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聖霊降臨祭

 聖霊降臨祭(ペンテコステ)は復活祭(イースター)、降誕祭(クリスマス)と並んで、キリスト教三大祝祭の一つで、イエスキリストが復活してから50日目にあたりますから、ギリシャ語で「50」という意味の「ペンテコステ」と言われます。この祝祭はキリスト教会の誕生日と言われています。

 イエスキリストが復活してから50日目に、弟子たちが家に集まっていると、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒言行録2:2~4)という出来事を彼らは体験しました。そして「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」(2:41~42)とありますように、ここにキリスト教会誕生の歴史的瞬間が描かれています。

 弟子たちが集まっていた日はユダヤ教三大祝祭の一つである「五旬節(七週祭)」の日でした。この祝祭は同じく三大祝祭の一つである「過越祭」の日から7週間の間、収穫された大麦の穂(オメル)を神殿に捧げ、7週間後の次の日の50日目に祝うというもので、イスラエルが新しい土地を神から与えられ、その土地の収穫を祝う農耕のお祭りです(申命記16:9)。また、この日にモーセがシナイ山で神から律法を授かったことから、このお祭りはユダヤ教誕生の祝祭としても祝われるようになりました。

 信仰と生活において、神の民としての新しい歩みを記念するのがこの五旬節ですが、これに対して聖霊降臨における教会の誕生は、新しい神の民(新しいイスラエル)としての歩みの始まりであると言えましょう。この出来事は一時の宗教的運動ではなく、教会という形で存続し、展開されていく福音宣教の基礎となったということを明確にしています。また教会はただ建物を現すものではなく、キリストの体であると言われます(エフェソ1:22~23)。キリストは律法の完成者であり、それは神への愛と隣人への愛に中心をもち、自身は十字架と復活において、律法を完全に遵守できない人々の罪を赦し、復活において死からの復活の初穂となりました。神の民としての新しい歩みとは、このキリストにある歩みであり、キリストの体である教会に連なるということは、キリストに連なるという意味でもあるのです。キリストに連なるキリスト者というのは、この復活の初穂となったキリストに続く収穫の象徴として、洗礼において現される神の恵みであり、キリスト者の誕生は収穫の喜びを味わうかのように、教会という共同体全体の喜びでもあるのです。

 この教会の誕生は「聖霊」の働きにおいて起こった出来事でした。聖霊とは目には見えないが、現実に働く神の力です。イエスは弟子たちに「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録1:8)と言われ、またパウロが「聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。」と言っているように、聖霊の働き(降臨)がなければ、イエスキリストを知ることができないので、復活の証人としての福音宣教に従事することはできず、教会そのものも意味を成さなくなる(ただの建物としてしか見られない)というのです。初代教会の歴史が描かれている使徒言行録が別名「聖霊言行録」と言われる所以は、使徒たちの働きが全て聖霊における神の恵みと導きであるということを強調しているからです。それは現代の教会における福音宣教、奉仕の業も同様に、聖霊の賜物における働きなのです。

 聖書の御言葉から、聖霊の働きを現すシンボルには風や炎、鳩が挙げられます。特に「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」とあるように、聖霊は炎のような赤を象徴する色ともなりました。聖霊降臨祭の日になると、教会は聖霊の象徴であるこれらのシンボルを用いて、この祝祭を祝ってきたのです。

昇天日

 復活したイエスキリストの昇天を記念し祝う日です。復活祭(イースター)から40日目にまいります。
ですから、復活祭から40日目の昇天日は木曜日となります。多くのキリスト教圏の国ではこの日に昇天礼拝を守り、またある国では教会の鐘を鳴らして、街中にキリストの昇天の出来事を知らせ、お祝いするそうです。日本の教会では平日に礼拝を守ることが困難なので、次の週の日曜日に昇天礼拝(昇天主日)を守る教会もあります。

 復活後のキリストが40日にわたって、弟子たちの前に姿を現した聖書の記述から(使徒1:3)、昇天日は復活から40日目とされましたが、元々この昇天日は50日目の聖霊降臨(ペンテコステ)といっしょに記念し、守られていました。それは、復活から始まって昇天と聖霊降臨の意図することが別々のことではなく、ひとつのまとまりであり、結ばれていると理解できるからでしょう。

 天に上げられる直前、復活したキリストは弟子たちに復活の証人として、地の果に至るまで全世界に福音を宣べ伝えよと言われ(マタイ28:19、マルコ16:15、使徒1:8)、その宣教の業は彼らに聖霊が下って力を得ることによって、実現されていくという約束をされました(ルカ24:49、使徒1:8)。その直後に、キリストは弟子たちを祝福しながら天に上げられていき、弟子たちの前から姿が見えなくなりました(ルカ24:50~51、使徒1:9)。聖霊降臨はこの10日後に起こりますが、それは昇天に際してのキリストの約束が実現したとことのしるしであり、この聖霊の力において、弟子たち(教会)による世界宣教への委託が明確になったことでもありました。ですから、キリストの昇天は、教会がこの世における宣教の使命を自覚させられたことであり、それは聖霊降臨によって実現するというところにまで結びついているのです。

 二ケア信条、使徒信条では、天に上ったキリストが神の右の座につくということが告白されています。神の右の座というのは、神に一番近い場所を意味します。それは、昇天したキリストこそが天の代理人であり、全世界の主権者であるということが言われているのです。教会はこのキリストを頭とし、またキリストの体として、単なる建物や場所を現すものではなく、キリストの支配に満ちている場であります(エフェソ1:20~23)。

