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2012年1月29日 顕現節第4主日 「みことばの権威」

マルコによる福音書1章21〜28節
説教: 高野 公雄 師

 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

マルコによる福音書1章21〜28節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

先週は、きょうの福音の直前の個所を聞きました。《ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた》(マルコ1章15)と。ここに短く記された言葉は、イエスさまがあらゆる機会に語った説教に一貫する要旨はこれですと、マルコがイエスさまの宣教活動を語るにあたって、最初に読者のために前もって書き記したものでしょう。

次に、マルコは、イエスさまがガリラヤ湖の漁師四人に対して《わたしについて来なさい》(1章17)と招いて弟子としたことについて書いています。きょうの福音はその続きであって、ガリラヤでイエスさまが活動をする様子を描いています。《一行はカファルナウムに着いた》という記述から始まっていますが、「一行」とは、イエスさまとその後に従う弟子たちを指します。

ここでカファルナウムという町について説明をしておきましょう。この町は、北のヘルモン山(標高2830M)に発したヨルダン川が南下してガリラヤ湖(地中海海面下212M)に注ぐ川口のすぐ西側に位置する、福音書にしばしば出てくる湖畔の町です。29節以下の物語にある通り、シモン・ペトロとアンデレの家はこの町にありました。それだけでなく、イエスさまはこの町を拠点としてガリラヤの町々村々を廻ったようで、《イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた》(マタイ9章1)とあります。この町はヨルダン川の東側のフィリポの支配する領地と西側のヘロデの支配する領地の境界の町であり、関税を集める収税所がありました。マタイ9章9以下を読みますと、この町の収税所に座っていた徴税人マタイ(ルカ福音ではレビと呼ばれる)が弟子として招かれました。また、こと町はエジプトにもメソポタミアにも通じ街道沿いにあり、この街道を守るためにローマの軍隊も駐留していました。この町の百人隊長のしもべが病気で死にそうになったとき、イエスさまに助けに来てくださるように頼んだのですが、町の長老たちはその百人隊長について《あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです》(ルカ7章4~5)と熱心にとりなしています。

その会堂でしょうか、きょうの福音に《イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた》とあります。会堂、シナゴーグとは、町々村々に建っていて、ユダヤ人が安息日に共に礼拝をするために集まる建物です。そこで賛美を歌い、聖書を読み、説教を聞き、祈るのです。これが、私たちキリスト教徒の礼拝の原型になっています。外国に離散したユダヤ人たちの集落にも会堂があって、礼拝と聖書の学びと交わりの場となっています。東京にも広尾の日赤医療センターの道向かいにあり、もう昔のことですが、私も神学生のときに一度だけ、4~5人の同級生と安息日の礼拝を見学させていただきました。

イエスさまがそこで話しますと、《人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである》。この文には、教えの内容は書かれていませんが、その要旨は、15節にあった通りです。「時は満ちた。神の国は近づいた。神に立ち返れ。福音を信ぜよ」。この権威ある言葉に人々は非常に驚きました。律法学者は先人の言い伝えを守って聖書とくに律法を正しく解釈し、人々に教える権威をもっていたのですが、人々はそういう律法学者の権威を超える権威をイエスさまに見たと言います。イエスさまを通して神は今まさに新しいことをなさろうとしておられるのです。

この出来事をマルコは次のエピソードでさらに展開します。《そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」》。

古代の人々は、人間の力を超えた、目に見えない大きな力を感じたときに、それを霊と呼びました。その力が神から来るものであれば、それは「聖霊」であり、神に反する悪い力であれば「悪霊」です。この悪霊が人のさまざまな病気を引き起こすと考えられていました。悪霊は、「汚れた霊」とか「悪い霊」とか別の名で呼ばれることがありますが、みな同じことです。悪魔は名をサタンといいますが、ベルゼブルとも呼ばれます。悪霊たちの頭であって、神と人間との最大の敵です。

汚れた霊に取りつかれた男の出現によって、礼拝の場が、イエスさまの霊と汚れた霊との対決の場であることが明らかとなります。古代社会では霊と霊の戦いでは、先に相手の正体を見破ってそれを暴露した方が勝つと信じられていました。汚れた霊はイエスさまに《正体は分かっている。神の聖者だ》と叫んで、先制攻撃を仕掛けます。しかし、《イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った》。それは激しい戦いでしたが、イエスさまは汚れた霊をその人から追い払ったのでした。癒された人は、神とのつながり、人との交わりを取り戻したことでしょう。悪い霊にまさる力をもったイエスさまの存在によって、現実に神の国が広がり始めます。ルカ11章20に、《しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ》とあるとおりです。

イエスさまは活動を始めるに先立って、荒れ野でサタンの誘惑を受けられました。最後の誘惑はこうでした。《更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った》(マタイ4章8~11)。

イエスさまの最初の活動として悪霊払いの出来事が書かれているということは、著者マルコがそれだけ大事なことだと考えたからでしょう。なぜなら、神と人との最大の敵である悪魔と悪霊が退けられることにおいて、イエスさまを通して神ご自身が神の国を実現する働きを始めていることが明らかに表われるからです。

霊の戦いとか、悪霊払いの話などは現代の人間に関係のないことと思われるでしょうか。この物語は、イエスさまが人を神と人から引き離そうとする悪の力から私たちを解放し、神と人との正しい関係に立ち返ることができるように今も働いておられる、ということを私たちに伝え、私たちが、この汚れた霊に苦しめられた男の中に、自分自身の内なる闇、汚れ、罪を見るように促しているのです。

《人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった》。

イエスさまの口から出る言葉は何かを成し遂げる力をもっている、と知った人々は、新しい教師の姿を見ました。人々はイエスさまにおいて神と出会って驚いたのです。著者マルコは、礼拝において福音を聞く私たちも、神の聖者であるイエスさまに新たに出会うことを、イエスさまへの洞察を深めることを望んでいます。イエスさまと出会うことがなければ、私たちに救いはないからです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年1月15日 主の洗礼日 「イエスの洗礼」

マルコによる福音書1章9〜11節
説教: 高野 公雄 師

そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

マルコによる福音書1章9〜11節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

ルーテル教会の礼拝は、1年の周期でイエスさまの生涯を記念する教会の暦に従って行います。きょうの暦は「主の洗礼日」です。ルーテル教会はローマ・カトリック教会から枝分かれした教会ですから、教会の暦もその伝統を基本としています。しかし、東方正教会(ギリシア正教とかロシア正教など)の伝統からも学んで、独自の暦を使っています。降誕節のあとに顕現節という季節をもち、その第二主日のきょう「主の洗礼」を祝うのも独自性の一つです。

顕現の季節には、イエスさまが神の子として公に現れ出ることを記念しますが、顕現節に「主の洗礼」を強調するのは、東方正教会の伝統です。この強調は、マルコ福音の中で洗礼が果たす役割、また信仰者の生涯において洗礼が果たしうる役割によく合致しており、ルーテル教会はこれを東方教会から受け継ぎました。

教会の礼拝は、暦に従ってその日に配分されている聖書個所を聞くことを中心に行われます。聖書個所の配分は、1年を周期として3セット、A年用(主としてマタイ福音が読まれる)、B年用(マルコ福音)、C年用(ルカ福音)があります。これは、はじめローマ・カトリック教会が採用したものですが、たちまち多くの教派に広まりました。ABCのどれを使うかは、暦年を3で割った余りの数で決めます。余りが1ならA、余り2はB、余り0はCです。今年は2012÷3=670で、余りは2。従ってB年、主としてマルコ福音を読む年に当たります。教会暦の新年は待降節第1主日ですから、B年はすでに2011年11月27日から始まっています。また、なぜ余り1の年をA年とするかと言いますと、さかのぼって紀元1年にマタイ福音を読み始めたと仮定しているからです。

このような次第で、きょうはイエスさまの洗礼をマルコ福音に聞くことを通して記念することになります。

ところで、マルコ福音は、マタイやルカと違ってイエスさまの誕生や幼年時代の物語を伝えていません。マルコは1章1に《神の子イエス・キリストの福音の初め》と書名を書いたあと、すぐに洗礼者ヨハネの活動の紹介とイエスさまの洗礼の場面が始まります。

