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使徒アンデレの日

シモン・ペトロの兄弟であるアンデレは、ベトサイダの出身で、ペトロと共にゲネサレト湖で漁師として暮らしていました。ペトロと同じように、ゲネサレト湖で漁をしているときに、通りかかったイエスから召しを受けて、ペトロと共に最初のイエスの弟子となりました(マタイ4:18、マルコ1:16)。ヨハネによる福音書では、最初彼は洗礼者ヨハネの弟子でした。ヨハネはイエスのことを「見よ、神の小羊だ」(ヨハネ1:36)と言い、それを聞いたアンデレはイエスに従い、そして兄弟のペトロをイエスに紹介しました(ヨハネ1:40、44)。

アンデレは地味に気を配り、注意もよく行き届くといった性格の人物だと言われています。ペトロをイエスに紹介し、5千人に食べ物を与える話しの中で、群衆の食事のために配慮し、(ヨハネ6:8)、十字架の前に、ギリシア人の求めに応じて、フィリポと共にイエスにその旨を伝えました(ヨハネ12:22)。

イエスの十字架の後、12使徒の一人として、彼らと行動と共にし、教会を支えました。伝承によれば、彼は黒海の南の地方に行って宣教し、またギリシア本土でも宣教して、パトラスという地でX型の十字架に磔になって、殉教の死を遂げたと言われています。

祝祭日はこの殉教した日である11月30日(60年頃)で、後年彼の遺骨はコンスタンティノポリスに移され、そこに埋葬されました。1204年(または1208年)十字軍によって彼の聖遺物はアマルフィに移されますが、1964年にパトラスの教会に返されました。ローマでは彼のために5世紀頃に教会を献堂したと言います。また彼はコンスタンティノポリスおよびスコットランドの守護聖人に選ばれ、人々から崇敬されています。

使徒シモンとユダの日

 12使徒の一人であるシモンは熱心党のシモンと呼ばれています(マタイ10:4、マルコ3:18、ルカ6:15)。この熱心党はギリシア語を音写して「ゼロテ党」とも呼ばれています。熱心党は紀元6年、ローテ帝国の総督クレニオの住民登録に反逆して暴動を起こしたガリラヤのユダによって創設された国粋的団体です(使徒5:37)。イスラエルを支配する外国の権威を否定排除し、イスラエルの独立を目指して熱心に活動し、その熱心さは暴力行為にさえ訴えることを辞さない過激な集団でした。また、ローマ帝国に癒着していたユダヤ内部の権力者層に対しても、戦い続けた団体でした。この団体はガリラヤを拠点に活動し、イエスと出会う前の弟子のシモンはこの熱心等の党員として活動していました。紀元66年にユダヤがローマに対して反乱を起こし、70年に鎮圧されたのと同時に、この熱心党も消滅したと言われています。シモンは聖書の中に名前のみが記されているだけで、具体的な活動は記されていません。伝承では、ユダ(タダイ)と共に、エジプトとペルシアで宣教し、ペルシアで殉教したと言われています。殉教の際に、彼は十字架につけられて死んだという説と、のこぎで体を真っ二つにされて死んだという説があります。そのため、彼の標章にはのこぎりが描かれています。

 同じく12使徒の一人であるユダはマタイとマルコによる福音書ではタダイと呼ばれ(マタイ10:3、マルコ3:18)、ヨハネによる福音書ではイスカリオテでない方のユダと呼ばれています(ヨハネ14:22)。また、イエスの兄弟であるユダとも別人であると言われています。ユダもシモンと同じく、名前以外のことは詳しく描かれていませんが、シモンと行動を共にし、ペルシアで殉教したと言われています。後代、彼は絶望のうちにある人々のための力強い執り成し手として、人々から守護聖人として崇められたと言われています。

 シモンとユダの祝祭日は10月28日で、わりと後世になってから、崇敬されたと言われています。また二人は同地で同じ日に殉教したと言われています。

ミカエルと天使の日

 天使は神のみ使い(使者)として聖書に登場します。その中でも、ミカエル、ガブリエル、ラファエルは大天使として知られ、ミカエルはユダヤ教、キリスト教の両宗教から特に讃えられている天使です。

 旧約聖書ダニエル書に、ダニエルが見た幻(神の言葉がが啓示されている時)の中に、ペルシア、ギリシアの守護天使に対抗して、イスラエルの守護天使とミカエルが登場します(ダニエル10:13、21、12:1)。ダニエル書はバビロン捕囚によって祖国から異郷の地に連れてこられたイスラエルの民の迫害と苦難を描いています。その最中にあって、幻を通してダニエルに語りかける神の言葉は、ダニエルたち神の民を見捨てず、神が彼らを助け、養い、力強く導いていくという励ましと希望を与えます。ミカエルは異教の脅威から神の民を助けるために、彼らに代わって戦ってくれる天使として描かれています。

 新約聖書には神の言葉を告知する天使ガブリエルが啓示の天使として登場しますが、ミカエルは戦う天使としてヨハネの黙示録の中で、神に敵対する勢力(サタン)との闘争における神の勢力を代表しているように描かれています。

 492年5月8日、南イタリアのモンテ・カルガノ山で大天使ミカエルが顕現したと言われる人々の証言によって、ミカエルへの崇敬が人々の間で強められていったと言われています。その後も、各地でミカエルの顕現を目撃した証言者が数多く登場し、5月8日を「天使ミカエルの顕現祝日」として守られていました。

 現在、ミカエル、ガブリエル、ラファエルの天使の祝祭日は9月29日に定められています。その中でもミカエルは神に敵対する悪しき勢力に対抗し、戦う天使として覚えられ、また人々の生活を守る守護天使として讃えられてきました。西方キリスト教世界では、「天の軍勢の長」またキリスト教徒や兵士たちからは自分たちの保護者として讃えられ、ローマの教会の守護天使として、またドイツ神聖ローマ帝国の守護聖人でもありました。

福音書記者・使徒マタイの日

イエスの12使徒の一人であるマタイ(アルファイの子レビ)とマタイによる福音書の著者であるマタイは別人とされていますが、祝祭日は9月21日で統一されています。

使徒マタイは、マルコとルカによる福音書ではアルファイの子レビという名前で登場し、解釈の違いはありますが、マタイと同一人物だと言われています。彼はガリラヤの町カファルナウムの徴税人でした。当時イスラエルはローマ帝国に支配されていて、国民の税金はローマ帝国に搾取されていました。徴税人はローマ帝国の税金取立ての請負人であり、またローマ帝国に納める金額以上に、できるかぎりお金をしぼり集め、余分の金を自分のもうけとしていたと言われています。そのため、罪人と同じように人々から忌み嫌われ、交流を絶たれていました(マタイ9:10~13、21:31、ルカ18:9~14)。

ある日、収税所に座っているマタイを見かけたイエスは彼に「わたしに従いなさい」と声をかけました。すると、彼はすぐに立ち上がってイエスに従いました。その後、イエスはマタイを含む徴税人たちと食事を共にし、「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」と言って、徴税人たちの友として彼らと交流をもち、神の愛を伝えました(マタイ9:9~13)。

イエスの昇天後、マタイは使徒たちと共に宣教して教会を支え、自身はペルシアやエチオピアに行って、宣教したと言われています。彼の聖遺物はサレルノ(現在のイタリア)に移され、教皇グレゴリウス7世は1084年にそこにマタイの教会を建てました。

記者のマタイの生涯はあまり知られていませんが、彼はギリシア語を話すユダヤ人であったと言われています。シリアに住み、そこでおよそ紀元75年から85年にかけて福音書を書いたとも言われています。