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2011年6月19日 三位一体主日 「三位一体の神」

マタイによる福音書28章16〜20節
説教:高野 公雄 牧師

さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

マタイによる福音書28章16〜20節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

 

きょうは三位一体の主日という特別な祝日です。どういう意味で特別かと言いますと、教会の暦はイエスさまの生涯における特定の出来事を記念し、お祝いするようにできています。私たちはきょうまで半年間、メシア到来の予告、イエスさまの誕生、命名、東方の博士たちの来訪、ヨルダン川での洗礼、受難の予告と十字架上の死、復活、昇天、聖霊降臨と暦をたどってきました。その歩みも終わりまして、きょうはイエスさまの特定の出来事ではなく、イエスさまの生涯、死と復活、そして聖霊降臨を祝ったあと、これらすべての出来事を振り返ってみて、父と子と聖霊なる神さまの働き全体を顧みて、いったい神さまはどういうお方なのか、三位一体の神であられるということを覚え、祝います。

ふつう、私たちはまずは、イエスさまは昔の預言者のように人々に「神に立ち帰れ」と宣べ伝える人だと思って聖書を読んでいます。しかし、イエスさまの言行を通して神を知るほどに、そのイエスさまと神とが一体であることに気づいてきます。つまり、神ご自身が人となってこの地上に降り立ってくださった、イエスさまとはそういう方なのだと信じるようになります。これが、キリスト教信仰の始まりです。では、イエスさまが私たちの視界から消えたあと、どうなったかと言うと、神の霊、復活したイエスさまの霊が、私たちひとりひとりの上に降り、聖書に書かれたイエスさまの言葉を、私自身に語りかけてくる、いま生きている言葉として聞けるように心の耳を開き、またイエスさまがいつも私と歩みを共にしてくださっていることに心の目を開かれるのです。神さまは、イエス・キリストを通してだけでなく、聖霊を通してもまた、私たちを守り導いてくださる、このことを記念し祝うのが、きょうの三位一体の祝日なのです。

聖書には、「三位一体」という言葉こそありませんが、第二朗読Ⅱコリント13章13には《主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように》とあり、きょうの福音マタイ28章19以下には《彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい》とあるように、神が三位一体であることを表す表現は存在します。そう考えると、きょうの第一朗読イザヤ6章3に《聖なる、聖なる、聖なる万軍の主》と、「聖なる」が三重に唱えられているのも三位一体を暗示している表現と受けとめることができるように思います。

二千年前に地上で30数年を過ごされた歴史上のイエスさまが、いまや神の座に着いている天上のキリストとして信仰の対象となっている、それがキリスト教です。イエス・キリストと日本語ではイエスとキリストが中黒「・」で結ばれているのですが、「歴史のイエス」と「信仰のキリスト」がどのように結ばれて一つであるのか、これはキリスト教の歴史が始まって以来の難問でして、今に至るまで盛んに論じられていますが、いまだに論じ尽くされることがありません。それは、牧師になろうとしていた私にとっても一番納得しにくい、理解できないポイントでしたので、神学校の卒業論文のテーマに選んで勉強しました。論文は中間報告としか言えないような代物でしたが、その当時自分なりに納得したことをまとめました。

イエスさまの直弟子たちによってキリスト教伝道は始まりましたが、しばらくはローマ帝国に信仰を禁じられた迫害の時代が続きます。しかし、その間もキリスト教はじわじわと浸透し続け、ついに313年に皇帝コンスタンチヌスは「ミラノの勅令」によってキリスト教を公認します。その後、彼はローマ帝国の広大な全領土を統一すると、あまりにもばらばらなキリスト教を統一することを目指して、325年にニケア、今のトルコのイスタンブールの近くに帝国内のキリスト教指導者を集めて会議を開きます。318人の司教が集まったと伝えられています。

