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2013年4月7日 復活後第1主日 「エマオへの旅人」

ルカによる福音書24章13〜35節
藤木 智広 牧師

24:13ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、 24:14この一切の出来事について話し合っていた。 24:15話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。 24:16しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。 24:17イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。 24:18その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」 24:19イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。 24:20それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。 24:21わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。 24:22ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、 24:23遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。 24:24仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」 24:25そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、 24:26メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」 24:27そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。 24:28一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。 24:29二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。 24:30一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。 24:31すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。 24:32二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。 24:33そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、 24:34本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。 24:35二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

ルカによる福音書24章13~35節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

皆様、改めまして、イースターおめでとうございます。先週の復活祭は3月31日、2012年度最後の主日の日でした。その日、私は母教会である池上ルーテル教会に行き、復活祭の礼拝に与り、教会員の皆様と主の復活の喜びを分かち合うことができました。復活祭の礼拝ですけど、礼拝に来られたのは、10人にも満たなかったです。新来者も誰もいませんでした。本当に小さい群れで、この復活祭をお祝いしました。ですから、復活のお祭りという活気にあふれた雰囲気はまったくありませんでしたけど、私自身、本当に嬉しかったです。遠方におられて、中々教会に来ることができない方とも、何年振りかに再開することができました。一緒に礼拝を守り、一緒に復活を喜び、一緒にお話をしました。離れていても、私たちは神の家族として互いに結ばれている、繋がっている、喜びを共にすることができるという尊い恵みが与えられているということを改めて実感することできた、祝福されたひと時でした。

この日は牧師として仕事を始める一日前に、私の信仰生活の礎となった場所、母教会の池上教会に行ったことに、導きを感じます。池上教会に通い始めたことを思い返しました。私がこの池上教会に通い始めたのは、今から約9年前です。その時は牧師になろうなどとは全く考えつきませんでした。当時はキリスト教に関心があっただけでしたから。しかし、9年の道のりを経て、今私は牧師として、この説教壇に立っています。六本木教会のホームページにある、牧師紹介の項目のところでも少し書かせていただきましたが、この9年間、本当にいろいろなことがありました。いろいろあったけど、常に自分は生かされてきた、神様の愛のご支配の中で、歩み続けることができたということを実感いたします。なぜなら、自分でも気づいていないところで、キリストが共にいて、共に歩んできてくださったからだと、その一言に尽きるからです。そして、私はどれだけこのキリストを見失っていたことであろうか、自分の思いばかりが全面に出て、意固地になっていた私の姿を思い返します。いや、今でもそうです。でもキリストは一歩一歩、着実に私を変えてくださっています。いろんな人との出会いを与えて下さり、様々な視点が与えられ、私を養い育ててくださったのであります。六本木教会の皆様との出会いもそうです。今から約4年前に、この教会で実習をさせていただきました。今皆さん一人一人とこう向き合っていますと、あの時はこうでしたねと、たくさんの思い出を語りたくなります。一緒に過ごさせていただきました。そして今も、これからも、私たちの只中にキリストがおられ、キリストと歩み続けられることを願います。

このように願うことができる根拠は、キリストが復活し、今も生きて私たちと共におられると信じる事にあります。

教会はキリストの復活の御体であります。キリストの御体に連なる者として、キリストと共に歩む時、私たちの思いと心はひとつとなり、一致の信仰を告白し、祈る者たちの群れとなるのです。

キリストの復活なくして、私たちの群れは存在しません。弟子たちもそうでした。婦人たちの証言を信じることができなかった彼らの思いはバラバラだったのです。

今日の福音書に出てくるエマオへの旅路にあったふたりの弟子たちも同じような心境にあったでしょう。彼らは一切の出来事について、つまり主イエスの十字架と婦人たちの証言である空の墓の出来事について、あれこれと論じ合っていたとあります。いろんな憶測が飛び交ったでしょうが、その時2人は暗い顔をしていたのです。彼らもやはり主イエスの復活を信じてはいませんでした。

エルサレムからエマオまでの60スタディオン、これは約11キロ半という距離だそうですが、この帰郷の道のりを彼らはさぞかし憂鬱な心境で持って、歩いていたことでしょう。自分たちの教師である主イエスは、イスラエルを救うメシアであると信じていたけど、主イエスは死んでしまった。かつてはこのような長い道のりも、主イエスと共に歩いてきたけど、今はもう自分たちしかいない。全てが終わってしまった。また元の暮らしに戻るために、彼らは神の都エルサレムから離れていく、つまり神様の宮から離れていく途上にあるのです。掘り下げて言えば、神様から離れていくということです。自分たちの期待は潰えてしまった。彼らの暗い顔は暗い道を造りだしているのです。

