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受難主日

 棕櫚の祝祭をもってしてイエスのエルサレム入場を記念することよりも前に、教会では(主にローマでは)受難週(聖週間)の最初の日曜日をイエスの受難記念日として礼拝が守られていました。(受難主日)礼拝の始まりに、エルサレムへの入場、それはイエスの受難と十字架への道を記念して、マタイによる福音書からイエスの受難物語が朗読されてきました。(マタイ26~27章)
 現在では受難週(聖週間)の最初の日曜日を受難主日として礼拝を守る場合、その日の福音書は年によって、マタイ、マルコ、またはルカの福音書から、イエスの受難物語から選ばれます。教会によっては、イエスの受難物語に登場する人物とナレーター(福音史家)のセリフに担当者を決めて、それぞれ割り振られた担当の言葉を朗読していくというやり方もあります。

枝の主日

 レントの最後の一週間を受難週、または聖週間と言います。イエスキリストの生涯における最後の一週間について、エルサレム入場、最後の晩餐、十字架上の死、復活の出来事を4つの福音書が克明に記録している厳粛な期間であります。
 イエスはロバに跨って、おごそかにエルサレムに入場しました。(マタイ21:1~11、マルコ11:1~11、ルカ19:28~38、ヨハネ12:12~19)その姿は旧約の預言者ゼカリヤによって預言された、来るべき救いをもたらす正義と平和の王にイエスを重ねたものでした。けれど、それは権威と力を重ね備えた力強き王の姿ではなく、それらの力を破棄した柔和な王の姿でした。人々はこのイエスを歓呼の声をもってして迎え入れ、歓迎し、その際に自分たちの衣服を道に敷き、また木の枝を切って道に敷いた人もいました。ヨハネによる福音書の記事では(ヨハネ12:13)、なつめやしの木の枝を振って迎えに出たと記されています。このなつめやしの葉が棕櫚の葉ではないかと言われています。
 この聖書の出来事から、受難週を迎える最初の日曜日は「棕櫚の主日(日曜日)」または枝の主日(Palmarum,Palm Sunday)と呼ばれるようになりました。その起源は7世紀のスペイン、ガリア地域に遡ると言われています。この日曜日の礼拝の中で、イエスのエルサレム入場を独自に祝う棕櫚の行進行列を伴う祝祭が行われるようになっていき、棕櫚の枝がない地域では、代わりに常緑樹の枝や花をつけた枝を用いて行われていました。
 棕櫚の葉は、花言葉で「勝利、成功」という意味があり、月桂樹などと共に、勝利のしるしとされています。イエスを迎えた人々は、「ホサナ(ヘブライ語で「今救い給え」という意味)」と叫んで、自分たちを救ってくれる力強い救い主(メシア)としての期待を抱きました。しかし、このホサナの大合唱は、数日後には「十字架につけろ」という大合唱に変わるのです。棕櫚の葉が示す勝利のしるしは、武力において、人々が求めていた苦しみからの解放(当時イスラエルはローマ帝国に支配されており、その圧政からの解放を人々は願っていました。)をもたらす救い主の姿においてではなく、柔和な王の姿に示された無力な救い主の姿における十字架上の死、そしてその死の支配を打ち破った復活における罪と死からの勝利を示しているのです。