2013年9月8日 聖霊降臨後第16主日 「より人を少なく愛する 愛」(概要)

ルカによる福音書14章25〜33節
北澤 忠蔵 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

招かれてついて来た群衆に主イエスは「父、母、妻子・・・更に自分の命であろうとも、これを憎まないならわたしの弟子ではありえない」と言われました。これを文字通り取れば聞くに堪えられないものです。並行記事のマタイ10章37節は、同じ内容が「わたしよりも、父や母を(息子や娘を)愛する者は、わたしにふさわしくない」となっています。

ルカ伝はヘブル語の用法の影響があります。つまりヘブル語は比較級がないので、「父母を憎まないなら・・・」となったのです。

いつか、日ハムのヒルマン前監督の話しを聞きました。何を優先事項として選ぶかについて。第1は神への信仰、第2が家族、第3は仕事でした。私の場合は神様を第1にしたい。第2は自分の仕事。家族は第3になっています。ヒルマンさんと違い、家族が仕事より下位でありますので、家族には不満があるかも知れません。しかし、決して家族を憎んでいるのではなく、神への信仰より少なく愛するだけなのです。人間が第1となる。偏愛、溺愛、盲信となって正しく愛するということにはならないように思います。

ぶどう園の見張りのための塔を建てる話しですが、塔が完成できなかったら、人から笑われる。だから、勝算がないなら、着工する前に早く止めなさいという話しのように取られがちですが、この箇所の最後を読むと、意図は違うと判ります。「まず腰を下ろして(座って)とは、今まで自分たちがして来た(言って来た)、「無理ではないか、駄目だろう、失敗するに違いない」と言った考えを捨てて、御破算にし、神様が力を与えてくださるから、私たちはできるということに目が開かれて、人間の経験や思いよりも、神を多く愛する。人を神様より少なく愛するということなのです。

人は、主イエスの弟子にふさわしい者であると言われているのである。

人知では到底計り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン。