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宗教改革記念日

 宗教改革記念日は、1517年10月31日に、ドイツの修道士マルティン・ルターがヴィッテンベルクの城教会に『贖宥の効力をめぐる討論』と題された『95箇条の提題』を掲示したことを契機に始まった宗教改革を記念する日です。この記念日は、宗教改革が起こった世紀から守られ、当初はルターの誕生日である11月10日、あるいはルターの死去した2月18日に守られていましたが、17世紀になって、『95箇条の提題』が掲示された10月31日が宗教改革の記念日と定められ、現在に至っています。いくつかの国及び、ドイツの一部の州では、この日は祝日とされています。また、多くのプロテスタント教会では毎年10月31日に近い日曜日を宗教改革主日として、礼拝を守っています。

 宗教改革は当時のローマ・カトリック教会からプロテスタント教会が独立した運動、記念行事と見られがちですが、この改革の根本的な意図は教会組織の改革ではなく、信仰の改革でした。すなわちそれは、聖書の御言葉に立ち返る運動であり、聖書のみが証しする神の恵みによって、人は救われ、その恵み深い神への信仰(信頼)によってのみ人は義人とされるということでありました。(信仰のみ、恵みのみ、聖書のみ)

 ただ、宗教改革、すなわち教会(当時のローマ・カトリック)は改革される必要があるという風潮は、ルター以前の時代から既にありました。その只中で公に提示された『95箇条の提題』は、『贖宥の効力をめぐる討論』という題が付けられていますように、当時教会が推奨していた「贖宥状(免罪符)」の効力を否定する内容のものでありました。教会が発行し、推奨していた贖宥状を購入することによって、魂は救われるという宣伝文句のもと、民衆はこの贖宥状を買わされ、大きな負担を教会から強いられていました。ルターはそのような人間が作った贖宥状に魂の救済を得られるという根拠は全くないと解き、その救済はただ恵みの神にのみあり、その愛する独り子であるイエスキリストを信じることにおいて与えられるということでした。さらにルターは、この贖宥状は、人々の魂の救済ではなく、人々への搾取であると非難しました。このルターの声に民衆は賛同し、民衆に広く受け入れられ、改革運動の発端となっていったのです。

 そして、ルターを始め、多くの改革者が改革運動を推し進め、プロテスタント教会は誕生しました。この改革運動に対して、ローマ・カトリック教会もただ指をくわえて静観していたわけではなく、対宗教改革運動を引き起こして、教会の指針を明確なものにしていきました。

 以来、宗教改革記念日は毎年の記念礼拝に加えて、記念日から100年ごとに大きな祝祭が催されてきましたが、その内容は両教会への非難を伴うものでありました。しかし、20世紀に入って公に展開されていったエキュメニズム運動(教会一致運動)は、教派間の教理を分かち合い、互いに主においてひとつの教会であるという相互の交わりを持つ大きな転機を迎え、今日においても対話が成されています。それまで、両教会の非難の機会となっていた宗教改革記念日の祝祭にも大きな変化が起こり、近年にはカトリック教会とルーテル教会がこの宗教改革記念日に、合同の礼拝が執り行われました。

 数百年に及んで、宗教改革記念日はこのように守られてきましたが、この日は、その改革運動を記念として記録に留めるだけではなく、現代に生きる者の信仰もまた改革され続けていくことを新たに思い、神に向き合うひと時なのです。

三位一体主日

 聖霊降臨祭(ペンテコステ)の次の主日(日曜日)に来るのが三位一体主日です。聖霊降臨祭から待降節(アドベント)までの長い期間を聖霊降臨節(聖霊降臨後の季節)と呼びますが、三位一体主日そのものが独立して守られているわけではなく、聖霊降臨節の中にある主日として守られているので、聖霊降臨節の第1主日(聖霊降臨後第1主日)が三位一体主日となります。

 三位一体主日の起源は10世紀頃の西方教会だと言われ、14世紀に入って祝日と定められましたが、「三位一体主日」という名称はあまり浸透せず、「聖霊降臨後の主日」としてこの主日が守られてきました。

 「三位一体」という言葉は聖書には記述がなく、また歴史的な出来事にも基づきません。この言葉は4世紀のニカイア公会議(325年)で確定したキリスト教の教理(三位一体論)で、後のキリスト教会において、三位一体の神を信じるというキリスト教信仰の中心的教義となりました。今日、多くの教派に分かれているキリスト教会は、この三位一体の神を信じるという共通の信仰理解を持っています。すなわち、三位一体の神を信じる教派であれば、他の教理との違いがあっても、それはキリスト教会であるということです。

 三位一体とは、神が「父なる神、子なるキリスト、聖霊」という三つの位格(面)を有する唯一の神として存在する教理で、三人の別々の神がいるわけではなく、唯一の神の中に三つの位格が相互に浸透し、三つにして一つの神であるということです。三つの位格から人間に対する三つの交わり、関わりを持つ唯一の神が三位一体の神です。
 三つの位格における神の働き(人間への関わり)について、父なる神は天地創造の創造主なる神、子なるキリストは、父なる神から生まれたまことの神であるのと同時に、おとめマリアから生まれたまことの人であるイエスキリストで、十字架のあがないにおいて、人間の罪を赦してくださる救いの神、聖霊は人間の内面に働きかける神の力であり、人間をきよめ、救いの完成へと導く神、というそれぞれの位格における神の働きがあるのです。

 また、聖書に「父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」(マタイ28:19)という言葉があるように、洗礼の恵みはこの三位一体の神の名によって与えられるということが言われていますし、同時に、三位一体の神の名を覚える時、それは既に洗礼を受けている人にとっては、洗礼の恵みを思い起こすことでもあるのです。洗礼は生涯で一度限りのことではありますが、日々の歩みの中でこの恵みに立ち返ることが、悔い改めであります。

 三位一体の神との関わり、人間への働きかけは生涯に及ぶものなのです。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」(Ⅱコリント13:13)

聖霊降臨祭

 聖霊降臨祭(ペンテコステ)は復活祭(イースター)、降誕祭(クリスマス)と並んで、キリスト教三大祝祭の一つで、イエスキリストが復活してから50日目にあたりますから、ギリシャ語で「50」という意味の「ペンテコステ」と言われます。この祝祭はキリスト教会の誕生日と言われています。

 イエスキリストが復活してから50日目に、弟子たちが家に集まっていると、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒言行録2:2~4)という出来事を彼らは体験しました。そして「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」(2:41~42)とありますように、ここにキリスト教会誕生の歴史的瞬間が描かれています。

 弟子たちが集まっていた日はユダヤ教三大祝祭の一つである「五旬節(七週祭)」の日でした。この祝祭は同じく三大祝祭の一つである「過越祭」の日から7週間の間、収穫された大麦の穂(オメル)を神殿に捧げ、7週間後の次の日の50日目に祝うというもので、イスラエルが新しい土地を神から与えられ、その土地の収穫を祝う農耕のお祭りです(申命記16:9)。また、この日にモーセがシナイ山で神から律法を授かったことから、このお祭りはユダヤ教誕生の祝祭としても祝われるようになりました。

 信仰と生活において、神の民としての新しい歩みを記念するのがこの五旬節ですが、これに対して聖霊降臨における教会の誕生は、新しい神の民(新しいイスラエル)としての歩みの始まりであると言えましょう。この出来事は一時の宗教的運動ではなく、教会という形で存続し、展開されていく福音宣教の基礎となったということを明確にしています。また教会はただ建物を現すものではなく、キリストの体であると言われます(エフェソ1:22~23)。キリストは律法の完成者であり、それは神への愛と隣人への愛に中心をもち、自身は十字架と復活において、律法を完全に遵守できない人々の罪を赦し、復活において死からの復活の初穂となりました。神の民としての新しい歩みとは、このキリストにある歩みであり、キリストの体である教会に連なるということは、キリストに連なるという意味でもあるのです。キリストに連なるキリスト者というのは、この復活の初穂となったキリストに続く収穫の象徴として、洗礼において現される神の恵みであり、キリスト者の誕生は収穫の喜びを味わうかのように、教会という共同体全体の喜びでもあるのです。

 この教会の誕生は「聖霊」の働きにおいて起こった出来事でした。聖霊とは目には見えないが、現実に働く神の力です。イエスは弟子たちに「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録1:8)と言われ、またパウロが「聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。」と言っているように、聖霊の働き(降臨)がなければ、イエスキリストを知ることができないので、復活の証人としての福音宣教に従事することはできず、教会そのものも意味を成さなくなる(ただの建物としてしか見られない)というのです。初代教会の歴史が描かれている使徒言行録が別名「聖霊言行録」と言われる所以は、使徒たちの働きが全て聖霊における神の恵みと導きであるということを強調しているからです。それは現代の教会における福音宣教、奉仕の業も同様に、聖霊の賜物における働きなのです。

 聖書の御言葉から、聖霊の働きを現すシンボルには風や炎、鳩が挙げられます。特に「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」とあるように、聖霊は炎のような赤を象徴する色ともなりました。聖霊降臨祭の日になると、教会は聖霊の象徴であるこれらのシンボルを用いて、この祝祭を祝ってきたのです。

昇天日

 復活したイエスキリストの昇天を記念し祝う日です。復活祭(イースター)から40日目にまいります。
ですから、復活祭から40日目の昇天日は木曜日となります。多くのキリスト教圏の国ではこの日に昇天礼拝を守り、またある国では教会の鐘を鳴らして、街中にキリストの昇天の出来事を知らせ、お祝いするそうです。日本の教会では平日に礼拝を守ることが困難なので、次の週の日曜日に昇天礼拝(昇天主日)を守る教会もあります。

 復活後のキリストが40日にわたって、弟子たちの前に姿を現した聖書の記述から(使徒1:3)、昇天日は復活から40日目とされましたが、元々この昇天日は50日目の聖霊降臨(ペンテコステ)といっしょに記念し、守られていました。それは、復活から始まって昇天と聖霊降臨の意図することが別々のことではなく、ひとつのまとまりであり、結ばれていると理解できるからでしょう。

 天に上げられる直前、復活したキリストは弟子たちに復活の証人として、地の果に至るまで全世界に福音を宣べ伝えよと言われ(マタイ28:19、マルコ16:15、使徒1:8)、その宣教の業は彼らに聖霊が下って力を得ることによって、実現されていくという約束をされました(ルカ24:49、使徒1:8)。その直後に、キリストは弟子たちを祝福しながら天に上げられていき、弟子たちの前から姿が見えなくなりました(ルカ24:50~51、使徒1:9)。聖霊降臨はこの10日後に起こりますが、それは昇天に際してのキリストの約束が実現したとことのしるしであり、この聖霊の力において、弟子たち(教会)による世界宣教への委託が明確になったことでもありました。ですから、キリストの昇天は、教会がこの世における宣教の使命を自覚させられたことであり、それは聖霊降臨によって実現するというところにまで結びついているのです。

 二ケア信条、使徒信条では、天に上ったキリストが神の右の座につくということが告白されています。神の右の座というのは、神に一番近い場所を意味します。それは、昇天したキリストこそが天の代理人であり、全世界の主権者であるということが言われているのです。教会はこのキリストを頭とし、またキリストの体として、単なる建物や場所を現すものではなく、キリストの支配に満ちている場であります(エフェソ1:20~23)。

 キリストの昇天後、天を見つめていた弟子たちの傍に天の御使いが現れて、彼らにキリストが再びこの地上に来られることを約束します(使徒1:10~11)。それは地上における神の国(神の支配)の完成であり、すなわち救いの完成を意味するのです。
教会の宣教は復活の証人としてこのキリストを宣べ伝え、神の国を求めて歩みつつ、いずれ天から再び来られるキリストに希望を抱いて後の時代にも引き継がれていくのです。