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2013年12月1日 待降節第1主日 「救いの創始者」

マタイによる福音書21章1〜11節
藤木 智広 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

教会の新年とも言えます、教会暦の始まりの時が私たちに与えられました。教会暦は救い主イエスキリストのご降誕を待ち望む待降節、アドベントから始まります。アドベントとは、アドベントゥスというラテン語から来た言葉で、「~に向かって接近する、近づくという意味です。」それは私たちの救いのために、神様が接近してくださる、近づいてくださるということです。その神様の御心を顕すために、御子イエスキリストがこの世に遣わされる、その時を待ち望むのがアドベントです。

この教会暦の始まり、待降節の第1主日に毎年私たちは主イエスのエルサレム入場の場面から御言葉を聞きます。福音書全体の後半部分、それはエルサレムでの伝道が展開されていく場面ですが、その旅路は十字架に向かっています。死への旅路であります。十字架へと赴く、この主のみ姿に、救いの始まりをもたらす、救いの創始者としてのキリストを見出す、教会暦の始まりに私たちが聞くべき大切な御言葉であります。

主イエスのエルサレム入場を迎える人々は活気に溢れていました。人々は主イエスのエルサレム入場を、歓呼の声を持って、歓迎したのです。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
(21:9)ホサナ、それは「主よ救ってください」という言葉、今すぐに救ってくださいという人々の期待が込められた声でした。主イエスご自身のことは既にエルサレム中に広まっていました。待ちに待った救い主がやっと自分たちのところにやってきた、人々は「自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。」とありますように、旧約聖書に描かれている新しい王様を迎えるようにして、主イエスを、期待を持って迎え入れたのです。そして、その王様としての姿は、かつてのイスラエルの英雄であるダビデ王に重ねていました。ダビデ王がもたらしたかつての繁栄を再び垣間見ることができる。神様が約束してくださった救いとはこういうことだ、彼らはそう信じて疑わなかったはずです。しかし、期待の声は、数日後に裏切りの声に変わってしまうのです。「十字架につけろ」と。それは憎しみの叫びだけではありません。失望の叫びでもあり、諦めの叫びでもあります。こんなはずではなかったのに。あれだけ歓呼の叫びをあげた自分自身に失望する、後悔する、期待を裏切られるという体験をしたものの叫びです。現実を受け入れたくない叫びだけがむなしく木霊しているのです。

彼らは主イエスを王様として迎えた、そのイメージはダビデ王と重なりました。しかし、ダビデ王の繁栄の先には国の分裂、滅びが民に待ち受けていたのです。国も家族も財産も失い、彼らの祖先は囚われの身となったのでした。その最大の原因は、「偶像崇拝」という彼らの思い、心にありました。神様を信頼できなかったのです。力強く、豊穣をもたらす神様を求めた、期待が持てる神様を求めた。すぐにでも自分たちの苦しみを解き放ってくれる期待通りの存在を頼みとしたのです。しかし、それは自分たちの「期待」という枠にはめた制限された神様、ようするに人間が造った神様です。突き詰めれば、そこで立場は逆転している、人間が神様となっている、そういうことです。

自分の期待通りにことがはこぶ、それは喜び、楽しみだけがあるということでしょう。それだけが私たちの人生でしょうか。いやでも私たちは苦難や困難を経験しなくてはなりません。されど、その只中にあるからこそ、人生の意味が見えてくる、生きるという活力が生まれるのではないでしょうか。それを示してくださるのが、今まさに人々の前を行かれる、十字架へと向かわれる主イエスのみ姿にあります。ここに旧約の預言が記されています。「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」(21:5)そして、この預言が実現します。弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。(21:6-7)馬ではなく、ろばに乗って、主イエスは入場しました。荷を負うろばです。馬に跨って、華麗に駆け巡ったのではなく、ろばに跨って、とぼとぼと歩まれた。馬に跨って、王としての威厳を人々に示したのではなく、ろばに跨って、荷を負うろばのように、重荷を背負われた。馬に乗り、爽快に駆け抜けるかのように、順風満帆な人生を歩んでいくということではなく、ろばに乗り、とぼとぼと一歩一歩歩む。それは様々な問題とぶつかり向き合いながら、決して思い通りにはならなくとも、その時その時に新しい発見があり、視点が与えられ、今までに見えなかった美しさが備えられていることに気づかされるということ。神様を受け入れられる始まり、それは期待通りの自分が造った神様ではなく、困難や苦難の中で、全てを失い空っぽになった自分の中に、受けいれられる隙間ができるから、その方を受け入れることができるということです。期待で胸がいっぱいだと、どこにも隙間がない、受け入れられる隙間がないのです。

