福音書記者・使徒マタイの日

イエスの12使徒の一人であるマタイ(アルファイの子レビ)とマタイによる福音書の著者であるマタイは別人とされていますが、祝祭日は9月21日で統一されています。

使徒マタイは、マルコとルカによる福音書ではアルファイの子レビという名前で登場し、解釈の違いはありますが、マタイと同一人物だと言われています。彼はガリラヤの町カファルナウムの徴税人でした。当時イスラエルはローマ帝国に支配されていて、国民の税金はローマ帝国に搾取されていました。徴税人はローマ帝国の税金取立ての請負人であり、またローマ帝国に納める金額以上に、できるかぎりお金をしぼり集め、余分の金を自分のもうけとしていたと言われています。そのため、罪人と同じように人々から忌み嫌われ、交流を絶たれていました(マタイ9:10~13、21:31、ルカ18:9~14)。

ある日、収税所に座っているマタイを見かけたイエスは彼に「わたしに従いなさい」と声をかけました。すると、彼はすぐに立ち上がってイエスに従いました。その後、イエスはマタイを含む徴税人たちと食事を共にし、「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」と言って、徴税人たちの友として彼らと交流をもち、神の愛を伝えました(マタイ9:9~13)。

イエスの昇天後、マタイは使徒たちと共に宣教して教会を支え、自身はペルシアやエチオピアに行って、宣教したと言われています。彼の聖遺物はサレルノ(現在のイタリア)に移され、教皇グレゴリウス7世は1084年にそこにマタイの教会を建てました。

記者のマタイの生涯はあまり知られていませんが、彼はギリシア語を話すユダヤ人であったと言われています。シリアに住み、そこでおよそ紀元75年から85年にかけて福音書を書いたとも言われています。