このニケア公会議では、復活祭の日取りを決めたり、迫害時代に一度棄教した者の復帰のさせ方を決めたりしましたが、イエスさまの身分を確定することも大きな議題でした。当時、キリスト教は公認されたばかりでしたが、イエスさまの身分については、父なる神よりも一段低いという主張が広まっていたのです。それに対して、この会議は、神は三位一体であることを定義する「ニケア信条」を採択しました。私たちが聖餐礼拝を行なうときに唱えているニケア信条は正しくはニケア・コンスタンチノポリス信条というものであって、ニケア公会議の定めた信条に後の会議が加筆したものです。それはともかく、ニケア信条では、イエス・キリストは「神の神」であって「父と同質」であると定められました。これを受け入れる者が正しい信仰を持つ者であり、これを受け入れない者は異端として信仰者の群れから排除されることになりました。

公式的には、この定めはいまでも有効です。皆さまはキリスト教のパンフレットなどで、欄外にこう但し書きがあるのを目にしたことがあると思います。「私たちは正統的な教会であって、ものみの塔、モルモン教、統一協会とはまった関係ありません」。この文章は、ここに名を挙げた宗教はニケア信条の定める信仰箇条を受け入れていない、したがって正統的なキリスト教ではない、ということを宣言しているのです。

キリスト教は、ルーテル教会の他にも、カトリック教会、聖公会、日本基督教団、バプテスト教会などなど、いろいろな教派に分かれています。けれども、これらの教派は、三位一体の神を信じるという一番大事な点では一致しており、先ほど名が挙がったようなキリスト教系の新興宗教とは信じる中身に大きな違いがあります。

イエス・キリストの身分については、キリスト教の歴史を通じて、たえずニケア信条とは異なった理解が現われ、繰り返し分派活動が起こります。それで、キリスト教会は昔から礼拝式文の中に三位一体の教えを組み込み、礼拝するたびに繰り返し唱えることによって、礼拝する者の頭にも心にもこの理解が定着するように式文を整えてきました。あまりに身近すぎてふだんは気づかずに素通りしているかも知れませんので、きょうはご一緒に式文を検証してみましょう。

まず、礼拝は「父と子と聖霊のみ名によって、アーメン」という祝福の言葉でもって始まります。そして2頁、讃美唱は必ずグロリア・パトリを付けて唱えます。「父、み子、み霊にみ栄え、初めも今も後も、世々に絶えず。アーメン」。3頁、グロリア・イン・エクセルシスの第8段「主(キリスト)は、聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに(います)。アーメン」。同じ頁の特別の祈りの結び「あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン」。ただし、これは緑の季節には「み子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン」という短い形を使うこともできます。続いて、5頁の信仰告白、ニケア信条でも使徒信条でも「全能の父である神を私は信じます」、「主イエス・キリストを私は信じます」、「聖霊を私は信じます」と唱えます。

後半、聖餐の部に入りまして、9頁、設定の言葉の後半「感謝の祈り」も「すべての栄光と讃美が、教会において、キリストにより、聖霊と共におられるあなたに世々限りなくありますように。アーメン」という頌栄で結ばれています。そして礼拝の最後、14頁の祝福は礼拝の初めと同じ言葉「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン、アーメン、アーメン」で終わります。

これで、礼拝式全体が三位一体の神さまをほめ称える言葉で満ちていることが確認できたと思います。しかし、きょうはまだこれで終わりではありません。西方の教会では伝統的に、この日にはニケア信条や使徒信条に代わって、年に一回「アタナシウス信条」を唱える習慣があります。私たちもきょうはこの後、「アタナシウス信条」を交読形式で唱えましょう。この信条は、西方教会などで広く採用され、使徒信条、ニケア信条とともに基本的な信条とされています。前半で神の三位一体を述べ、後半ではキリストの「神であり人である」という二性を述べているその内容から、ニケア公会議で三位一体の信仰を守るのに功績のあったアレクサンドリアの司教、聖アタナシウスの名が冠されていますが、本当の著者は不明です。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2011年4月24日 復活祭 「復活宣言」