今日は12月1日です。日本人の学生にとってはとても重要な日です。それは就活解禁日という日だからです。2015年の内定が決まる就職活動(就活)が始まった日です。そんな中、株式会社マイナビが「2014卒の学生を対象に就活時に受けたプレッシャーについてアンケート調査をした」というニュースの記事がありました。実に8割以上の人が就活にプレッシャーを感じたそうです。他にいろんな声がアンケートに載せられていましたが、その中で、「就活の失敗は人生の失敗」、「内定が取れないということは、自分は社会から必要とされていない、自分を否定されたと」いうアンケートの答えがありました。例年景気の悪化という状況の中で、就職活動に関する苦労話というのは日常茶飯事に聞きますが、この答えからして、自体は相当に深刻であるということを受け止めざる得ません。肉体的にも精神的にもきつい中で、頑張って就活しているのに、全然報われない、全く期待通りの結果にならない、就活生は全員というわけではありませんが、ほとんどの方がいやでもそのことを体験します。そして人生の挫折以上に、自分の人生全体に亀裂が走る、自分の存在すら危機的な状況を迎えるという深刻さを味わう。決してそれは大げさな声、思いではありません。本当に助けて欲しい、救って欲しいという切実な願いです。しかし、それは果たして仕事が得られれば、問題が解決する、救われるのかというと、そうではないということを私たちは知っています。そこで働いていけるという保証はどこにもないし、必要とされていたのではなくて、実は利用するために過酷な労働をさせるという話はいくらでもあるからです。そこでは人生の失敗では済まされない、人生の滅びという状況に遭遇するかもしれない、また自己否定ではすまされない、自己の消滅を招くかもしれないのです。ルカによる福音書9章25節に「人はたとえ、全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては何の得があろうか。」という主イエスの言葉がありますように、たとえ期待通りの、順風満帆な就活ができても、現場に行って働いてみないとわからない、働く、働いていくという実存的な自分の土台を築いていけるという確証はないのです。されど、就職活動に限らず、人生の失敗、自己が否定されない安全な生き方などあるのでしょうか。むしろ、私たちは常に、そういった状況の中で、人生を歩んではいないだろうか、その只中でしかやり遂げられないことだってたくさんある、気づかされることはたくさんあるのです。

主イエスはろばに跨り、静かにゆっくりと、みすぼらしく十字架への道を歩んで行かれます。そして人々から罵られます。救い主としてのご自身の存在を否定され、歪められます。彼らの手によって、十字架につけられ、死を迎えます。彼らへの伝道が失敗したかのに、無駄であったかのように、壮絶な最期を迎えるのです。しかし、それで終わったわけではない。三日後に復活したのです。それは彼らの期待が答えられたのではなく、全世界の人が救われるという出来事が起こったということ、人生の終着点だと思われていた「死」が滅ぼされたのです。私たちの期待とか願望といった枠を破って、神様の御業が成就した。完成したのです。救いの完成です。死が否定され、生が、存在が根本的に肯定されたのです。その救いをもたらすために、救いの創始者として、主イエスは子ろばにまたがり、人生の失敗や困難、苦労を担いつつ歩む私たちと共に歩んでくださるのです。神様は近づかれた、救いは近づいているのです。

だから、救い主イエスは私たちの、まさにろばに跨り期待通りの順風満帆な人生ではない私たちの歩みの中にこそ来てくださったのであります。人生の失敗、自己を否定されつつも、神様は御言葉を通して、あなたに語り続けます。この価値観に縛られ、奴隷にならないようにと、新しい命、歩みに私たちを立たせて下さる。

旧約の預言は「ろばに跨る柔和な王」を記しています。マタイ福音書11章28~30節に「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」という主イエスの言葉、招きの言葉があります。主イエスは柔和な方です。私たちを受け止めてくださる柔和、包容力のある方です。そしてわたしのもとに来なさい、わたしに学びなさいと私たちを招かれる。主イエスの軛を共に負わせていただく人生。その荷は軽いと言われます。苦労が減るとか楽な人生が歩めるとか、そういうことではありません。わたしたちが背負う重荷、困難、苦労です。しかし、私たちの重荷を真に重荷にしているのは、私たちが抱いているもの、期待するものです。それ故に、重たくなる重荷という重荷を背負う人生。その重荷からこそ主イエスは軽くしてくださるというのです。それらの縛りから開放してくださるからです。

日々忙しさの中に私たちの歩みがあります。重荷に押しつぶされてしまうほどのプレッシャーを感じます。結果だけを見つめて、真実を見失います。理想や期待の果てに疲れを経験します。そんな私たちを主イエスは招かれるのです。休ませて下さり、真実を語ってくださる。よけいな重荷を降ろして、生きるために必要な重荷を共に背負って下さる。御言葉を通して私たちにそう神様は語られる。少し荷が軽くなりませんか。期待通り、理想通りにいかないという重荷を手放して、主イエスという軽いくびきを共に背負い、共に歩んでまいりましょう。神様は近づいておられる。だから、あなたの救いのドラマはもう始まっているのです。

人知では到底計り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン。

2013年1月6日 顕現主日 「賢者の来訪」

マタイによる福音書2章1〜12節
高野 公雄 牧師

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。

『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
マタイによる福音書2章1~12節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン


12月25日から12日間の降誕節が終わり、1月6日から顕現節という新しい季節が始まります。「顕現節」とは、イエスさまが世の救い主メシアであると明らかに示されたことを祝う季節です。今週は東の博士たちの礼拝によって、来週はイエスさまが洗礼を受けたときの「これはわたしの愛する子、これに聞け」という天の声によって、メシアであるイエスさまの到来を祝います。今年は1月6日がちょうど日曜日になりましたが、そうでない年には、1月2日以降の最初の日曜日に顕現主日を祝います。

《イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。》

イエスさまがユダヤのベツレヘムでお生まれになったことは、クリスマスにルカ福音ですでに聞きました。ルカ福音では、その誕生は皇帝アウグルトゥスのときのことであったとありましたが、マタイ福音では、それがヘロデ王の時代のことだと言います。このヘロデ王はアウグストゥスに取り入ってパレスチナ一帯の王として取り立てられたヘロデ王家の創始者であって、ふつうヘロデ大王と呼ばれます。権力の座に長くとどまった大変に老獪であるとともに残忍な支配者でありました。この王が33年間統治して紀元前4年に死ぬと、領土は3人の息子に分割されます。イエスさまが活動したガリラヤ地方とヨルダン川の東側のペレア地方はヘロデ・アンティパス(マタイ14章1)が治め、ヘロデ・フィリポ(マタイ14章3)がガリラヤの東のトラコン地方と北のイトラヤ地方を治めました。サマリア・ユダヤ・イドマヤはヘロデ・アルケラオ(マタイ2章22)に配分されましたが、悪政のために流刑に処せられ、以後、ローマから派遣された総督が直轄することになりました。ポンティオ・ピラトは5代目の総督です。

「占星術の学者たち」と訳された言葉の原語はマギ、単数でマゴスです。マギは、メディア(今のイラン)の一部族であり、祭司階級でもあった「マギ」に属する人を指します。彼らは占星術や魔術にすぐれていたと言われ、そのためにマギはマジック(魔術)の語源となりました。しかし、彼らは当時の最高の知識人であり、「博士」とも訳されます。いまでこそ、天文学astronomyと占星術astrologyははっきりと別物ですが、当時は、天体を観察することと、そこから運勢を読み取ることはひとつでした。

《ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。》

まず、星の運行のことですが、当時の記録によると、魚座で木星と土星との接近が観測されています。当時の占星術では、木星は世界の支配者の星、魚座を終末時代のしるし、土星はパレスチナの星と考えられていました。木星が魚座で土星と出会うなら、それは、パレスチナで終末の時代の世界支配者があらわれることを示しています。

また、「ユダヤ人の王」という表現は、メシア王すなわち神によっていつかイスラエルに与えられると約束されていた救い主である王を意味します。東方の博士たちは、メシア王の星が昇るのを観察し、その王に拝謁するためにはるばると旅に出ました。彼らは星の導きによってエルサレムまで来ることができました。メシアは王子として王宮に生まれると思ったのかもしれません。彼らは王宮を訪れましが、そこには尋ねるお方はいませんでした。実は、エルサレムからベツレヘムまでは南にあとわずか7KMの近くまで来ているのですが、そこから先は聖書の専門家に尋ねることが必要でした。

この「星の導き」を比喩として読むことができるでしょう。友人の誘いとか、教会が近くにあるとか、子供がミッションスクールに入ったとか、三浦綾子さんの小説を読んだとか、ホームページを見たとか、星の導きはいろいろの仕方がありうるでしょう。それは私たちをイエスさまの近くまで導いてくれますが、イエスさまと人格的に出会うことは、聖書の説き明かしを通してしか起こりえません。東方の博士たちが彼らの知見だけではイエスさまに会えなかったのは、そのことを示唆します。クリスチャンの人生は、聖書のみ言葉によって導かれる旅路です。迷いや不安の中でで、み言葉を信じて歩むのです。

《これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」》

はたして、聖書の専門家はメシアの誕生の地を知っていました。それは、旧約聖書ミカ書5章1にありました。《エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。》マタイの引用と微妙な異同がありますが、それは代々のクリスチャンが伝承する間に生じたものでしょう。

《そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。》

このヘロデの言葉は下心を秘めたものです。彼はイエスさまを自分の主として仰ぐ気はなく、むしろ自分の身を危うくする敵と見て、これに続く物語では、イエスさまを抹殺しようと、ベツレヘム周辺の二歳以下の男児を皆殺しにするよう命じています。

メシアの誕生ということは、罪と闇の世を救うために神自らが乗り出したことを意味しています。この神の直接介入は、東方の博士たちのように歓迎するとは限りません。ヘロデやエルサレムの住民のように、無視または排除しようとする反応も起こります。神の救いを待ち望んでいたはずのユダヤ人が、いざメシアがお生まれになったと聞いた時、なぜ喜べなかったのでしょう。それは、「あなたはそれで良いのか」と問われ、今の自分が揺さぶられるからだと思います。他者の干渉なしに気ままに自分の生活を形作ろうとするのが私たちの悲しいさがです。神の介入は要らぬお世話であり、不安の種です。マタイは救い主誕生に対する異邦の博士たちと自国の王の対応を対比させて、私たちにイエスさまを迎え入れて、救いの喜びを得なさいと勧めているのです。

《彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。》

博士たちは遠路はるばる旅をして、ついに幼子イエスさまを尋ね当てます。喜びにあふれて、み子の前にひれ伏し、持参した宝物を献げます。献げ物は、身も心も献げるという証しです。博士たちは宝の箱を空にしましたが、もっとすばらしい宝物を、喜びの基をいただいたのです。イエス・キリストによる救いです。それまで、彼らの宝の箱に入っていたのは、財産とか地位とか名誉とか才能とか家族とか健康といったものだったでしょう。それらは、私たちの人生を支える大切なものです。けれども、それらを失ってもなお私たちを支え導いてくれるものがあります。それがイエス・キリストによる救いであり、それが喜びの基です。

そしてそこから、新しい人生の旅が始まります。「別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」とあるのは、エルサレムとヘロデ王の城に戻るのではない別の道という地理的な意味だけではありません。神を知らない人生から、神を信じ、神と共に歩む別の人生を歩き始めたことを言うのです。どんなことが起ころうとも、イエスさまが先立って私たちを導いてくださいます。新しい年、新たな歩みを始めましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年1月8日 顕現主日 「ユダヤから世界へ」

マタイによる福音書2章1〜12節
説教: 高野 公雄 師

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

マタイによる福音書2章1〜12節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

新年2回目の日曜となるきょうの暦は、顕現主日です。顕現祝日は本来、クリスマスの12日間が終わった翌日の1月6日なのですが、週日に礼拝を守ることの困難な状況から、一般に1月2日から8日の間の日曜日に移して祝われます。

