ヨハネはイエスの母マリアの親戚にあたるエリサベトと祭司ザカリアとの間に生まれたイスラエルの預言者です。後にイエスが彼のことを「言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。」(ルカ7:28)と言っているほど、ヨハネはイエスの生涯とそのみ業に大きな影響を与えた預言者でした。
ザカリアとエリサベトは老齢でしたが、ある時、ザカリアが祭司の務めで聖所に入っていた時、天使が現れ、妻エリサベトが聖霊の働きによって身ごもり、その男の子をヨハネと名づけなさいと言います。また天使は、そのヨハネは主のみ前に偉大な人となり、イスラエルの人々を神のもとに立ち帰らせるという大きな働きをするとザカリアに告げます。やがて、エリサべトは身ごもり、イエスより六ヶ月早くヨハネは誕生します。その時ザカリアは聖霊に満たされてヨハネの働きを預言し、彼を祝福します。
成人したヨハネはユダヤの荒野で「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ3:2)と神の言葉を語り、人々に悔い改めて罪を告白するように教えます。そして罪を告白したものにヨハネはヨルダン川で洗礼を授けます。人々はヨハネこそが待望していたメシア(救い主)ではないかと噂しますが、ヨハネはそのことを否定し、自分より後から来る方は自分より優れており、履物をお脱がせする値打ちもないと言います。しかし、後からやってきたイエスはヨハネから洗礼を受けるためにやってきたことをヨハネに告げ、ヨハネはイエスに洗礼を授けました。
その後、ヨハネはガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスに投獄されます。ヘロデが自分の義兄弟の妻であるヘロディアを妻として迎え入れたという結婚の不道徳(律法の教えに背く行為)をヨハネが非難したからでした。その間、ヨハネはイエスの宣教を噂で聞き、イエスに質問するために使者を送っています。ヘロデは自分のことを非難するヨハネを殺そうと考えていましたが、民衆を恐れて実行に移せないでいました。ところが、自分の誕生日の時、祝いの席でヘロディアの娘サロメが父親である王の前で踊りを披露し、ヘロデを喜ばせます。そして、サロメに褒美を与えるために、何でも願い出るように言います。すると、ヘロディアは娘を唆して、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せてこの場でください」(マタイ14:8)とサロメに言わせ、牢獄に居たヨハネは首をはねられて処刑されました。祝いの後、遺体はヨハネの弟子たちが引き取り、彼らはこのことをイエスに報告しました。
ヨハネは多くの人々に悔い改めの洗礼を授けたことから、洗礼者ヨハネと呼ばれています。彼はイエスの先駆者として認識され、ヨハネが投獄されたと聞いた時、イエスは「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)と言われ、その出来事がイエスの宣教開始のきっかけとなり、また徴となったのです。
ヨハネの祝祭日は6月24日で、これは彼の誕生を記念する日です。他に、ヨハネの受難と死を記念する「洗礼者ヨハネの斬首」の祝祭日が8月29日に定められています。4世紀以降、教会は洗礼者ヨハネとイエスの誕生を六ヶ月の間隔を置いて定めました、イエスの誕生は昼の時間が一年で最も短い冬至の日、またはそれに近い日である12月25日に定められました。それはイエスがこの世の暗闇を照らす真の光として来られ、その光の輝きを記念するためでした。イエスの誕生の六ヶ月前に誕生したヨハネは、六ヶ月前の6月24日に誕生したとされ、(25日でないのは、6月と12月の長さの相違からと言われています。)この日がイエスの先駆者としての洗礼者ヨハネ誕生の祝祭日と定められたのです。