マルコはイエスさまの伝記を最初に書いた人ですが、それに「福音」または「福音書」(外国語では同じ一つの言葉)という名を付けた最初の人でもあります。マルコにとってはイエス・キリストが人々に語った言葉、人々の間で行った行為のすべてが、と言うよりもイエスさまの存在そのものが、福音(「良い知らせ」という意味)だったのです。

余談になりますが、「マルコによる福音書」という書名は、後から他の福音書が書かれるようになってから、それらを区別するために付けられた名前です。初めにマルコ福音が書かれたときには区別の必要がありませんでしたから、書名は「神の子イエス・キリストの福音の初め」で良かったのです。

そのイエスさまの活動の初めが、ヨルダン川における洗礼者ヨハネによる洗礼でした。9節に《そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた》とある通りです。この出来事は、イエスさまの活動開始の前提となるという意味でも、記念するに値する出来事です。しかし、洗礼を受けたという客観的な事実以上に大切なのが、それにともなって起こった二つのことです。

一つは、《水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった》(10節)ことです。「天が裂けて」というと、天が自分から開いた印象になりますが、原文は「天が裂かれて」、つまり主語が隠された言い方で、神が天を切り開いたという出来事の重大さを表わす表現です。この表現は、イザヤ63章19を思い出させます。《あなたの統治を受けられなくなってから、あなたの御名で呼ばれない者となってから、わたしたちは久しい時を過ごしています。どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように》。

裂かれた天からは聖霊が鳩のように降り、新たな時代が始まりました。聖霊によって権威を与えられたイエスさまは、ご自分に従う者に《聖霊で洗礼をお授けになる》でしょう(1章7~8)。私たちの受ける洗礼は、イエスさまが自らの身体で聖化した洗礼なのです。そのためにイエスさまは洗礼をお受けになりました。

もう一つは、《すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた》(11節)ことです。この出来事には、大勢の人々にイエスさまは神の子であると現されたという面と同時に、イエスさま自身が神の子としての使命を自覚したという面の両方があると思われます。この天からの声の背景となるのが、きょうの第1朗読の言葉です。《見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。暗くなることも、傷つき果てることもない、この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む》(イザヤ42章1~4)。

これは、「主の僕の召命」と呼ばれる個所です。つまり、「あなたはわたしの愛する子」という言葉には、イエスさまが神の子として、しかしイスラエルの王というイメージではなく、「主の僕」としての使命を生き始めることが示されているわけです。「主の僕」は民の罪を背負って死にます。イエスさまも十字架で死にます。ヨルダン川での洗礼はゴルゴタの丘の前触れでもあります。その意味でも、イエスさまは始めに洗礼を受けるのです。

イエスさまは神の愛する子であります。これから始まる物語のすべては、何にもましてイエスさま自身と、彼を通して神がなされたことの物語です。その意味でもイエスさまの洗礼は重要です。

ところで、「あなたはわたしの愛する子」という神の言葉は、私たちすべてに向けて語られている言葉でもあります。私たちの受ける洗礼はそのことを意味しています。洗礼は単なる回心のしるしではなく、聖霊の働きにより人を神に結びつけ、神の子とし、神のいのちにあずからせるものなのです。

これについて、使徒パウロはこう書いています。《あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です》(ガラテヤ3章26~29)。

洗礼とは、それを受ける者が神の愛される子、神のみ心に適う者であることが、はっきりと示されることです。また、洗礼はキリスト信者になるための入門儀礼ですが、ある組織に入会することを自分で決めて、そのための儀礼を受けるということとは違います。洗礼は、私たちの決意や決断に先立ってある神の決断の中に自分があることを喜びと感謝をもって受け入れることなのです。神の決断とは、イエス・キリストを通して私たちに明らかに示されたものですが、どんな時も私たちを愛し抜き、支え抜くという決断です。この神の決断が私たちの決断を生み出します。私が神を見つけ、私が選んだのではなく、神がこの私を愛し、背負い続けてくださるのです。そこに信仰の根拠があり、私の決断が生まれていく源があり、そこで洗礼への私たちの決意が生まれていくのです。

洗礼は、神によるキリストと私の「結び」です。新たに始まったこの年も、神さまに固く結ばれた者としてみ心に適った歩みができるよう、恵みと導きを祈りつつ、心を新たにいたしましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2011年11月27日 待降節第1主日 「再臨の時に備える」

