All posts by wpmaster

使徒シモンとユダの日

 12使徒の一人であるシモンは熱心党のシモンと呼ばれています(マタイ10:4、マルコ3:18、ルカ6:15)。この熱心党はギリシア語を音写して「ゼロテ党」とも呼ばれています。熱心党は紀元6年、ローテ帝国の総督クレニオの住民登録に反逆して暴動を起こしたガリラヤのユダによって創設された国粋的団体です(使徒5:37)。イスラエルを支配する外国の権威を否定排除し、イスラエルの独立を目指して熱心に活動し、その熱心さは暴力行為にさえ訴えることを辞さない過激な集団でした。また、ローマ帝国に癒着していたユダヤ内部の権力者層に対しても、戦い続けた団体でした。この団体はガリラヤを拠点に活動し、イエスと出会う前の弟子のシモンはこの熱心等の党員として活動していました。紀元66年にユダヤがローマに対して反乱を起こし、70年に鎮圧されたのと同時に、この熱心党も消滅したと言われています。シモンは聖書の中に名前のみが記されているだけで、具体的な活動は記されていません。伝承では、ユダ(タダイ)と共に、エジプトとペルシアで宣教し、ペルシアで殉教したと言われています。殉教の際に、彼は十字架につけられて死んだという説と、のこぎで体を真っ二つにされて死んだという説があります。そのため、彼の標章にはのこぎりが描かれています。

 同じく12使徒の一人であるユダはマタイとマルコによる福音書ではタダイと呼ばれ(マタイ10:3、マルコ3:18)、ヨハネによる福音書ではイスカリオテでない方のユダと呼ばれています(ヨハネ14:22)。また、イエスの兄弟であるユダとも別人であると言われています。ユダもシモンと同じく、名前以外のことは詳しく描かれていませんが、シモンと行動を共にし、ペルシアで殉教したと言われています。後代、彼は絶望のうちにある人々のための力強い執り成し手として、人々から守護聖人として崇められたと言われています。

 シモンとユダの祝祭日は10月28日で、わりと後世になってから、崇敬されたと言われています。また二人は同地で同じ日に殉教したと言われています。

ミカエルと天使の日

 天使は神のみ使い(使者)として聖書に登場します。その中でも、ミカエル、ガブリエル、ラファエルは大天使として知られ、ミカエルはユダヤ教、キリスト教の両宗教から特に讃えられている天使です。

 旧約聖書ダニエル書に、ダニエルが見た幻(神の言葉がが啓示されている時)の中に、ペルシア、ギリシアの守護天使に対抗して、イスラエルの守護天使とミカエルが登場します(ダニエル10:13、21、12:1)。ダニエル書はバビロン捕囚によって祖国から異郷の地に連れてこられたイスラエルの民の迫害と苦難を描いています。その最中にあって、幻を通してダニエルに語りかける神の言葉は、ダニエルたち神の民を見捨てず、神が彼らを助け、養い、力強く導いていくという励ましと希望を与えます。ミカエルは異教の脅威から神の民を助けるために、彼らに代わって戦ってくれる天使として描かれています。

 新約聖書には神の言葉を告知する天使ガブリエルが啓示の天使として登場しますが、ミカエルは戦う天使としてヨハネの黙示録の中で、神に敵対する勢力(サタン)との闘争における神の勢力を代表しているように描かれています。

 492年5月8日、南イタリアのモンテ・カルガノ山で大天使ミカエルが顕現したと言われる人々の証言によって、ミカエルへの崇敬が人々の間で強められていったと言われています。その後も、各地でミカエルの顕現を目撃した証言者が数多く登場し、5月8日を「天使ミカエルの顕現祝日」として守られていました。

 現在、ミカエル、ガブリエル、ラファエルの天使の祝祭日は9月29日に定められています。その中でもミカエルは神に敵対する悪しき勢力に対抗し、戦う天使として覚えられ、また人々の生活を守る守護天使として讃えられてきました。西方キリスト教世界では、「天の軍勢の長」またキリスト教徒や兵士たちからは自分たちの保護者として讃えられ、ローマの教会の守護天使として、またドイツ神聖ローマ帝国の守護聖人でもありました。

