2010年6月27日 聖霊降臨後第5主日

ルカによる福音書7章36-50節

説教: 五十嵐 誠牧師

◆罪深い女を赦す
7:36 さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。7:37 この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、7:38 後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。7:39 イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。7:40 そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。7:41 イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。
7:42 二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」7:43 シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。7:44 そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。7:45 あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。7:46 あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。7:47 だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」7:48 そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。7:49 同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。7:50 イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。


私たちの父なる神と主イエス・キリストから 恵みと平安があるように  アーメン

 

ゆるしは日本語では「赦し」、「許し」とがあります、「赦し」と「許し」をどう区別するかです。本来の意味では固く締められたものを「ゆるくすること」に由来していると言われます。私たちは混同して使っているように思います。でも、これらはずいぶん異なっていると思います。たとえば、「許し」の同意語は「許可」(承諾)ですが、その反意語は「禁止」です。他方、「赦し」は罪やそれの伴う罰、責務を免ずることでえあり、その反意語は「断罪」とか「処罰」を思います。ある先生はこの二つを厳密に区別しなくてはならないと言います。聖書を読む場合に「許し」と「赦し」を区別して読むことは大切で、これを安易に混同してはならないだろうと言います。特に。「赦し」は神と人との間を理解する上で大切なポイントであると言う。人に赦しを乞うことと神に赦しを祈ることとどちらが容易であろうか。ある方が、人に赦しを求めるのはしんどいいました。一方、神に赦しを求めるのはずっと気楽に出来ると。皆さんはどう答えますか。

ゆるしには広辞苑によると、もう一つ「聴し」があるようです。はじめて知りました。

さて、今朝は罪やその行為の「赦し」について学びたいと思います。実際の例は今日の福音書にあります。イエスはあるファリサイ派の招待を受け、食事を共にしました。招待者はシモンという名前でした。福音書には「ファリサイ派」という語が98回出て来ます。ですから一番イエスと接触したグループです。よく見ると、高慢で、鼻持ちならぬファリサイ派・・罪人を見下し、長い祈りで見せびらかし、自慢する・・もいましたが、イエスに好意的なファリサイ派もいました。イエスに誉められた律法学者、また、イエスを招待して、イエスの教えを聞こうとした、今日のようなファリサイ派もいました。私たちは彼らを「偽善者」と言いますが、そうでない点もあります出来事を見ましょう。

「この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」。「罪深い」(aJmartwlov”)・罪深い・罪を犯すなどの意)とありますが、ある写本は「不道徳な女」といいます。言えば彼女は「娼婦」でしょう。彼女は持って来た香油を、イエスのに塗ったのです。しかも、泣きながら、涙で濡れたイエスの足を、その髪でぬぐいながらでした。若い頃、わたしはイエスの生涯を描いた映画で、彼女の心・・感謝と(大いに残念がる、悔やむこと)と愛を見ていました。このシーンを見た記憶があります。じーんとくる場面でした。どうして、この女はこのような態度を取ったのかです。この女にとって、イエスは誰だったのかです。

イエスの後の言葉から分かることは、罪の赦しが問題になっていると言うことです。ただ、イエスとこの女との出会いが、いつか、どこでかが不明ですが。そんなことは別にして、彼女はイエスの語った福音の言葉によって、自分の罪の赦しを確信したと、私は思います。そんなことがあるかと言う人がいますが、これはいつの時代でも起こることです。

アウグスティヌス・Aurelius Augustinus・ですが、彼は初期キリスト教会最大の思想家です。彼は初めマニ教を奉じ、ふしだらな生活を送っていました。ある日、赤ん坊の泣き声と共に「とりて読め、とりて読め」という声を聞いて、それはパウロのローマの信徒への手紙の13:12-13でした。こう書いてありました。「夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい」。彼は読んで回心して、洗礼を受けました。後に北アフリカに帰りヒッポの司教になりました。その神学の核心は「人間は神の絶対的恩恵によってのみ救われる」でしたが、彼の経験だと言えます。彼女は日々、悩み、赦されない自分を思い、悲観的に過ごしていたでしょう。そんな時イエスの言葉を聞き、救い主の権威ある言葉(律法学者にような言葉でなく)であると確信したときは、喜んで飛び上がったに違いないと思います。いつの時代でも、罪を自覚する者には、その者にだけ、イエスの言葉は良い知らせ、福音となるのです。だから、彼女はそれを行為で示しているのです。

その女の行為を理解できないファリサイ派であるシモンは「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。イエスを非難する顔つきだったのでしょう。前に言いましたが、彼らは罪人という部類の者を軽蔑して寄せ付けなかったのです。壁を造って・・かってのベルリンの壁や現在のイスラエルの分断壁のようにな・・差別しました。シモンはましてイエスが預言者なら・・この女のような者には自分を触れさせないはずだし、預言者はその慧眼(物事の本質也裏面を見抜く、すぐれた願力)を持っているはずだ。イエスは両方の性質を欠いていると思った。イエスはそれを見抜いて、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。(イエスを「先生」と呼ぶのが弟子以外が使う)。そこでイエスが一つの譬え話をした。

「イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。「二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」 シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた」。(一デナリは当時では一日の賃金)。