しかし、主イエスは彼らと、彼らの心境が造りだしているこの暗き道を共に歩まれるのです。その主イエスに気付かないほど、彼らの目はさえぎられていた、暗い闇しか見えてはいなかったのです。

そのような彼らの闇の深さを見る時、私たちもまたこの現実世界の闇の深さ、また人生において遭遇する自身の闇の深さに目を向けます。救いの手は差し伸べられているのに、それに気付かないほどの闇の深さに絶望します。どんな慰めや励ましも全く届かない、人に対しても自分に対しても。そういう経験を私たちはするでしょう。目の前の事実という普遍的な代わり映えのない思いだけに縛られるなら、この闇は闇のままなのです。私たちは理想や願望を追い求めれば求めるほど、挫折や裏切りにあったとき、目の前は真っ暗闇に覆われてしまうのです。

主イエスはイスラエルを、敵国のローマ帝国の圧政から解放してくれるメシア(救い主)として、人々から期待されていました。弟子たちにとっての希望でした。主イエスは彼らにとっての、行いにも言葉にも力のある預言者としてのメシア像だったのです。このメシアである主イエスに希望を抱きつつ、共に過ごした日々を彼らは忘れることはなかったでしょう。主イエスのご生涯の歩みに、自分たちの人生を重ねていた。主イエスとの出会いによって、自分たちは変えられていった。真のメシアに出会い、自分たちは救いの道を歩むことが約束されたと、主イエスのお姿の中に、彼らはその希望を抱いていました。しかし、彼らは主イエスの受難と十字架に従うことができませんでした。世の権力の前に、無力であった主イエスを前にして、自分たちの弱さ、もろさをさらけだして、彼らは逃げ出していったのです。主イエスの死によって、全てが終りだという心境へと突き落とされた彼らは、婦人たちの証言を信じることができず、エマオへの途上にあるこの弟子たちは、復活の主イエスにすら気づかないほどの絶望を経験しているのです。

しかし、その絶望の只中にある彼らに、主イエスは聖書全体の御言葉を通して、自らのメシア像を彼らに解き明かすのです。2人の弟子に、主イエスは言われます。物わかりが悪く、心の鈍い者たちだと。物わかりが悪く、心の鈍い者。それは単に要領の悪さや頭の悪さを言っているのではなく、根本的な真理から目を背け、目の前の事実だけに目を留めて、自分たちの思いだけに踏みとどまろうとすることです。こうこう、こうでなくてはいけないという善悪の判断基準を、人間の価値観において捉えようとする。生きる者にとって、その判断基準は大切かもしれないけど、その基準には必ず欠点があるのです。死角が存在するのです。それこそ、彼らの目がさえぎられて、物わかりが悪く、心の鈍い状態を表している人間の思いそのものなのです。

主イエスが示されるメシア、それは「メシアとはこういう苦しみをうけて、栄光に入る」と語られた苦難のメシア、すなわち十字架のメシアに他なりません。こういう苦しみとは私たちの苦しみ、痛み、悲しみ、嘆きに他ならない。それらを担い、私たちと共にいてくださる主イエスは、力ではなく、苦しみの中にこそ、神の栄光を表わしたのです。そして、その苦難のメシアである主イエスは、もはや死の只中におられず、墓を打ち砕き、死を打ち滅ぼし、復活のメシアとして、この弟子たちと共におられる。復活という永遠の命に生きる者として、彼らと共に歩んでいたのです。

皆さんはFootprints(あしあと)という賛美歌をご存知でしょうか。ワーシップソングとして知られる、大変有名な賛美歌で、一度は聞いたことがある賛美歌かと思います。Footprintsというのは「あしあと」という意味です。こういう歌詞です。

主と私で歩いてきたこの道
あしあとは ふたりぶん
でもいつの間にかひとりぶんだけ
消えてなくなっていた
「主よ あなたはどこへ行ってしまったのですか?」
「わたしはここにいる あなたを負ぶって歩いてきたのだ
あなたは何も恐れなくて良い わたしが共にいるから」

