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2013年3月17日 四旬節第5主日 「悪い小作人のたとえ」

ルカによる福音書20章9〜19節
高野 公雄 牧師

イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。

『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。』

その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。

ルカによる福音書20章9~19節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

 

《イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。》

四旬節の季節も深まり、来週はもう棕櫚主日です。イエスさま一行がついにエルサレムに到着した日曜日のこと、群衆は小ろばに乗ったイエスさまを歓迎して、棕櫚の枝を手に持って、「ホサナ!ホサナ!」と喜びの叫びをあげたことを記念します。この出来事は、この前の章、ルカ19章26以下に記されています。

そして、その週の木曜日にイエスさまは逮捕され、金曜日には十字架刑に処せられます。その最後の一週間、日曜から木曜まで、イエスさまは毎日、神殿に行って人々に教えました。《毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである》(ルカ19章47~48)。また、《それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた。民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た》(ルカ21章37~38)と記されています。

きょう朗読されました「ぶどう園と農夫のたとえ」または「悪い小作人のたとえ」は、神殿において人々に教えられたイエスさまの最後のたとえ話です。

《ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。》

イエスさまのたとえ話に、「ある人が長い旅に出る」ことが大枠になっている話がいくつかあります。「タラントンのたとえ」(マタイ25章14~30,ルカ19章11~27)、「門番のたとえ」(マタイ24章36~44,マルコ13章32~37)など。まず、主人が不在な状況が描かれます。神さまは現にいらっしゃるのですけれども、目には見えません。私たちはついこの世は人間の力と思いとで動いているように思ってしますけれども、実は神からゆだねられた世界であり、神によって守られているのであり、やがて世界は神の前にその歩みの責任を問われる日が必ず来ます。主人が長旅中で不在ということは、このような聖書の主張をたとえで語っているのです。

きょうのたとえでは、ある人はぶどう園の主人です。主人はぶどう畑を農夫に貸すのですが、同じたとえ話であるマタイ21章、マルコ12章によりますと、主人はぶどう畑に、動物が荒らさないように垣を巡らし、ぶどうの実は搾って保存する必要がありますから、搾り場も掘り、収穫が盗まれないように見張りのやぐらも立てる、というように用意周到にぶどう園を作りました。その上で、農夫に貸します。パレスチナの産物としては、ぶどう、いちじく、オリーブ、ナツメヤシといった果物が有名です。それで、聖書ではぶどう園はしばしば神の民イスラエルの国、土地を表わします。

この主人と農夫は、神と民との関係を表わしています。創世記1章と2章の人間の創造の記事も同じように語っています。神は人を作るまえに、人の暮らしのために用意周到な準備をしています。まず世界を造るのですが、光を造り、陸を造り、草木を造り、海の生き物、陸の生き物を造り、エデンの園を造って、人が暮らしていけるように用意万端が整ったところで、神は人間の男女をお造りになったと書いています。このように、人は神に大恩を負っており、農夫は主人に大恩を負っているのです。

《収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。》

収穫の時がきました。ぶどうの木を植えて育て、実をつけるようになっても3年は食べないで、木の成熟を待つ決まりになっていたことがレビ記19章23~25に記されています。今や、待ちに待った収穫の時が来たのです。ぶどう園の仕事を委ねられた農夫たちは、主人に小作料を支払うことが求められます。これは、主が来られるとき、私たちの人生の総決算をするときの比喩でもありますが、ここでは、人生のさまざまな段階における神との関わりの確認または回復の機会と考えても良いでしょう。

ところが、農夫たちは、主人から送られた僕を乱暴に扱い、手ぶらで追い返してしまいます。一度ならず、二度、三度と。これは、神の意思を伝えるために起こされた預言者たちへの仕打ちを表わしています。聖書は一貫して、神の意思を伝える者たちが人々から歓迎されず、むしろ手荒に扱われたことを書いています。預言者たちは心血を注いで神の言葉を伝えるのですが、彼らが人々に歓迎され、手厚くもてなされることはありません。聖書は徹頭徹尾、神の使者の不遇を描きます。

《そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』》

そこで、主人は「どうしようか」と思案します。たとえば、強制的に小作料を徴収するために、怖い人たちを送って脅すという手だってあるでしょう。しかし、心優しい主人はそういう強制的手段を採りません。「どうしようか」と考えた末に、愛する息子であれば、さすがに農夫たちも敬ってくれるだろう、支払ってくれるだろうと期待して遣いに出します。この主人は、農夫たちが無理に支払わされるのではなく、あくまでも自発的に尊敬の念をもって息子を迎え入れ、なすべき当然の義務を果たすよう忍耐強く待つのです。

「わたしの愛する息子」という言葉は、イエスさまが洗礼を受けたときに天からの声がそう宣言しました(ルカ3章22)。また、山上でイエスさまの姿が真っ白に光輝く変容をしたときも、雲の中からそう告げる声がしました(ルカ9章35)。たとえのこの部分は、イエスさまを地上に送り出すときの神のみ心、愛と忍耐を表わしています。

《農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。》

主人が不在であるために、神は目に見えないために、人間はすべてを自分で成し遂げたかのように、すべての自分のものであるかのように錯覚し、神は年老いて死んだ、人は神なしでもやって行けるように十分に成長したと考えるようになります。神のひとり子を殺したら、神の残した遺産はすべて自分たちのものになると考えます。二千年前の人も、現代人も、考えることは同じです。こうして神の愛と忍耐の結晶であるイエスさまは城外の処刑場で十字架に架けられます。しかし、その死は、人々の罪の贖いのためだったのです。《人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである》(マルコ10章45)とある通りです。

《彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。』》

この話を聞いていた人々は「そんなことがあってはなりません」と応えました。「そんなこと」とは直前の《ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない》ということだという解釈もありえますが、ここでは、農夫たちが主人の愛する息子を殺すことと採ります。その応えに対して、イエスさまは詩編118編22~23を引用して問い返しています。聖書に、建築の専門家が役に立たないと思って捨てた石が、一番大事な隅の親石となった、と書いてあるように、人の目利きは不確かであり、神のご計画は奥深くはかり難い。イエスさまは、権威を自認する者たちが捨てた者、つまり自分こそが実はメシアであって、人の救いの親石であることを宣言しているのです。この言葉は、イエスさまが十字架と復活を通して救い主となられたことを預言するものとして、新約聖書では、ここだけでなく、使徒言行録4章11にも、Ⅰペトロ2章7にも引用されている大事な言葉です。

まったく不信仰な人々の悪行に対して、「どうしようか」と思案した神は、私たちの救いのために、愛するひとり子を贖いとして与えてくださいました。人は、その行為や善行によってではなく、神の愛と恵みを受け入れる信仰、イエスさまの贖いを土台とする信仰によって救われます。神のこの愛の犠牲をいただいた私たちも「どうしようか」と自分の姿勢を思い巡らし、しっかりとこの神に応える決断をしたいと思います。イエス・キリストを救いの土台として、しかりと立って生きる者でありたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

2013年3月10日 四旬節第4主日 「家を出た息子」

ルカによる福音書15章11〜32節
高野 公雄 牧師

また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。

そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。

ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

ルカによる福音書15章11~24節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

《ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、「お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください」と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。》

きょうの福音は、イエスさまのたとえ話の中でも最も親しまれているものの一つ、「放蕩息子のたとえ」です。このたとえ話は、二人の息子を持つ家庭が舞台です。弟の方が、父親に生前の財産分与を求めます。それで、父親は二人の息子に財産を分けてやります。跡取りは他の息子の二倍を受け継いだそうですから、弟は家の財産の3分の1を、兄は3分の2をもらいました。弟はそれをお金に換えて、旅立ちました。青年期に親を離れてひとり立ちしようと思うことは自然なことです。弟はしかし、無駄に財産を使い果たしてしまいます。誰も助けてくれません。ユダヤ人が忌み嫌う豚の世話をするまでに身を落としました。この青年は親から離れて暮らせるだけの成熟をしていなかったと見ることもできますが、親からの離反だけでなく神からの離反をももくろんでいたとしたら、どうでしょう。このことは、善悪の判断基準を失い、なぜ売春をしてはいけないのか、なぜ人を殺してはいけないのかも分からない倫理崩壊(モラール ハザード morale hazard)を招き、人間性を損なっている有様を表わしているとも見ることができるでしょう。彼は我に返って考えました。父の家の雇人にしてもらえたら、どんなに良いだろうと。そして家に戻ります。

《ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。》

「まだ遠く離れていたのに」というところに父親の気持ちが表われています。父親は弟息子のことを心配して、ずっと帰りを待って、毎日彼が出て行った方を見ていたのです。息子が謝ったから赦すのではありません。父親は無条件で息子を愛し、受け入れているのです。「憐れに思う」とは、息子の失意、衰弱、悔恨を我がこととして心を痛めていることです。息子を責めるなど思いもしません。父親は息子に走り寄ります。家父長は悠然と構えているべきであって、公道を走り出すようなみっともないまねはしないものです。でも、父親は人目も外聞もはばかりません。走り寄って息子の首を抱き、接吻します。息子は「もう息子と呼ばれる資格はありません」と言いますが、父親は「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」と言って、帰ってきた息子にいちばん良い服を着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせ、肥えた子牛を屠って、食べて祝います。もしも弟息子がこの後、生き方を変えるならば、それはこの父の大きな愛に包まれているからこそのことです。自分はこの父の愛に応えた生き方をしていないという気づきから、真の罪の自覚、悔い改めが生じるのです。

これがたとえ話の前半です。弟息子がどういう悔い改めの実を結んだかという、道徳生活の改善はさしあたり問題ではありません。要点は、神はたいへんに慈悲深いお方であって、人を分け隔てせずに、心に掛けておられること。神を離れた人間が神の許に戻って来ることを待ちこがれているということです。神の求める回心は、何はともあれ、神の愛を受けとめて、私たちの心を神の方に向け直すことです。

《ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。》

この話は「ある人に息子が二人いた」と始まりました。兄息子の方はどうだったのか、それがたとえの後半に描かれます。「兄の方は畑にいたが」とあります。弟が遺産分けで得た畑や家畜を売り払って出て行ったあと、父と兄は失った分を買い戻すためにどれほど働きづめに働いたことでしょう。その日も朝早くから父と兄は畑で働きました。父が一足先に家に戻り、弟の帰宅を待って遠くを見つめていたときも、兄は畑にとどまって暗くなるまで働きました。弟がまともに暮らしていたら、これほどの苦労はしなくて済んだはずです。家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきました。弟が帰って来たお祝いの宴会が始まっていたのです。

「兄は怒って家に入ろうとはせず」とありますが、この兄の気持は理解できるのではないでしょうか。そもそも、兄と弟では、いったいどちらがほめられるべきでしょうか。兄の方のはずです。でも、実際には、弟はいちばん良い服を着せられて、帰宅を祝われています。兄は一日中働いて疲れ切って仕事から戻ってきて、そのざわめきを聞いています。兄が怒るのは当然でしょう。兄の言い分はこうです。《このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。》何年も父の言いつけを守り、父とともに働いてきたのに、友達と楽しむために子山羊一匹すらくれませんでした。ところが、弟が帰ってくると肥えた子牛を屠ってやる。子山羊と子牛を対照させるこの言い方にも兄の不満が表われています。子牛は子山羊よりもずっと高価なのです。不公平にも程がある。あなたは弟に甘くするから、弟はダメな人間になったのだ。なぜ弟の言いなりになって遺産を与えたのか、等々。兄のお説教はいちいちごもっともなことで、父は恐縮して頭を垂れて聞くほかなかったことでしょう。罪人を愛し赦して迎え入れるということは、この世ではこのように弱い立場に立たされます。兄に

2013年2月24日 四旬節第2主日 「受難の予告」

ルカによる福音書18章31〜43節
高野 公雄 牧師

イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。

イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。

ルカによる福音書18章31~43節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

《イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」》

イエスさま一行の旅も終わりに近づき、ユダヤ南部にある死海に近いエリコの町まで来ました。エルサレムまであと少しです。そこでイエスさまは弟子たちに、ご自分の受難を予告します。

予告に表われる「人の子」という言葉は、旧約聖書の言葉でベン・アダーム、つまりアダムの息子であり、一般に「人間」の意味で使われます。しかし、次第にメシアの呼称として使われるようになり、新約聖書ではもっぱらイエスさまのメシアである自分を指す言葉となりました。イエスさまは、まずメシアについての旧約の預言はみな自分において成就すると宣言します。メシアの受難は聖書に預言されていることであり、それが神のみ心なのだ言っているのです。

受難を描く言葉の中で、「乱暴な仕打ちを受け」という言葉ヒュブリゾーは、口語訳聖書では「はずかしめを受け」と訳されましたが、マルコにもマタイにもない、ルカに特有の言葉です。これは「ヒュブリス傲慢、思い上がり」という言葉を動詞化したもので「他者に対して傲慢に振る舞う」ことを意味しています。

このヒュブリスはイソップの「戦争と傲慢」という話に出てきます。ヒュブリス Hybris は外面は華やかな美女ですが、内面は性悪な傲慢の女神です。その夫が戦争の神ポレモス Polemos です。ポレモスはヒュブリスを愛して、彼女が人間界を巡りゆくのを、ポレモスはどこまでも後から付いて歩きます。「ヒュブリス(傲慢の女神)が、民に笑みを振りまきながら、諸国民、諸都市を訪れることのないように。その後から必ずポレモス(戦争の神)がついてくるのだから」(『イソップ寓話集』中務哲郎訳、岩波文庫)。傲慢の後には戦争がやってくるから、傲慢に惑わされないように、という戒めの話です。

古代ギリシアの倫理思想では、ヒュブリスは人間にとって最も避けなければならない悪徳の女神です。彼女に魅入られて自分の力を過信した人間は、他者への思いやりを失い、横暴な振る舞いで周囲を傷つけ、争いを引き起こします。時には正義の女神ディケーに仕える人の心にすらいつの間にか過信やおごりを宿らせ、不正へと導きます。また、みずからの力を過信して,ときには神々に対してさえ思い上がった言動を示します。それがヒュブリスで、こうした人間の分をわきまえぬおごりやたかぶりは、かならずや天罰を招き、人を破滅させると考えられました。

聖書が語るところによっても、人間の罪の本質はこの「傲慢」です。イエスさまは人間のさまざまな罪のほかに傲慢の罪にも苦しめられて死に至ったというのではなく、むしろ人間のさまざまな罪の根源がこの「傲慢」なのです。神によって造られ、生かされている人間が、神に従うのではなく、自分が神の立場に立ち、自分の思い通りに生きようとする、それが罪なのです。その傲慢のゆえに、私たちは神を愛することも、隣人を愛することもできずにいます。私たちは神に対しても、隣人に対しても、もっと謙虚にならなくてはいけないのですが、人間の努力によってはそれはできません。私たちが傲慢の支配から救い出されて義とされることは、神の子であるイエスさまが、人間の傲慢の罪の犠牲となって苦しみを受け、死んでくださることによるのであり、神ご自身の御業によってのみ実現するのです。

予告の最後に、「人の子は三日目に復活する」とあります。私たちの傲慢はイエスさまを殺しまが、神はイエスさまを復活させてくださいました。人間の傲慢がもたらした死を、神の恵みが打ち破り、命への道を切り開きます。私たちは、この新しい命の道を通って神の救いにあずかることができるのです。神の救いは、イエスさまの死と復活によって実現します。イエスさまはいま、この神のみ心を成し遂げるためにエルサレムに上って行こうとしておられます。私たちはいま、イエスさまの十字架の死と復活への歩みを覚える四旬節の季節を歩んでいるのです。

《十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。》

この弟子たちの無理解は、この後、イエスさまを十字架に見捨てるまでに至ります。自分の世界から踏み出すことができず、十字架の主を信仰の目で見ることができないからです。それが私たちの罪の姿です。その罪の私たちをイエスさまは愛して、十字架の道を歩んでくださいます。それゆえに、私たちは、いま十字架を仰ぎ見、そこに私たちの救いをはっきり見るのです。

この福音を聞いても、そこで示された救いがどのようなものであるか、分からないと思います。神の恵みにより頼むこともまた、人間の理解力や努力によってはできません。復活したイエスさまの霊、聖霊の働きによって、私たちの心が開かれることによるのです。聖書の解き明かしを受け、聖餐にあずかるときに、聖霊の導きによって初めて分かることなのです。今は分からなくとも、イエスさまと共に歩む中でいつか分かってくると信じます。

《 イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。》

エリコの町の門の外で物乞いをしている人がいました。マルコ10章には、この人はバルティマイと名が出ています。ルカ福音が「ある盲人」と記すのは、彼が「見えなくなっている人間」の象徴だからでしょう。イエスさまが十字架と復活の予告をした時、弟子たちはそれを理解することが出来なかったと記されていました。目の不自由なバルティマイは、その意味で、イエスさまを理解できない弟子たち、そして私たちの象徴でもあるのです。

ナザレのイエスが通っていると聞いて、彼は「ダビデの子よ」と呼びかけています。ダビデの子孫からイスラエルの繫栄を回復させてくれる王が生まれるという預言があります。人々はそれに期待して待っていました。彼はイエスさまこそ、約束されたメシアだ、世の救い主だという信仰を言い表していることになります。彼は人伝てにイエスさまの神の国の福音や病気の癒しなどを聞いて信じたのでしょう。そう信じた彼は、イエスさまとの出会いを求めて叫び続けます。「わたしを憐れんでください」。彼は苦悩と悲惨を自分ではどうすることもできません。イエスさまは立ち止まり、盲人をご自分のもとへお招きになります。その招きに応えてみ前に出ることが救いへの第一歩です。

《彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。》

イエスさまは彼に「何をしてほしいのか」と尋ねます。この問いかけは、私たちへの根本的な問いです。なぜなら、私たちは、自分を見失い、自分が本当に何を求めているかが分からなくなっているからです。「あなたは、本当に何を求めているのか。」それは、私たちへの根本的な深い問いかけなのです。

盲人は「主よ、目が見えるようになりたいのです」と答えます。そして、癒されます。それと同時に、イエスさまは「あなたの信仰があなたを救った」と言います。イエスさまはご自分に対する信頼を彼の信仰と認め、彼の目を開いてくださったのです。ただし、私たちはこの言葉を、彼の立派な信仰の力によって神のみわざを引き出すことができたかのように考えてはなりません。この癒しは神の子イエスさまの力と憐れみによることです。

そして、彼は目が開いたことよりもイエスさまと出会ったことがもっと大切なことだと分かり、イエスさまに従います。それによって、本当の意味で目が見えるようになったのです。

私たちの罪のために十字架の苦しみと死への道を歩んでおられる救い主イエスさまの姿をはっきりと見えるように、また、イエスさまに従っていく歩みを導いてくださるように祈りましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

2013年2月17日 四旬節第1主日 「イエスの試練」

ルカによる福音書4章1〜13節
高野 公雄 牧師

さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。

そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。

更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」

そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。

ルカによる福音書4章1~13節


先週の「灰の水曜日」から、イエス・キリストのご復活を祝う心の準備をする「四旬節」が始まりました。きょうはその最初の日曜日で、毎年、荒れ野におけるイエスさまの四十日間試練の物語を読んで、この期節を過ごす心構えを学びます。私たちがいま迎えている「四旬節」の原型が、このイエスさまの試練の四十日間です。さっそくきょうの福音を見てみましょう。

 

《さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。》

ヨルダン川でイエスさまに何が起こったか、覚えていらっしゃると思います。《民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった》(ルカ3章21~23)。このように、イエスさまは三十歳のころ、ユダの荒れ野に出ていって、ヨハネから洗礼をお受けになりました。そして、聖霊を受けると共に、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天からの声を聞きます。これは、神がイエスさまを「神の子」、メシア、「世の救い主」に任命されたことを表わしています。それと同時に、その使命をまっとうできるように、聖霊が注がれます。しかし、洗礼を受けるとすぐに宣教活動を始めたのではありません。宣教を始める前に、その聖霊がイエスさまを荒れ野における四十日間の試練へと導きました。「イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった」とあるように、この試練も、これからのイエスさまの歩み全体も、神の導きに包まれているのです。