福音書記者・使徒マタイの日

イエスの12使徒の一人であるマタイ(アルファイの子レビ)とマタイによる福音書の著者であるマタイは別人とされていますが、祝祭日は9月21日で統一されています。

使徒マタイは、マルコとルカによる福音書ではアルファイの子レビという名前で登場し、解釈の違いはありますが、マタイと同一人物だと言われています。彼はガリラヤの町カファルナウムの徴税人でした。当時イスラエルはローマ帝国に支配されていて、国民の税金はローマ帝国に搾取されていました。徴税人はローマ帝国の税金取立ての請負人であり、またローマ帝国に納める金額以上に、できるかぎりお金をしぼり集め、余分の金を自分のもうけとしていたと言われています。そのため、罪人と同じように人々から忌み嫌われ、交流を絶たれていました(マタイ9:10~13、21:31、ルカ18:9~14)。

ある日、収税所に座っているマタイを見かけたイエスは彼に「わたしに従いなさい」と声をかけました。すると、彼はすぐに立ち上がってイエスに従いました。その後、イエスはマタイを含む徴税人たちと食事を共にし、「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」と言って、徴税人たちの友として彼らと交流をもち、神の愛を伝えました(マタイ9:9~13)。

イエスの昇天後、マタイは使徒たちと共に宣教して教会を支え、自身はペルシアやエチオピアに行って、宣教したと言われています。彼の聖遺物はサレルノ(現在のイタリア)に移され、教皇グレゴリウス7世は1084年にそこにマタイの教会を建てました。

記者のマタイの生涯はあまり知られていませんが、彼はギリシア語を話すユダヤ人であったと言われています。シリアに住み、そこでおよそ紀元75年から85年にかけて福音書を書いたとも言われています。

使徒バルトロマイの日

 バルトロマイは12弟子の一人に名前が挙げられていること以外は(マルコ3:14~19)ほとんど知られていませんが、彼はヨハネによる福音書に登場する弟子のナタナエルと同一人物であると言われています。

 ナタナエルはガリラヤのカナという町の出身で、先にイエスの弟子となったフィリポを通じて、イエスと出会い、弟子の一人になりました(ヨハネ1:43~51)。イエスは彼のことを「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(1:47)と言い、彼がどうして自分のことを知っているのかと聞くと、彼がいちじくの木の下にいるのを見たとイエスは答えました。いちじくは聖書にたくさん登場する植物ですが、ミカ書に「人はそれぞれ自分のぶどうの木の下/いちじくの木の下に座り/脅かすものは何もないと/万軍の主の口が語られた。どの民もおのおの、自分の神の名によって歩む。我々は、とこしえに/我らの神、主の御名によって歩む。」(4:4~5)とあるように、いちじくの木の下にいることは平和のしるしとされ、それは神がもたらす平和であり、その平和を求めて神に従うことを意味しました。イエスが彼のことを「偽りがない」と言ったのは、彼が非の打ち所がない完璧な人であると賞賛しているのではなく、真実に神の平和を求めて、神に従っていく者であるということを意味していたのでしょう。そして、イエスとの出会いにおいて、その姿が明らかにされていくことを彼に告げるのです。彼は信仰を告白しイエスに従うことを明らかにしますが、イエスは「もっと偉大なことをあなたは見る」と言います。それがイエスの生涯を通して明らかにされる神の平和でした。彼は他の弟子たちと共に、その神の平和の証人となり、教会を盛り立て宣教していくのです。

 伝承では、彼はペルシア、インド、アルメニアで宣教し、最期はアルメニアで生きたまま皮膚をはがされ、首を切られるなど、壮絶な殉教を遂げたと言われています。彼の遺骨は8月28日にリパリ島へ、さらにベネヴェントへ移送したと言われています。10世紀になって、彼の遺骨の一部がローマに運ばれ、そこに教会が建てられました。祝祭日は8月24日とされています。