私も大学生の時、学校の聖歌隊でよく歌った賛美歌でした。ある人は、この歌を聞いて、寂しくなるから、この歌は好きじゃないと言っていました。共に歩んできた主のあしあとがいつのまにかなくなって、自分のあしあとしかなかったという寂しさを感じるからと言っていました。今まで一緒に歩いてきたのに、いつの間にかいなくなってしまった。「どこへ行ってしまったのか」という歌詞だけを見れば、確かにこの歌のせつなさ、悲しさ、寂しさだけが伝わってまいります。自分たちの目にはもう見えないところに主は行ってしまった。もう会えない。主イエスがもう共におられないと感じるかのように、悲しさだけがただ自分を支配しているのです。しかし、この歌詞の後半に私たちは慰めを受けます。「わたしはここにいる、あなたを負ぶって歩いてきたのだ」わたしは確かにここにいるのだと。あしあとがひとつしかないのは、あなたを負ぶってきたのだからと。あなたを負ぶる、主が私を負ぶってくださるということです。もう辛くて歩けない、人生という道の途上で、屈みこみ、苦しみの中にあったあなたを、私は抱えて、負ぶってきたんだよという主の愛が示されています。あなたを負ぶるということは、私の苦しみ、痛み、悲しみ、嘆きを負ってくださるということ。十字架のメシアとして、あなたを救うために、あなたを負ぶって、どこまでも歩むことができるんだよと。だから恐れなくて大丈夫だ。こう語りかける主。そしてまた最後に「わたしが共にいる」と言われるのです。

私が共にいる、それは何よりも、十字架の死から復活を遂げた主イエスが今も生きておられるということの言葉に他なりません。弟子たちの目はさえぎられ、物わかりが悪く、心にぶくとも、暗い顔をしている彼らと確かに共におられる。エマオへの村に近づいた彼らは、主イエスを引き留め、一緒に食卓につきました。パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて彼らに渡すと、彼らの目は開け、そこでやっと主イエスだと分かったが、その時には既に主イエスの姿は見えなくなっていたのです。彼らは復活の主イエスと出会い、復活を信じました。主は生きておられると、もはや暗い顔ではなく、確信に満ちた顔で他の弟子たちに告げていったことでしょう。

主イエスはどこまでも私たちと共に歩んでくださる。苦しみの只中にあり、もう前に進めないと思って、屈んでいる時でも、主イエスは私たちの苦しみを担われ、私たちを導いてくださる。復活、この言葉には「立ち上がる」という意味があります。そう、立ち上がるのです。あの徴税人のマタイが主イエスと出会い、立ち上がって主イエスに従っていったように、主の復活によって、私たちも立ち上げられたのです。

苦しみや痛み、悲しみ、嘆きを経験しなくてはいけない私たちの人生です。その人生の歩みの中で、救いなどないと思えてしまうほどの闇が、この世界を覆っています。しかし、主イエスはこの闇の中に来られ、私たちを救うために十字架にかかって死に、三日目に復活して、死という最大の苦しみ、痛み、悲しみ、嘆きに打ち勝ちました。今、この復活の主は私たちと共におられます。主を見失いかけてしまう時もあるでしょう。でも、主はいつまでもあなたの傍らにおられ、御言葉を語り、聖餐の恵みを通して、私たちに神様の愛を示してくださいます。

主の復活の喜びを知る時、私たちの目に遮るものは、もはやないのです。主が私たちの目を開いて下さり、御自身を顕されました。本当に主は復活したのです!

人知では到底計り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン。

2013年3月31日 復活祭 「キリストの復活」

ヨハネによる福音書20章1〜18節
高野 公雄 牧師

週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。

ヨハネによる福音書20章1〜18節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

主イエスさまご復活の祝日です。おめでとうございます。まずは、今日の福音によって、復活日に起こった出来事をたどって行きましょう。

金曜日の正午ころに十字架に架けられたイエスさまは3時ころに息を引き取ります。ユダヤの最高法院の議員であるアリマタヤのヨセフがローマの総督ピラトに願い出て、その日のうちに遺体を引き取り、新しい墓に葬ります。ゴルゴタの丘まで着いて来た女性たちが、磔刑の様子も埋葬の様子も見つめていました。ルカ福音によると、《婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った》(ルカ23章56b~24章1)と書いています。きょうの福音は、ここから始まります。

