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復活祭(イースター)

 イエスキリストの復活を記念し、祝う日です。キリスト教3大祝祭(イースター、ペンテコステ、クリスマス)の1つで、教会暦の中で一番古い祝祭です。かつてはこの復活祭の時にだけ洗礼式が執り行われていました。
 週の初めの日(日曜日)、弟子のマグダラのマリアたちは、遺体に香料を塗るために、イエスが葬られた墓に行きますが、そこに神の御使いたちが現れ、イエスが復活したということを聞かされます。彼女たちが墓の中に入ると、そこは空の墓で、遺体はどこにもなく、遺体に巻かれていた亜麻布だけがそこに残っていました。彼女たちは他の弟子たちにイエスの復活を知らせ、弟子たちはその証言を信じることができませんでしたが、復活のイエスは40日に渡って、日曜日ごとに弟子たちの前に現れ、彼らを慰め、祝福しました。(マタイ28:1~15、マルコ16:1~18、ルカ24:1~49、ヨハネ20:1~21:25、使徒1:3)そのため、復活の主が日曜日ごとに来られるので、この日を主日と言い、毎週日曜日に主日礼拝が守られるのです。
 復活祭の起源は2世紀頃だと言われています。復活祭の日については様々な議論が成されてきましたが、最終的には4世紀の教会会議(325年のニカイア公会議)で、春分の日の後にやってくる最初の満月の直後の日曜日(3月22日から4月25日の間)と決められました。日曜日が満月の場合は、翌週の日曜日となります。
 復活祭の「イースター(Easter)」という語源は、ローマ(ゲルマン民族)の光と春の女神エオストレ(Eostre)という名前から来ていると言われています。イースターもクリスマス同様、異教の文化、祝祭に関わりがあるのです。
 現在の教会では、復活祭を日曜日の朝に守る教会がほとんどですが、ユダヤ教の一日は日没から始まり、日没で終わるので、その規定に伴って復活祭の最初の礼拝を土曜日の晩から行うという教会もあります。これを復活徹夜祭(イースター・ヴィジル)と言い、古くから教会の主教、司教(聖職者)を中心に守られてきました。 
 復活祭は主日礼拝の要であり、礼拝を規定しているこの復活祭は教会暦の中心にあると言えます。ですから、毎週の主日礼拝も、小さな復活祭なのです。また使徒パウロが「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」(Ⅰコリント15:14)と言うように、教会の宣教、伝道活動とは、イエスの復活という救いに伴う出来事から始まり、その救いを全世界(地の果てに至るまで)に宣べ伝えて行くことなのです。

聖金曜日

 受難週(聖週間)の金曜日を聖金曜日(Good Friday)と言い、イエスの十字架と死を記念する日です。
 イエスは弟子のユダの裏切りによって、ユダヤの宗教権力者たちに捕らえられ、彼らの手によって裁判にかけられますが、当時ローマ帝国の支配下にあったユダヤ人たちには、死刑の判決を下す権限がなかったので、彼らはイエスをローマの総督ポンテオ・ピラトに引き渡し、ピラトはイエスに死刑判決を下します。イエスは十字架を背負ってゴルゴタに引かれ、そこで十字架につけられ、現在の午後3時に息を引き取り、墓に葬られました。(マタイ26:47~27:66、マルコ14:43~15:47、ルカ22:47~23:56、ヨハネ18:1~19:42)
 聖金曜日の礼拝、祝祭は、4世紀頃のエルサレム教会に起源を持つと言われています。カトリック教会、プロテスタント各教会によって礼拝の構成は様々ですが、現在は、礼拝の終わりのところで、祭壇の布や装飾(お花、ろうそく)をすべて取り除き、祭壇を黒い布で覆い、(黒は「死と暗黒」のしるし)沈黙の内に礼拝堂から退場するという礼拝式や、また、前日に祭壇をすべて空にしておき、礼拝の中ではオルガンや鐘も鳴らさず、ただひたすら沈黙の中で、祈りが捧げられるという礼拝のもち方もあります。そして、伝統的にこの日は報告やお知らせ、愛餐会やその他集会などは一切行いません。
 キリストの十字架、それは呪いと敗北、死という終わりを象徴しているものに過ぎないかもしれません。しかし、このキリストの十字架によって、人の罪は赦され、(コロサイの信徒への手紙1:14)そして3日後に、神様はこのキリストを死から復活させ、死を超えて復活の命に与ったことによって、死が打ち破られ、死が終わりではないということが示されたのです。その復活の喜びを真の喜びとして受け止めるためにも、しばし、この十字架の死に思いを向けるのです。「光は暗闇の中で輝いている(ヨハネによる福音書1:5)」ように、十字架の闇と復活の光は切り離すことができないのです。

受難主日

 棕櫚の祝祭をもってしてイエスのエルサレム入場を記念することよりも前に、教会では(主にローマでは)受難週(聖週間)の最初の日曜日をイエスの受難記念日として礼拝が守られていました。(受難主日)礼拝の始まりに、エルサレムへの入場、それはイエスの受難と十字架への道を記念して、マタイによる福音書からイエスの受難物語が朗読されてきました。(マタイ26~27章)
 現在では受難週(聖週間)の最初の日曜日を受難主日として礼拝を守る場合、その日の福音書は年によって、マタイ、マルコ、またはルカの福音書から、イエスの受難物語から選ばれます。教会によっては、イエスの受難物語に登場する人物とナレーター(福音史家)のセリフに担当者を決めて、それぞれ割り振られた担当の言葉を朗読していくというやり方もあります。