マタイによる福音書28章1〜10節
説教:高野 公雄 牧師

さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」

マタイによる福音書28章1〜10節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

皆さま、復活祭おめでとうございます。皆さまと共に、主のご復活をお祝いできることをうれしく思います。

きょうの福音は、《さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に》と、始まります。

古代のユダヤの暦では、今のように時計の上でしか分からない深夜の午前0時で一日が区切られていたのではなく、日没を一日の区切りにしていました。日没でその日が終わり、次の日が始まります。ですから、土曜日の「安息日」は、今で言えば、金曜日の日没から土曜日の日没までのこととなります。イエスさまが週の初めの日に復活なさったというのは、今で言えば、土曜日の日没後から日曜日の明け方となります。それで、伝統を大事に守る教会では、土曜の深夜というか日曜の始まりの午前0時に、復活の徹夜祭を行います。それが復活祭の主たる礼拝となるのであって、通常の午前10時とか11時に始まる礼拝は主たる礼拝とはされません。私たちの教会の伝統でも、復活祭には必ず早天礼拝とか早朝礼拝と言って、日曜の朝早く野外に集まってイエスさまのご復活を祝っていました。

《さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った》。

二人の女の弟子たちは、日曜の夜明け前に墓を見に行きます。土曜日は安息日で、遠出を禁じられていたからです。彼女らは安息日が終わるのを待ちかねて、日が日曜日に変わると、つまり週の初めの日になると、まだ暗いうちに墓に来ます。すると、ちょうどその時に大きな地震が起こって、主の天使が現われ、墓をふさいでいた石を取りのけてくれます。天使はその石の上に座って、彼女らに伝言します。地震は午後3時にイエスさまが息を引き取られたときにも起こっています(27章52)。地震や天使といった一連の出来事は、そこに神さまの力が働いていることを現しています。5節以下の天使のことばは、まさに神さまご自身のことばとして聞かれるべきことを示しています。

《天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。・・・」》。

イエスさまは、復活なさったのです。ユダヤ人指導者は、ピラトに願って、墓石に封印をし、見張りを墓に立てていました(27章62~66)。彼らはイエスさまを処刑するだけでは足りず、手立てを尽くしてイエスさまの運動を封じ込めようとしました。しかし、その努力も空しく、神はイエスさまを墓から解放したのです。

お墓参りに来たこの女性たちは、《マグダラのマリアともう一人のマリア》だといいます。この女性たちは、イエスさまが十字架に掛けられた姿を見守っていました(27章55~56)。また、お墓に葬られるのも見守っています(27章59~61)。男の弟子たちが逃げ去ったあとも、最後まで女性たちがイエスさまに着いていた姿は印象的です。

二千年前、女性は証人としての法的資格が認められていませんでした。ですから、ここで女性たちが復活の最初の証人として報告されていますが、法的にはこの人たちの証言は無効です。ところが、教会ではいつでもどこでも女性たちは神の力の証人として欠かせない存在でした。だからこそ、この物語は教会に大いに愛されてきたのです。

復活したイエスさまと出会った弟子たちの話は、二千年前の一回限りの出来事というだけでなく、今も私たちの間で起こっているイエスさまとの出会いの物語として読むことができます。

地震と天使の出現によって、見張りをしていた番兵たちは《恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった》と書かれていますが、二人の女性たちも同じだったようです。天使は女性たちに《恐れることはない》と語りかけますが、「恐れているのを止めなさい」という意味です。女性たちは恐れていたのです。「イエスさまは復活なさった」という天使の言葉を聞いた女性たちは、《恐れながらも大いに喜び》ました。恐れと喜びが併存している状態でしたが、女性たちは天使の言葉を信じ、その指示に従って弟子たちに知らせに行きます。信じて従う彼女たちにイエスさまは自らを現します。イエスさまが行く手に立っていて、この女性たちに《おはよう》と声をかけます。

話しの流れから離れますが、ここでちょっと注釈を入れます。「おはよう」と訳された言葉は、新約聖書の言葉ギリシア語では「カイレテ」です。これは、直訳すると「あなたがたは喜びなさい」という意味ですが、「喜べ」はふつうのギリシア語の挨拶の言葉でして、「おはよう」でも「こんにちは」でも「さようなら」でも、ギリシア語では「喜べ」が使われます。ですから、新共同訳聖書では「おはよう」という日本語に訳されています。岩波書店版では、ここは原語の意味をとって「喜びあれ」と訳されています。私たちが以前に使っていた口語訳聖書では「平安あれ」です。これは、イエスさまは女性たちに自分の国の言葉で話しかけたと考えられますから、そうすると「シャローム」と言ったはずです。ヘブライ語「シャローム」は訳せば「平和」または「平安」です。

さて、話しを元に戻します。復活のイエスさまと出会うことによって、彼女たちは本当に恐れから解放されます。「恐れ」が「喜び」に変えられる出来事、それが復活の体験だと言えるでしょう。

ところで、天使の指示とイエスさまの指示は同じ内容ですが、注目すべき違いがあります。それは、天使は《急いで行って弟子たちにこう告げなさい》と、「弟子たち」と言っているところで、イエスさまは「わたしの兄弟たち」と言いるのです。《行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる》

《イエスを見捨てて逃げてしまった》(26章56)弟子たち、《そんな人は知らない》とイエスさまを否認したペトロ(26章69~75)のことを、イエスさまは《わたしの兄弟たち》と言います。復活の主は、慈悲深くも彼らを赦し、「弟子」以上に固い絆で結ばれた者として、ご自分の親密な「兄」弟として受け入れることを表しています。先ほどは、女弟子たちにとって、復活は「恐れ」から「喜び」へと変えられる出来事と言いましたが、男の弟子たちにとっては、復活は「悔恨と絶望」から「再起と希望」へと変えられる出来事であったと言えると思います。

復活は、言葉で書き尽くすことができない、説明のできない出来事です。神さまだけが信頼できる方であるがゆえに、私たちは信じることができるのです。

復活祭の出来事は、聖金曜日の出来事についての神さまの注釈と見ることができます。聖金曜日にイエスさまは《エリ・エリ・レマ・サバクタニ。わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか》

と問うていますが、復活は十字架に対する神さまの側の答えだと受け取るべき事柄です。十字架にかけられたメシアのよみがえりです。十字架によってイエスさまがメシアであることが無効にされたように見えるけれども、復活がイエスさまがメシアであることを確証しているのです。十字架は神さまの救いの歴史の中心的な出来事として解釈できるのです。それゆえにこそ、弟子たちはイエスさまの死を悲劇ではなく、勝利として理解したのです。

復活のイエスさまは今も、私たちと共にいて、私たちの歩みを支え、導いてくださいます。「恐れ」を「喜び」へと、「絶望」を「希望」へと変えてくださいます。主はよみがえられた。ハレルヤ。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2011年4月17日 受難主日 「イエスの死の意味」

マタイによる福音書27章11〜54節
説教:高野 公雄 牧師

さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。

ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。

それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。

兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。

さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。

そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。

百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

マタイによる福音書27章11〜54節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

教会の暦で、復活祭前の一週間、きょうからの一週間を「聖週間」といいます。週の初めの日、イエスさまはエルサレム神殿に、柔和な動物であるロバに乗って、入城しました。ラザロの復活の奇跡を見聞きした群衆は、しゅろの枝を打ち振って「ホサナ、ホサナ」と喜びの声を上げて歓迎します。今朝の礼拝は、その日を記念して、マタイ21章1~11にあるその記事を読み、そして讃美歌77番を歌って、私たちもまた「ホサナ、ホサナ」とイエスさまを称えることから始めました。

このように、群衆は、大きな歓声をもってイエスさまのエルサレム到着を迎えたのですが、その週の木曜日にはイエスさまは弟子たちの足を洗い、最後の晩餐を祝い、弟子たちに別れの説教をします。そして、ユダの裏切りによって逮捕され、翌日の金曜日には、十字架に付けられて殺されてしまいます。そして、三日目に、次の日曜日の朝早く、復活されます。来週は、ご復活を祝う復活祭です。

教会の暦は、日曜日の礼拝において、イエスさまの生涯の大事な出来事を読むことになっていますから、きょう、受難の主日には、マタイによる福音書の受難の記事を読みました。そして聖金曜日、受苦日には、伝統にしたがって、ヨハネによる福音書の受難の記事を読みます。

イエスさまの受難の物語はたいへん大事ですので、いつもよりも長い区分を読みました。そして、より良く味わえるように、みんなで配役を分け持って、受難劇として読むのが習慣です。そのために、便宜上、ト書きの部分と、登場人物のセリフの部分をはっきりと分けました。

一緒に読んでみて気づかれたと思いますが、聖書はイエスさまの十字架については、不思議と、細かいことは書きません。ただ、《彼らはイエスを十字架につけると、・・・》としか書かないのです。ところが、イエスさまをとりまくさまざまな人については、彼らがイエスさまをどう取り扱ったか、こまごまと書かれています。ピラト、祭司長や長老たち、群衆とローマ軍の兵隊たち、十字架上の強盗たちが、どのようにイエスさまを嘲弄し、イエスさまを十字架に付けたかが詳しく書かれたのは、私たちのためです。私たちが彼らと同じようにイエスさまの十字架の意味を悟らないで、イエスさまをののしる者にならないためです。

群衆は、日曜日には「ホサナ、ホサナ」と叫んで、イエスさまを大歓迎していました。ところが、そのイエスさまが逮捕され、裁判に付され、ついには十字架に掛けられるという無力な姿を見せますと、とたんに気持ちが離れてしまいます。救い主は強者であってほしいのです。人に仕えるような者ではなく、人に仕えられるような支配者がほしいのです。ところがイエスさまは、病人を癒したり、助けたりはしましたが、自分自身を助けることはできない、自分のことには無力なのです。人々はそういうイエスさまを望んでいません。期待外れもいいところです。そんな奴は捨ててしまえ、という心境でしょう。まだ強盗のバラバの方が、ローマ軍に対して何かやってくれそうな期待がもてます。すでにローマ軍に反抗した実績があり、そのために死刑判決を受けて囚人となっているのですから。

犯罪人のバラバと比べると、イエスさまは無罪なのです。死刑に当たるような悪事はなにもしていません。ただ、ユダヤ人指導者の目から見て、イエスさまの活動とそのメッセージが危険なものと映ったので、殺されたのです。それを正当化するために裁判の形が採られました。ですから、裁判の記録を読みましても、死刑にならなければならないような理由ははっきりとしません。

《そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。『神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。』同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから》(40~43節)。

イエスさまの受難は、神さまのご意志です。ですから、イエスさまが自分を救って、十字架から降りてしまったら、その自助努力は、神から離れてしまうことを意味しています。「自分を救い、十字架から降りてみよ」という群衆の声は、神の意志を無視せよという悪魔の誘惑の声なのです。それは、荒れ野における悪魔の誘惑と同じ誘惑です。

《「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある」》(マタイ4章6)。

神から離れよという悪魔の誘惑は、目立つような悪を行なえという誘いであるよりも、目立たない形でありながら、実は神の意志に反することを行う、または選ぶというような誘惑の方が危険です。

ところで、イエスさまは十字架上で叫びます。

《エリ、エリ、レマ、サバクタニ》(46節)。

それは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。苦しむとき、悲しむとき、こう叫びたくなるのは自然なことかもしれません。でも、私たちならば、そう言いながらも、「あのときの自分の言動のせいかな」というように、見捨てられても仕方がないような理由が次々に思い出されるのではないでしょうか。そう考えると、この問いを、この祈りを口にできるのは、イエスさましかいないとも言えるのです。

つまり、ここでは、本来ならば、見捨てられるはずのない方が、見捨てられ、苦しんでいるのです。見捨てられるはずのない方が、見捨てられるのが、神のみ心であるならば、それは神さまの特別な意図があるはずです。十字架に続いて、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたことと、墓が開いて生き返った人がいたという出来事が、神さまの意図を現しています。

神殿の垂れ幕は、神さまが臨在される至聖所と神殿に仕える人々とを区切るものでして、罪ある人間は神さまのみ前に出ることを表していました。その垂れ幕が裂けたということは、神と人との隔たりが除かれたことを意味します。イエスさまの十字架によって、罪の贖いが完成され、神さまと私たちとを隔てるものが取り除かれて、私たちが自由に神さまと交わることができるようになったことを意味しています。

