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ミカエルと天使の日

 天使は神のみ使い(使者)として聖書に登場します。その中でも、ミカエル、ガブリエル、ラファエルは大天使として知られ、ミカエルはユダヤ教、キリスト教の両宗教から特に讃えられている天使です。

 旧約聖書ダニエル書に、ダニエルが見た幻(神の言葉がが啓示されている時)の中に、ペルシア、ギリシアの守護天使に対抗して、イスラエルの守護天使とミカエルが登場します(ダニエル10:13、21、12:1)。ダニエル書はバビロン捕囚によって祖国から異郷の地に連れてこられたイスラエルの民の迫害と苦難を描いています。その最中にあって、幻を通してダニエルに語りかける神の言葉は、ダニエルたち神の民を見捨てず、神が彼らを助け、養い、力強く導いていくという励ましと希望を与えます。ミカエルは異教の脅威から神の民を助けるために、彼らに代わって戦ってくれる天使として描かれています。

 新約聖書には神の言葉を告知する天使ガブリエルが啓示の天使として登場しますが、ミカエルは戦う天使としてヨハネの黙示録の中で、神に敵対する勢力(サタン)との闘争における神の勢力を代表しているように描かれています。

 492年5月8日、南イタリアのモンテ・カルガノ山で大天使ミカエルが顕現したと言われる人々の証言によって、ミカエルへの崇敬が人々の間で強められていったと言われています。その後も、各地でミカエルの顕現を目撃した証言者が数多く登場し、5月8日を「天使ミカエルの顕現祝日」として守られていました。

 現在、ミカエル、ガブリエル、ラファエルの天使の祝祭日は9月29日に定められています。その中でもミカエルは神に敵対する悪しき勢力に対抗し、戦う天使として覚えられ、また人々の生活を守る守護天使として讃えられてきました。西方キリスト教世界では、「天の軍勢の長」またキリスト教徒や兵士たちからは自分たちの保護者として讃えられ、ローマの教会の守護天使として、またドイツ神聖ローマ帝国の守護聖人でもありました。

福音書記者・使徒マタイの日

イエスの12使徒の一人であるマタイ(アルファイの子レビ)とマタイによる福音書の著者であるマタイは別人とされていますが、祝祭日は9月21日で統一されています。

使徒マタイは、マルコとルカによる福音書ではアルファイの子レビという名前で登場し、解釈の違いはありますが、マタイと同一人物だと言われています。彼はガリラヤの町カファルナウムの徴税人でした。当時イスラエルはローマ帝国に支配されていて、国民の税金はローマ帝国に搾取されていました。徴税人はローマ帝国の税金取立ての請負人であり、またローマ帝国に納める金額以上に、できるかぎりお金をしぼり集め、余分の金を自分のもうけとしていたと言われています。そのため、罪人と同じように人々から忌み嫌われ、交流を絶たれていました(マタイ9:10~13、21:31、ルカ18:9~14)。

ある日、収税所に座っているマタイを見かけたイエスは彼に「わたしに従いなさい」と声をかけました。すると、彼はすぐに立ち上がってイエスに従いました。その後、イエスはマタイを含む徴税人たちと食事を共にし、「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」と言って、徴税人たちの友として彼らと交流をもち、神の愛を伝えました(マタイ9:9~13)。

イエスの昇天後、マタイは使徒たちと共に宣教して教会を支え、自身はペルシアやエチオピアに行って、宣教したと言われています。彼の聖遺物はサレルノ(現在のイタリア)に移され、教皇グレゴリウス7世は1084年にそこにマタイの教会を建てました。

記者のマタイの生涯はあまり知られていませんが、彼はギリシア語を話すユダヤ人であったと言われています。シリアに住み、そこでおよそ紀元75年から85年にかけて福音書を書いたとも言われています。

使徒バルトロマイの日

 バルトロマイは12弟子の一人に名前が挙げられていること以外は(マルコ3:14~19)ほとんど知られていませんが、彼はヨハネによる福音書に登場する弟子のナタナエルと同一人物であると言われています。

 ナタナエルはガリラヤのカナという町の出身で、先にイエスの弟子となったフィリポを通じて、イエスと出会い、弟子の一人になりました(ヨハネ1:43~51)。イエスは彼のことを「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(1:47)と言い、彼がどうして自分のことを知っているのかと聞くと、彼がいちじくの木の下にいるのを見たとイエスは答えました。いちじくは聖書にたくさん登場する植物ですが、ミカ書に「人はそれぞれ自分のぶどうの木の下/いちじくの木の下に座り/脅かすものは何もないと/万軍の主の口が語られた。どの民もおのおの、自分の神の名によって歩む。我々は、とこしえに/我らの神、主の御名によって歩む。」(4:4~5)とあるように、いちじくの木の下にいることは平和のしるしとされ、それは神がもたらす平和であり、その平和を求めて神に従うことを意味しました。イエスが彼のことを「偽りがない」と言ったのは、彼が非の打ち所がない完璧な人であると賞賛しているのではなく、真実に神の平和を求めて、神に従っていく者であるということを意味していたのでしょう。そして、イエスとの出会いにおいて、その姿が明らかにされていくことを彼に告げるのです。彼は信仰を告白しイエスに従うことを明らかにしますが、イエスは「もっと偉大なことをあなたは見る」と言います。それがイエスの生涯を通して明らかにされる神の平和でした。彼は他の弟子たちと共に、その神の平和の証人となり、教会を盛り立て宣教していくのです。

 伝承では、彼はペルシア、インド、アルメニアで宣教し、最期はアルメニアで生きたまま皮膚をはがされ、首を切られるなど、壮絶な殉教を遂げたと言われています。彼の遺骨は8月28日にリパリ島へ、さらにベネヴェントへ移送したと言われています。10世紀になって、彼の遺骨の一部がローマに運ばれ、そこに教会が建てられました。祝祭日は8月24日とされています。

使徒ヤコブの日

ヤコブは漁師ゼベダイの子で、ヨハネの兄弟です。アルファイの子ヤコブ(小ヤコブ)と区別するために大ヤコブとも言われています。ペトロ、アンデレ、ヨハネと共に、ゲネサレト湖でイエスと出会い、イエスの弟子となりました。そして、イエスの12弟子の一人となり、兄弟ヨハネと共にボアネルゲス「雷の子ら」という名を付けられました(マルコ3:17)。イエスと弟子たちがサマリアの村を訪れ、彼らが歓迎されなかった時、ヤコブとヨハネはイエスに「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」(ルカ9:54)と言い、そのエピソードが「雷の子ら」と言われた彼らの性格をよく表しています。このように弟子たちの中でも一際目立つ存在であるヤコブは兄弟ヨハネとリーダー格のペトロと共に、イエスの12弟子の中心人物でした。イエスの変容の出来事(マルコ9:2~8)を目の当たりにしたのも、この3人の弟子たちだけで、彼らは特にイエスから信頼されていました。

イエスが三度目の死と復活を弟子たちに予告された時、ヤコブとヨハネはイエスに願い出て「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」(マルコ10:37)と言います。イエスは「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」 と言われ、イエスが飲む杯とは殉教の死を意味していましたが、彼らはそのことをわかっていませんでした。しかしそれでも彼らが「できます」と答えると、イエスは「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。」(マルコ10:39)と言われ、紀元44年頃、ヤコブはユダヤの王ヘロデ・アグリッパの手によって殺され(使徒12:2)、殉教の「杯」を飲みました。

伝承によると、彼は殉教する前に、スペインを訪れて福音を伝え、殉教した後はスペインに遺体が運ばれ、サンチャアゴ・デ・コンポステラに埋葬されたと言われています。9世紀にスペインで起きたムスリムとの戦いに勝利した際、彼はムスリムからスペインを守ってくれた守護聖人として人々から崇められるようになり、15世紀頃まで、中世ヨーロッパにおける最大の巡礼地として、多くの巡礼者が訪れました。ヤコブの標章は帆立貝で、中世の巡礼者たちは帆立貝の殻をお守りとして衣服に縫い込んだと言われています。ヤコブの祝祭日は7月25日で、守護聖人として知られるようになった9世紀頃からその日に祝われるようになったと言います。