マルコによる福音書11章1〜11節
説教:高野 公雄 牧師

一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。
我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。
いと高きところにホサナ。」
こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。
マルコによる福音書11章1〜11節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

クリスマスを毎年毎年お祝いし、二千年前にユダヤのベツレヘムにキリストが生まれ、長じて、人類の救いのために十字架の上で犠牲の死を遂げたということを、幾度となく聞き知っていても、それだけでは、主イエスさまを知っていることにはなりません。主イエスさまが本当にお生まれになる場所は、私たち一人ひとりの魂です。私たちの魂のうちにキリストを迎え、十字架を受け入れる時、クリスマスを本当の意味で知ったことになるのです。

これは、私が今年のクリスマス行事案内のチラシに載せたメッセージです。そして、きょうはそのキリストを迎える備えのシーズンの始まりです。きょうの福音は、私たちの心備えを促すために、イエスさまが都エルサレム、その中心である神殿に訪れる話であり、イエスさまの迎え方を教える話でもあります。
初めの1節に《一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき》とあり、結びの11節に《こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った》とあるように、きょうの福音はエルサレムへのイエスさまの到来とその意味を述べています。

イエスさまは、北の果てフィリポ・カイサリア地方で弟子たちに、ご自分の死と復活を初めて予告しますが(8章31~38)、それからはひたすら都エルサレムへ向けて南下する旅でした。エルサレムは壮大な神殿のある都であり、権力の集中しているところです。イエスさまはそこで神の国の福音を語ろうとしたのでしょう。
そしてきょうの個所でついに目的地に着いたことが記されます。それは、十字架に架けられる週の初めの日曜日のことでした。マルコの8節では《多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた》とあり、人々はイエスさまを迎えるのに、葦のようなものを道に敷いたように書いてありますが、ヨハネ福音書12章13によると、群衆はイエスさまを「ナツメヤシの枝」を打ち振って出迎えたとあります。この「ナツメヤシの枝」は、以前は「シュロの葉」と訳されていましたので、この日は昔から「シュロの日曜日(Palm Sunday 棕櫚主日)」と呼ばれています。
北から南へと旅をしますと、エルサレム(シオンの丘)の東にオリーブ山があります。その南のすそ野にベタニア村があり、その先、エルサレムにさらに近くにベトファゲ村があります。ベタニアはヨハネ福音書11章18によると、エルサレムから3キロ弱のところにあったとあります。マルタとマリアの住んでいた村です。
この日、イエスさまは弟子たち二人にこの村でロバを調達するように命じられたのでしょう。弟子たちが村に入りますと、イエスさまの指示どおりにことが進み、《まだだれも乗ったことのない子ろば》を連れてくることができました。
ところで、これから超えることになるオリーブ山は、旧約聖書のゼカリヤ14章4に、《その日、主は御足をもって、エルサレムの東にある、オリーブ山の上に立たれる。オリーブ山は東と西に半分に裂け、非常に大きな谷ができる。山の半分は北に退き、半分は南に退く》とありますように、終わりの日に神の降り立つ山と謳われていました。したがって、当時の人々は、メシアがオリーブ山に来ると待ち望んでいたのです。
ここは、オリーブ山から、王が威風堂々と軍馬にまたがって都に入る、そういうイメージの場面ですが、イエスさまの場合はそうはなりませんで、ロバに乗りました。同じくゼカリヤ9章9に、《娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って》、とある通りです。
馬は力強く、見栄え良く、戦争に役立つ動物として使われましたが、ロバは栄光を現すにはふさわしくありませんが、粗食に耐え、暑さにも強い、荷役に役立つ動物でした。ただ人に仕える、目立たない、柔和な動物なんですね。
そのロバの中でも、まだ人に役立ったことのない子ロバが「主がお入り用なのです」と言って呼び出されます。子ロバにしてみれば、「何で私のような弱い者が呼ばれるのですか?私よりも他にもっとふさわしい人がたくさんいますのに」とでも言いたい気持ちだったのではないでしょうか。そんなふうに尻込みしたい思いは、実は使いに出された弟子たちにもあったことでしょう。自分はただのガリラヤの漁師であって、主イエスさまのご用をできるような器ではない、そんな大役は自分にはとても務まらないという思いです。しかし、主が必要としておられるのですから、その召しに従うのです。弱い私たちですが、いま子ロバとしての召しを受けているということを考えましょう。