常識でもその通りです。誰でもそう答える。誰だって沢山の借金を免除してもらったら、貸してくれた人に、最大の感謝の行為をします。私だってそうです。イエスはこの世の習わしを持って、神と人との関係をイエスは語ります。その中心は「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」。

問題は何かですが、イエスを救い主・神からのメシアと見るかで福音を聞くか、聞かないかの分離点になります。シモンは多分、イエスを「預言者とか「先生」と呼んではいますが、イエスに好意を持っていたが、内心は普通の人に見ていたと思います。ですから、「わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかった」、「あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかった」、「あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかった」で分かります。ファリサイ派ですから、自分は神に愛されている思っていたのです。彼らは律法を守らない一般の人から自分たちを「分離した」という意味でファリサイ派でした。

この女のは前に言いましたが、イエスが語った福音・・罪の赦し・・を聞いて「いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は」(詩32:1・今朝の第二聖書日課)ということを、また、「悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる」。(マタイ5:4)という言葉を経験したのです。心底知ったのでしょう。で、イエスがいることを知って、人の目をもかまわずに、ある意味では、居ても立ってもおられず、イエスのところに来て、精一杯の感謝を、喜びを表した。イエスは彼女の思いを知って・・彼女に言葉を掛けた。

「イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。 イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。 彼女は直に罪の赦しを聞いた。「安心して行きなさい」。彼女は喜びで満たされたと思います。

「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる」。罪の赦しと愛が比例するとは面白いです。多く赦された人は愛が大きいです。私はどうかなと考えました。キリストに対する愛の大きさは、小さいような気がします。この女に比べて、少し恥ずかしいような気がしました。私たちはキリストによって、自分の罪・・大きな・・が 赦していただいた・・赦しの大きさを思います。その喜びは、キリストに対する愛の大きさとなって現れているかを、今日は考えさせられました。

しかし、多く赦された者の愛は大きいと言うと、分かるような気がしますが、日常的な経験はあまりありませんから、ピント来ない点あります。面白い例がありました。セム族・アラブ人の例です。日本での仕事が終わり、アラブ人が「女房にお土産を買って帰るのんだが・・」と言いました。同行していた日本人が「じゃ!私が適当なものを選んであげますよ。気は心ですから・・」と言いますと、アラブ人は「それは違いますよ」と言いました。説明として、アラブでは愛は金の高さで計るのが普通なんです。だから、千円のお土産を買って来る夫と一万円のお土産を買って来る夫と比べたら、一万円の夫の方が十倍愛しているのだ・・と言うことでした。うーん、成る程と思いました。

*セム族・セム語系の言語を話す諸民族の総称。アラビア人・エチオピア人・ユダヤ人が含まれ、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教を生んだ。ノアの長子セムの名に因んで命名。

しかし、聖書をよく読むと、女性が自分の出来ることをして、イエスに対する自分の喜びを・・イエスに対する愛を現しているのを知ります。イエスと弟子たちの宣教の旅に、出先で、多くの女性が・・女の信徒が仕えていました。たとえば、マグダラのマリア、ヨセフノ母マリア、サロメ、ヨハンナなど(ルカ8:1-3を参照のこと)。また、使徒たちを助けた女性もいます。使徒言行録、パウロの手紙の終わりの言葉に出てくる多くの女性信徒たちです。、

数年前のサマー・キャンプで、歌手の小坂忠さんが、素晴らしい証しをしました。1975年に、娘さんが台所で熱湯を浴びて、叫び声をあげていました。大変な火傷でした。体中包帯でぐるぐる巻きにされて、重傷でした。その包帯が取れるまで、頃の休まらない日々が続きました。ある日、奥さんのお母さんが・・熱心なクリスチャンでした・・きて、教会の牧師に、娘のために祈ってもらおうとさそわれた。生まれて初めての教会に行くことになりました。小坂さんは当時はヒッピー族でドラッグ野郎のような生活をしていたようです。ところが、牧師や教会の人が熱心に祈ってくれたそうで、祈り会が終わると、不思議に小坂さんの心は平安に包まれていいたそうです。

やがて、娘さんの包帯が取れる日が来ました。なんと娘さんの皮膚は、生まれた時のような新しい皮膚が再生していたのです。喜びで、その時、小坂さんは、牧師の祈りを思い出したそうです。あの祈りに神が応えてくれたのだと自然に思えたそうです。それから教会に行くようになりました。

牧師の説教でイエス・キリストの十字架について聞き、十字架が、それがどんなに大きい愛であるかを知ったのです。それが分かったとき、涙があふれ出してました。小坂さんは「僕もこの神の愛が必要だ。救いが必要だ、それを受けるのは今しかないと感じた」のです。小坂さんはイエス・キリストを受け入れるために祈りました。イエスは私の人生も、音楽も、僕のすべてを変えた」と語りました。そして小坂さんは、牧師となり、音楽を通してキリストに仕えているのです。キリストへの愛です。各地を廻って音楽をもって伝道に飛び回っています。小坂さんにとって、香油は音楽と言えましょう。

私たちもイエスの愛を受けた者です。喜びに満たされていました。そして、主を愛して生きてきました。その愛し方は様々です。自分に出来ることをして、イエスに対する自分の喜びを現してきたと思います。今朝、自分の香油はなにかを考えてもう一度、主に対する愛の表し方を考えて見たいと思います。

アーメン