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2014年7月6日 聖霊降臨後第4主日 「神の収穫に生きよ」

マタイによる福音書9章35~10章15節
藤木 智広 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

本日の説教題を「神の収穫に生きよ」と変更して、御言葉の取りつぎをさせていただきます。

「収穫は多いが、働き手が少ない。」(9:37)今日の福音で主イエスはこのように言っております。収穫、それは農業における刈り入れを意味します。その収穫が多いと聞けば、田畑一面が黄金色に輝く麦の穂でびっしりと埋め尽くされている豊作の光景を思い浮かべます。豊作を目の当たりにして、喜びと驚きの声をあげている農夫の姿が垣間見えてまいります。Read more

2014年6月29日 聖霊降臨後第3主日 「愛の招き」

マタイによる福音書9章9〜13節
藤木 智広 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(9:13)
この主イエスの御言葉を聞くたびに、私はルターが語る「義人にして同時に罪人」という言葉を思い起こします。これは、半分は義人(正しい人)で半分は罪人であるという意味ではありません。完全に義人であり、同時に完全に罪人であるという意味です。一見矛盾しているように思えますが、それがキリストに招かれた者、救いに招かれた者であるということなのです。Read more

2014年6月22日 聖霊降臨後第2主日 「根底からの平安」

マタイによる福音書7章15〜29節
藤木 智広 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

マタイによる福音書5章から7章に記されている山上の説教の最後の箇所が、今日の福音として私たちに与えられました。聞いていた群衆はこの主イエスの言葉に非常に驚き、(7:28)「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになった」(7:29)主イエスのお姿が、彼らの目に映っていました。Read more

2014年6月15日 三位一体主日 「疑いに先立って」

マタイによる福音書28章16〜20節
藤木 智広 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

遠藤周作の小説「沈黙」の中に、キチジローという青年が登場します。彼は、ポルトガルから命懸けで日本に潜入したロドリゴ神父と船の中で出会い、ロドリゴたちを五島列島に住む隠れキリシタンの村に案内します。キチジローはこの村のクリスチャンですが、事あるごとにクリスチャンであることを隠し、簡単に葉教することを誓ったり、その度に赦しを乞うたりしてロドリゴたちを困らせます。挙句の果てには、ロドリゴを裏切って、役人に彼の所在をばらしてしまいます。その後もキチジローは捕まったロドリゴを訪ねては役人に追い返され、そんな彼のことをロドリゴは軽蔑します。結局このロドリゴも踏み絵を踏んで、棄教することを受け入れるのですが、彼の下にまたしてもキチジローが赦しを求めて訪ねます。この時、キチジローの顔を通してイエスキリストがロドリゴに語るのです。「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?」最後にロドリゴはキチジローを赦すのです。Read more