弟子たちと集まった人々は、子ロバに乗ったイエスさまに歓呼の声を上げます。《ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ》。
この讃美の言葉は、礼拝の中で、聖餐の設定の言葉を聞く直前に歌うサンクトゥスの後半に用いられています。式文では「主のみ名によって来られる方をたたえよ。天にはホサナ」という言葉ですが、これはミサ曲ではサンクトゥス(「聖なるかな」の意)とは分けて、ベネディクトゥス(「誉むべきかな」の意)と呼ばれます。
ホサナは、ヘブライ語のホーシャナー(「私たちを救ってください」の意)をギリシア語に音写した言葉ですが、本来の意味は失われ、「ばんざい」というような歓呼の声として使われています。
イエスさまはロバに乗ってではありますが、オリーブ山から歓呼の声に迎えられて都エルサレムへと出発します。それは、まさに王が戴冠式に向かう姿、メシア到来の図です。期待と喜びに満ち満ちた出来事でした。

ところが、この話の結び11節では、急にそんな熱気は冷めてしまっています。《こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた》。あの歓声は城外でのことで、城内ではガリラヤから付き従ってきた弟子たちの他に気に留める者もいない、一人の参観者としてのイエスさまが描かれます。
このギャップは何でしょうか。巨大な神殿と極小の信仰のギャップ、民衆の待望するメシア像と神から来られた本物のメシアとのギャップです。人々はダビデのような王の到来を期待していました。ローマ帝国の圧政をはねのける者、力によって平和をもたらす者、軍馬に乗って凱旋する王であるメシアを待ち望んでいたのです。
しかし、イエスさまは、仕えられるためではなく仕えるために来た、人の救いのために自らの命を犠牲にする、力づくでなく柔和な仕方で平和をもたらす、借り物のロバに乗る、そういう本物のメシアだったのです。イエスさまは、この贖いのみわざを成し遂げるために、エルサレムに来られたのです。
このイエスさまを王としてその背中に乗せた子ロバのように、イエスさまを自分の人生の王として迎え入れるところから、本当の平和が広がっていくのです。アドベントの季節にこのことをしっかりと心に留めたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2009年10月11日 聖霊降臨後第18主日

マルコ 10章1-16節
大和 淳 師

イエスはそこから立ち上がって、ユダヤの地方とヨルダンの向こうに行かれた.再び群衆が彼の所に集まって来たので、彼はまたいつものように、彼らを教えられた。
すると、何人かのパリサイ人がイエスの所に来て、人は妻を離縁してもよいかと質問し、彼を試みようとした。
イエスは答えて言われた、「モーセはあなたがたに何と命じたか?」
彼らは言った、「モーセは、離縁状を書いて妻を離縁することを許しました」。
イエスは彼らに言われた、「彼は、あなたがたの心がかたくななので、この戒めをあなたがたのために書いたのである。
しかし、創造の初めから、神は人を男と女に造られた。
このゆえに、人はその父母を離れて、その妻に結び合わされる.
こうして二人は一体となる。それだから、彼らはもはや二人ではなく、一体である。
こういうわけで、神がくびきを共にさせたものを、人は引き離してはならない」。
家に入ってから、弟子たちはこのことについて、再び彼に尋ねた。
イエスは言われた、「だれでも自分の妻を離縁して、他の者をめとる者は、彼女に対して姦淫を犯すのである。
またもし彼女が、自分の夫を離縁して、他の者に嫁ぐなら、姦淫を犯すのである」。
さて、人々はイエスの所に小さい子供たちを連れて来て、彼に触っていただこうとした.ところが、弟子たちは彼らをしかった。
しかし、イエスはそれを見て、憤って彼らに言われた、「小さい子供たちをわたしに来させなさい。彼らをとどめてはならない.神の王国は、このような人たちのものだからである。
まことに、わたしはあなたがたに言う.だれでも小さい子供のように神の王国を受け入れない者は、決してその中に入ることはない」。
イエスは彼らを腕に抱き、手を置いて、熱く祝福された。