「顕現」は、ギリシア語では「見えるようになる、姿を現わす」という意味で、やや漠然としています。これを「神が人間などの姿をして現れること」ととりますと、それは「降誕」を指すとも考えられます。実際、古代では「顕現」は「降誕」という意味で用いられていたようで、この祝日が定着していたアレクサンドリアでは、この日を「イエスさまの誕生日」だとしていていました。やがて西方から「クリスマス」という祝日が伝わった時、「顕現」は「イエスさまが神の子として認められた日」という現在の意味になってきたようです。

顕現節は降誕節の終わりから四旬節の始まりまで続きます。顕現祝日または顕現主日の福音は毎年、東の博士たちの話が読まれますが、来週以降の各主日には、「これはわたしの愛する子」という点からの声が聞こえたイエスさまの洗礼、イエスさまが水をぶどう酒に変えたカナでの婚礼、イエスさまの姿が光輝き、やはり「これはわたしの愛する子」と天の声が降った山上の変容などを「顕現」の出来事として記念し、祝います。

マルコ福音には誕生物語がなく、「イエスさまの洗礼」から始まっています。古くは「イエスさまが神の子として認められた日」として、顕現祝日には「イエスさまの洗礼」を祝った教会もありました。そうした教会では、東の博士たちの礼拝は、クリスマスと結びつけられました。その影響は、今日にも広く及んでいます。

「顕現」について話はこれまでにして、きょうの福音に戻りましょう。きょうの書き出しは、日本語には訳されていませんが「そのイエスがヘロデ王の時代に・・」と「その」という定冠詞が付いています。これは、前の段落で天使がヨセフに「その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」と告げ、そして生まれるとお告げに従って「その子をイエスと名付けた」とある、それを受けての「そのイエスが」です。きょうの話は、イエスさまが《自分の民を罪から救う》お方だということを大前提としているのです。しかし、きょうの物語ではイエスさまは背景に退き、主役は東から来た無名の外国人とヘロデ王です。

「占星術の学者」と訳された言葉は、メディア(今のイラン)の一部族であり、ゾロアスター教の祭司階級でもあった人を指しています。ユダヤ人は、そんな外国の異教徒は神と出会うことも、救いにあずかることもできないと考えたでしょう。しかし、神は思いもかけない仕方で、彼らに救い主イエスさまとの出会いを、大きな喜びを与えてくださいました。

ベツレヘムは、エルサレムから7KMほど南にある町ですが、マタイ福音はイエスさまがベツレヘムで生まれたことを、旧約の預言の成就と見ています。ベツレヘムはダビデ王の出身地であり、メシア(ダビデの子孫である理想的な王)はベツレヘムで生まれるという伝承がありました。6節で引用されているミカ書もそのひとつです。預言者ミカは、当時さびれていたベツレヘムの町(いちばん小さいもの)から救い主が誕生すると預言し、これを人の思いを超えた神のすばらしい計画を見ています。

このように、メシア(ギリシア語でキリスト)という言葉にはいつも「王」のイメージが付いているのですが、「イエスさま王である」ということの本当の意味は、降誕物語だけでなく、その生涯全体を見なければ、正しく理解できません。

ヘロデは紀元前37~前4年までローマ帝国からユダヤの王として認められて君臨したのですが、純粋なユダヤ人ではなく、ユダヤの南のイドマヤ人の血を引いていたので、ユダヤ人からは正当な王と認められませんでした。それで《ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか》との言葉を聞いたときに自分の地位を脅かす存在と感じて不安を抱きました。16節以下に、彼がその幼子を抹殺しようとしてベツレヘム周辺の幼児を大量虐殺した話があります。

ところで、この「占星術の学者」は、「3人の博士」とか「3人の王」とイメージされています。マタイ福音には3人ということは書かれてなく、黄金・乳香・没薬という3つの贈り物からいつの間にか3人ということになったようです。そして、博士たちが贈り物をささげたことが、クリスマスにプレゼントをする習わしの元になっていると言われています。

また、3人の博士はよく「らくだ」と共に描かれています。これもマタイ福音には書かれていません。実は、きょう旧約の日課で読んだ預言が元になっているようです。《らくだの大群、ミディアンとエファの若いらくだが、あなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる》(イザヤ書60章6)。

3人の博士は「星」に導かれて旅をしたのですが、この「星」はバラムの預言した「ヤコブの星」を思い起こさせようとしているのでしょう。《わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり、モアブのこめかみを打ち砕き、シェトのすべての子らの頭の頂を砕く》(民数記24章17)。この「星」が、後に「ベツレヘムの星」としてクリスマス・ツリーの天辺に飾られるようになったものです。

占星術の学者たちが幼子イエスさまを訪問したこの出来事は、イエスさまによってもたらされた救いが民族の壁を越えてすべての人にもたらされる、ということを示しています。この東の博士たちによる礼拝の行為は、シメオンの賛歌《これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの誉れです》(ルカ2章32)に対応するものであり、イエスさまがすべての国の、すべての人々のためにやって来たことを示し、神の業は、世界のほんの少数の人たちだけに限られるものではないことを示す最初のものでした。きょうの説教題は「ユダヤから世界へ」です。二千年前にユダヤに始まったこの救いの知らせは、現に、極東アジアの私たちにも届けられているのです。

一方には遠路はるばる来て礼拝した博士たちがいます。他方にはメシアがどこで生まれるかを知りながら、真に礼拝しようとはしないヘロデや律法学者たちがいます。メシアを一番よく知っているはずの人たちが、メシアから最も遠い人でした。

私たちにとって、博士たちとヘロデたちは、心のうちの二つの態度を象徴していると考えてよいでしょう。労苦に耐えてイエスさまを追い続けようとする心、現状の生温さを守ってイエスさまに背を向けようとする心。誰もが自分の心にこの二面があることに気づくと思います。2012年の歩みを始めるにあたり、前方に輝くイエスさまにしっかりと目を据えて歩む決心を固めたいと思います。イエスさまが愛の力で励まし、支えてくださることを信じて。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

 

追記
昔から顕現祝日には復活祭その他の日取りを公表する習慣がありました。
復活祭は春分の以後の満月の次の日曜日と定められていますが、今年の春分の日の後の最初の満月は4月7日(土)です。したがって復活祭は4月8日(日)。その50日後の5月19日(日)が聖霊降臨祭になります。

2011年11月20日 聖霊降臨後最終主日 「最後の審判」

マタイによる福音書25章31〜46節
説教:高野 公雄 牧師

人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
マタイによる福音書25章31〜46節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

本日は、教会の暦ではマタイ年の最後の主日です。私たちは、マタイ福音書のイエスさま最後の説教を聴きました。続く26章以下はエピローグでして、イエスさまの受難と復活の物語になっていきます。
きょうの福音は、小見出しに「すべての民族を裁く」と付けられています。マタイ24章14に《御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る》とあります。マタイ先生の考えでは、福音が全世界に伝え終わらないうちに、「最後の裁き」は来ないとされているのですが、きょうの福音はその「最後の裁き」について述べています。

始めの31節《人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く》、これがマタイ先生によるこのたとえ話の表題です。
続く32~33節がたとえ話本体の舞台設定になります。《そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く》。羊と山羊はウシ科の動物で、互いに良く似ていて、旧約のヘブライ語では、羊と山羊ははっきりとは区別されませんが、山羊の方が羊よりも先に家畜とされたと考えられています。山羊はペットとして飼われるくらいに人なつこく、体も丈夫です。
羊の群れの中に山羊を混ぜておくと群れの扱いが楽になります。群れの先頭はオスの山羊が務め、首にベルをぶら下げて、群れを導きました。群れは、昼間は放牧されていますが、夜になると羊飼いは広がっている群れを囲いの中にかき集めます。羊は新鮮な空気が好きで、山羊は暖かさを求めるので、分けて集められます。
34節以下の話しによりますと、右側に分けられた羊は《さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい》と神の国に招き入れられた人たちを表しており、左側に分けられた山羊は《呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ》と断罪された人たちを表しています。これにならって、教会では、聖壇の奥に立てられた大きな十字架、イエスさま像から見て右手が優位の方角であって、福音の側、説教壇のある側とされます。ただし、私たちの教会では、何らかの理由によって説教壇はイエスさまの左手に置かれています。
日本では「左右(さゆう)」と言うように、昔は中国にならって左が優位の方角でした。天皇が左で皇后は右、左大臣は右大臣よりも優位でした。三月の雛飾りは昔はそのように置かれていましたが、江戸では和語で「右左(みぎひだり)」と言うように、右が優位の方角と考えられるようになり、地方により人によって雛人形の置き方が異なるようになったということです。
ところで、なぜ羊が良いと認められる人にたとえられ、山羊が良くないとされる人にたとえられるのでしょうか。それについては、キリスト教信仰がギリシア・ローマ世界に伝えられた当時、人々は山羊を多産・豊穣をもたらすものの象徴とみなして信仰の対象となっていたために、キリスト教の側では山羊を低くみなすようになったと考えられています。