《週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。》

土曜の安息が終わり、週の初めの日、すなわち日曜日の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行きました。墓に行ったのは彼女ひとりではなかったようですが、ヨハネ福音はイエスさまとの個人的な出会いを描くという特徴があり、ここでも他の女性のことには触れません。

このマグダラのマリアについてルカ福音はこう記しています。《七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた》(ルカ8章2~3)。彼女は七つの悪霊が憑いていたと言われるくらい、精神的にも肉体的にも深い苦悩を負っていたのでしょう。ガリラヤでイエスさまに救われると、一行にずっと従って献身的に奉仕してきた女弟子です。

ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。》(ヨハネ14章1~3)

ご自身の犠牲によって、罪を取り除いて下さった。そういうお方として現れてくださった。それが復活なのです。ただ、死んだ人間が復活したということではないし、そのことを信じるのが復活信仰ではありません。少なくとも、それだけではイエス様の復活を正しく理解しての信仰ではない。イエス様の復活は、私たちの罪を取り除くため、赦すためです。そのためにイエス様は十字架にお掛かりになり、そして墓に葬られ、そして日曜日の朝早く、暗い内に復活されたイエス様は、マグダラのマリアに現れ、その日曜日の夕方には隠れていた弟子たちに現れてくださったのです。そして、聖霊を吹きかけてくださった。その時、彼らは、イエス様の復活を見て信じました。罪の赦しが与えられたことを信じることが出来たのです。

イエス様は甦られましたけれど、それはイエス様の肉体が蘇生した訳ではありません。蘇生しただけならば、そのイエス様はまた何年かすれば死ぬイエス様です。イエス様は復活されたのです。そして、その復活とは神のところへ上ることです。そして、それは実は聖霊において世に降り、マリアや他の弟子たちの罪を赦し、新たな命を与え、共に生きることです。そして、その「主」は世界中の人々の罪を取り除き、新たな命を与える世界の主であって、マリアだけの主ではないのです。

《そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」》

当時のエルサレム付近の墓は、岩をくり抜いた洞窟です。入口を入ったところは人が立てるほどの高さの天井をもつ小部屋になっています。その小部屋に、さらにいくつか細長い横穴が掘られていて、そこに亜麻布で包まれた遺体は安置されます。もちろん、洞窟の入り口は大きな石でふさがれます。「身をかがめて中をのぞくと」という表現が5節と11節に出てきますので、入り口の穴は小さくなっていたようです。

ところで、十字架刑という極刑を受けた遺体は、ふつうは引き取られることもなく、死体捨て場に捨てられるだけです。アリマタヤのヨセフの勇気ある行動によって、イエスさまは《ユダヤ人の埋葬の習慣に従い》(ヨハネ19章40)手厚く葬られることができたのです。

マリアは朝早く、まだ暗いうちに墓に着いて、墓から石が取りのけてあるのを見ました。墓の中をのぞいても暗くて何も見えなかったでしょうが、彼女は墓穴が開いていることから、イエスさまの遺体が移されたと考えました。急いでペトロともう一人の弟子に知らせます。二人の弟子は走って行って、まずペトロが墓の中に入ります。《彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。》亜麻布や顔覆いが残されているということは、遺体は盗まれたのではないことを示しています。《もう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。》彼は残された布を見てイエスさまの復活を信じます。しかし、ペトロはそれだけでは信じられません。あとで復活のイエスさまにお会して、はじめて信じます。《イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。》これで、 「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません」と泣きながら天使たちに訴えたマリアは、いまや「わたしは主を見ました」と仲間たちに伝える者に変えられました。どうか、私たち一人ひとりがきょうの福音を通してそれぞれにイエスさまを見、その呼びかけの声を聴き、「わたしは主を見ました」と、愛する人々に証しすることができますように。そして、これからの人生をイエスさまと共に歩めますようにお祈りします。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

父なる神、マグダラのマリアは、「わたしは主を見ました」と弟子に告げ、また主から言われたことを弟子たちに伝えました。この地上を歩まれたナザレのイエス様が、神の御子、救い主キリストであることを、おそらく最初に理解したのはマグダラのマリアであったでしょう。主を愛する人だけが感じ取れる真実があります。わたしたちがイエス様のご復活を喜べることを感謝します。イエス様の父である神が、わたしたちの父でもあることを、また、イエス様がわたしたちを兄弟と呼んでくださることを感謝します。イエス様と共に、これからの人生を歩ませてください。

主のみ名によって願い、祈ります。アーメン。

復活の出来事は、福音書記者ヨハネにとっては、天の父のもとから遣わされること、十字架の死、十字架にあげられること、そして、三日目のご復活、そして、天の父のもとにあげられることと、切り離すことのできない大事な、一体のこととして考えられるべきことであります。

《心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行二人の弟子の話は終わりで、話は二人から遅れて墓に着いたマグダラのマリアに戻ります。

墓の外に立って泣いていたマリアが墓の中に入ってみると、二人の天使がいて、《婦人よ、なぜ泣いているのか》と言います。泣く訳を尋ねているのではなく、もう泣く必要も理由も無いことを知らせているようです。マリアが《わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません》と答えながら後ろを振り返ると、そこにイエスさまが立っておられます。しかし、イエスさまだと分かりません。彼女はそれを園丁つまり墓所の管理人だと思って、《あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります》、と語りかけています。「わたしの主」とか「わたしが引き取ります」という言葉に、イエスさまに対するマリアの親愛の情がにじみでています。

イエスさまが「マリアよ」と呼びかけると、彼女は即座に「ラボニ(先生)」と答えます。ヨハネ10章3~4に、《門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く》とあるように、マリアは善き羊飼いイエスさまの声を聞き分けたのです。

《イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。》

ところで、マタイ28章8~9には、こうあります。《婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。》女性たちはひれ伏してイエスさまの足をかき抱いています。マリアもイエスさまにすがりついたのでしょう。また、ヨハネ20章27~28でイエスさまは、《トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った》とあります。復活の姿を現わされたイエスさまは、体をもっておられ、触ることも抱くこともできたし、それを弟子たちに許されたことが記されています。

では、「わたしにすがりつくのはよしなさい」という言葉は何を意味しているのでしょうか。《まだ父のもとへ上っていないのだから》という言葉や、《イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」》(ヨハネ20章29)という言葉から考えると、いつまでも復活のイエスさまの声を耳で聞く、目で見る、手で触るということに依りすがっていてはいけない。イエスさまは間もなく天に上ってしまう。これからは天から聖霊を、すなわちイエスさまの復活の霊を送るという仕方で、私たちと共にいることになる。マリアも私たちも、そのことを理解し、受け入れなければならないのです。

イエスさまはマリアにこう諭されると、彼女をご自分の昇天を知らせる使者とされます。《わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」》「わたしの兄弟たち」とは、ご自分を裏切った弟子たちです。ご自分を捨てた弟子たちを、イエスさまは「わたしの兄弟」と呼んでくださいます。そして、天の父は、わたしの父であり、そして、わたしを裏切って逃げた弟子たち、つまり「あなたがた」の父でもいてくださる。その神の信実のみ心、愛と赦しを伝えるようにと、イエスさまはマリアに語るのです。

《マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。》

2013年3月24日 受難主日 「主イエスの受難」

ルカによる福音書23章1〜49節
高野 公雄 牧師

ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。

十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

ルカによる福音書23章32~43節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

二千年前の今日、イエスさまは子ろばに乗って都エルサレムに入りました。人々は手に手に棕櫚(なつめやし)の枝をかざし、ホサナ、ホサナと歓呼の叫びで迎えます。また、上着を脱いでイエスさまの通る道に敷いて敬意を表します。今日の礼拝のはじめの歌は、この日を記念しています。今日からの一週間、代々の教会は、エルサレム入城に始まるイエスさまの受難の道を覚えて、私たちへの愛と赦しのために十字架にかかってくださったことに感謝し、罪を悔いて神に立ち帰ってきたのです。

現代人の生活は忙しくてウィークデイの集会が持ちにくくなったため、復活祭の前の日曜日は、昔のように棕櫚主日(枝の主日)として守るよりも、今日では聖金曜日のイエスさまの受難を先取りして、受難主日として守るようになっています。

本日は、ルカ福音23章1~49節を配役に分けて、全員で朗読しました。そうすることによって、イエスさまの受難の物語を観客として聞くのでなく、私たち自身がイエスさまの受難劇に参加していることを体験するためです。

イエスさまは枝の主日に民衆の大歓迎を受けてエルサレムに到着した後、毎日神殿に通って人々に教えを説かれました。しかし、人々はわずか数日のうちに彼に躓いて、口々に「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫ぶようになります。そして、聖木曜日にイエスさまは弟子たちとともに過越の食事をし、オリーブ山で祈った後、逮捕されて、まずユダヤの最高法院で裁判を受けました(ルカ22章14~71)。その後、ローマ総督ピラトのもとに連れて行かれて、ローマ側の裁判を受けるところから、23章は始まります。

きょうの福音は、ローマ総督ピラトによる裁判の場面(1~25節)とイエスさまが十字架にかけられる場面(26節以下)とに分けられます。前半のピラトによる裁判の場面では、《「ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう》と、ピラトは三度(4節、14~15節、22節)も「イエスは無実であるから、釈放すべきだ」と語ったというように、イエスさまが何の罪もないのに処刑されることになった様子が描かれています。この「三度」という数は、完全を表わします。ペトロは「三度」イエスさまを知らないと言い、パウロは「三度」肉体のトゲを取り去ってくださいと祈りました。ここでは、ピラトがイエスさまは無罪であることをはっきりと宣言したことを意味しています。福音書の著者ルカはこのピラトの裁きを通して、無罪であるイエスさまが十字架にかけられたこと、つまり、イエスさまが十字架にかからなければならなかった原因は別のところにあったことを示しているのです。

後半のイエスさまが十字架にかけられる場面では、ルカ福音書に特有の話が含まれていて、印象的です。そこで、今日はルカ福音に特有の三つの事柄に目を留めることで、イエスさまの十字架上の死と私たちとの関係について考えて見たいと思います。

その一つは28~31節です。イエスさまはご自分のために泣いているエルサレムの女性たちを逆に慰めます。29~30節はこれから起こる大きな災いを予告する言葉です。31節の《「生の木」さえこうされるのなら、「枯れた木」はいったいどうなるのだろうか》の「生の木」は、火にくべられるはずのないもの、つまり罪のないイエスさまを指し、「枯れた木」は火にくべられるはずのもの、つまり罪びとである普通の人間を指します。イエスさまはここで私たちに対して、「わたしのために泣くな」、むしろ、自分の本当の姿を見つめ、厳しい裁きに運命づけられている自分のために嘆けと言っています。イエスさまの受難の出来事を通して、自分が本来受けるべきだった裁きの姿を知ることによって、その裁きを自分に代わって受けてくださったイエスさまの愛と恵みを悟ることができるのです。

次にルカだけが伝えるのは、34節の祈りです。《そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです。」》これはイエスさまが語られた言葉としてとても有名ですが、重要な写本でこの言葉がないものがあるので、新共同訳聖書では亀甲カッコ〔 〕で囲まれるようになりました。この祈りは、無実のはずのイエスさまを殺した犯人は誰か、ユダヤ人の側かローマ人の側か、と問うていては理解できません。イエスさまはこの祈りを私たちのために祈っているのだからです。イエスさまを十字架につけた犯人は、神に背き、自分勝手に生きている私たちすべての人間なのです。毎年、聖金曜日に、私たちはイザヤ書の「主の僕の歌」を読みます。そこに、《彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた》(イザヤ53章5~6)とあります。ここに、イエスさまの死は私たちの罪を負うためのものであることが明らかに示されています。

40~43節の、一緒に十字架につけられた犯罪人のうち、一人が回心してイエスさまに救いを願う話もルカだけが伝えるものです。イエスさまと一緒に、二人の強盗が一人はイエスさまの右に、一人は左に十字架につけられました。その一人がイエスさまをののしって《「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ》と言います。もう一人はそれをたしなめて、《お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない》と言います。彼は、罪のないイエスさまが神の裁き、神の下す罰として十字架刑についていることに衝撃を受けて、神への恐れを抱いた、つまり、彼は生ける神と出会ったのでしょう。そして、自分は十字架につけられて死ななければならない罪びとであることに気づかされました。それと同時に、罪なくして自分と同じ十字架の刑を引き受け、共に苦しみを受けているイエスさまを知りました。イエスさまが《父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです》と祈るのを聞いていたはずです。

彼は、《イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください》と、イエスさまをキリスト(神が油注がれた王)として認め、その救いにあずかることを願います。すると、イエスさまは《はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる》と約束します。「回心した今」、苦しみの中でイエスさまが共にいてくださることに気づいたとき、もうそこに御国が実現しています。救いとは、イエスさまと共にいる者とされることです。その救いをイエスさまは彼に約束してくださったのです。「あなたは、私が実現する罪の赦しの恵みにあずかり、私と共にいる者となる」、と救いを宣言してくださったのです。私たちもまたイエスさまに出会い、神の前における自分の罪に気づき、イエスさまの十字架による救いにあずかりました。その点では、回心した強盗と同じです。私たちは決して、行いが立派だったから、心がけが立派だったから救いにあずかったわけではありませんでした。

この回心した強盗は「天国泥棒」と呼ばれることがあります。生きている間は盗んだり、殺したりしていたのに、最後の最後にイエスさまの救いにあずかり、天国への切符を手に入れてしまった、天国をも盗んでしまったというわけです。この回心した良い強盗は、伝説によると、ディスマス Dismas または聖ディスマスと呼ばれます。イエスさまの右手の十字架に架けられたそうで、彼に救いの言葉をかけているために、十字架のイエスさまは首を右手の方に向けているのだそうです。

しかし、この天国泥棒という言葉を否定的な意味にとってはいけません。この強盗において、イエスさまの十字架の死によって成し遂げてくださった救いがどのようなものであるかが、印象的に描かれているのです。イエスさまによる救いは、人がどれだけ善い行いを積んできたかによるものではありません。この救いにあずかるのに、こんな罪を犯してしまったからだめだとか、こうなったらもう遅いということはありません。私たちは皆、この天国泥棒と同じように、イエスさまと出会い、その救いにあずかるのです。イエスさまは私たちのために十字架を負っていてくださいます。イエスさまが私たちのために備えてくださった聖餐の食卓を囲んで、私たち一人ひとりがイエスさまに連なる肢体として、豊かな養いをいただくことのできる幸いに感謝しましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

2013年3月17日 四旬節第5主日 「悪い小作人のたとえ」

ルカによる福音書20章9〜19節
高野 公雄 牧師

イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。

『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。』

その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。

ルカによる福音書20章9~19節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

 

《イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。》

四旬節の季節も深まり、来週はもう棕櫚主日です。イエスさま一行がついにエルサレムに到着した日曜日のこと、群衆は小ろばに乗ったイエスさまを歓迎して、棕櫚の枝を手に持って、「ホサナ!ホサナ!」と喜びの叫びをあげたことを記念します。この出来事は、この前の章、ルカ19章26以下に記されています。

そして、その週の木曜日にイエスさまは逮捕され、金曜日には十字架刑に処せられます。その最後の一週間、日曜から木曜まで、イエスさまは毎日、神殿に行って人々に教えました。《毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである》(ルカ19章47~48)。また、《それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた。民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た》(ルカ21章37~38)と記されています。

きょう朗読されました「ぶどう園と農夫のたとえ」または「悪い小作人のたとえ」は、神殿において人々に教えられたイエスさまの最後のたとえ話です。

《ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。》

イエスさまのたとえ話に、「ある人が長い旅に出る」ことが大枠になっている話がいくつかあります。「タラントンのたとえ」(マタイ25章14~30,ルカ19章11~27)、「門番のたとえ」(マタイ24章36~44,マルコ13章32~37)など。まず、主人が不在な状況が描かれます。神さまは現にいらっしゃるのですけれども、目には見えません。私たちはついこの世は人間の力と思いとで動いているように思ってしますけれども、実は神からゆだねられた世界であり、神によって守られているのであり、やがて世界は神の前にその歩みの責任を問われる日が必ず来ます。主人が長旅中で不在ということは、このような聖書の主張をたとえで語っているのです。

きょうのたとえでは、ある人はぶどう園の主人です。主人はぶどう畑を農夫に貸すのですが、同じたとえ話であるマタイ21章、マルコ12章によりますと、主人はぶどう畑に、動物が荒らさないように垣を巡らし、ぶどうの実は搾って保存する必要がありますから、搾り場も掘り、収穫が盗まれないように見張りのやぐらも立てる、というように用意周到にぶどう園を作りました。その上で、農夫に貸します。パレスチナの産物としては、ぶどう、いちじく、オリーブ、ナツメヤシといった果物が有名です。それで、聖書ではぶどう園はしばしば神の民イスラエルの国、土地を表わします。

この主人と農夫は、神と民との関係を表わしています。創世記1章と2章の人間の創造の記事も同じように語っています。神は人を作るまえに、人の暮らしのために用意周到な準備をしています。まず世界を造るのですが、光を造り、陸を造り、草木を造り、海の生き物、陸の生き物を造り、エデンの園を造って、人が暮らしていけるように用意万端が整ったところで、神は人間の男女をお造りになったと書いています。このように、人は神に大恩を負っており、農夫は主人に大恩を負っているのです。

《収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。》

収穫の時がきました。ぶどうの木を植えて育て、実をつけるようになっても3年は食べないで、木の成熟を待つ決まりになっていたことがレビ記19章23~25に記されています。今や、待ちに待った収穫の時が来たのです。ぶどう園の仕事を委ねられた農夫たちは、主人に小作料を支払うことが求められます。これは、主が来られるとき、私たちの人生の総決算をするときの比喩でもありますが、ここでは、人生のさまざまな段階における神との関わりの確認または回復の機会と考えても良いでしょう。

ところが、農夫たちは、主人から送られた僕を乱暴に扱い、手ぶらで追い返してしまいます。一度ならず、二度、三度と。これは、神の意思を伝えるために起こされた預言者たちへの仕打ちを表わしています。聖書は一貫して、神の意思を伝える者たちが人々から歓迎されず、むしろ手荒に扱われたことを書いています。預言者たちは心血を注いで神の言葉を伝えるのですが、彼らが人々に歓迎され、手厚くもてなされることはありません。聖書は徹頭徹尾、神の使者の不遇を描きます。

《そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』》

そこで、主人は「どうしようか」と思案します。たとえば、強制的に小作料を徴収するために、怖い人たちを送って脅すという手だってあるでしょう。しかし、心優しい主人はそういう強制的手段を採りません。「どうしようか」と考えた末に、愛する息子であれば、さすがに農夫たちも敬ってくれるだろう、支払ってくれるだろうと期待して遣いに出します。この主人は、農夫たちが無理に支払わされるのではなく、あくまでも自発的に尊敬の念をもって息子を迎え入れ、なすべき当然の義務を果たすよう忍耐強く待つのです。

「わたしの愛する息子」という言葉は、イエスさまが洗礼を受けたときに天からの声がそう宣言しました(ルカ3章22)。また、山上でイエスさまの姿が真っ白に光輝く変容をしたときも、雲の中からそう告げる声がしました(ルカ9章35)。たとえのこの部分は、イエスさまを地上に送り出すときの神のみ心、愛と忍耐を表わしています。

《農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。》

主人が不在であるために、神は目に見えないために、人間はすべてを自分で成し遂げたかのように、すべての自分のものであるかのように錯覚し、神は年老いて死んだ、人は神なしでもやって行けるように十分に成長したと考えるようになります。神のひとり子を殺したら、神の残した遺産はすべて自分たちのものになると考えます。二千年前の人も、現代人も、考えることは同じです。こうして神の愛と忍耐の結晶であるイエスさまは城外の処刑場で十字架に架けられます。しかし、その死は、人々の罪の贖いのためだったのです。《人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである》(マルコ10章45)とある通りです。

《彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。』》

この話を聞いていた人々は「そんなことがあってはなりません」と応えました。「そんなこと」とは直前の《ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない》ということだという解釈もありえますが、ここでは、農夫たちが主人の愛する息子を殺すことと採ります。その応えに対して、イエスさまは詩編118編22~23を引用して問い返しています。聖書に、建築の専門家が役に立たないと思って捨てた石が、一番大事な隅の親石となった、と書いてあるように、人の目利きは不確かであり、神のご計画は奥深くはかり難い。イエスさまは、権威を自認する者たちが捨てた者、つまり自分こそが実はメシアであって、人の救いの親石であることを宣言しているのです。この言葉は、イエスさまが十字架と復活を通して救い主となられたことを預言するものとして、新約聖書では、ここだけでなく、使徒言行録4章11にも、Ⅰペトロ2章7にも引用されている大事な言葉です。

まったく不信仰な人々の悪行に対して、「どうしようか」と思案した神は、私たちの救いのために、愛するひとり子を贖いとして与えてくださいました。人は、その行為や善行によってではなく、神の愛と恵みを受け入れる信仰、イエスさまの贖いを土台とする信仰によって救われます。神のこの愛の犠牲をいただいた私たちも「どうしようか」と自分の姿勢を思い巡らし、しっかりとこの神に応える決断をしたいと思います。イエス・キリストを救いの土台として、しかりと立って生きる者でありたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。