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2012年1月1日 主の命名日 「イエスの御名」

ルカによる福音書2章21〜24節
説教: 高野 公雄 師

八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

ルカによる福音書2章21〜24節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

街では、12月25日が過ぎますと、さあクリスマスは終わったとばかりに、ばたばたとクリスマスの飾りつけが取り払われ、角松を立ててお正月の仕度が始まります。

しかし、キリスト教会の伝統では、クリスマスは25日で終わるのではなく、25日から始まるのです。1月6日の顕現祝日の前日までの12日間が降誕節つまりクリスマス・シーズンです。英語の子供の歌に「12日間のクリスマス The Twelve Days of Christmas」というのがあるとおりです。欧米のクリスチャンの家庭では、クリスマス・ツリーやその他の飾りを片づけるのは、12日目つまり1月5日の晩というのが習慣です。

ところで、キリスト教の三大祭り、すなわち復活祭、聖霊降臨祭、降誕祭は、昔から、その当日だけでなく、8日目にもう一度祝うものとされていました。それらは「オクターヴ付きの大祭」という言い方がされます。オクターヴはラテン語で8番目という意味でして、音楽用語ですと、たとえばドから上のドまでの完全8度の音程をいいます。また、一週間を日曜から次の日曜までと数えると、それはオクターヴつまり8番目になります。12月25日のクリスマスのオクターヴは今日つまり1月1日です。きょうはもう一度、クリスマスを祝う日なのです。1月1日は日曜日であってもなくても、クリスマスのオクターヴとして、「主の命名(イエスのみ名)」を祝います。

《八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である》。ユダヤ人の男の子は生後8日目に割礼を受け、名前を付けます。割礼はアブラハムとの契約のしるし(創世記17章10~11)であり、神の民の一員となるしるしであって、割礼を受けることによって神の民としての資格を得ることができるのです。ですから、他の民族の者がユダヤ教に改宗するときも、割礼を受けることが求められました。

この日、イエスさまも割礼を受け、名前を与えられました。その名は、預言されていたものです。マタイ1章20~22に次のようにあります。《(ヨセフが)このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった》。

わたしは大学生の時代にキリスト教への関心を深めたのですが、イエスJesusという名前とイエス・ノーのイエスyesとは何か関係があるのではないかと思って調べましたが、関係ありませんでした。イエスはギリシア語のイエースースをラテン語化したもので、そのギリシア語は旧約聖書のヨシュア記という書物にもなっているヨシュアという人名をギリシア風に音訳したものです。実は、イェシュアに近い発音なのですが、旧約聖書ではヨシュアとカナ書きされ、新約聖書ではイエスとカナ書きされます

イエスすなわちヨシュアという名前の意味ですが、「ヨ」または「イェ」は天地を創造した唯一の神の名ヤハウェの短縮形であり、「シュア」は「救い」です。これを合わせると「神は救いである」という意味になります。

この「救い」という言葉の意味ですが、初めの3世紀の迫害の時代に、「信仰をもっていれば、死んだら天国に行ける」というふうに意味が狭くなってしまいました。今でも救いとはそういう意味だと思っている人がいるかも知れません。ですが、もともとは「完全」「健康」「幸福」などを意味していました。イェシュアという名は「ヤハウェは人の完全さの源、充実した人生を送るための基である」ということを主張しているのです。

この名付けの祝いは、大事なものですが、上手に守ることができませんでした。古代ローマ時代には同じ時に祝われた異教の農業祭の喧騒ために妨げられましたし、現代も新年を迎える各地の習慣に妨げられて、せっかくの休日なのに、残念ですが、聖日として守るために十分には用いられていません。

私たちがイエスという名に敬意を払うのは、その文字や言葉に魔力があると信じるからではありません。この名がイエス・キリストを通して与えられる祝福を思い出させてくれるからです。そしてその祝福に感謝を表わすために、この名を大事にするのです。それは、主のご受難に誉れをたたえるために、十字架を大事にするのと同じことです。

イエスのみ名は、私たちに次の4点を思いいたらせます。

1.キリストは、私たちの身体の必要を満たします。《信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る》(マルコ16章17~18)。イエスのみ名によって、使徒たちは足の不自由な人に力を与えました(使徒言行録3章6、9章34)。

2.キリストは、霊的な試練に慰めを与えます。イエスのみ名は、罪人には放蕩息子の父や善きサマリア人を思い出させ、義人には罪なき神の子羊の苦難と死を思い出させてくれます。

3.イエスのみ名は、サタンとその手下から私たちを守ります。悪魔はイエスの名を恐れています。イエスさまは十字架上で悪魔を征服したからです。

4.キリストは私たちに祝福と恵みを与えます。キリストはこう言います。《その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる》(ヨハネ16章23)。それゆえ、私たちのすべての祈りは「主イエス・キリストのみ名によって」という言葉で終えます。

こうして、パウロの言葉が現実のものとなります。《こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです》(フィリピ2章10~11)。

最後に、このみ名を特別に愛した人、クレルボーの聖バルナール(ベルナルドゥス)に触れておきたいと思います。彼は12世紀の代表的なトラピスト修道士ですが、この名への崇敬を生き生きした表現で説教し、またこの名によって病人を癒しました。彼は説教の終わりに、IHSと彫った板を集まった人々に示し、これにひれ伏すことを求めました。当時イエスの名はIHESUSと綴られており、IHSはその初めと終わりの3文字でした。この3文字は今でも祭壇布のデザインなどに使われています。

このベルナルドゥスは「血しおに染みし主のみかしら」(教会讃美歌81)の作詩者であり、バッハの編曲は「マタイ受難曲」でも用いられていて、私たちにも無縁は人ではありません。

ベルナルドゥス以来、伝統的に、敬虔なキリスト教徒は、イエスのみ名が発せられるたびに、頭を垂れたのです。私たちはこの習慣を身に着けていませんが、これを回復すべきだと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2011年12月25日 降誕祭 「真の光は世に来た」

ヨハネによる福音書1章1〜14節

説教: 高野 公雄 牧師

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

ヨハネによる福音書1章1〜14節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

例年であればクリスマスは夕べの礼拝として祝うところですが、今年はめずらしくクリスマス当日が日曜日に当たりましたので、このように午前11時からの主日礼拝として守っています。

本日の福音はヨハネによる福音書1章1~14節です。この個所は学者たちによれば、福音書が書かれる前から歌われていた古い賛美歌がもとになっているそうです。私たちが礼拝を賛美歌で始めるように、ヨハネ福音も賛美歌で始めているのです。これは、他の福音書が地味な始まり方をするのと比べて、ヨハネ福音の目立った特徴です。

この個所には、「言」(ことば)という珍しい訳語が繰り返し現れます。これは新約聖書の言葉、ギリシア語ではロゴス logos といいます。「ロゴス」とは何でしょうか。イエスさまは2000年前にユダのベツレヘムで、おとめマリアから人としてお生まれになりました。そして30歳か33歳くらいで十字架に架けられて殺されてしまいました。キリスト教の信じるところによれば、その死は私たち人間を罪から救うための贖い(あがない)すなわち身代金にほかなりません。つまりイエスさまはご自分の命と引き換えに、私たちを死の闇から救い出してくださったのです。神はそういうイエスさまの贖罪死を良しとし、イエスさまが朽ち果てるのを見棄てず、死の三日後に復活させました。復活とは、この地上で息をふき返すことではなく、イエスさまが神の右に高く挙げられたこと、生きている人と死んだ人との永遠の支配者となったということです。この、救い主であり永遠の支配者であるイエスさまは、その十字架と復活によって初めて、いわば養子として受け入れられるように神の独り子となったのではありません。イエスさまは永遠の昔から神の独り子であったのです。イエスさまは2000年前に人として生まれる前から神と共に存在しているのです。昔も今ものちも生きているイエス・キリストを、福音書記者ヨハネは「神の独り子」とか「言」と言い表します。「言 logos」とは永遠の神の子イエス・キリストのことだったのです。

きょうの聖書本文から、元の賛美歌を完全に復元することは難しく、学者によってさまざまな意見が出されています。しかし、6~8節など、洗礼者ヨハネについての言及は元の賛美歌にはなかったもので、福音書記者のヨハネがあとから付け加えたものという点は一致しています。

もともとの賛美歌は、神による救いの歴史を三つの段階に分けて歌ったものです。

第一段落は1~4節です。《初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった》。そもそも「言」によって天地が創造されたこと、「言」が人に命の輝きを与える方である、と歌っています。

第二段落は9~11節です。《その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった》。これは旧約聖書時代の「言」の働きについて歌っています。「言」はまだ人となっていません。モーセを通して律法という形でユダヤ人に与えられました。しかし、彼らは「言」を受け入れませんでした。

第三段落は14節と16~17節です。《言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである》。これは新約聖書時代の「言」の働きについて歌っています。「言」は人となった。私たちはクリスマスにおいてこの方を祝っているのですが、2000年前だけでなく今も、「言」すなわちイエス・キリストは、信じる私たちと共におられ、つねに豊かな恵みを注いでくださっていると、ユダヤ教の律法にまさるイエス・キリストの恵みを賛美しています。