死んだ者が復活したことは、「死の克服」を意味しています。

《罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです》(ローマ6章23)。

十字架はイエスさまの無力を証明するものではありません。イエスさまは十字架によって、罪と死の力に勝利されたのです。イエスさまは、私たちを神と和解させ、新しい命を与えてくださったのです。

罪のないイエスさまが神さまに見捨てられたのは、見捨てられるべき私たちが見捨てられないようになるためでした。イエスさまの贖いを感謝して受けて、神さまと和解させていただきましょう。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださるように。アーメン

2011年3月20日 四旬節第2主日 「上昇志向」

マタイによる福音書20章17〜28節
説教:安藤 政泰 牧師

イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。

そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているのか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」
マタイによる福音書20章17〜28節


この世の価値観と聖書の価値観

春は人の出入りが多くあります。 転勤の季節でもあるからです。栄転、左遷とその人々により受け取りかたは様々です。都会に転勤になれば、栄転で地方に転勤になれば左遷と単純に人は考えるようです。

この世の価値観です。

この世の価値観を否定したり 悲観的に考えたり、自分の現状を厳密に考え、自分の罪を、自分の業の深さに悩む、それは、この世の価値観に捉われることになります。

自分が否定的に感じたり、自分のマイナスと感じることを、肯定的に、積極的に向き合うことが出来ると時、それを 乗り越えたこたとになります。

それに 捉われ悩むとき、私達はこの世の価値観の支配下にあります。

先日女優の大竹しのぶの話をテレビで見ました

父が教職で アシシの聖フランシスを日本に紹介し、彼を尊敬し清貧生きた方との事でした。

貧しい事を誇る生き方、物にこだわらない生き方をされたそうです。

彼女がある神父と話した時に、この世的な「欲望が無いのですが」「嫌いな人はいないのですが」と尋ねたそうです。そのとき尋ねられた神父は「欲望はありますが」それを「希望」と呼びます。「嫌いな人もいますが」それは その人の「個性」ですと答えたそうです。

一般的に「欲望」はそれを満たした段階で次の欲望が生まれます。

しかし それを得たいと望んでいるときが最も良い時ではないでしょうか。

その人は「自分とは全く違う個性の人」と考えるときに、嫌いな人と向き合うこともできるかもしれません。

聖書ではイエスと共に生活した直接の弟子も又、その弟子の家族も、この世的な価値観をもっていたことを記しています。ゼベダイの子の母は自分の息子の出世を考えてイエスに特別にお願いしています。この願いは私達に取ってみたらば、天国でその指定席をイエスに予約するようなもの、と受け止められます。

宮殿ではなく馬小屋で、都会エルサレムではなくナザレの田舎で、栄光の王座ではなく、罪人を罰する十字架で、これがイエスが身をもって示された道です。イエスは本当に尊い方は仕えられる者ではなく、仕える者であるとしめしておられます。

この母のイエスへの願は、イエスを自分なりに信じ、確信したからこその願であり、子を思う母の願でもあったのでしょう。

自分なりに信じ、それを イエスにぶつけ、願っても良いのです。

それが 唯一のイエスに従う道ではないでしょうか。

「給仕する」と言う言葉のギリシャ語はディアコネオです。

このディアコネオは「塵」コニアと通ってディア、塵にまみれる行為、です。

愛はけっして奇麗事では済みません。塵にまみれ、身を汚す事もしばしばあるはずです。それは、イエスの受難がその事を語っています。

聖書の教える、ひとに仕えると言う事とこの世にしきたりとの間には。ある場合には大きな襞たりがあります。

しかし、私たちはこの世の価値観を否定するのではなく、その向こうに主が示しておられる道を見ようとするとき、私たちはこの世の価値観を超えることができます。

受難の主を裏切った弟子たちは、その現実の向こうに主が希望を示してくださいました。

それが 復活の主であり、昇天の主です。