 キリストの昇天後、天を見つめていた弟子たちの傍に天の御使いが現れて、彼らにキリストが再びこの地上に来られることを約束します(使徒1:10~11)。それは地上における神の国(神の支配)の完成であり、すなわち救いの完成を意味するのです。
教会の宣教は復活の証人としてこのキリストを宣べ伝え、神の国を求めて歩みつつ、いずれ天から再び来られるキリストに希望を抱いて後の時代にも引き継がれていくのです。

復活祭(イースター)

 イエスキリストの復活を記念し、祝う日です。キリスト教3大祝祭(イースター、ペンテコステ、クリスマス)の1つで、教会暦の中で一番古い祝祭です。かつてはこの復活祭の時にだけ洗礼式が執り行われていました。
 週の初めの日(日曜日)、弟子のマグダラのマリアたちは、遺体に香料を塗るために、イエスが葬られた墓に行きますが、そこに神の御使いたちが現れ、イエスが復活したということを聞かされます。彼女たちが墓の中に入ると、そこは空の墓で、遺体はどこにもなく、遺体に巻かれていた亜麻布だけがそこに残っていました。彼女たちは他の弟子たちにイエスの復活を知らせ、弟子たちはその証言を信じることができませんでしたが、復活のイエスは40日に渡って、日曜日ごとに弟子たちの前に現れ、彼らを慰め、祝福しました。(マタイ28:1~15、マルコ16:1~18、ルカ24:1~49、ヨハネ20:1~21:25、使徒1:3)そのため、復活の主が日曜日ごとに来られるので、この日を主日と言い、毎週日曜日に主日礼拝が守られるのです。
 復活祭の起源は2世紀頃だと言われています。復活祭の日については様々な議論が成されてきましたが、最終的には4世紀の教会会議(325年のニカイア公会議)で、春分の日の後にやってくる最初の満月の直後の日曜日(3月22日から4月25日の間)と決められました。日曜日が満月の場合は、翌週の日曜日となります。
 復活祭の「イースター(Easter)」という語源は、ローマ(ゲルマン民族)の光と春の女神エオストレ(Eostre)という名前から来ていると言われています。イースターもクリスマス同様、異教の文化、祝祭に関わりがあるのです。
 現在の教会では、復活祭を日曜日の朝に守る教会がほとんどですが、ユダヤ教の一日は日没から始まり、日没で終わるので、その規定に伴って復活祭の最初の礼拝を土曜日の晩から行うという教会もあります。これを復活徹夜祭(イースター・ヴィジル)と言い、古くから教会の主教、司教(聖職者)を中心に守られてきました。 
 復活祭は主日礼拝の要であり、礼拝を規定しているこの復活祭は教会暦の中心にあると言えます。ですから、毎週の主日礼拝も、小さな復活祭なのです。また使徒パウロが「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」(Ⅰコリント15:14)と言うように、教会の宣教、伝道活動とは、イエスの復活という救いに伴う出来事から始まり、その救いを全世界(地の果てに至るまで)に宣べ伝えて行くことなのです。

聖金曜日

 受難週(聖週間)の金曜日を聖金曜日(Good Friday)と言い、イエスの十字架と死を記念する日です。
 イエスは弟子のユダの裏切りによって、ユダヤの宗教権力者たちに捕らえられ、彼らの手によって裁判にかけられますが、当時ローマ帝国の支配下にあったユダヤ人たちには、死刑の判決を下す権限がなかったので、彼らはイエスをローマの総督ポンテオ・ピラトに引き渡し、ピラトはイエスに死刑判決を下します。イエスは十字架を背負ってゴルゴタに引かれ、そこで十字架につけられ、現在の午後3時に息を引き取り、墓に葬られました。(マタイ26:47~27:66、マルコ14:43~15:47、ルカ22:47~23:56、ヨハネ18:1~19:42)
 聖金曜日の礼拝、祝祭は、4世紀頃のエルサレム教会に起源を持つと言われています。カトリック教会、プロテスタント各教会によって礼拝の構成は様々ですが、現在は、礼拝の終わりのところで、祭壇の布や装飾(お花、ろうそく)をすべて取り除き、祭壇を黒い布で覆い、(黒は「死と暗黒」のしるし)沈黙の内に礼拝堂から退場するという礼拝式や、また、前日に祭壇をすべて空にしておき、礼拝の中ではオルガンや鐘も鳴らさず、ただひたすら沈黙の中で、祈りが捧げられるという礼拝のもち方もあります。そして、伝統的にこの日は報告やお知らせ、愛餐会やその他集会などは一切行いません。
 キリストの十字架、それは呪いと敗北、死という終わりを象徴しているものに過ぎないかもしれません。しかし、このキリストの十字架によって、人の罪は赦され、(コロサイの信徒への手紙1:14)そして3日後に、神様はこのキリストを死から復活させ、死を超えて復活の命に与ったことによって、死が打ち破られ、死が終わりではないということが示されたのです。その復活の喜びを真の喜びとして受け止めるためにも、しばし、この十字架の死に思いを向けるのです。「光は暗闇の中で輝いている(ヨハネによる福音書1:5)」ように、十字架の闇と復活の光は切り離すことができないのです。