説教: 五十嵐 誠 牧師
ルカによる福音書18章9〜14節
◆「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ
自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』 ころが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
私たちの父なる神と主イエス・キリストから 恵みと平安が あるように アーメン
久しぶりに講壇を担当しました。約二月ぶりです。あの夏の猛暑で体調を崩し、また、入院・手術などをいたしました。皆さんのお祈りとお見舞いの言葉を感謝します。有難うございました。完全ではありませんが、お会いできて幸いです。
さて、今日は先ほど読みました、イエスの譬えを学びたいと思います。有名ですから今さらという点もありますが、一緒に考えたいと思います。
今日の説教を理解するために二つの言葉を説明します。譬えに登場していた人物です。ファリサイ派と徴税人です。前者の言葉は日本語でも通用しています。よく「ファリサイ的人間」と使われます。むかしは「パリサイ的人間」でした。自分のことはさしおいて他人を厳しく批判する人を言います。
*ファリサイ派は「分離する者」の意。イエスの時代に盛んだったユダヤ教の一派。紀元前2世紀の後半に起こり、モーセの律法の厳格な遵守を主張、これを守らない者を汚れた者として斥けた。イエスはその偽善的傾向を激しく攻撃した。パリサイ派とも言う。
宗教というものは、時が経つと内容が変質して来ます。純粋な精神が薄れて・・中心がスポイル・俗化させる、失われて・・されて、形骸化します。ですから、時々、宗教改革が起きます。キリスト教にかぎらず、ユダヤ教や仏教やイスラム教にも起こります。日本の場合は「新~~~派」とか「~派~~~」となります。京都のお寺に行くと解ります。寺院の山号(寺院の名に冠する称号)でも理解出来ます。
ファリサイ派はイエスと強く対立したユダヤ教の一派で、偽善者というレッテルを貼られました。マタイの福音書の23章で、イエスは「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ」、「薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである」、「あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓だ」。「外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている」と言いました。聞いたら目をむくような批判です。
また、その生活もこう言われています。「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである」。「そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む」。要約すれば、宗教・信仰と生活が一致していなかった。信仰の形骸化になります。
* 聖句の入った小箱とは「経札」といい、一辺が3センチのものから4.5センチのもの。ユダヤ人はこれをテフィッリーン(祈祷ひも)と呼び、身につける慣習を持っていた。出13:9、16)。
「頭の経札」と「腕の経札」の2種類があった。子供は13歳になるまでこれをつけることは許されなかった。「シェマー・聞け」(申命記6:4)という聖句が入っていた。
偽善者と言うのは人にめったに言ってはならない言葉ですが、ギリシャ語・uJpokrithv”・フポクリテス・では「芝居をする人・俳優」を意味します。イエスは、外面的には敬虔に振舞いながらその実のない律法学者,パリサイ人などをきびしく戒められ、そう呼ばれた。(マタ23:27‐28)。彼らは、時には慈善家を気取り,またひたすら祈りに打ち込む姿を演じて、人々の賞賛を得ようとした(マタ6:2‐5)。しかし、全てのファリサイ派が偽善者で、型式主義者ではなかった。中には真面目なファリサイ派もいました。しかし、おちいりやすい弊害として、自画自賛・自己讃美や自己義認になります。今日のファリサイ人のようにです。
「徴税人・取税人」とは税金を集める者、今の税務署の役人です。当時の税金の徴収事務は請負制でした。請負とは一定の仕事の完成に対し一定の報酬をもらう約束で、仕事を引き受ける制度です。私が入った病院は手術は出来高払いでなく、請負制でした。健康保険ですが、ビックリしました。ローマ帝国は占領地の支配を、不必要な刺激を避けて、ユダヤ人の場合は比較的自由にしました。植民地からも税金は二つありました。直接税と間接税です。直接税は男子一人に付きいくらという「人頭税」です。ルカの福音書では、人口調査のために、マリアとヨセフは、ベツレヘムに行き、イエスを生みました。
もう一つは通行税でした。主な道路に収税所を置き、通行する者から税金を徴収しました。この時代、その徴税事務をしていたのはローマの官吏でなく、「徴税人」と呼ばれるユダヤ人でした。ユダヤ人は収税所の権利を金で買い取りました。多額の投資をしましたから、その多額な投資金を何とかして回収しようとして、誤魔化したりして、規定以上の税金を手にしたようです。そのため、同じユダヤ人からは「罪人」というレッテルを貼られました。彼らの不正行為ばかりでなく、同じユダヤ人から、占領者のローマ帝国のために働いて、私腹を肥やしているとう理由で、人々からは嫌われ、ファリサイ派からは背教者と言われ、差別されました。
ある日、この二人が神殿に来ました。国中、エルサレムには多くの会堂・シナゴーグがありましたが、徴税人は入る勇気はなかった。彼は邪魔されずに入れる神殿の外側の、端にある庭に来たようです。そこは神殿に来る人達からも遠く離れた場所でした。
神殿とはユダヤ教の礼拝・祭儀の中心聖地です。祈るためですが、祈りは規定では朝の九時と午後の三時でした。ファリサイ人は意気揚々と胸を張って神殿に入り、堂々と祈りを始めました。「心の中で祈った」とありますが、彼は本当は全知の神の耳に聞こえるように、また周りの者にも聞こえるように、祈り・・いやしゃべったと言えるのです。自己義認と周囲の人達を見下す気持を持って祈りました。
