2011年6月19日 三位一体主日 「三位一体の神」

マタイによる福音書28章16〜20節
説教:高野 公雄 牧師

さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

マタイによる福音書28章16〜20節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

 

きょうは三位一体の主日という特別な祝日です。どういう意味で特別かと言いますと、教会の暦はイエスさまの生涯における特定の出来事を記念し、お祝いするようにできています。私たちはきょうまで半年間、メシア到来の予告、イエスさまの誕生、命名、東方の博士たちの来訪、ヨルダン川での洗礼、受難の予告と十字架上の死、復活、昇天、聖霊降臨と暦をたどってきました。その歩みも終わりまして、きょうはイエスさまの特定の出来事ではなく、イエスさまの生涯、死と復活、そして聖霊降臨を祝ったあと、これらすべての出来事を振り返ってみて、父と子と聖霊なる神さまの働き全体を顧みて、いったい神さまはどういうお方なのか、三位一体の神であられるということを覚え、祝います。

ふつう、私たちはまずは、イエスさまは昔の預言者のように人々に「神に立ち帰れ」と宣べ伝える人だと思って聖書を読んでいます。しかし、イエスさまの言行を通して神を知るほどに、そのイエスさまと神とが一体であることに気づいてきます。つまり、神ご自身が人となってこの地上に降り立ってくださった、イエスさまとはそういう方なのだと信じるようになります。これが、キリスト教信仰の始まりです。では、イエスさまが私たちの視界から消えたあと、どうなったかと言うと、神の霊、復活したイエスさまの霊が、私たちひとりひとりの上に降り、聖書に書かれたイエスさまの言葉を、私自身に語りかけてくる、いま生きている言葉として聞けるように心の耳を開き、またイエスさまがいつも私と歩みを共にしてくださっていることに心の目を開かれるのです。神さまは、イエス・キリストを通してだけでなく、聖霊を通してもまた、私たちを守り導いてくださる、このことを記念し祝うのが、きょうの三位一体の祝日なのです。

聖書には、「三位一体」という言葉こそありませんが、第二朗読Ⅱコリント13章13には《主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように》とあり、きょうの福音マタイ28章19以下には《彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい》とあるように、神が三位一体であることを表す表現は存在します。そう考えると、きょうの第一朗読イザヤ6章3に《聖なる、聖なる、聖なる万軍の主》と、「聖なる」が三重に唱えられているのも三位一体を暗示している表現と受けとめることができるように思います。

二千年前に地上で30数年を過ごされた歴史上のイエスさまが、いまや神の座に着いている天上のキリストとして信仰の対象となっている、それがキリスト教です。イエス・キリストと日本語ではイエスとキリストが中黒「・」で結ばれているのですが、「歴史のイエス」と「信仰のキリスト」がどのように結ばれて一つであるのか、これはキリスト教の歴史が始まって以来の難問でして、今に至るまで盛んに論じられていますが、いまだに論じ尽くされることがありません。それは、牧師になろうとしていた私にとっても一番納得しにくい、理解できないポイントでしたので、神学校の卒業論文のテーマに選んで勉強しました。論文は中間報告としか言えないような代物でしたが、その当時自分なりに納得したことをまとめました。

イエスさまの直弟子たちによってキリスト教伝道は始まりましたが、しばらくはローマ帝国に信仰を禁じられた迫害の時代が続きます。しかし、その間もキリスト教はじわじわと浸透し続け、ついに313年に皇帝コンスタンチヌスは「ミラノの勅令」によってキリスト教を公認します。その後、彼はローマ帝国の広大な全領土を統一すると、あまりにもばらばらなキリスト教を統一することを目指して、325年にニケア、今のトルコのイスタンブールの近くに帝国内のキリスト教指導者を集めて会議を開きます。318人の司教が集まったと伝えられています。

このニケア公会議では、復活祭の日取りを決めたり、迫害時代に一度棄教した者の復帰のさせ方を決めたりしましたが、イエスさまの身分を確定することも大きな議題でした。当時、キリスト教は公認されたばかりでしたが、イエスさまの身分については、父なる神よりも一段低いという主張が広まっていたのです。それに対して、この会議は、神は三位一体であることを定義する「ニケア信条」を採択しました。私たちが聖餐礼拝を行なうときに唱えているニケア信条は正しくはニケア・コンスタンチノポリス信条というものであって、ニケア公会議の定めた信条に後の会議が加筆したものです。それはともかく、ニケア信条では、イエス・キリストは「神の神」であって「父と同質」であると定められました。これを受け入れる者が正しい信仰を持つ者であり、これを受け入れない者は異端として信仰者の群れから排除されることになりました。

公式的には、この定めはいまでも有効です。皆さまはキリスト教のパンフレットなどで、欄外にこう但し書きがあるのを目にしたことがあると思います。「私たちは正統的な教会であって、ものみの塔、モルモン教、統一協会とはまった関係ありません」。この文章は、ここに名を挙げた宗教はニケア信条の定める信仰箇条を受け入れていない、したがって正統的なキリスト教ではない、ということを宣言しているのです。

キリスト教は、ルーテル教会の他にも、カトリック教会、聖公会、日本基督教団、バプテスト教会などなど、いろいろな教派に分かれています。けれども、これらの教派は、三位一体の神を信じるという一番大事な点では一致しており、先ほど名が挙がったようなキリスト教系の新興宗教とは信じる中身に大きな違いがあります。

イエス・キリストの身分については、キリスト教の歴史を通じて、たえずニケア信条とは異なった理解が現われ、繰り返し分派活動が起こります。それで、キリスト教会は昔から礼拝式文の中に三位一体の教えを組み込み、礼拝するたびに繰り返し唱えることによって、礼拝する者の頭にも心にもこの理解が定着するように式文を整えてきました。あまりに身近すぎてふだんは気づかずに素通りしているかも知れませんので、きょうはご一緒に式文を検証してみましょう。

まず、礼拝は「父と子と聖霊のみ名によって、アーメン」という祝福の言葉でもって始まります。そして2頁、讃美唱は必ずグロリア・パトリを付けて唱えます。「父、み子、み霊にみ栄え、初めも今も後も、世々に絶えず。アーメン」。3頁、グロリア・イン・エクセルシスの第8段「主(キリスト)は、聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに(います)。アーメン」。同じ頁の特別の祈りの結び「あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン」。ただし、これは緑の季節には「み子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン」という短い形を使うこともできます。続いて、5頁の信仰告白、ニケア信条でも使徒信条でも「全能の父である神を私は信じます」、「主イエス・キリストを私は信じます」、「聖霊を私は信じます」と唱えます。

後半、聖餐の部に入りまして、9頁、設定の言葉の後半「感謝の祈り」も「すべての栄光と讃美が、教会において、キリストにより、聖霊と共におられるあなたに世々限りなくありますように。アーメン」という頌栄で結ばれています。そして礼拝の最後、14頁の祝福は礼拝の初めと同じ言葉「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン、アーメン、アーメン」で終わります。

これで、礼拝式全体が三位一体の神さまをほめ称える言葉で満ちていることが確認できたと思います。しかし、きょうはまだこれで終わりではありません。西方の教会では伝統的に、この日にはニケア信条や使徒信条に代わって、年に一回「アタナシウス信条」を唱える習慣があります。私たちもきょうはこの後、「アタナシウス信条」を交読形式で唱えましょう。この信条は、西方教会などで広く採用され、使徒信条、ニケア信条とともに基本的な信条とされています。前半で神の三位一体を述べ、後半ではキリストの「神であり人である」という二性を述べているその内容から、ニケア公会議で三位一体の信仰を守るのに功績のあったアレクサンドリアの司教、聖アタナシウスの名が冠されていますが、本当の著者は不明です。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン