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2012年12月9日 待降節第2主日 「洗礼者ヨハネ」

ルカによる福音書3章1〜6節
高野 公雄 牧師

皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。

「荒れ野で叫ぶ者の声がする。

『主の道を整え、

その道筋をまっすぐにせよ。

谷はすべて埋められ、

山と丘はみな低くされる。

曲がった道はまっすぐに、

でこぼこの道は平らになり、

人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

ルカによる福音書3章1~6節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

ルカ3章には、洗礼者ヨハネの活動とイエスさまがヨハネから洗礼を受ける出来事が書かれています。きょうの福音はそのうちのヨハネの活動の部分だけが選らばれていますが、著者ルカはヨハネの活動自体に関心があるのではなく、それがイエスさまの活動の始まりだから報告しているのです。つまり、待降節の二週目を迎えて、教会はイエスさまの公生涯 public ministry の始まりを学ぶことで、イエスさまを迎える心備えをするのです。

《皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、・・》

イエスさまが公の活動を始めたのは「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」のことでした。ティベリウスはローマ帝国の二代目の皇帝です。養父である初代皇帝アウグストゥスの死を受けて、紀元14年に即位しましたから、イエスさまは紀元28年か29年に活動を始めたことになります。

アウグストゥスについては、ルカ2章1に《皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た》と出てきます。イエスさまがユダヤのベツレヘムで生まれたのは、住民登録をするための旅先の出来事でした。

イエスさまがガリラヤで活動を始めたとき、《ヘロデ・アンティパスがガリラヤの領主》でした。このヘロデはガリラヤ湖畔にガリラヤの首都をローマ風に建築し、ティベリアと名付けました。ときの皇帝に敬意を表すためです。イエスさまはこの都市を好まなかったのでしょうか、福音書にはこの町に入った記事がありません。このヘロデはヨハネの首を刎ね、イエスさまの裁判に立ち合いました。

ヘロデ・アンティパス《の兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主》とあります。ガリラヤ湖の東側とその北の地域です。このフィリポも自分の領地の首都を建てて、「カイサリア」と名付けました。これもカイサル・ティベリウスにちなんだ命名です。聖書では、地中海岸の港町カイサリアと区別して、この町をフィリポ・カイサリアと呼んでいます。この町は、イエスさまが訪れた最北の地として聖書に出て来ます。

ユダヤ教の中心であるエルサレム神殿のあるユダヤは、ローマの貴族ポンテオ・ピラトが総督として派遣され(在任:26年~36年)、普段は地中海岸のカイサリアの官邸に常駐していましたが、必要とあればエルサレム城内の官邸に出張して監督していました。イエスさまはその官邸の庭で裁かれました。

このように、ユダヤ人領主たちはローマの圧倒的な支配の下にありましたし、人々は圧政に喘ぎ、人頭税反対の運動も起こりました。ローマ支配から脱するために、メシア待望の熱気も高まっていました。ちなみに、《皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい》(ルカ20章20~26)の言葉で有名な、ローマ帝国に支払う人頭税の納税問答に出てくるデナリオン銀貨には、このティベリウス皇帝の肖像と銘が描かれていました。そして、イエスさまが十字架刑に処せられたのは、この皇帝への反逆罪という罪状によってでした。

《神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。》

このような時代に「神の言葉が・・ヨハネに降」りました。この表現は、預言者が神に召し出されるときの常套句です。旧約聖書の最後は「マラキ書」ですが、そのマラキが預言した後、四百年間、預言は絶えていました。ヨハネは四百年ぶりに現われた預言者ですが、その出現はマラキが預言していました。それがきょうの旧約の日課に選ばれています。

《見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は、突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者。見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。彼は精錬する者、銀を清める者として座し、レビの子らを清め、金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を正しくささげる者となるためである。》(マラキ書 3章1~3)

神が語りかけたとき、ヨハネは荒れ野で修業していたのでしょう。神の言葉を受けると、ヨルダン川に沿った地方に行って、宣教活動を始めました。宣教の中味は、次のようなものでした。「メシアの来る日は近い。その日に備えて、悔い改めよ、つまり神に立ち返って神の赦しを得よ。立ち返りのしるしとして、洗礼を受けて身を清め、律法に忠実に従え」。

《これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」》

福音書では、メシア到来への期待を語る洗礼者ヨハネが、旧約時代のバビロン捕囚の解放への期待を語ったイザヤに重ね合わせて紹介されます。カギカッコ内はイザヤ書からの引用ですが、イザヤ書ではその前に、神の恵み深い語りかけが声高らかに告げられています。《慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ、苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを、主の御手から受けた、と。》(イザヤ40章1~2)人々は補囚の苦しみを通して傲慢な自分たちを知り、神に立ち返る生き方によってその罪は償われた、というお告げです。そして、「荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整え・・」と引用された部分に続きます。神はみ力を振るい、思い上がる者を引き降ろし、低い者を高く上げてくださる。そのようにして神とつながる道が整えられ、世々の人々が神の救いを見る、と良き知らせが告げられます。

きょう交唱した賛美唱も、この神の救いへの期待を歌うものでした。

《主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて、わたしたちは夢を見ている人のようになった。そのときには、わたしたちの口に笑いが、舌に喜びの歌が満ちる。そのときには、国々も言う、「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた。」主よ、わたしたちのために、大きな業を成し遂げてください。わたしたちは喜び歌います。主よ、ネゲブに川の流れを導くように、わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。・・》(詩編126編)

洗礼者ヨハネはイエスさまの先駆けとして、神の救いの良き知らせをもたらす方です。その役割について、天使ガブリエルは父ザカリアにヨハネ誕生を予告して、こう告げています。

《恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。》(ルカ1章13~17)

父ザカリアもまたヨハネ誕生に際して、このように預言して歌っていました。

《幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを、知らせるからである。これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。》(ルカ1章76~79)

神は洗礼者ヨハネによって、み子イエスさまの来臨を告げ、その道を備えられました。私たちがその知らせに耳を傾けて、神のみ心を悟り、イエスさまと共にこの世を歩みつつ、この良き知らせを周囲の人々に語り伝え、また、クリスマスの祝いに備えることができますように。

きょうの第二朗読でパウロが祈る執り成しの祈りに心を合わせて、私たち自身の祈りとしてささげたいと思います。

《わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。》(フィリピ1章9~11)

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年12月2日 待降節第1主日 「エルサレム入城」

ルカによる福音書19章28〜40節
高野 公雄 牧師

イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。二人は、「主がお入り用なのです」と言った。そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。

イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。

「主の名によって来られる方、王に、
祝福があるように。天には平和、
いと高きところには栄光。」

すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」

ルカによる福音書19章28~40節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン
きょうから教会の暦が新しくなり、待降節つまりイエスさまの降臨を備えて待つ季節を迎えました。この季節は英語でアドヴェント Advent と言いますが、ラテン語の「到着する」とか「現れる」という意味の言葉が元になっています。

きょうの福音は、イエスさまが都エルサレムに到着したときの話です。弟子たちがどう振る舞ったか、当時の指導者層の人たちがどのように迎えたかを読むことをとおして、そこから私たちがイエスさまを迎える心構えを学びたいと思います。

《イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた》。

イエスさまのエルサレムへの旅の始まりは、9章51に、《イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた》と記されていました。そして、きょうの個所に来て、長い旅のあと、いまやっとエルサレムに到着されました。イエスさまはこの旅がご自分の死に繋がることを予感して、弟子たちに予告していました。《人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている》(9章22)。たとえ死に繋がる道であっても、それが神に従う道であると確信して歩みを進めます。イエスさまはこうも言います。《だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ》(13章33)。

しかし、弟子たちの側では、エルサレム行の意味がよく分かっていませんでした。19章11に、《人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである》とあるように、当時、人々の間に政治的、軍事的なメシアへの期待が高まっていました。弟子たちもそうしたメシア理解から脱皮できていません。

《そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき・・》。

ベトファゲもベタニアもオリーブ山の南の裾野にある村で、ベタニアはエルサレムから約3KMの位置にあり、ベトファゲはベタニアとエルサレムの中間にある村だそうです。

ここでは「オリーブ畑と呼ばれる山」と書かれていますが、ふつうはもっと短く「オリーブ山」と呼ばれています。この山はキドロンの谷をはさんで「神殿の丘」の東に位置しています。都の住民にとっては、朝日はオリーブ山から現れます。それで、メシアはオリーブ山に現れるとも、イエスさまはオリーブ山から昇天したとも言われます。《その日、主は御足をもって、エルサレムの東にある、オリーブ山の上に立たれる》(ゼカリヤ14章4)。また、《イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた》(24章50~51)。

《・・ベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい」》。

イエスさま一行のガリラヤ地方からの長い旅も終わりに近づき、いよいよオリーブ山から都エルサレムに向かって進む時が来ました。そこでイエスさまは、弟子たちに村人から「まだだれも乗ったことのない子ろば」を借りてくるように言いつけ、その借り方まで教えます。

《使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。二人は、「主がお入り用なのです」と言った。そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた》。

すでに段取りがつけてあったのでしょうか。不思議なことに、イエスさまが言ったとおりのことが起こり、弟子たちは容易に子ろばを引いて来ることができました。そして、ろばの背に自分の服をかけて、イエスさまをお乗せします。王をろばに乗せることは、故事に由来しています。《王は言った。「お前たちは主君の家臣を率いて、わが子ソロモンをわたしのらばに乗せ、ギホンに下らせよ。祭司ツァドクと預言者ナタンは、そこでソロモンに油を注いで、イスラエルの上に立つ王とせよ。角笛を吹いて『ソロモン王、万歳』と叫び・・」》(列王上1章33)。王の進む道に上着を敷いたことも書かれています。《彼らはおのおの急いで上着を脱ぎ、階段の上にいた彼の足もとに敷き、角笛を吹いて、「イエフが王になった」と宣言した》(列王下9章13)。

しかし、イエスさまは平和のメシアであって、人々が期待するような政治的、軍事的なメシアではありません。乗り物が軍馬でなく、子ろばであることがそれを現わしているのです。《娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って。わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ》(ゼカリヤ9章9~10)。

《イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光」》。

こうしてオリーブ山を登りつめると、向かい側に神殿と都の街並みが見えてきます。弟子たちは期待と喜びに満たされて、賛美の声を上げます。この弟子たちの賛美を私たちもまた聖餐式の際にいつも歌っています。聖餐設定の言葉を聞く前に、サンクトゥスに続けて歌うベネディクトゥスがそれです。「主のみ名によって来られる方をたたえよ。天にはホサナ」。

また、この弟子たちの賛歌は、ベツレヘムの夜空に現われた天使たちの歌声とそっくりです。《すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」》(2章13~14)。昔、天使たちが羊飼いに告げた喜びのおとずれを、今や弟子たちがすべての人々に告げているのです。

《すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす」》。

弟子たちが賛歌をうたっているさなかに、イエスさまは前方の都を見て、泣いて語りかけます。《エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」》(19章41~44)。

この柔和な王イエスさまの到来をエルサレムは歓迎しません。それどころか、数日の後には十字架に付けて殺してしまいます。イエスさまは自分が殺されることよりも、そのことがエルサレムの崩壊を招くことを嘆くのです。イエスさまの平和の勧告を拒否して戦争に突き進んだイスラエルは、紀元70年に都の陥落と神殿の崩壊をもたらすことになります。壮麗な神殿を築いていた石が、今はがれきの山となって、イスラエルの不信仰の罪を、そして弟子たちの賛美と証しが真実であることを叫んでいるのです。《エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない」》(ルカ13章34~35)。

イエスさまを救い主と信じる者の群れである私たちは、この賛歌をうたいつつ主の福音をこの世に証しする務めを負っています。私たちは弱く貧しい者でありますが、あの子ろばのように、「主がお入り用なのです」というみ言葉によって招かれ、イエスさまのご用にあずかれる光栄に感謝して応えていく者でありたい。そして、あの子ろばが味わったであろう喜びと感動を自分のものにしたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年5月20日 昇天主日 「キリストの昇天」

ルカによる福音書24章44〜53節
説教:高野 公雄 牧師

こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された》(使徒言行録1章3)。

先ほど読んでいただいた第一日課に,こうありました。十字架の死から復活されたイエスさまは、さまざまな機会に復活の姿を弟子たちに現されましたが、40日の後には天に昇って、弟子たちがふたたびイエスさまの姿を見ることはありませんでした。この記事にもとづいて、キリスト教会では復活祭の40日後に昇天を祝うようになりました。

今年はそれが先週の木曜日だったのですが、ちょうどカトリナ会の例会にあたりましたので、この聖書個所を学びました。しかし、キリスト教の歴史の浅いところでは、ウィークデイに集まることが難しいので、それを日曜日に移して記念しています。今日がその日で、教会の暦では復活後第六主日を昇天主日として祝います。

ところで、ルカ福音書と使徒言行録は、どちらもルカによって一続きの物語として書かれたもので、福音書はその前編、使徒言行録はその後編です。そして、きょうの福音を読むかぎりでは、イエスさまは復活したその日のうちに、弟子たちにご自身を現わされ、伝道の務めを与え、昇天されたように読めます。ところが、使徒言行録では、それは40日後の出来事であったと書かれており、同じ著者の本なのにくいちがっています。

これを学者たちは、こう説明しています。ルカ福音24章は、復活祭の日に読まれることを意図して、復活の出来事を短くまとめて書いたのだ、と。

また、使徒言行録にある40日ということについても、40は文字通りの意味で使われているのではなく、聖書によく出てくる象徴的数字であって、必要十分な長さを意味している、とされています。ノアの40日40夜の大雨、あと40日すると都は滅びるというヨナの預言、イエスさまの荒れ野の40日間の試練などの40も同じ使い方です。

また、昇天の場所についてもルカ福音24章50では《ベタニアのあたり》とあり、使徒言行録1章12では《「オリーブ畑」と呼ばれる山》とあって、違っていますが、ベタニア村はオリーブ山の麓にあるので、これはくいちがいとは言えません。

さらに私たちを戸惑わせるのは、復活したイエスさまの手足を弟子たちが見たとか、見ているうちに天に上げられたとかという古い時代の信じがたい描写です。こうした記事の読み方にも触れておきましょう。「天」は、人の目で見ることのできない、神の世界を指しています。弟子たちの信仰によれば、復活したイエスさまは天に上げられ、神の右の座を与えられました。イエスさまは世を裁く神の権能を与えられた神と等しい者とされたのです。つまり、復活といい昇天といい、本来は人の目で見ることも、人の言葉で語ることもできない神の柲義です。それでも、何とかしてそのことを人に伝えたいわけで、それを聖書は伝統的に生き生きした物語の形式で語ってきました。それはどの時代の人にとっても作り話に思え、つまづきのもとになるのですが、だからと言って、人は現代的、科学的に神の柲義を表現できる訳ではありません。神を求める人が、その神話的童話的な外観を乗り越えて神の真実に触れることができるよう聖霊の導きを願わずにはいられません。

《そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」である」》。

イエスさまが言われたように、聖書に書かれたことを悟るためには、復活のイエスさまが、または聖霊が私たちの心の目を開いてくださることが必要なのです。

ルカは、前編のルカ福音でもってイエスさまの活動を描き、後編の使徒言行録でイエスさまの弟子、使徒たちの活動を描いています。その繋ぎの部分を、きょう私たちはルカ福音側と使徒言行録側の両方で読みました。それがイエスさまの昇天の記事です。その記事は、イエスさまが復活して天に上げられたこと、神の全権を譲られた王の王、主の主となられたこと、そして弟子たちに世界への伝道を委ねられたこと、弟子たちに力つまり聖霊を注がれることを約束されたことを含んでいます。きょうの福音の結びも、このことを表わしています。

《イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた》。

ここで「イエスを伏し拝んだ」とは、イエスさまを神として礼拝したことを意味しています。

よく指摘されることですが、イエスさまの処刑のときには人々を恐れてひっそりと家に閉じこもっていた弟子たちが、復活と昇天と聖霊降臨の後には、非常に大胆に全世界へ出ていって福音を宣べ伝える者へと変えられました。この一大転換のナゾを解くカギが、キリストの昇天です。昇天とは、今度こそ本当に弟子たちの心の目が開かれて、イエスさまが死から復活して神の右の座へと高く挙げられた方であることを悟り、イエスさまが万物の主であることを確信したことなのです。弟子たちの宣教活動はこの覚醒と確信にもとづくものです。その意味で昇天を祝うことは、キリストを王の王として祝うことであり、それは同時にキリスト教宣教の始まりを祝うことなのです。

キリストの昇天は、もうひとつ大事なことを表わしています。イエスさまが復活して神のもとへと招き入れられたのは、私たちの初穂ないしは初子としてであるということです。キリストのとりなしのおかげで、そしてキリストにならって、私たちも神の家族ないしは子どもとして、受け入れられるということを示しています。私たちがこの世の生を終えた後、復活して神のみ国に迎え入れられるということもまた、神の領域のことであり、人は物語のようにでしか語れないことです。それは信仰のつまずきにもなりますが、また信仰の伝達として避けられない方法でもあります。

きょうの礼拝の始めに、私たちはこう祈りました。「天に上げられた御独り子の執り成しによって、私たちをみ前で永遠に生きる者としてください」、と。

私たちのふるさとは神の国にあり、私たちは神の国を目指して歩んでいる旅人であり、この世にあっては寄留者です。この世における人生の一足一足が永遠の神の国へとつながっていることを、またキリストが共に歩んでくださっていることを覚え、キリストの心を心として、主と隣人に仕えてまいりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2013年3月3日 四旬節第3主日 「悔い改めか滅びか」

ルカによる福音書13章1〜9節
高野 公雄 牧師

ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」

ルカによる福音書13章1~9節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

《ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。》

ピラトは、ローマ帝国皇帝ティベリウスによってユダヤの総督として任命され、派遣されたローマ人貴族で、イエスさまに十字架刑を言い渡したことで、使徒信条に「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と、ニケア信条に「ポンテオ・ピラトのもとで私たちのために十字架につけられ」と、その名を残しています。ピラトの統治の仕方が残忍であったことは有名で、その統治に抵抗するユダヤ人が殺されることはよくあったのですが、今回のガリラヤ人グループの事件は特別でした。彼らはただ殺されただけではなく、その血が犠牲動物の血とともに祭壇に注がれたというのです。

このような惨事を私たちはどう考えるべきでしょうか。まず第一に、これはピラトの非道を責めるべきでしょう。私たち自身が殺されることだってありえるのです。ところが、人々はかえって、ガリラヤ人たちがそれに値する悪事をしているのに違いない、「自業自得」なのだ、自分たちはそんな目に遭うはずはない、と死者にむち打つことで自分の不安を打ち消そうとします。「自業自得」とは、自分の行いの報いを自分が受けなければならないという意味の言葉です。同じ意味合いで、「因果応報」とも言います。人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあることを言います。しかし、イエスさまは、ガリラヤ人たちが遭遇した災難は、彼らが悪かったからではない、決してそうではない、とはっきりと否定します。

《また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。》

エルサレムはシオンの丘の上に建つ城壁に囲まれた堅固な町ですが、有事に備えて城壁の中まで地下水道で水が引かれました。それがシロアムの池です。シロアムとは城壁内の南東部の地名です。イエスさまがそこで生まれつき目の見えない人を癒した話がヨハネ福音9章に書かれています。シロアムの池の水は、東の城壁の外のキドロンの谷にあるギホンの泉から地下の水道トンネルによって引かれていました。エルサレム住民にとって水は非常に大切なものですから、池には見張りの塔が建っていたようです。その塔が倒れる事故で18人の命が失われました。彼らは水道トンネルの拡張工事をしていたのであろうと言われています。この事件についても、イエスさまは犠牲者の死は彼らの罪深さゆえの自業自得であるという考えに、「決してそうではない」と強く否定しています。

《言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。》

ピラトの事件も、塔の事故も、自己責任という言葉で片付けることはできません。イエスさまは繰り返して、「決してそうではない」と言っています。ヨハネ9章3に、《本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである》とあったように、不幸に見舞われた人が神の恵みに浴することができるように、私たちは福音の証し人として、また良き隣人として奉仕する課題が示されていると受けとめるべきでしょう。

「あなたがたも悔い改めなければ」という文は、犠牲者たちは悔い改め(神への立ち帰り、回心)がなかったから死んだ、だから、あなたがたも悔い改めなければ同じような目に遭うと読んでしまいそうです。しかし、イエスさまはそういう考え方を明確に否定しています。イエスさまはこの文で、犠牲者の罪深さとは関係なく、「あなたがたは悔い改めなければ、皆同じように滅びる」と、私たち自身の神への立ち帰り、回心を呼びかけているのです。他人の問題ではなく、私たち自身が問題なのです。また、「滅びる」は、個々人の死よりも、もっと大きな滅びを意味していますが、不幸なことに、この預言は実現してしまいます。紀元70年にエルサレム神殿はローマ軍の攻撃によって崩壊し、ユダヤ人国家は消失してしまいました。著者のルカは、このことはユダヤ人が神に立ち帰らなかった、イエスさまを信じなかった罪の結果として起こったことと考えたようです。

このように、イエスさまは悲惨な出来事の報に接して、それを回心の機会としてとらえよ、と人々に回心を呼びかけています。しかし、問題は、悔い改め、回心を促す方法です。イエスさまが証ししている神は、人に罰を下して、それによって回心を促す、あたかもしごきとか体罰によって鍛えるかのような方法はとりません。そうではなくて、イエスさまは、人々の罪をあがなうご自分のわざを通して一人ひとりに対する神の愛、神の信実を人々に示し、その神の愛、神の信実の力によって人々の心がひるがえるのを促す、そういう仕方をとります。きょうの福音の後半は、このことを「実をのならないいちじくの木」のたとえ話によって強調しています。

《そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」》

ぶどうといちじくは、オリーブとデーツ(なつめやしの実)とともにパレスチナ地方の代表的な産物です。ぶどう畑の隅にいちじくの木を植えることはよくあったようです。畑の主人は三年間待っても実をつけないいちじくを切り倒せと園丁に命じます。しかし園丁は「今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません」と答えます。園丁は最後に「もしそれでもだめなら、切り倒してください」と言っていますが、これは文字通りの意味にとる必要はなく、待ってやってほしいという願いの篤さを強調する表現と受け取ってよいと思います。

この園丁の態度は何を意味しているでしょうか。洗礼者ヨハネの説教にも同じ比喩を使った言葉があります。《悔い改めにふさわしい実を結べ。「我々の父はアブラハムだ」などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる》(ルカ3章8~9)。神に立ち帰り、神の子にふさわしい生活を取り戻しなさい、いまが最後のチャンスだと言っているようです。そして悔い改めに導く方法が、イエスさまのたとえでは、園丁が木の周りを掘って肥しをやってみたいという主人にたいする執り成しです。園丁のこの木への奉仕、それはイエスさまの人々に仕える地上の生活、とくにも罪人をあがなう行為としての十字架上の苦難を表わすものです。斧による裁きが実を結ばない私たちの上に降らず、私たちの裁きが免除されるために、良い園丁であるイエスさまはご自分が斧の裁きを受けたのです。実を結ぶように私たちに施される肥しは、イエスさまの御体と御血にほかなりません。《神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである》(ヨハネ3章16~17)。

私たち一人ひとりに対するイエスさまの深く大きな愛、それは人間に対する神の信実を表わしています。神さまのこの篤い思いに促されて、私たちは神に立ち帰り、神の子としてふさわしく、神を敬い、隣人に奉仕する生活へと成長させていただけるように、イエスさまの心を私たちのうちに注入してくださるように、神に祈りましょう。

「神よ、私のために・・」と毎週うたう奉献唱の言葉を思い出します。《神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。御前からわたしを退けず、あなたの聖なる霊を取り上げないでください。御救いの喜びを再びわたしに味わわせ、自由の霊によって支えてください》(詩編51編12~14)。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。