祈りは短かった。前置きがあり、否定的な要素・・自分が他の人のようでないことを・
罪人でないことを感謝しています。次に自信過剰の要素・・自分の功徳(くどく)を列挙しています。
自分は必要以上のことをしている・・週二回・月と木に断食・・年に一回でいいのにです。(贖罪の日)。十分の一の献げ物・・信仰深いユダヤ人の義務でした。それ以上していたと思います。恐らく他にも多くしていたと言えます。「私」はと言う代名詞が輝いています。(前期のファリサイ人の祈りと同じく、日本語では代名詞I(私)は訳されません。原文や英文では、はっきりします)。
このファリサイ人の祈りの背後には、ある詩編の言葉がありました。詩編24:3-4です。イスラエルの王ダビデが歌いました。
「どのような人が、主の山に上り、聖所・神殿に立つことができるのか。それは、潔白な手と清い心をもつ人。むなしいものに魂を奪われることなく、欺くものによって誓うことをしない人。主はそのような人を祝福し、救いの神は恵みをお与えになる」。
どうして徴税人のような悪党が、あえて神殿地域に入ってくることが出来るのか。ダビデのこの言葉は、この徴税人を非難しないだろうかです。
一方、徴税人は全く違っていました。彼は、遠く離れて立ち、自分の目を天に上げようともせず、無価値な自分を知って、胸を打ちながら・・申し訳ないという心を持って・・祈りました。彼はたった一言「神様、罪人のわたしを憐れんでください」とだけ祈りました。この言葉は。あの有名なダビデ王が祈った言葉でもありました。(詩編51:1)。
*(ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たときに発した言葉)。
彼は「罪人」と言いました。英語では「The sinner」ですが、単なる「A sinner・罪人」ではなくて、Theが付くと用法で強勢が置かれて、本当の、最高の罪人と言う意味です。「遠くに離れて立ち」とは彼が罪の贖いの犠牲の献げ物をもって、祭司の所にいく勇気がなかったことを示しています。で、彼は「神よ、罪人のわたしを憐れんでください」と。
ある牧師はこう言いました。二人の人が祈りに行った。否、むしろ、一人はほらを吹きに行き、もう一人は祈りにいった。的を突いて射ます。
結論に行きましょう。明白です。「義とされて家に帰ったのは、この人・徴税人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」。つまり、「自分の罪が赦されて帰ったのは、この徴税人であって、他の者ではなかった」です。
イエスは何をこの譬えで教えようとしたのかです。ある牧師は救いは行いでなく、自分は罪人であるという謙遜な心を持つことだと言いました。人間は功徳主義(くどくしゆぎ)・・自分は神の恩恵を受けるに必要以上の敬虔な行為・余徳があるという考えを捨てきれません。キリスト教の業によらず、無代価の救い・恵みによる救いを信じません。一人は聖徒として家に帰りました。一人は罪人として家に帰りました。立場が反転しています。
別の牧師は哲学者のキルケゴールの言葉を引用して、「この言葉はイエスが譬えを通して私たちに語っている永遠の言葉である」と言います。ファリサイ・パリサイ的な精神・自己義認・自己本位は、イエスの時代から今にいたるまで教会の中に陰に陽に続いているからであるという。そして、私たちはそれが危険だとは気づいていない。私たちは自分自身の小さなシオンに安住する教会人になる危険があります。神の言葉を鏡として見るならば、私たちは自分の生の中に、徴税人とファリサイ人を、垣間見ることが出来るのです。「神よ、精神的自己満足を取り去って下さいと祈りたい」と。
*キルケゴール:デンマークの思想家。人生の最深の意味を世界と神、現実と理想、信と知との絶対的対立のうちに見、個的実存を重視、後の実存哲学と弁証法神学とに大きな影響を与えた。「不安の概念」「死に至る病」が有名。
知人の牧師は言いました。「義とされて帰ったのは徴税人だった」と言う「義」は聖書では大事な言葉で、意味は神と親しい関係とか神のみ手に迎えられる、愛される、救われるという意味です。イエスはそう言う意味で言われたのです。牧師は、神は愛であるという福音を述べ伝えることを勤めとしています。神は悔い改める者を赦される方ですから、徴税人が赦されるのは分かると。
しかし、ファリサイ人の祈りは、ただ一点・・徴税人とは違うと言ったこと・を除けば、他は立派です。ファリサイ派の代表みたいです。
ではイエスは何を言いたいのかですが、イエスは「何を一番大事にされたか」だと思います。この譬えでは、当時の社会の価値観が逆転しています。いや現在の価値観とも反対です。普通は、徴税人のような者よりはファリサイ人は立派であると考えるのは当然です。
イエスは律法とか倫理でもって、人を判定する考え方・・ファリサイ派の信念です。それをイエスは否定したのです。イエスは人々が持っている・・持つように至った・・悲しみ、悩み、憂い、痛み、涙を踏みにじる方ではありませんし、裁く方でも、石を投げつける方ではありません。イエスは神の愛・・人間の悩み、痛み、悲しみ、涙を受け止める愛を・・アガペーを一番大切にしました。そういう愛の心がファリサイ派には欠けていたのです。いくら立派に生きていても、アガペーの姿勢を欠いては意味がない。それを教えるために譬えを話したと知人の牧師の言葉です。読みが深い。
私は50年前の神学校の小礼拝室の一枚の絵を思い出しています。それは大きな教会の礼拝風景でした。前方の祭壇は明るく、美しく整えられ、正面には十字架の像が掛けられています。大勢の出席者が礼拝をしていました。しかし、よく絵を見ると、礼拝堂の最後尾の薄くらい席に、遠く離れて座っている人の側に、一人の人物がいます。それは主イエスでした。私は、主は何処に居られるかを示していると思っていました。この譬えも同じだと思います。
イエスは私たちを、あるがままの姿で、状況で、受け止めて、愛して下さるのです。この譬えはそんなイエスを示しています。皆さんは、罪人として家に帰りますか、聖徒・赦された者として家に帰りますか。どちらでしょうか。
アーメン