マタイによる福音書4章18〜25節
説教: 五十嵐 誠 牧師
◆四人の漁師を弟子にする
4:18 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。4:19 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
4:20 二人はすぐに網を捨てて従った。4:21 そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。4:22 この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
◆おびただしい病人をいやす
4:23 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。
4:24 そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。
4:25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。
マタイによる福音書4章18〜25節
私たちの父なる神と主イエス・キリストから 恵みと平安が あるように アーメン
おおよそ30歳頃、イエはいよいよご自分の使命に進むこととなり、その準備の場面が今日の福音書です。イエスはガリラヤでの伝道を開始します。その準備とはご自分働きを助ける弟子を集めることでした。最初の弟子の召命がありました。召命とは、ある使命を果たすよう神から呼びかけられることを言います。イエスの弟子とはイエスと共に福音を述べ伝えるために呼ばれたものです。イエスは弟子たちと共に、各地に福音を伝えて歩かれました。それは福音書という書物に書かれています。
少し学問的なことを話します。新約聖書には四つの福音者があります。順番に、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネです。ふつう、最初の福音書はマルコといわれています。(AD70年)。私はそうは思いませんが、学者の一般的な意見です。福音書には「~~による福音書」と書いた人の名前がありますが、元々はなかったようです。後から付いたものです。ですから、著者について疑問視出来ますが、マルコの福音書は、昔からマルコが書いたと伝承されていますから、そう取ってもいいでしょう。マルコは伝説ではパウロやペトロと共に働いています。のちにペトロの通訳として働き、ペトロから聞いたイエスの言行を記憶する限り正しく書き記したので。彼はマルコの福音書の記者といわれています。(エウセビオス・教会史)。マタイは徴税人マタイ・・イエスに召された・・と言われています。ルカは医師ルカが、使徒言行録と共に書いたと言われています。ヨハネは最初の弟子ヨハネと言われています。異論がありますが、古くからの伝承です。
それぞれの福音書は、単にイエスの伝記(ただ、個人一生の事績を中心とした記録)を書こうというのではなく、確信を持って「イエスは神の子であり、キリストである」ということを伝えようとして書かれました。イエス・キリストはBC6年前後に生まれ、AD33年から32年の間に、エルサレムの西北のゴルゴダの丘で処刑・十字架刑・されたのですが、そのイエスを「救い主」として信じるという意味です。イエスこそがキリストであり、神の光と恵みとに満ちた方であるのです。「神の子」とか「キリスト」とはですが、これらの福音書を読んで行くと分かりますが、今は、イエスは「神から遣わされた決定的な人類の救い主」というくらいに理解しておきます。
イエスは「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われ」(マルコ1:15)て、伝道を始めています。「神の福音」ですが、神から、神についての「福音」です。「福音」とはギリシャ語で「エウアンゲリオン」ですが、英語ではGospel・Good News です。日本語では「良い知らせ・喜ばしいしらせ」です。この言葉は人々が戦争やマラソンの結果はいかにと待っているときに、「勝ったぞ!、優勝したぞ!」という喜びの知らせ、それが「福音」と言う意味です。福音書を書いた弟子たちは、イエスの喜びの知らせ、あるいは、イエスに関する本当の喜びの知らせを・・自分たちの見た、経験した喜びの知らせを書いたのです。
私たちは福音書を通してイエスを知り、見ることが出来ます。そのイエスは二千年前にローマ帝国の広大な支配の片隅・パレスチナで、当時の人々が持っていた問題と真っ向から向かい合っていた一人の人でした。貧し姿ですから、救い主という感じをしないようであったでしょう。しかし、イエスは多くの人々に救いの希望を与えましたが、最後には、弟子たちに裏切られ、死刑になったのです。
私たちはそのイエスを見つめていこうとしています。イエスを どんな目で見るかですが、イエスを過去の方・・二千年前に「神の喜びの言葉を語り、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、あらゆる病人をいやされた(マタ4:24)過去の偉大な宗教家・・と見ているわけではありません。イエスの出来事は「終わった出来事」ではないのです。イエスの言葉は過去のメッセージではないのです。
私たちはイエスを過去の方ではなく、今 私たちの中にイエスは生きていて、私たちに語りかけ、救いの手を差し出している神からの救い主として受け止めるのです。あのイエスが二千年前にガリラヤで語ったこと、イエスの周りに集まった人たちに起こったことが、今も、私たちに語られ、私たちの間で起こるのだということです。私たちは過去のイエスを喜んでいるのではなくて、今共にいるイエスを信じて喜びに満たされるのです。ペトロは「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています」。私たちも同じではないでしょうか。
私たちは偉大な哲学者や宗教家を知っています。その教えを、人生の導きとして多くの人が信じています。しかし、イエスがその人たち違う一点は、その人たちは死んだが、イエスは復活し、今も生きているということです。パウロは「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」(コリント15:3-5)と断言しています。福音とは「キリストが死んで、葬られたこと」です。また「キリストが復活した」ことが福音なのです。
教会はこの福音を伝えていますが、今日の福音書でも、イエスはご自分と共に神の招きを廣く伝えるために弟子を集めています。普通は12使徒がいます。弟子とは「わたしについて来なさい」イエスの言葉を受け入れた者です。そして。その役目は「人間をとる漁師に」なることです。「ガリラヤ湖のほとりを歩いているとき」とありますが、東北約22キロ、南北約18キロ相等の湖で、茨城の霞ヶ浦くらい。私は鹿嶋市に住んでいましたから、良く行きました。四季には色とりどりの花が咲いたそうです。「野の花を見よ」がイエスの言葉にあります。旧約聖書では「キンネレテ湖」といいました。
イエスはそこで、シモンとアンデレを弟子にしました。シモンは後に「ケファ」といわれましたが、「ケファ」とはアラム語(当時のヘブル語の方言)で「岩」です。で、シモンは「ペトロ」と呼ばれるようになりました。ペトロとはギリシャ語で「岩」を意味します。シモン、アンデレはギリシャ名ですが、当時の人はヘブ名とギリシャ名の二つ持っていたようです。仲間内ではヘブル名、公式にはギリシャ名と思います。次に、イエスはゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネを招きました。最初の二人も、後の二人も、「網を捨てて従った」、「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して・・イエスの後についていった」のです。生計の道である「網」を捨てて、あるいは「家族を残して・・」イエスについていった。イエスの最初の弟子は・・イエスの片腕として働いたのはガリラヤ湖の漁師でした。普通の人・・「無学で普通の人」(使徒言行録4:13)でした。優秀な人を選ばれたとは言えません。
彼らは声を掛けたイエスにすぐに従った・・ちょっと考えると、軽率な行動ともとられます。招いた人が悪人だったら大変です。オウム真理教では、多くの若い方が犠牲になりました。」ここでマタイが言いたいのは、弟子のあるべき姿です。弟子になるのは能力や資格は問題ではないのです。問題は声を掛けるのはイエスです。それにどう応えか、なのです。弟子とはイエスと共に歩き、生きて、神の国の現実の様を示すものです。彼らは、確かに初めはイエスを落胆させた弟子でしたが、後に、イエスのために命を捧げる者になりました。神の聖霊の助けで使命を果たしましたが、彼らの多くは殉教しました。(殉教とは自分の信ずる宗教のために命を捨てることです)。
12使徒の名前を記しておきます。マルコ、マタイとルカにあります。*「そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。シモンにはペトロという名を付けられた。ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである」。(マルコ13:13-19)。*ルカ「朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、ヤコブの子ユダ、それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである」。(マタイ6:13-16)。
現在は牧師が使徒の働きを受け継いでいます。今は人手不足です。そして、優秀な牧師をという声があります。いい説教をし、いい牧会をして欲しいと会員は願います。だいぶ前に、「教会だより」に匿名の投書が載っていました。説教で教会の批判をし、文句をいわない教会に行きたいといい、また、会員を攻撃する説教をする牧師がいました。その投書をした方は「心にしみる説教を!」と言いました。それへの反応がありません。しーんとしています。私は読んで、このような牧師がいたことに複雑な気になりました。牧師は説教壇を降りるとき、貧しい内容だと感じることが多いです。勉強不足を思います。でも、精一杯語るので聖霊の働きを祈るのです。会員から今日の説教は「よかったです」と聞くと元気になります。この投書とは別ですが、牧師はなかなか批判・意見・・教会や会員への・・は言えないのです。言うことで対立が生じ、牧師が辞めるか、会員が出ていくで、決着します。そして教会はさらに小さくなります。牧師の経験です。
あの投書では牧師と会員がお互いにきつく批判し合っているようです。普段でも牧師にきつい言葉を掛けていると思います。お互いに気にくわないでしょうか。肌が合わないとか気が合わない人がいるものです。意外と会員は・・役員とか有力者は牧師を厳しく批判します。牧師は反論し難い点あります。ある時期はそうかも知れませんが、その後はお互いに話し合って行くとき、教会は成長します。全部牧師任せはいいようですが、感心しません。教会に制度があるのは・・牧師、役員などが・・あるのは、教会が正しく運営されて、聖霊がその人々を通じて働くためなのです。牧師も役員も、神様の働きを妨げる、下手な牧会や教会運営をしない限り、教会は成長していきます。 最近は信徒の方が勉強します。神学書など読んでいますから、不勉強な牧師の説教は聞くに堪えないものになります。ですから、もっとよい説教を願うのです。牧師はそれに応えて、勉強をすべきです。そういう私も恥ずかしいですが。
イエスが選んだ弟子たちは、本当にイエスを理解し、世界に福音を伝えるようになったのは、イエスの復活の後、イエスが弟子たちに現れた時からです。弟子たちはそれまでは恐れと不安に落ち、自己嫌悪に・・イエスを裏切ったという・・ありました。しかし、復活したイエスが弟子たちに前に現れたとき、彼らはイエスに愛の眼差しと赦しの心を知ったのです。復活後のイエスが弟子たちとともにいるとき、イエスの厳しい叱責の言葉でなく、愛の眼差しと赦しの眼差しを感じます。弟子たちはそれ触れ、回心し、キリストのために、立ち上がり、主のために生きる決心をしたと思います。彼らは自分の生涯をイエスの福音のために捧げたと考えても間違いでないと思います。
私たちはかって「私に従ってきなさい」というイエスの声を聞いて、従ってきました。50年、60年、あるいは数年か数十年ですが、その間私たちは決して平坦な信仰生活でなかったと思います。ある方がいいました。人間には三つの坂があると。「上り坂」「下り坂」そして、「まさか」という「坂」だと。振り返ると分かるような気がします。しかし、にもかかわらず、今も主と共にあると言うことは、私たちが主の愛と赦しの眼差しを見て来たからではないかと思います。至らぬ弟子ですが、イエスは見放すことなく、愛の目で見守ってくださるのです。だから私たちはそこから立ち上がることが出来るのではないでしょうか。私たちが変わっても、「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」。(ヘブル13:8)。そのイエスを見上げて生きたいと思います。
アーメン