バルトロマイは12弟子の一人に名前が挙げられていること以外は(マルコ3:14~19)ほとんど知られていませんが、彼はヨハネによる福音書に登場する弟子のナタナエルと同一人物であると言われています。
ナタナエルはガリラヤのカナという町の出身で、先にイエスの弟子となったフィリポを通じて、イエスと出会い、弟子の一人になりました(ヨハネ1:43~51)。イエスは彼のことを「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(1:47)と言い、彼がどうして自分のことを知っているのかと聞くと、彼がいちじくの木の下にいるのを見たとイエスは答えました。いちじくは聖書にたくさん登場する植物ですが、ミカ書に「人はそれぞれ自分のぶどうの木の下/いちじくの木の下に座り/脅かすものは何もないと/万軍の主の口が語られた。どの民もおのおの、自分の神の名によって歩む。我々は、とこしえに/我らの神、主の御名によって歩む。」(4:4~5)とあるように、いちじくの木の下にいることは平和のしるしとされ、それは神がもたらす平和であり、その平和を求めて神に従うことを意味しました。イエスが彼のことを「偽りがない」と言ったのは、彼が非の打ち所がない完璧な人であると賞賛しているのではなく、真実に神の平和を求めて、神に従っていく者であるということを意味していたのでしょう。そして、イエスとの出会いにおいて、その姿が明らかにされていくことを彼に告げるのです。彼は信仰を告白しイエスに従うことを明らかにしますが、イエスは「もっと偉大なことをあなたは見る」と言います。それがイエスの生涯を通して明らかにされる神の平和でした。彼は他の弟子たちと共に、その神の平和の証人となり、教会を盛り立て宣教していくのです。
伝承では、彼はペルシア、インド、アルメニアで宣教し、最期はアルメニアで生きたまま皮膚をはがされ、首を切られるなど、壮絶な殉教を遂げたと言われています。彼の遺骨は8月28日にリパリ島へ、さらにベネヴェントへ移送したと言われています。10世紀になって、彼の遺骨の一部がローマに運ばれ、そこに教会が建てられました。祝祭日は8月24日とされています。