復活したイエスキリストの昇天を記念し祝う日です。復活祭(イースター)から40日目にまいります。
ですから、復活祭から40日目の昇天日は木曜日となります。多くのキリスト教圏の国ではこの日に昇天礼拝を守り、またある国では教会の鐘を鳴らして、街中にキリストの昇天の出来事を知らせ、お祝いするそうです。日本の教会では平日に礼拝を守ることが困難なので、次の週の日曜日に昇天礼拝(昇天主日)を守る教会もあります。
復活後のキリストが40日にわたって、弟子たちの前に姿を現した聖書の記述から(使徒1:3)、昇天日は復活から40日目とされましたが、元々この昇天日は50日目の聖霊降臨(ペンテコステ)といっしょに記念し、守られていました。それは、復活から始まって昇天と聖霊降臨の意図することが別々のことではなく、ひとつのまとまりであり、結ばれていると理解できるからでしょう。
天に上げられる直前、復活したキリストは弟子たちに復活の証人として、地の果に至るまで全世界に福音を宣べ伝えよと言われ(マタイ28:19、マルコ16:15、使徒1:8)、その宣教の業は彼らに聖霊が下って力を得ることによって、実現されていくという約束をされました(ルカ24:49、使徒1:8)。その直後に、キリストは弟子たちを祝福しながら天に上げられていき、弟子たちの前から姿が見えなくなりました(ルカ24:50~51、使徒1:9)。聖霊降臨はこの10日後に起こりますが、それは昇天に際してのキリストの約束が実現したとことのしるしであり、この聖霊の力において、弟子たち(教会)による世界宣教への委託が明確になったことでもありました。ですから、キリストの昇天は、教会がこの世における宣教の使命を自覚させられたことであり、それは聖霊降臨によって実現するというところにまで結びついているのです。
二ケア信条、使徒信条では、天に上ったキリストが神の右の座につくということが告白されています。神の右の座というのは、神に一番近い場所を意味します。それは、昇天したキリストこそが天の代理人であり、全世界の主権者であるということが言われているのです。教会はこのキリストを頭とし、またキリストの体として、単なる建物や場所を現すものではなく、キリストの支配に満ちている場であります(エフェソ1:20~23)。
キリストの昇天後、天を見つめていた弟子たちの傍に天の御使いが現れて、彼らにキリストが再びこの地上に来られることを約束します(使徒1:10~11)。それは地上における神の国(神の支配)の完成であり、すなわち救いの完成を意味するのです。
教会の宣教は復活の証人としてこのキリストを宣べ伝え、神の国を求めて歩みつつ、いずれ天から再び来られるキリストに希望を抱いて後の時代にも引き継がれていくのです。