ところで、荒れ野、四十というキーワードで思い出されるのは、前13世紀のことですが、イスラエル民族が出エジプトから約束の地に入るまでの荒れ野における四十年間の旅です。彼らはエジプトにおける奴隷の苦しみから解放されたのは良いのですが、水と穀物の豊かなエジプトを出たら、そこは荒れ野です。たちまち飲み水にも食べ物にもこと欠き始めます。人々は神に不平を言い、不信仰をつのらせて罪を重ねますが、その一方で、ぎりぎりの生活の中で苦難を忍び、助け合うことも学びます。また岩から水を出したり、天からマナを降らせたりと、神が民を養い守ってくださる厚い配慮をも経験しました。彼らはこうした経験を経て、約束の地に入ることができたのです。

このように、何かある困難に遭うと、人が神の愛を体験するための教育訓練と受けとめてそれを耐え忍ぶか、その困難に負けて悪魔の誘惑にからみ取られるか、岐路に立たされます。聖書では、誘惑と試練は同じ一つの言葉です。イエスさまは悪魔の誘惑を試練、教育訓練に変えて、より一層神と深く交わる機会としました。誘惑を試練に変える力は、み言葉に聞くこと、祈りにおける神との対話にあります。

《そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。》

悪魔は悪霊どもの頭を指す普通名詞であり、彼の名前、固有名詞がサタンです。サタンも、元々は「悪に誘う者」を意味する普通名詞でした。

悪魔は第一の誘惑と第三の誘惑で、イエスさまに「お前が神の子なら・・」と言っていますが、それによって、イエスさまの荒れ野における試練が、「イエスはどういう神の子なのか」、「救い主としてこれからどういう道を歩むのか」をテーマにしていることが分かります。結論を先に言えば、そもそもイエスさまがメシア、救い主として召された洗礼が、悔い改める人々の仲間となって受けたものでした。イエスさまが神の子であるとは、罪人と同じところに立って、その苦難を一身に負う「苦難の僕」としてのメシアであることを示唆するものでした。神の子が地上で歩む道は、十字架に至る道と定められていたのです。

イエスさまが四十日間、断食して空腹になられたとき、悪魔は「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」と誘います。神の子はその力を自分のために使うが良い、というのです。これは、十字架上のイエスさまに投げつけられた言葉、《民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」》(ルカ23章35~37)と同じです。

イエスさまはこの窮状においても、自分の力に頼るのでなく、ますます神のみ言葉に堅く留まります。そして、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」と、神の言葉をもってお答えになります。これは申命記から取られていますが、この言葉が出てくる個所は、神の与える試練、教育訓練の意味を良く解き明かしていますので、読んでみましょう。

《あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい》(申命記8章2~5)。

神はいたずらに人を苦しめるのではありません。神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる喜びを実地教育しておられるのです。私たちは荒れ野に住んでいるわけではありませんが、さまざまの恐れや不安に囲まれて試練に遭っているという意味では、私たちの生活も「荒れ野」だと言ってよいでしょう。つねに不足を訴え、神に信頼し切れず、世の誘惑に負けそうになります。でも、実は、神は昔と変わらず、忍耐強く、愛と寛容をもって私たちの生活を見守り、恵みを与えていてくださいます。神は私たちが「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きること」を望んでおられるのです。

マタイ4章10によると、イエスさまは悪魔の誘惑を聖書の言葉を引用するとともに、「退け、サタン」と言って退けました。この言葉はイエスさまの受難予告のあとにも出てきます。《このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」》(マタイ16章21~23)。悪魔はペトロの口を通してでも、イエスさまを十字架の道、人の苦難を身代わりになって負うメシアの道から引き離そうとするのです。イエスさまの全生涯は聖霊の導きの下にありましたが、同時に誘惑もまた絶えずともないました。

この荒れ野の試練は、私たちイエスさまに従う者たちにとっても、信仰の戦いのモデルとして、毎年繰り返し読まれます。私たちもまた、み言葉に堅く立って誘惑と戦いましょう。とは言っても、私たちは信仰とともに弱さをも持ちあわせています。そのためにも、誘惑に遭われたイエスさまを仰ぎましょう。《さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか》(ヘブライ4章14~16)。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。