今日は、順序が逆になりますが、最初に13節以降からまずみ言葉を聴きたいと思います。そこで主イエスはこう言われます、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(10章14-15節)

わたしどもは今日、この主イエスの言葉を、まずわたしたち自身に語られているみ言葉として聴き取りたいと思うのです。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」 ― これは他ならないわたしに語られている言葉であり、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 ― そのようにわたしたち一人ひとり招かれているのです。

しかしながら、わたしどもはここで戸惑いながら、こう問うかも知れません。ここでの「子供のように神の国を受け入れる」とはどういうことだろうか?子どものような純真無垢な心で、ということなのだろうか?と。おおよそそのような意味で、「子供のように」と言われるのなら、それはむしろ、わたしどもにとっては真に戸惑い、絶望しなければならならない言葉なのではないか、と。

わたしたちがそのように考えるのは、しかし、明らかに誤解があるのです。何故なら、そもそも聖書は、決して子どもを純真無垢な存在そのものと見てはいないからです。子どもは天使ではないのです。その意味で言えば、子どもと言えども、大人の人間と同じ神の憐れみがなければ、神から遠く離れた人間、言い換えれば助けが必要な存在なのです。

そもそも発端は、「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。」(マルコ10章13節)ことに始まります。「イエスに触れていただくため」とは、祝福を受けるため、当時の名高いラビ、教師に触ってもらうことは、その人の徳、祝福にあずかる、そう信じていたからです。しかし、わたしたちは、ここで「人々が子供たちを連れて来た」、何よりそう記されていることに心を留めたいのです。ここでの子どもは、自分からイエスのもとに来たのではないのです。人々、親の手に引かれて来たのです。フランソア・モーリャックは「子どもであるということは、手を差し出すことだ」、そう言っていますが、まさしくそのような子どもなのです。ここで言う子どもとは、その手を取ってくれる人が必要な存在なのです。その手をとってどこまでも共に歩いてくれる同伴者なしには生きられないのです。「神の国はこのような者たちのものである」と言い、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」と言われ給う、その子どもとは、そのように手を差し出すこと、「子どもであるということは、手を差し出す」存在なのです。しかし、それは、わたしたち大人となった者もまた、手を差し出す存在、この手を握り、抱き留め共に歩いてもらわなくてはならない者であるのではないでしょうか。悲しみ、痛みの中でわたしどもの手を、わたしどもの差し出す手をしっかりと常に握ってくださる方が必要なのです。

先のモーリャックは「子どもであるということは、手を差し出すことだ」、そう言うのです。決して、「子どもとは」、そういう者だという風に言っているのではないのです。「子どもであるということ」なのです。「子どもとなるということ」と言ってもいいでしょう。言い換えれば、わたしどもが信頼する者に向かって手を差し出すとき、わたしたちもまた「子どもであるということ」なのです。「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そうです、それがまたあるがままのここでのわたしたちなのです。決して純真無垢ではなくても、そうであるからこそ「子どもであるということは、手を差し出すこと」、共に生きる人を求めて、受け止めてくださる方を求めて手を差し出す、主イエスに手を差し出すのです。しかし、それはよく言われる苦しい時の神頼み、そのような安易な、単なる気休めのようなことではありません。わたしたちの生きる力そのものなのです。

その上で最初の出来事での主イエスのお言葉、「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。9従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」、この主イエスの言葉を考えましょう。まず、このイエスの答えの第一の意図は、単なる「離婚」の是非の問題などではなく、イエスがここではっきりと否定しているのは、夫による「離縁」の問題、夫、つまり男による横暴、身勝手な論理です。それ故、「神が合わせたものを、人は離してはならない」とは、まず「被造物である男が勝手に離してはならない」と言っておられのです。

しかし何より大事なのはここで主イエスは「神がつなぎ合わせたものを、人が分離してはならない」(9節)、明確にそうお答えになっていることです。この「神がつなぎ合わせた」という「つなぎ合わせる」という言葉は、もともとは「くびきにつなぐ」という意味の言葉です。くびきというのは、本来畑を耕すために牛やロバなどの二頭の家畜の首と首をつなぐ道具のことですが、実はこの「くびきにつなぐ」、共に「くびきを負う」ということは、実は単に夫婦観、結婚観だけに限って言われるべきことと言うより、実は人間の存在の在り方そのものに関わっていくことです。わたしたちは、「くびきにつなぐ」「くびきを負う」と聞いただけで、何か束縛され、自由のない生活だけを思い浮かべてしまう、だからわたしたちにとって自由とは、このくびきのようなものをなくすことにある、そんな風に思っているわけです。しかし自由とは、むしろ、わたしの人生のくびきを喜んで負えることにある。つまり、人間は、たとえ王さまであろうと奴隷であろうと、男であれ女であれ、老人であれ若者であれ、大人であれ子供であれ、結婚していようとしまいと、この地上に生まれた限りどんな人でもくびきを負うているのだと言っていい。つまり、くびきを負うとは、先の「子どもであるということは、手を差し出すこと」、そのような者として生きることです。

また「くびきを負う」こと、それは同時に、その人その人なりに生きる目的と、そのためにすべきことが与えられている、ということです。わたしたち一人ひとりには能力の違いもある、あるいは身体的、また環境などの条件の違いが当然あるでしょう。しかし、根本のところでは、それらのわたしの能力や条件に一切よらない、いわばその人がその人である、たとえどんな悪人であったとしても、あるいはどんな障害、ハンディを負っていようと、その人なりに、その人にしかない生きる目的と、そのためにすべきことが与えられている、それが人間なんだということ。

でもわたしたちはしばしばそのことを見失います。一体何のために自分は生きているんだろう、何で私はこんなことをしなくてはならないんだろう、あるいは一体何で私だけがこんなことをしなくてはならないのか、こんな目に遭うんだろう、そう思うことの方が多いのです。そのとき、わたしどもはいわばひとりでくびきを負っている。あるいは自分のためだけを考えて負っている。それが「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ」と主が言われ給うことです。しかし、くびきとは誰か自分以外のものと共に負うものです。「手を差し出すこと」です。

自分ひとりでそれを負うならば、それはただ重荷に過ぎないものになる。しかし、くびきとは最初に申し上げたように、自分以外の者とつなぐもの、つながるものです。「手を差し出すこと」です。誰かが共に負ってくれるから負える、軽くなる。つながっているからこそ、わたしはわたしでいられる。そして、わたしのためにくびきを負うてくれる人がいる、それ故、わたしはわたしでいられるのです。だから、そのくびきを重荷とし、苦しみとするもの、それは「くびき」重荷そのものではなく人間の「心の頑なさ」なのです。そして、「心の頑なさ」とは、固さと同時に脆さという意味ももっている言葉です。

もうお気づきのことと思います。これらの言葉の背後におられるのは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイ11:28以下)、そのように招いてくださる、共に負ってくださる主イエス・キリストなのです。四国のお遍路さんは、巡礼を同行二人と呼ぶそうですが、まさしくそのようにわたしと一体となり、すなわち「くびきにつなぎ合わさり」、一緒に歩いてくださる方、それが主イエスなのです。そうしてこれらの離縁問答に続いて、イエスが子供を祝福した話につながっていくのです。

ところでみなさんの中には旅行、旅はお好きなお方も多いでしょう。旅行は楽しいものです。しかし、そもそも旅をあらわす英語のトラベル、あるいはフランス語のトラヴァーユの語源は、実は苦しい目に遭う、骨を折る、と言う意味のラテン語から来ているのです。それは、昔、教会に対して何か罪を犯した者を、そこから遠いところにある教会に行かせ、そこで礼拝して改心させる、そう言う苦行、回心の旅から来ているのだそうです。文無しで行かなければならないので、それこそ苦労の連続であったでしょう。でも、本当に困ったときに、宿を貸し、食べ物を分けてくれる人に出会う。そうしたことが改心につながったのでしょう。人生もまさに旅、トラベル、トラヴァーユです。主イエス、このお方に出会い、手を差し出し、このお方とと共に歩む旅なのです。

「子どもであるということは、手を差し出すこと」、人は誰も「手を差し出す」者となる、どうすることもできない苦しみの中で泣きながら悲しみの中で、痛みの中で手を差し出していいのです。そこでこそ喜んで神の愛、この主イエスの懐の中に身を任せること、そこに立ち上がっていく力があるのです。