2012年2月12日 顕現節第6主日 「癒しと赦し」

マルコによる福音書2章1〜12節
説教: 高野 公雄 師

数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

マルコによる福音書2章1〜12節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった》。

このように、きょうの福音は、イエスさまの一行が付近の町や村にみ言葉を宣べ伝える旅をひとまず終えて、本拠地であるガリラヤ湖畔の町カファルナウムに戻ってきたときのお話しです。たちまちに《家におられることが知れ渡り》ました。これを素直に読めば、イエスさまはカファルナウムにご自分の家を持っておられたように読めますが、シモン・ペトロの家に寄寓していたと考える人もいます。前の頁の1章29以下の記事では、イエスさまがシモン・ペトロの家に行き、そこに泊まったように読めるからです。そのときも、町中の人が戸口に集まり、イエスさまはいろいろな病気をいやし、多くの悪霊を追い出されました。今度もまた家の外までぎっしりと、大勢の人が集まりました。

《イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした》。

イエスさまは集まった人々に神の国も福音を語り伝えます。著者マルコはここで「御言葉を語る」と書いていますが、「御言葉」と「福音」は同じ意味と思って良いでしょう。その内容は1章15に《時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい》と要約されています。イエスさまが人々に話しているとき、「中風の人」が運んで来られます。「中風」とは、脳出血などの後遺症で半身不随とか手足の麻痺した症状のことです。この病人をなんとか治してもらおうと四人の男は大胆にも屋根に穴を開けて、イエスさまの前につり降ろします。「床(とこ)」とは担架のようなものを考えておけば良いでしょう。

当時の庶民の家は一部屋しかない平屋でした。雨の少ない地方ですので、屋根は板をわたした上に木の枝を並べて泥で塗り固める簡単な作りだったそうです。また、外階段が付いていて屋根に登れる家が多かったそうです。人が群がっていて戸口から入れないので、階段を利用したのでしょう。それにしても、屋根に穴を開けるなんてことは、家主にとっても、部屋の中にいた人たちにとっても、たいへんな迷惑で、これを正当化することはできないでしょう。しかし、きょうの物語はその点は無視して、先に進みます。

《イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた》。

「その人たち」の中に中風の人も含まれていると解釈する人もいますが、ふつうは担架を担った四人の男たちを指すと受けとめられています。中風の人をご自分のところへ連れてきた四人の信仰を見て、イエスさまは中風の人に「子よ、あなたの罪は赦される」と言われました。明治時代以来、日本のキリスト教は個人の信仰的決断が強調されてきました。村の信仰でも家の信仰でもなく、そこから自立して、私個人の信仰を確立することが求められました。親であっても子の信仰を代わって持ってやることはできません。あの四人も病人に代わって信仰をもつことはできません。でも、その信仰は他人との繋がりを持てないわけではありません、その病人の苦しみ・悲しみ・窮状を自分のもののように受けとめ、連帯し、自分の信仰の中に取り込み、それをイエスさまのもとに訴え・願いとしてもたらすことはできるのです。弱者のための「執り成し」は信仰者のなすべき大事な役目です。

ここで彼らの「信仰」とは、イエス・キリストが主であり、救い主であるというような、教義を受け入れる信仰ではありません。イエスさまならばこの病人をきっと治してくれるという固い信頼を意味しています。イエスさまがその力も、そうする好意も持っているお方であると信じているということです。そして、それが彼らの側の一方的な思い込みでなく、イエスさまがその信頼に足る信実なお方であることを、きょうの記事もマルコ福音全体も私たちに伝えようとしているのです。信実なイエスさまと彼に信頼する四人との出会いと結びつき、イエスさまと中風の人との出会いと結びつきは、単発の出来事ではなく、いつの時代の誰にでも開かれた出会いであり結びつきなのです。こういう幸いなる状況、新しい時代をもたらしたのがイエスさまであり、そのことを、《時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい》という御言葉、福音は告げているのです。イエスさまはご自分の言動によって、神と人との関係を近いものにしました。中風の人に対する呼びかけ「子よ」は、この関係の近さ、親しさを表わすものです。

次の言葉は、「あなたの罪は赦される」です。「赦される」という受動形は、神が赦すという意味です。日本語で「赦される」というと、今はまだ赦されていないけれど、将来赦されるであろうという意味にもなりますが、ここでは今すでに「赦されている」という意味です。四人の男たちは病気を治してもらおうと思って中風の人を連れてきたのだろうと思います。中風の人自身にしてもいやしを期待していたでしょう。それなのに、「起き上がりなさい」ではなく「あなたの罪は赦される」と言われて、戸惑ったことでしょう。がっかりしたかもしれません。当時、病気や障がいは罪を犯した罰だと考えられていたから、「いやされる」も「罪が赦される」も同じだと解説する人がいますが、聖書自体はそういう考え方をしていません。ここでは、罪が赦されるという目に見えない現実が、障がいが癒されるという目に見える出来事によって明らかにされる、ということが示されているのです。神はイエスさまを通して、中風の人を親しく「子」として受け入れ、近しい関係を築き、彼に恵みを与えることを望んでおられるのです。

《ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」》。

ここに初めて、イエスさまの言動に異議を唱える「律法学者」と呼ばれる人々が登場します。政治と宗教が一体であった古代社会のことです。彼らは法律の専門家であると同時に、聖書学者であって、庶民の日常生活、宗教生活のリーダーでした。彼らは祭司階級の人たちと共に、イエスさまに対して、そして使徒たちの時代にはイエスさまへの信仰に対して、敵対的な態度をとりました。彼らは、イエスさまの働きによって実現しつつある新しい時代、神との親しい出会いというものを知りませんので、イエスさまの言動を理解できず、ことごとく反対します。そしてついにイエスさまを殉教死、十字架死に追いやるに至ります。その第一歩が今日の論争ということになります。イエスさまは彼らに、癒しの奇跡の中に神が親しく働いていることを、神が人に近づいて恵みを与えてくださることを、自分の目で良く見よ、と言っているかのようです。

《その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。》

1章22にも《人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである》とありました。神はイエスさまの和解のみわざによって、まったく新しい状況をお造りになりました。私たちはきょうの福音から、「地上で罪を赦す権威を持っている」イエスさまに絶対の信頼を置くことができるということを聞き取り、その信頼を自分のものにしたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン