
父なる神のもとに、帰られたキリストがおられるから、私たちは、父なる神との直接的な関係があるのではなく、父なる神ご自身がキリストの十字架の死と復活により、神ご自身があなたを愛してくださり、そのふところに迎い入れて下さるのです。
だから キリストは死に勝ったのだ、と私たちは証することが出来るのです。
このキリストは死に勝たれたからこそ、今日私たちは全聖徒の主日を祝うことができるのです。「死」は、私たちに取りこの世の生命の終わりであって、それは新しい世界の、生命の始まりを意味しています。悪魔とその力、死に勝利れたキリストのゆえに、今、私たちは 天使とその軍勢と共に先に召された方々と共に、今日ここで 再会し、共に天国の食卓につくのです。