マルコによる福音書6章6b〜13節
高野 公雄 牧師
それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」
十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。
マルコによる福音書6章6b~13節
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン
《それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった》。
イエスさまは、まずガリラヤ湖周辺の町や村で活動したあと、先週の福音で読んだように、故郷であるナザレ村に行き、教えを宣べ伝えたのですが、故郷の人々、身内の人々に受け入れられませんでした。それで、ナザレ村を出て、付近の村々を巡り歩いて、宣教することにしました。
《そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた》。
イエスさまの活動の、次の段階がきょうの福音です。十二弟子を二人ずつ組にして遣わすこととされました。この十二人の選びについては、すでに3章にこう報告されています。《イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった》(マルコ3章13~15)。彼らはいつもイエスさまのそばにいて、その言行をよく見習っていました。そして、ついにいま宣教に遣わされることになりました。「使徒」という呼び名は、ここに記されているように、使命を託されて「派遣された人」という意味です。
さて、弟子たちは二人一組で派遣されました。これは当時すでにユダヤ教の習慣だったそうです。マルコ3章では12人の名がただ羅列されているだけですが、マタイ10章の弟子の表では、二人一組の形で記されています。ルカ24章のエマオ村に落ち延びる弟子も二人連れでしたし、使徒言行録によればパウロの伝道旅行も最初はバルナバと、のちにはシラスと一緒でした。
「二人ずつ組にして」ということに、どんな意味があったのでしょうか。まずは、未知の土地に旅するときに、互いに助け合うことができて安全だということが考えられます。キリスト教は愛の宗教です。信徒同士が互いに愛し合う姿を示せれば、それ自体が信仰の証しになります。また、二人の証人が宣教内容の信ぴょう性を保証するということも考えられます。律法の規定に、《いかなる犯罪であれ、およそ人の犯す罪について、一人の証人によって立証されることはない。二人ないし三人の証人の証言によって、その事は立証されねばならない》(申命記19章15)とあります。これは、神の国の福音を証しする場合にも適用することができるでしょう。人が福音を受け入れるにしても拒否するにしても、二人一組の弟子たちは有効な証人となることができます。
《その際、汚れた霊に対する権能を授け》
マルコは弟子たちがイエスさまから権能が与えられたことを強調します。弟子たちは、神の国の福音を宣べ伝えるのですが、当時の世界では身体と精神を痛めつける悪霊を追い払うことができなければ、人々から伝道者として認めてもらえなかったのです。それほどに、どの宗教に限らず、今日の目から奇跡に見えようが見えなかろうが、そうした力をもって活動をするさまざまな人々がいたのです。彼らは「神の人(テイオス・アネール)」と呼ばれました。イエスさまも弟子たちもそのうちの一人と見なされていたようです。ですから、福音書は、イエスさまや弟子たちがそうした奇跡をできたこと自体を強調してはいません。むしろイエスさまの言動全体を伝えることによって、イエスさまこそがまことの「神の人」であると主張しているのです。
ところで、これらの人々は、巡回伝道者として活動していました。彼らは各地を旅してまわり、町の広場や集会所または路傍で活動しました。彼らは集まる人々に金品や食べ物を乞い、宿を提供する人を見出したのです。教えを聞く者が宿や食べ物を提供するのか当時の習慣であり、またそうすることが美徳であって、報いられると信じていたのです。
ファリサイ派の巡回伝道者もいました。マタイ福音書は彼らについて、《律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ》(マタイ23章15)と書いています。
《旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた》。
これが、イエスさまが弟子たちに与えた伝道の旅の心得です。当時の巡回伝道者の活動条件が前提とされているとはいえ、非常に粗末な装備です。伝道者は神の守りと配慮に信頼して出かけるのですが、この生き方は伝道者に大きな決断が求められたことでしょう。そして、神の守りは、善意な人を介して与えられます。
私たちは、人の世話にならないことを目指して教育されてきたと思いますが、神の配慮に信頼して生きるということは、人との出会いに信頼して生きることでもあります。ボランティア活動で人の世話はするが、自分は人の世話にはなりたくないと思う人がほとんどだと思います。でも、本当は、人は持ちつ持たれつだと本気で考えるのが、ボランティア精神なのだろうと思います。そうした心がないと、本当の奉仕はできないのかもしれません。
《また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい》。
神の人と見なされた人々が世界各地を巡り歩いていました。中には、良いもてなしを求めて宿を換える人がいたのでしょう。新約聖書に続いて二世紀前後に書かれた「ディダケー(十二使徒の教訓)」という書名の、キリスト教最初の教理問答書があります。そこでも、信徒に巡回伝道者に宿を提供することを勧めていますが、こう注意しています。宿の提供は原則一泊のみ、場合によっては二泊させても良い、しかし三泊を求めるのは偽預言者だと。また、宿を去るときは、その日の食べ物を持たせなさい、しかし金品を求めるのは偽預言者だと。伝道者には、宿を提供する人に大きな負担をかけない姿勢が求められていました。
《しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい》。
弟子たちが町々村々に出かけたとき、イエスさまがナザレ村で受け入れられなかったように、誰ひとり耳を傾ける人も、宿を貸す人もいない所もあったことでしょう。そのときは、福音を必要としている次の村を目指せということです。出ていくとき、「足の裏の埃を払い落す」という仕草は、ユダヤ人が異教の地から戻って、自国に入るときと同じです。それは異教の汚れを聖地に持ち込まないという意味がありました。ここでは、その地の人々との決別を意味するものでしょう。使徒言行録にはピシディア州のアンティオキアにおけるパウロたちの例が描かれています。《ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った》(使徒言行録13章50~51)。
迎え入れる者がいなければ次の町に移り、迎えてくれる家があればそこにとどまる。これは、いつ時代でも宣教の指針でしょう。人との出会いを大事する、そのことによってこの地に教会ができたし、浦和に学校ができたりしました。
《十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした》。
弟子たちはイエスさまと同じことをする、イエスさまの代理人です。マルコはイエスさまの活動について、こう書いていました。《ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた》(マルコ1章14~15)。弟子たちも福音を説いて、人々が神に立ち帰ることを促しました。また、イエスさまと同じく多くの悪霊を追い出しました。イエスさまが「油を塗って」いやしたとい記事は見当たりませんが、そういう習慣があったようです。《あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます》(ヤコブの手紙5章14~15)。
イエスさまは何度か弟子たちを派遣していますが、弟子たちを少しずつ成長させてくださったのでしょう。私たちもさまざまな奉仕の機会を与えられて、成長させていたくのだと思います。
宣教師たちの熱心な証しによって、今の私たちの教会も存在しています。彼らの信仰を受け継いで、私たちもイエスさまから派遣されている者であることを自覚し、この地に福音を証しするものでありたいと思います。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン