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2012年8月12日 聖霊降臨後第11主日 「十二弟子を派遣する」

マルコによる福音書6章6b〜13節
高野 公雄 牧師

それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」

十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。

マルコによる福音書6章6b~13節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった》。

イエスさまは、まずガリラヤ湖周辺の町や村で活動したあと、先週の福音で読んだように、故郷であるナザレ村に行き、教えを宣べ伝えたのですが、故郷の人々、身内の人々に受け入れられませんでした。それで、ナザレ村を出て、付近の村々を巡り歩いて、宣教することにしました。

《そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた》。

イエスさまの活動の、次の段階がきょうの福音です。十二弟子を二人ずつ組にして遣わすこととされました。この十二人の選びについては、すでに3章にこう報告されています。《イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった》(マルコ3章13~15)。彼らはいつもイエスさまのそばにいて、その言行をよく見習っていました。そして、ついにいま宣教に遣わされることになりました。「使徒」という呼び名は、ここに記されているように、使命を託されて「派遣された人」という意味です。

さて、弟子たちは二人一組で派遣されました。これは当時すでにユダヤ教の習慣だったそうです。マルコ3章では12人の名がただ羅列されているだけですが、マタイ10章の弟子の表では、二人一組の形で記されています。ルカ24章のエマオ村に落ち延びる弟子も二人連れでしたし、使徒言行録によればパウロの伝道旅行も最初はバルナバと、のちにはシラスと一緒でした。

「二人ずつ組にして」ということに、どんな意味があったのでしょうか。まずは、未知の土地に旅するときに、互いに助け合うことができて安全だということが考えられます。キリスト教は愛の宗教です。信徒同士が互いに愛し合う姿を示せれば、それ自体が信仰の証しになります。また、二人の証人が宣教内容の信ぴょう性を保証するということも考えられます。律法の規定に、《いかなる犯罪であれ、およそ人の犯す罪について、一人の証人によって立証されることはない。二人ないし三人の証人の証言によって、その事は立証されねばならない》(申命記19章15)とあります。これは、神の国の福音を証しする場合にも適用することができるでしょう。人が福音を受け入れるにしても拒否するにしても、二人一組の弟子たちは有効な証人となることができます。

《その際、汚れた霊に対する権能を授け》

マルコは弟子たちがイエスさまから権能が与えられたことを強調します。弟子たちは、神の国の福音を宣べ伝えるのですが、当時の世界では身体と精神を痛めつける悪霊を追い払うことができなければ、人々から伝道者として認めてもらえなかったのです。それほどに、どの宗教に限らず、今日の目から奇跡に見えようが見えなかろうが、そうした力をもって活動をするさまざまな人々がいたのです。彼らは「神の人(テイオス・アネール)」と呼ばれました。イエスさまも弟子たちもそのうちの一人と見なされていたようです。ですから、福音書は、イエスさまや弟子たちがそうした奇跡をできたこと自体を強調してはいません。むしろイエスさまの言動全体を伝えることによって、イエスさまこそがまことの「神の人」であると主張しているのです。

ところで、これらの人々は、巡回伝道者として活動していました。彼らは各地を旅してまわり、町の広場や集会所または路傍で活動しました。彼らは集まる人々に金品や食べ物を乞い、宿を提供する人を見出したのです。教えを聞く者が宿や食べ物を提供するのか当時の習慣であり、またそうすることが美徳であって、報いられると信じていたのです。

ファリサイ派の巡回伝道者もいました。マタイ福音書は彼らについて、《律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ》(マタイ23章15)と書いています。

《旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた》。

これが、イエスさまが弟子たちに与えた伝道の旅の心得です。当時の巡回伝道者の活動条件が前提とされているとはいえ、非常に粗末な装備です。伝道者は神の守りと配慮に信頼して出かけるのですが、この生き方は伝道者に大きな決断が求められたことでしょう。そして、神の守りは、善意な人を介して与えられます。

私たちは、人の世話にならないことを目指して教育されてきたと思いますが、神の配慮に信頼して生きるということは、人との出会いに信頼して生きることでもあります。ボランティア活動で人の世話はするが、自分は人の世話にはなりたくないと思う人がほとんどだと思います。でも、本当は、人は持ちつ持たれつだと本気で考えるのが、ボランティア精神なのだろうと思います。そうした心がないと、本当の奉仕はできないのかもしれません。

《また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい》。

神の人と見なされた人々が世界各地を巡り歩いていました。中には、良いもてなしを求めて宿を換える人がいたのでしょう。新約聖書に続いて二世紀前後に書かれた「ディダケー(十二使徒の教訓)」という書名の、キリスト教最初の教理問答書があります。そこでも、信徒に巡回伝道者に宿を提供することを勧めていますが、こう注意しています。宿の提供は原則一泊のみ、場合によっては二泊させても良い、しかし三泊を求めるのは偽預言者だと。また、宿を去るときは、その日の食べ物を持たせなさい、しかし金品を求めるのは偽預言者だと。伝道者には、宿を提供する人に大きな負担をかけない姿勢が求められていました。

《しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい》。

弟子たちが町々村々に出かけたとき、イエスさまがナザレ村で受け入れられなかったように、誰ひとり耳を傾ける人も、宿を貸す人もいない所もあったことでしょう。そのときは、福音を必要としている次の村を目指せということです。出ていくとき、「足の裏の埃を払い落す」という仕草は、ユダヤ人が異教の地から戻って、自国に入るときと同じです。それは異教の汚れを聖地に持ち込まないという意味がありました。ここでは、その地の人々との決別を意味するものでしょう。使徒言行録にはピシディア州のアンティオキアにおけるパウロたちの例が描かれています。《ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った》(使徒言行録13章50~51)。

迎え入れる者がいなければ次の町に移り、迎えてくれる家があればそこにとどまる。これは、いつ時代でも宣教の指針でしょう。人との出会いを大事する、そのことによってこの地に教会ができたし、浦和に学校ができたりしました。

《十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした》。

弟子たちはイエスさまと同じことをする、イエスさまの代理人です。マルコはイエスさまの活動について、こう書いていました。《ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた》(マルコ1章14~15)。弟子たちも福音を説いて、人々が神に立ち帰ることを促しました。また、イエスさまと同じく多くの悪霊を追い出しました。イエスさまが「油を塗って」いやしたとい記事は見当たりませんが、そういう習慣があったようです。《あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます》(ヤコブの手紙5章14~15)。

イエスさまは何度か弟子たちを派遣していますが、弟子たちを少しずつ成長させてくださったのでしょう。私たちもさまざまな奉仕の機会を与えられて、成長させていたくのだと思います。

宣教師たちの熱心な証しによって、今の私たちの教会も存在しています。彼らの信仰を受け継いで、私たちもイエスさまから派遣されている者であることを自覚し、この地に福音を証しするものでありたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年8月5日 聖霊降臨後第10主日 「故郷のナザレで」

マルコによる福音書6章1〜6a節
高野 公雄 牧師

イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。

マルコによる福音書6章1~6a


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

アーメン

 《イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた》。

イエスさまはこれまでガリラヤ湖周辺で活動していましたが、きょうの個所は、イエスさま一行が故郷のナザレに戻ってきたときの話です。

先週は、きょうの直前の個所を読みましたが、出血の止まらない女性をいやし、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」と励まされました。また、会堂長のヤイロの娘を生き返らせましたが、ヤイロには「恐れることはない。ただ信じなさい」と教えられました。イエスさまの力に信頼する「信仰」がテーマでした。このテーマは、きょうの話でも続いています。

イエスさまの故郷はナザレです。

ナザレは、ガリラヤ湖の西24キロにある丘の中腹に位置する村で、ヨセフとマリアが住み、イエスさまも30歳の頃までそこで過ごされました。それで、イエスさまは「ナザレのイエス」と呼ばれます。そして、イエスさまの弟子たちは「ナザレびとたち」(使徒言行録24章5)と呼ばれていました。メソジスト教会から別れたナザレン教会はこの「ナザレびと Nazarene」を教派名としています。

《多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か》。

ナザレにはユダヤ教の会堂があり、安息日にイエスさまは会堂で説教をしました。ルカ福音によると、当日はイザヤ書61章が読まれたようです。

《イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた》(ルカ4章16~21)。

マルコはイエスさまのメッセージを《時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい》(1章15)と要約していますが、ルカ福音においても、イエスさまは、苦しむ人すべてを救う神の恵みが今ここで現実のものとなっている、と説教して、人々はその恵み深い言葉に驚いたと記されています。

《この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた》。

ここには、私人としてのイエスさまについての情報が含まれています。ヨセフの名がなく、「マリアの息子」と呼ばれているので、ヨセフは早くに亡くなったものと考えられています。しかし、ヨセフがすでに死んでいたとしても、父親の名によって「ヨセフの息子」と呼ばれるのが普通ですから、「マリアの息子」という呼び名は、イエスはマリアの私生児だというような侮蔑を込めた言葉であったかもしれません。

イエスさまは大工でした。大工と言っても、家を建てる人ではなく、内装や家具を作る職人だったようです。また、弟や妹がいます。イエスさまは、長男として弟たちが育つまでは家業に励んで家族を支えたようです。弟のうちヤコブは、のちにエルサレム教会の指導者になったことが使徒言行録やパウロの手紙に記されていますが、他の弟や妹についての情報はまったくありません。

ナザレの人々はイエスさまの説教には感心するものの、イエスさまについて知っていることでつまづきます。

《イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた》。

この預言者についての言葉に似たことわざに「英雄も召使にはただの人 No man is a hero to his valet」というのがあります。ナポレオンのような英雄も彼の身の回りの世話をする付き人にとっては、ただの人にすぎないというのです。このことわざについて、ドイツの哲学者ヘーゲルは、それは「ヒーローがヒーローでないのではなくて、従僕が従僕であるからだ」と注釈をつけています。つまり、食事や衣服の世話というような日常茶飯事がすべてである者には、偉人の偉人たることを見る目がないということです。この解釈は、イエスさまの故郷の人たち、身内の人たちにもあてはまるし、私たちの聖書の読み方にもあてはまると思います。

現代人の思考の枠組みを自明の前提として聖書を読みますと、「ナザレのイエス」を歴史上の人物として社会的、心理的な目で読むことになります。私たちの常識で理解のできることだけを読むことになって、人間を愛する神の信実を体現したお方であるイエスさまの本質を捉えることができません。それは、ナポレオンの付き人の目でナポレオンを見る、身内の人たちの目でイエスさまを見ることと同じです。聖書を読むときは、現代人のものの見方、考え方を自明の前提としないで、未知の国を旅するつもりで、自分のもつ思考の枠を広げることが必要です。

ナザレの住民の日常生活に埋没した目でイエスさまを見たとき、その言行はとうてい好意的に受け入れることができなかったのでしょう。これと同じことを私たちはすでに3章で読んでいます。《身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである》(マルコ3章21)。

この3章の身内の人たちの記事は、十二人の弟子を選んだ直後に置かれていました。そして、きょうのナザレでの出来事は、その十二人を宣教に派遣する記事の直前に置かれています。これはマルコが意図して配置したことでしょう。イエスさまの弟子たちの宣教者も、喜んで受け入れられるだけではなくて、強い拒絶に遭うことを予示しています。きょうの第一朗読でもこう言われていました。

《「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。彼らは、その先祖たちと同様わたしに背いて、今日この日に至っている。恥知らずで、強情な人々のもとに、わたしはあなたを遣わす。彼らに言いなさい、主なる神はこう言われる、と。彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう》(エゼキエル2章3~5)。

昔の預言者たちも支配者からも民衆からも受け入れられず、殉教者が相次ぎました。新約の時代でも、洗礼者ヨハネの首がはねられ、イエスさま自身も十字架で処刑され、弟子たちも会堂から追放されたり殺されたりします。このことは、キリスト教がユダヤ人たちを離れて、異邦人の間に広まることへと繋がっていきます。

ところで、マルコはここで「親戚や家族」に敬われないことを強調しています。マルコ先生の教会でも、イエスさまの場合と同じく、クリスチャンとなることに、家族や親戚の強い反対があったことでしょう。ましてや身内への伝道は困難なものです。マルコ先生は、イエスさまの経験を話すことで、自分の教会員たちを、そして現代の私たちを慰め励まそうとしています。

《そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた》。

人間の信仰がなければ、イエスさまは無力だ、ということはありません。しかし、人々の不信仰がイエスさまの業を曇らせ、湿らせるように作用するということはあるでしょう。現にイエスさまは、ナザレを去って、ふたたびガリラヤ伝道に向かわれます。

ところで、3章の身内の人たちの記事は、こういう言葉で結ばれていました。《イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」》(3章33~35)。そうだとするなら、今日においてイエスさまのことを良く知っているイエスさまの身内とは、信者である私たちだということになります。

私たちは二千年前のナザレの身内と同じく、イエスさまに対する信仰、信頼を拒否しているなんてことは、ないでしょうか。教会の中が不信仰であるならば、そこではイエスさまのみ業が制限されてしまいます。イエスさまの身内である私たちこそ、「あなたの信仰があなたを救った」、また、「恐れることはない。ただ信じなさい」という慰めと励ましの言葉をしっかりと受けとめ、イエスさまの力に信頼する者でありたいものです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年7月29日 聖霊降臨後第9主日 「イエスの服に触れる女」

マルコによる福音書5章21〜43節
高野 公雄 牧師

さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」

マルコによる福音書5章25~34 (日課の一部)


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

きょうの福音は、聖書の小見出しにあるように、「ヤイロの娘」の話と「イエスの服に触れる女」の話とが入り組んでつながった長い段落となっています。そして、この二つの話はどちらも信仰の大切さを強調しています。イエスさまは服に触れた女性に対しては《娘よ、あなたの信仰があなたを救った》と言い、会堂長のヤイロに対しては《恐れることはない。ただ信じなさい》と言っています。

きょうは、焦点を「イエスの服に触れる女」の話にしぼって、この話が私たちに告げる福音をご一緒に聞きとっていきましょう。

イエスさまがガリラヤ湖の西岸に戻って来られると、大勢の群衆が集まってきました。そこへ会堂長のヤイロが来て、イエスさまの足元にひれ伏して、《わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう》としきりに願います。そこで、イエスさまがヤイロと一緒に出発すると、群衆も押し合い圧し合い従います。その時です。その女性が人ごみに紛れてイエスさまの服に触れたのは。

《さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである》。

彼女についてマルコはこのように紹介します。「出血が止まらない」とは、月経の出血が七日間を越えて異常に長引く病気をいうのでしょう。この病気については律法の規定があります。

《もし、生理期間中でないときに、何日も出血があるか、あるいはその期間を過ぎても出血がやまないならば、その期間中は汚れており、生理期間中と同じように汚れる。この期間中に彼女が使った寝床は、生理期間中使用した寝床と同様に汚れる。また、彼女が使った腰掛けも月経による汚れと同様汚れる。また、これらの物に触れた人はすべて汚れる。その人は衣服を水洗いし、身を洗う。その人は夕方まで汚れている》(レビ記15章25~27)。

古代の人々は死者に触れたり、出血に触ることによって、病気が感染すると考えて、これらの人々を汚れとして排斥していました。この女性は「汚れた者」とされて神との交わりを断たれ、汚れを人に移さないように人に近づくことを禁じられて人との交わりも断たれていたのです。十二年間とありますが、十二という数はイスラエルの十二部族とか、イエスさまの十二弟子とか、全体を象徴する数で、彼女の苦しみの深さ、その歳月の長さを表わしています。彼女は治療に全財産を費やしましたが、医者は直せませんでした。イエスさまの評判を聞いて、《この方の服にでも触れればいやしていただける》と思って、掟破り、律法違反ですが、群衆の中に入り込み、イエスさまの服に触れたのです。ルカ8章44には《この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった》とあります。房(ふさ)とは上着の四隅に付けた青い紐で、神への誠実を覚える目印です。会堂長のヤイロはイエスさまの足元にひれ伏して、《どうか、おいでになって手を置いてやってください》と願っています。しかし、この女性は汚れの身としてひそかにイエスさまに近づき、後ろからおずおずと衣服の裾に触ったのです。

《すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた》。

彼女はすぐに癒やされたことを感じます。同時にイエスさまも力が出て行ったことに気づきます。彼女の汚れがイエスさまに移され、イエスさまの清さが彼女に移されました。しかし、弟子たちはこの密かに起こった出来事を知りません。

《そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか」》。

これだけ大勢の群衆が集まっていれば、誰がイエスさまの服に触ったかを問題にする方がおかしい。そんなことに手間取っていないで、早くヤイロの家に行きましょう。こう弟子たちは考えたことでしょう。ヤイロも娘の身を案じて、気が気ではなかったでしょう。

また、その女性にしてもイエスさまには見逃して欲しかったはずです。人に近づいてはいけないのに群衆の中に紛れ込んだのですし、イエスさまの癒しの力を黙って盗み取ったのですから。それに自分が服の裾に触れてイエスさまを汚したため、会堂長の家に行けなくなってしまったかもしれません。どうしましょうか。

《しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した》。

彼女は不治の病を癒してくれた方のまなざしを感じると、群衆の中に匿名で隠れていることができなくなりました。み前に進み出て、ありのままの自分としてイエスさまと向き合います。このひれ伏した姿はイエスさまへの徹底的な謙遜と服従を表します。病気さえ直れば、もうイエスさまは不要というのではなく、むしろ病気の癒しがイエスさまとの親しい交わりの始まりとなりました。

《イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」》。

ここでイエスさまはこの女性の汚れを問題にしていません。ご自分が汚れたことも気にしていません。イエスさまは律法の規定を超える「権威ある者」(マルコ1章22)なのです。そして、不治と思われた病をも征服する権威をもっておられます。

彼女はいままで、罪を犯したから病気になった神にのろわれた者、不信仰な者とみなされてきました。しかし、長く深い苦しみにもかかわらず、イエスさまの「服にでも触れればいやしていただける」という彼女の信頼(信仰)に目を留めて、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」と宣言されます。これは、不信仰というレッテルを貼られた女性の名誉を回復させる言葉です。もちろん、癒したのはイエスさまの力であって、彼女ではないのですが。

きょうの第一朗読で《主は、決してあなたをいつまでも捨て置かれはしない。主の慈しみは深く、懲らしめても、また憐れんでくださる。人の子らを苦しめ悩ますことがあっても、それが御心なのではない》(哀歌3章31~33)と聞いたとおりに、重荷を負う者に対する神の慈しみがこの女性の上にも明らかに示されたのです。

また、イエスさまは彼女に「安心して行きなさい」、「元気に暮らしなさい」と祝福のことばを贈ります。イエスさまとの交わりを通して、彼女は病が完治しただけではありません。神との関係が回復されたのです。

ここで起こっていることを、著書『キリスト者の自由』12節で、ルターは「喜ばしき交換」(der froehliche Wechsel, the Joyous Exchange)と呼んでいます。イエスさまは彼女の汚れを引き受け、自ら汚れた者となりました。病気の彼女に代わってその重荷を引き受けたのです。《彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた》(イザヤ53章4~5)。イエスさまは自らの豊かさと私たちの貧しさ、自らの清さと私たちの汚れ、自らの義と私たちの罪とを交換してくださったのです。

きょうの福音が私たちに伝えようとしていることは、初めに言いましたように、信仰の大切さです。信仰とは、神は存在するとか、イエスはキリストであると頭で知ることではありません。苦しみ悩みを乗り越えて、人間に対する神の信実に信頼して生きることです。私たちは神に希望をもつことができるのです。神は、信じる者とイエスさまの間に「喜ばしい交換」という救いの手をお持ちです。私たちが差し伸べられた神の手をしっかりと握り返すよう招いてくださっています。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年7月22日 聖霊降臨後第8主日 「嵐を静める」

マルコによる福音書4章35〜41節
高野 公雄 牧師

その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

マルコによる福音書4章35〜41節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

マルコは4章1~34にたとえ話を集めたあと、こんどは4章35~5章43に奇跡物語を集めています。きょうの福音は、その中の「突風を静める」物語から福音を聞きとりたいと思います。

《その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった》。

「イエスを舟に乗せたまま」とありますが、それは4章1に《イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた》とあるように、イエスさまはガリラヤ湖のほとりに集まった群衆に対して舟の中からたとえ話で教えられました。そして、夕方になって話を終えると、群衆の待つ所には戻らず、向こう岸に渡ることにしたのです。

《激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫(とも)の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った》。

ガリラヤ湖は、地中海の海面より212メートルも低いところにあり、西岸はなだらかな丘陵ですが、東岸は断崖が迫っていました。このすり鉢状の地形のために陽が沈むとしばしば突風が吹き降ろして湖が荒れたのです。イエスさまの弟子には漁師がいましたから、こういう気象をも舟の操縦をも知り尽くしていたはずですが、それでも、波が舟の中に打ち込んできて、命の危険にさらされることになりました。しかし、イエスさまは弟子たちの窮状も知らぬげに、舟の後ろの方で枕をして眠っていました。弟子たちはイエスさまを呼び起して、《先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか》と訴えています。パニックに陥った弟子たちの言葉にはイエスさまをなじるようなニュアンスが感じられます。本当は舟を出したくなかったのに、先生が「向こう岸に渡ろう」などと言うので、漕ぎ出したのです。それで私たちはこんな目に遭っているのに、助けてくらないのですか。こんな気持ちでしょうか。

《イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪(なぎ)になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った》。

イエスさまがこの急場に眠っているとは信じがたいことですが、さらに驚くことが描かれます。目を醒ましたイエスさまが、嵐に向かって「黙れ」と