クリスマスが来ても、私たちの闇・苦しみ・問題が消えて無くなるわけではありません。しかし、今やまことの光は世に来て、すべての人を照らしています。それは2000年の昔のことではなく、今日まで続いていることです。その光は聖書を通して、闇を照らし続けています。私たちはそのことを知った喜び、その解放感を感じとることができるでしょうか。

現代に生きる私たち日本人は、クリスマスに関する情報、聖書やキリスト教に関する知識をすでにたくさん得ていると思います。その知識を自分の身に着けて、自分の血肉と化して、生活を明かるくするもの、温かくするものとして活用できているでしょうか。私たちはキリスト教についての知識 knowledge を自分の生活に生きる知恵 wisdom、心の働きに変えていく必要があります。

教会において、私たちが互いに目指すのは、このことです。毎週の礼拝を通して、イエス・キリストの福音、喜ばしい知らせを聞き、それを自分の人生の価値観とし、行動の指針として身に着けていきたいと思います。神さまの大きな愛をいただいて、一緒に生きていきましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2011年12月24日 降誕祭前夜 「闇の世に光を」

ルカによる福音書2章1〜20節
説教: 高野 公雄 牧師

 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

ルカによる福音書2章1〜20節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

本日の礼拝プログラムの第5段「イエスの誕生」(ルカ福音書2章1~7)ではイエスさま誕生の次第が客観的に語られています。人々の反応や出来事の意味には触れていません。これがそのまま歴史的事実であったかというと問題はありますが、大筋は書かれた通りと言ってよいと思います。

イエスさま誕生当時のパレスチナはローマ帝国の植民地になっていました。時の皇帝アウグストゥスが人口調査をせよという勅令を出し、シリア州総督のキリニウスの指揮で、ガリラヤ地方のナザレ村の住民も故郷に戻って登録することになりました。ヨセフは故郷であるユダヤ地方のベツレヘム村に向けて旅立ちます。5節《身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである》は、おだやかな表現ですが、マリアの身ごもっている子供の父はヨセフではないこと、しかしヨセフはマリアもその子も受け入れる覚悟であることを示しています。

ローマ皇帝が人口調査をしたのは、植民地の住民から税金を取り立てるためです。身重のマリアを連れたヨセフは、苦しい旅を強いられます。おかげでイエスさまはベツレヘムで生まれることになり、旧約聖書に「新しい王」はダビデ王の出身地ベツレヘムで生まれるとある預言が実現しました。皇帝はそれとは知らずに神の計画に奉仕することになったのです。

礼拝プログラムの第7段「羊飼いたちの讃美」(ルカ福音2章8~20)で初めて、イエスさまの誕生の意味が語られます。その意味は、この出来事の場所から離れたところで、野宿をしていた羊飼いたちに明かされます。天使が現れて彼らに語りかけます。《恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである》。

ここに《大きな喜びを告げる》と訳された言葉の中に、著者ルカのお気に入りの言葉「喜びの知らせ」=「福音 good news」という語句が含まれています。イエスさまが生まれたという知らせを含めて、イエスさまの語った言葉、行った行為を記した書物を福音書と呼んでいますが、福音とは「喜びの知らせ」という意味です。

パレスチナはもとは羊やヤギなどの小家畜の放牧を仕事とする半遊牧民が暮らす土地でした。ダビデ王も元は羊飼いであり、神さまさえも羊飼いにたとえられています。しかし、イエスさまの時代には定住が進み、多くの人は農民となっていました。羊飼いは流れ者、野宿する者として社会の片隅に追いやられた存在となっていました。その彼らに真っ先にイエスさま誕生の知らせ、喜びの知らせ=福音は届けられたのです。

天使は続けて言います。《あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである》。人類の救い主として生まれたイエスさまは、羊飼いたちと無縁な方ではありません。イエスさまもまた《宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである》とあるように、自分の居る場所がなく、飼い葉桶を寝床としているというのです。羊飼いたちは、自分たちも《民全体に与えられる大きな喜び》から漏れていない、神の国に招かれている、と感じたことでしょう。それで、彼らは《急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当て》、そして《神をあがめ、賛美し》ました。私たちの身近に、家がない人・居場所がない人・生きる上で困難を抱えている人がいるのではないでしょうか。あるいは私たち自身がそういう人の一人かもしれません。救い主の誕生の知らせは、そういう人たちにこそ届けられるのです。

《この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」》。もともと聖書でいう「平和 シャローム」は、神による正義や公平の実現を意味していました。ですから、平和とは戦争のない状態を意味するだけではなく、それだけでも素晴らしいことですが、さらに、秩序と繁栄、自由と平等、民主主義と人権尊重をも意味しています。

きょうはクリスマスの歌をたくさん歌いましたが、最後に、クリスマスの歌が平和を造り出した実例をお話ししたいと思います。

一つは、普仏戦争の最中の1870年のクリスマスイヴの出来事です。戦場でフランス軍とプロイセン(ドイツ)軍が対峙していた時、突然、フランス軍の一人の兵士が塹壕から飛び出して、「さやかに星はきらめき, Cantique de Noel, O Holy Night」を歌いだしました。その歌に感動したドイツ軍の兵士が今度は「いずこの家にも, Vom Himmel hoch da komm ich her」(マルチン・ルター作詞)を、そして「きよしこの夜, Stille Nacht! Heilige Nacht!, Silent Night, Holy Night」を歌い、こうして両方の塹壕からそれぞれのクリスマスの歌声が流れ、暗黙のうちに24時間の停戦が成立。束の間でしたが、平和が造り出されたということです。

いま一つも、これと似た出来事が、1914年のクリスマスイヴに第一次大戦下の西部戦線でも、やはり「きよしこの夜」を巡って起こっています。この出来事は「戦場のアリア」という映画にもなり、ヨーロッパ各地で語り継がれています。

人の善意や平和への思いは厳しい現実を前にして無力に近いものですが、クリスマスは束の間であっても平和を実現させる力があります。クリスマスに「闇の世に光を」もたらします。この希望を忘れないでいてください。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2011年12月18日 待降節第4主日 「主はその民を訪れた」

ルカによる福音書1章67〜79節
説教: 高野 公雄 牧師

父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。
「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。
昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。
それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。
主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。
これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、生涯、主の御前に清く正しく。
幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。
これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」

ルカによる福音書1章67〜79節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

きょうは待降節第4主日で、アドベント・クランツのローソクが4本ともりました。クリスマスを祝う前に4回の日曜日を待降節(アドベント)として降誕の準備と待望の時を持つのが決まりです。

さて、今日の福音書は、聖書の小見出しで「ザカリアの預言」とありますが、この個所はむしろ「ザカリアの賛歌」という呼び名で通っているでしょう。詩編以外の個所に記されている詩歌は、旧約聖書にあるのも、新約聖書にあるのも「カンティクル Canticle」と呼びますが、その日本語訳が「賛歌」なのです。

ルカ福音書の1章と2章には三つの「賛歌」が含まれています。最初あるのが「マリアの賛歌」で、ラテン語聖書の最初の言葉をとって「マニィフィカト Magnificat」(「あがめる」の意)とも呼ばれます。これは讃美歌にもなっていますし、バッハ他の作曲もあり、よく知られた歌です。二番目が今日の個所の「ザカリアの賛歌」。これも初めの言葉をとって「ベネディクトゥス Benedictus」(「ほめたたえる」の意)と呼ばれます。三番目は「シメオンの賛歌」で、初めの二語をとって「ヌンク・ディミティス Nunc Dimitis」(「今こそ去ります」の意)とも呼ばれる周知の歌です。なにしろ、私たちは毎週、これを礼拝の終わりの部分で歌っているのですから。

これらの三つうちで「ザカリアの賛歌」は、一番なじみの薄いものだと思います。しかも、聖餐式の中で必ず歌われる同名の「ベネディクトゥス」の方がはるかに有名です。こちらはマタイ福音21章9の、《主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ》という言葉でして、ミサ曲中の1曲としてたくさんの作品が作られています。単に「ベネディクトゥス」と言うと、ミサ曲の方と間違われるので、「ザカリアのベネディクトゥス」と呼んで区別しています。

このように、「ザカリアの賛歌」は他に比べてなじみの無い「賛歌」かもしれませんが、この詩の初めに《父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した》とあるように、旧約聖書以来のユダヤ教の信仰の香りに満ち、味わい深く、クリスマスを前にして読むにふさわしい詩歌です。

まず、この歌の背景から見ていきましょう。ルカ1章5~24と57~66に書かれています。マリアがイエスさまを生む6か月前に、マリアの親戚のエリサベトも男の子を生みました。この子は後に「洗礼者ヨハネ」と呼ばれるようになります。ザカリアはエリザベトの夫であり、ザカリアとエリサベトは子供のいない老夫婦でした。ザカリアはイスラエルの祭司でした。祭司は24の組に分かれていましたが、ザカリアはその中で第8の組であるアビア組に属していました。それぞれの組は、年に2回、神の前で務めるのですが、当番が回ってくると、その組の祭司たちは神殿に集まって、朝夕くじを引いて、任務を決めたそうです。最も大切な務めが、聖所の奥で香を焚いて祈りをすることでした。当時イスラエルには2万人以上の祭司がいましたから、一組には1000人近い祭司がいたわけで、主の聖所に入って香を焚くというのは、一生に一度あるかないかの務めでした。

ザカリアが香を焚いて祈っているとき、突然天使が現れて、香壇の右に立ちました。《ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた》とあります。大役を仰せつかったザカリアは、何事も無くつつがなく終わって欲しい、と願っていたことでしょう。神の聖所で祈りを捧げながら、そこで神と出会うことは期待していなかったのではないでしょうか。そこへ天使が現れたわけです。何かとんでもないことが起こりそうな気がします。私たちの信仰生活も、それと似た面があるかも知れません。つつがなく自分の人生を歩んでいきたい。毎日の生活の中で、神が介入してこられることは望んでいないのです。自分の人生を神に乱されては困るのです。教会の営みも、そこに神が介入してこられることを考慮に入れず、私たちの計画、私たちの行いという風に考えてしまっているのではないでしょうか。本当は、私たちの人生、私たちの教会の歩みというのは、神と出会うところから変わっていくのだと思います。

天使は言います。《恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名づけなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する》。ザカリアはこの言葉を聞いた時に、《何によって、それを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています》と反問します。彼は一種の「しるし」を求めたわけですが、その結果、その子が生まれるまで口が利けなくなるという「しるし」が与えられました。その後、天使が予告した通り、ザカリアとエリサベトの間には、男の子が与えられました。

ザカリアが話すことを禁じられたのは、罰ではなく、子どもが生まれるまで彼が神と共にいることを求められたからと考えることができます。イエスさまは宣教を始める前に荒れ野で断食しました。洗礼者ヨハネも荒れ野にいました。荒れ野は何もない、自分と神だけの世界です。同じようにザカリアも子どもの誕生という大きな出来事を前にして心の荒れ野に退くこと、つまり人との交わりを避けて神と共にいることが求められたのではないでしょうか。イエスさまは人生の重大事を前にしてしばしば神に祈って夜を明かされました。私たちも人生の大きな出来事を前にしては、しばし神と共にいることが求められます。これから人生の重大事を迎える人もいるでしょう。迷っている人もいるかも知れません。特にそのようなとき、キリスト不在の、世間のクリスマスのざわめきの最中にあっても、ザカリアのように心の荒れ野に退き、神ともにあって神のみ旨を祈り求めてほしいと思います。

誕生から8日目に、男子には割礼を施し、名前をつけるのが当時の習慣でした。この日、人々は当然「ザカリヤ」と名付けようとします。ユダヤでは父や祖父の名にちなんで名付けるのが普通だったからです。そこで異を唱えたのは何と、エリサベツです。それでザカリアに尋ねると、天使が伝えたとおり、書き板に《この子の名前はヨハネ》と記します。そのとたんに、ふたたび話せるようになります。その後、聖霊に満たされて歌った預言が、この賛歌です。

「ザカリアの賛歌」は、75節までの前半と76節からの後半の二つの部分に分けられます。前半は、神を賛美しているのですが、それは神が洗礼者ヨハネを送ったからではなく、《我らのために救いの角を、僕ダビデの家》から起こしたから、つまりイエスさまを送ってくれたからなのです。この歌は旧約聖書の出来事への暗示や神を救い主として称える詩編の言葉に満ちています。ユダヤ教的な終末の希望は実現され、約束は守られ、アブラハムの契約は覚えられ、すべての敵は神が上げた「救いの角」(神の力を指す。サムエル上2章10)によって打ち負かされるだろうと歌います。

後半も、焦点はイエスさまにあるのであって、ヨハネは《主に先立って行き、その道を整え》る者であることを明らかにします。また、ヨハネやイエスさまがこれから何をしようとしているのかということの要約になっています。後半も旧約聖書の言葉を数多く引用し、救い主イエスさまの出現を《高い所からあけぼのの光が我らを訪れ》と美しく歌っています。そしてその「あけぼのの光」たるイエスさまは《暗闇と死の陰に座している者たちを照ら》すのです。

キリストの降誕はまさに、世にはびこる矛盾や悲しみや苦しみに対する挑戦です。「世の悪」に立ち向かうに、私たちはあまりに無力であり、希望のかけらすら見つけることが難しい現実です。しかし、私たちを信仰のうちに「照ら」してくださる「あけぼのの光」が約束されています。イエスさまの到来を待ち望みましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン