2011年1月16日 顕現節第3主日 「多くの子を産んだ貧しい羊」

マタイによる福音書4章12〜17節
説教: 安藤 政泰 牧師

イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
マタイによる福音書4章12〜17節


イザヤ書9章の予言に「ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる」と言う言葉に続いて暗闇の中に住む人達に光が照らされる、と言う約束が語られている。主イエス・キリストはヨハネが捕らわれたと聞き、ガリラヤに退かれた。旧約聖書を見ると、神は常にイスラエルの民にのみ働いておられるように受け取れる。私達はいつも旧約聖書を新約聖書の光の中で読む事をしなければ、真実を見る事は出来ない。それはイエス・キリストによる新しい約束、新約聖書の時代に今私達は生きているからである。

さて、新約聖書に於いて、イエス・キリストの初めの働きは、異邦人の町から始められている。み子の誕生は、貧しいベツレヘムの馬小屋で、働きは、辺境の地カファルナウムからである。この事は異邦人とは、関係ないようにみられるが、 当時異邦人と言う表現は、貧しい人、神から離れている人の意味があった。

主イエスはこの町をこのカファルナウム地方を自分の町、自分の土地として愛され、この町で過ごされた。この地から、兄弟であるシモン・ペテロとアンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ達が育った。そして、彼らが主の福音を全世界に伝えるのである。

当時の世界の中心は勿論ローマであった。その時の世界観からすれば、ユダヤ自体が、辺境の国であり、その中でも最も辺境な地であるカファルナウム地方が、神から選ばれた地方になったのである。なぜ、この地方が旧約聖書の予言に現れ、神に選ばれたのか。しばしば外敵からの侵略を受け、人々の心も生活も荒廃して居るような地方。この地方に住む人々は、いつしか、純粋のユダヤ人ではなくなり、多くは異邦人の血の交ざっている混血の人々が多くなったと言われている。国の中央に生活する人々はこの地方の人々を軽蔑し「異邦人のガリラヤ」と呼んでいたようである。その言葉の背後の意味は「神から見捨てられた地方」ということである。主イエスは、神は、あえてこの地方を選ばれたのである。この神の選択に私達は新約聖書のメッセージを読み取る事ができる。私達を選び、ご自分の民とされた、ご自分の子とされる神の深い愛を見ることが出来る。

私達も又、イエス・キリストのあの弟子、ヨハネ、ペテロ、アンデレ、ヤコブたちと同じように神に用いられる器とされるのである。イエス・キリストは弟子を整えて、その宣教のわざに遣わされた。

人々が軽蔑した「異邦人のガリラヤ」出身の学歴も財産も無い弟子たちが、働き、子を生み出したのである。貧しい羊が多くの羊の子を産んだのである。主が私達羊に何を望んでおられるかを知り、その働き人の教会に成りたい。