いままで見てきた31~33節は、世の終わりのあり様そのものを伝えようとしているというよりも、裁きの中身、何が神によって決定的に問われることか、ということを語るための舞台装置のような役割を果たしています。このたとえ話は、世の終わりの裁きの様子やその客観的基準を教えるための話ではなくて、マタイ先生はこのたとえ話で、神の判断基準に照らして私たち自身の今の生き方を問いかけているものと考えられます。他の人たちがどのように裁かれるかということを知識として教えようとしているのではありません。
34節以下の物語によれば、最後の裁きで祝福を受けるのか、それとも呪いを受けるのか、その違いを生み出すのは、実際にわたしたちの目の前にいて、助けを必要としているすべての人を指していると受け取ることができます。その人々に私がどう関わったのか、ということによります。そういうことだけであれば、どんな宗教でも言いそうなことであって、なにもキリスト教に限っての話しではありません。しかし、実はこのたとえ話では、イエスさまはそれ以上のこと、つまり新しい教えを述べています。
《すると、正しい人たちが王に答える。「主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。」そこで、王は答える。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」》。
イエスさまの右手に集められた人たちは、飢えたり渇いたりする者たちが「人の子」イエスさまであるとは知らずに、援助の手を差し伸べています。彼らは「最後の裁き」のことなど念頭になく、ただ憐れみを抱いたから、小さい人、弱い人、この世に生きにくい人を助けたのです。
40節と45節の人の子の言葉では、「最も小さい者にしたこと」と「わたしにしたこと」が同一視されています。なぜイエスさまは《わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである》と言えたのでしょうか。「飢えていた、のどが渇いていた、旅をしていた、裸であった、病気だった、牢にいた」。イエスさまの十字架への歩みは、これらの苦しむすべての人と一つになる道でした。だからこそ、イエスさまはその人々を「わたしの兄弟」と呼び、彼らとご自分が一つであると語るのです。私たちは、目の前の苦しむ人の中に、イエスさまご自身の姿を見ようとします。それは、この目の前の人が神の子であり、イエスさまの兄弟姉妹であることを深く受け取り、私たちにとってその人がどれほど大切な人であるかを感じ取るためなのです。

マタイ先生は、単に人間同士の連帯ということだけを考えていたのでしょうか。しかし、人はまずイエスさまを見、イエスさまを愛することを学んだ後でないならば、どのようにして「最も小さい兄弟」を見、かつ愛することができるでしょうか。マタイ先生にとっては、無限の赦しを受けたものが始めて、ゆるしに基づいて生き、かつその上で他人にもゆるしつつ出会うことを学ぶのです。それゆえ、み言葉に耳を傾けることも、実際に人に対して親切であることも、両方とも重要なのです。
信仰には十字架上の強盗のように(ルカ23章42~43)、信じつつ助けを求めることだけで成り立つ、未完成だけれども本物の信仰があります。しかしまた、それとは対照的に、そのもとである源泉を知らないままに、貧しい人たち、小さい人たちに対し、神の意志を行なうという形で成り立っている、これまた未完成ではあるけれども本物の信仰もあるのです。あらゆる愛の行為は、イエス・キリストご自身が貧しい人という形で私たちのところに来るという事実に基づいてのみ生きているのですが、しかしそのことは最後の審判になって始めてすべての人に明らかになるのです。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン