2010年7月11日 聖霊降臨後第7主日 「イエスに従うこと・・・救いの3時制」

ルカによる福音書9章51-62節

説教: 五十嵐 誠牧師

テキスト ルカ9:51-62   (マタイ8:19-22)
サマリア人から歓迎されない
9:51 イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。9:52 そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。9:53 しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。9:54 弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。9:55 イエスは振り向いて二人を戒められた。9:56 そして、一行は別の村に行った。

◆弟子の覚悟

9:57 一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。9:58 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」9:59 そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。9:60 イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」9:61 また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」9:62 イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。

私たちの父なる神と主イエスキリストから 恵と平安が あるように アーメン

イエスの弟子はいろんな人がいました。職業から見ても、漁師、取税人、国粋主義者(熱心党)、商人(会計係)などです。性格も様々です。短気でせっかちな者、怒りっぽい者、疑い深い者などです。ですから、時には感情が出ます。今朝の福音書にもありました。私はせっかちですし、仕事が早いほうです。

イエスとその一行はエルサレムに行く途中、サマリアを通りました。「しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである」。サマリアの住民がイエスを歓迎しないのは当たり前でした。付き合いがなくて、交際をしていなかったからです。歴史的、宗教的反目がありました。まして、イエスがエルサレムへ行くと聞いたからです。サマリア人は自分たちの神殿をゲリジム山に持っていたからです。イエスが自分たちの神殿に参拝するなら歓迎したでしょうが。(参考・わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」(ヨハネ4:20)。この山とはゲリジム山です。

それを見て、イエスを歓迎しないのを見て、ヤコブとヨハネは「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言いました。「主よ」と言い、忠義立てしたつもりです。旧約聖書のソドムとゴモラを心の中で考えたと思います。「主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ」たのです。(創世記)19:24)。罪深い町でした。旧約の故事を思い出してのことです。

*「ソドムとゴモラ、および低地一帯を見下ろすと、炉の煙のように地面から煙が立ち上っていた」。「こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされた」(9:28)。「ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。)(9:26)で有名です。あるいはエリヤがサマリアのの王の部下を天からの火で滅ぼしたことからでしょうか。(列王記下・1:10,12,14)。

*「エリヤは五十人隊の長に答えて、「わたしが神の人であれば、天から火が降って来て、あなたと五十人の部下を焼き尽くすだろう」と言った。すると、天から火が降って来て、隊長と五十人の部下を焼き尽くした」。

ヤコブとヨハネとはあだ名を「雷の子ら」といいました。「ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた」。(マルコ3:17)。おそらく性格を現しています。激しい気性のゆえでしょう。イエスは「振り向いて二人を戒められた」。イエスはなんと言われたか不明ですが。イエスは昔の人のように天罰を下さず、弟子たちをたしなめて、そこを立ち去りました。性急は判断を避けたのでしょう。

次に、イエスは弟子の覚悟について語りました。有名な所です。3人の人がイエスに従いたい、あるいは呼ばれています。弟子志願です。従うとはギリシャ語で「アコルーテオウ」ajkolouqevwと言います。3人とも同じ言葉でイエスに語りかけています。意味は「誰かの弟子として従うこと」です。ですから、3人は「イエスの弟子となりたい、弟子としてきなさい」と言う願いや呼びかけでイエスに出会っています。イエスの名前を聞いてでしょう。

日本では牧師の所や教会に明白に「クリスチャンになりたいのですが」と言う明白な理由で来る人はあまりいない。私もあまり経験ありません。教会に来る理由はなにか。私は英語への関心でした。昔は(と言うと何ですが)、教会は若い人がいましたから、結婚目当てもいました。お金や物品を目当てもいました。やがて、教会に来ていて、キリスト教を学びませんかとか、洗礼を受けませんかというと、そこでイエスかノーが出てきます。今日の人のようなことが起こります。私がこの教会の前身の目黒教会の牧師の時、高校生の女の子が、親に相談してきますと言って、結局、断ってきました。理由は結婚が出来なくなるという親の心配でした。カトリックの修道女が親の念頭にあるようでした。ミッションスクールや幼稚園、保育園に人気があるのは、しつけとかに重点がありまして、信者になるのは困るのです。

この出来事はイエスの約3年間のガリラヤ伝道が終わり、エルサレムに向かう途上で起きました。ですから、充分イエスについて評判があったのでしょう。で、志を持って来たのが3人の若者?かも知れません。

まず、ある人がイエスに言いました。「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と。立派な、崇高な決心です。普通は歓迎するものですが、しかし、「イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子(イエス)には枕

する所もない」。なにか出鼻をような言葉です。私でしたら「そうか、よく決心した

、頑張れ」です。考えてみれば、信仰は一生涯の付き合いです。よくカトリックの修道女は(よくは知りませんが)キリストと結婚する意味で指輪をされるそうです。生涯の結びつきをいうのでしょう。ですから「誓願」まで時間がかかります。思いつきでは出来ないことだからです。イエスは、その人の覚悟を試す意味で、鋭い言葉を掛けたと言えます。弟子になるというのは、いわば、今歩いている道をなげうってもかまわないという覚悟が求められます。信仰に入ることを「悔い改め」とか「回心」と言います。英語では(conversion)ですが、ギリシャ語ではメタノイア)ですが、それは人生における考え方の根本を変える・・180度転換して歩くことです。罪と古い生き方から絶縁を意味します。じゃ、信仰は苦しみだけではないのです。苦しみなら、止めたくなります。今までの生き方を捨てても、それに優る喜びがあるのが、キリスト教信仰です。凄い苦労したパウロは「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」。それは「キリストを得」たためですと。

私が牧師になる時、当時の教会の指導者のTさんが「牧師は食えなくなることを覚悟せよ」といわれたことを思い起こしました。

最近の教会は年配者が多くなりました。牧師は自分の教会は高齢者ばかりでと、こぼしますが、それは間違いです。そうではないのです。その人たちは、信仰の素晴らしさを、豊かさを、喜びを証ししている大切な教会の宝なのです。その生き方で証しをしているからです。信仰に進みたい方がその高齢者を見て、信仰に生きて欲しいと思います。

次にイエスは、ご自分から「別の人に、「わたしに従いなさい」と言われた」。その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言いました。すると「イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」と。この答え誤解される言葉でした。親の葬儀なんかほっといて、伝道しろに聞こえるからです。キリスト教は親不孝な宗教ですねと言います。しかし、ユダヤ教は父母の葬儀は大事でして、安息日の規定は免除された程です。もちろん、十戒も父母を敬うことを命じています。(第四戒)。日本では「弟子」とは先生の教えを習い、それを覚えて、独立します。有名なのは内村鑑三の「無教会」です。弟子は先生の教えを受け継ぐものです。イエスの弟子とはイエスの教えにならうというより、イエス自身が中心であり、(だから、イエスの教えをすべて暗記しても、それは弟子の目的ではないと思う)。

イエスの弟子とはイエス自身を信じ、期待し、イエスを弟子の心の中心に置くことなのです。ここでイエスが言いたいことは、この世の常識とされていること要求されたとき、福音のために、私に従うかという問です。キリストの兵士として出征出来るかでしょうか。

3番目は、家にいっていとまごいをしたいからと言うことでした。「別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください」と。人間的には理解できます。後顧の憂い無く出発したいです。旧約時代、預言者エリヤはエリシャが弟子になるとき、父母へのいとまごいを願うエリシャを赦していました。ですから、この人はイエスに願ったのでしょう。しかし、イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた」。イエスはその願いは「神の国にふさわしくない」でした。弟子にはふさはしくないです。イエスの弟子たちはイエスに呼ばれてすぐ従ったようです。ペトロとアンデレはガリラヤ湖でイエスに呼ばれたときそうでした。「イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 二人はすぐに網を捨てて従った」。(マタイ:19)。)ヨハネとヤコブもそうです。

「別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った」。(マタイ)4:21-22)。マタイ(レビ)の場合もそうでした。「その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。(ルカ5:27)。

信仰で家族というしがらみとの葛藤はかってよく聞きました。内村鑑三は父親との凄い闘いがありました。武士階級ですから、刀を突きつけられたと言うことです。この教会の前牧師下舘先生は本の中で、自分がキリスト教に入るというと、お母さんが大変かなしまれたと書いていました。(マタイ説教集)。私は幸いありませんでしたからさいわいでした。皆さんは同ぢいしたか。信仰で息子、娘を取られたと言って、親が教団に押しかけている情況が前にTVにありました。(オーム真理教、イエスの箱船集団など)。イエスもこんなことを言いました。

「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。・・一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる」。信仰は分裂かですが、違います。

でも、考えると信仰を持ってこそ、家族の結びつきが強まるのです。キリスト教はまさにそうです。なにか誤解や噂で、信仰を恐れているような気がします。もちろん、信仰に入った人の生き方、姿が大事なことは言うまでもありません。家族は自分のことをよく知っていますから、なかなか信用されない点はありますね。

私はよく歴史のある教会に行きましたが、羨ましいと思うのは、信仰の二代目、三代目、四代目が多くあることでした。多分、はじめは問題があったと思いますが、苦労したと思いますが、家族が信仰で固く結ばれているのです。このことを忘れてはならないと思います。

この厳しいイエスの言葉がいつ語られたかを見ると、ある程度情況が分かると言います。イエスはエルサレムでのご自分の十字架の死を見ていましたから、差し迫った言葉だと言えます。ですから、厳しいとも言えます。現在はそういう緊迫や差し迫った情況ではないと考えると、余りにも厳しい問・・イエス(YES)かノー(NO)を迫るのは・・は理解でき無いと言う人がいます。ヨハネはこんなエピソードを書いています。イエスが永遠の命について語ると、「ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」。(ヨハネ6:60)。

しかし、信仰は遠い将来にその決着がつくものではないのです。中世時代、多くの貴族や王たちは、洗礼を死ぬ間際に受けました。そこで救われる・・天国にはいると考えたのです。生きている間は自由に生きるのです。カトリックは「煉獄」という教えがありますから、それを恐れて、避けるためと言われています。「煉獄」とはカトリック教で説く、天国と地獄との間にある所。死者の霊が天国にはいる前に、生前の罪をここで火によって浄化されるという。ですから、煉獄での苦しみを軽減し減免する「免罪符」というお札が売られました。結果、ルターによる「宗教改革」が起こりました。

信ずるか、信じないかは、今、現在の問です。あなたは将来に救われるでしょう(You shall be saved・・未来形でなく)ではなく、あなたは今、ここで救われています(Yuo are saved・現在形)が、聖書の教えです。ヨハネははっきりとイエスの言葉を書いています。「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている」(ヨハネ6:47)。また、「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる」。(ヨハネ3:16)。さらに、「御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている」。(ヨハネ3:18)。これらは皆現在形です。信仰とは過去のことでも将来・未来のことではありません。現在・今のことです。だから、イエスかノーかを問われるのです。

聖書を見ると「救いの三時制」(three tennses of salvation)が分かります。英語の時制・テンスの問題ですが、過去、現在、未来のことです。私は救われた。私は救われている。私は救われるでしょう。英語では I was saved.  I am saved.そして、I shall be saved.です。私たちはイエス・キリストによって、キリストを信じる信仰によって救われたのです。(洗礼を覚えていいでしょう)。そして、今、私たちはイエス・キリストを信じる信仰によって救われている。さらに、私たちはその信仰のゆえに、必ず救われる。(聖書の未来形は確実にそうなるという未来形です)。これは覚えておくことです。

信仰は理論や理屈・知識ではないと言われます。信仰は生き生きした力・パワーです。

大分前に、TVで大々的に宣伝していたCMがりました。「Power for living」と言う本のプレゼントでした。北海道日本ハムファイターズ監督トレイ・ヒルマンさんが文を書いていました。そうしたら、ある方(おそらく、ファンでしょう)が、それに対して抗議をしたと報じていました。キリスト教が嫌いな人でしょうか。おかしな人です。信仰なんか害あって、益はないと思っているのでしょう。でも、「信仰は生きる力」です。ヒルマンさんはそれで、ファイターズを優勝に、日本一にしたのです。

イエス・キリストは「私はあなたに、それを与えるために来た」のだと、私たちの前に立っているのです。「私について来なさい」と言われます。どう答えますか。キリストは答えを待っています。  アーメン

2010年7月4日 聖霊降臨後第6主日 「あなたがたは私をだれと言うか」

ルカによる福音書9章18-26節

説教:安藤 政泰 牧師

日本人として聖書を読むときに、どうしても仏教的は背景や、影響を受けて読むということがあります。それは日本に内在している仏教の影響とでもいうことができます。 ちなみに、欧米語にはキリスト教的な背景があります。

私たちは、日本語の中に含まれている、仏教的な意味合いを否定して、聖書を読んでも、それはほんとうに自分の身になるのかと、思うこともあります。

そうではなく、自分の信仰を外国語を借りて考えるのではなく、日本語の中で、自分の信仰を考えることをしてみるべきでしょう。そのことにチャレンジした私たちの先輩の牧師、神父、芸術家も多くおられます。

さて、仏教には因果の法則といわれる考え方があります。一般的には、善い行いをすれば、良い結果が得られる、良い報酬を期待できる。悪い行いをすれが、悪い結果が与えられ、悪い報いがある。と考えられています。しかし、これは「因果応報」の考え方です。因果の法則は、善因善果 悪因悪果と言われています。良い行いをして、良い報いを期待するのではなく、良いことが出来る喜びを感じる。それにより、自分が喜びに満たされる。悪い行いをしたろきには、自分自身をみて、悪い行いをする自分を悲しむ。それは 原因と結果が同じである、というこだそうです。

さて今日の日課は、「あなたがたは私をだれと言うか」 (20節)と私たちに問いかけています。この問いに今まで多くの人が、それぞれの仕方で答えてきています。

絵画で、音楽で、小説で、詩で。

大阪の玉造にあるカトリック教会の聖壇には、着物姿のマリアと幼子キリストが描かれています。もちろん、キリストも着物姿です。伝統的なキリスト像は、西洋の教会がその歴史の中で作り上げてきました。しかし、このいずれにしても外見的なキリスト像でしかありません。その外見的な姿の中から本質的なものを表現しようとしているわけですが、幸いそれらの作品が自分の真実の答えと一致したら、それは 幸いなことです。

聖書は「あなたがたは私をだれと言うか」 20節 と私たちに責任を持って答える事を要求されています。この問いに答える時、私達はただ口先だけで、言葉だけで答えることはできません。ペテロは弟子たちを代表して答えています。しかし、彼の答えは人間としては完全な答えであったかもしれませんが、又、正しい答えでもあったわけですが、主イエスはその弟子たちを戒めています。

何故イエス・キリストはペテロの答えをそのまま容認しなかったのでしょうか。ペテロの答えは先にのべてように正しいこたえでした。しかし、その答えの中には、含み切れていない内容をイエスは見ていたのです。別な意味ではそれは口先だけの答えでは、到底対応できないような内容を持っているのです。

主イエスの示そうとしておられる事は、主ご自身の身のまぎれもない宣言、「主イエスが救い主・キリストである、」ということです。

口先だけの答えでは到底応じる事が出来ないような内容を見せ、それに対する対応の仕方を主イエスは次に示しておられるのです。

「自分を捨て、自分の十字架を負てついてきなさい」23節

自分を捨てる、とはどのようなことでしょうか?

自分の要求を捨てる事でしょうか

禁欲生活をすることでしょうか

中世のキリスト教会に於いて、特に修道院の中に於いては、この禁欲的生活が強調されていました。明治時代に日本に入ってきたキリスト教は、武士道と結びついて無教会主義を生みだし、純正な精神性を追求する傾向も生まれました。また、アメリカの開拓時代にはこのような禁欲的生活が強調されていました。清教徒たちはそのような傾向を強く出していました。開拓時代のアメリカでは、禁欲的な生活をしなければならない理由があったのです。それは、そうしなければ、生活が成り立たないくらい苦しいものであったのです。酒、たばこ、コーヒーすら飲まないで、倹約しなければ、生活が成り立たない、今度の秋の収穫で、生きられるかどうかが決まる、そんなときに、贅沢は許されなかったのです。清教徒のみならず、ヨーロッパからアメリカに逃れてきたキリスト教徒はそれぞれに、問題解決の糸口を求めて新天地来たのです。

私たちの母教会LC-MSの人たちも教理的な問題で、当時のドイツのルーテル教会に問題を感じ、とうてい受け入れることが出来ないと判断し、自分たちの平和な生活を信仰のゆえに捨てて、アメリカに移住してきたのです。横道に入りますが、このLCMSの歴史と「女性教職」の問題が大きな関係があります。

明治時代に入って来たキリスト教は、そのような影響の下にあったのです。残念ながらそれが今でも尾をひいているのです。ある意味では間違ったキリスト教の姿を示してしまいました。

自分を捨て、自分の十字架を負うとは、禁欲的な生活をすることではありません。完全に自分の欲望を捨てることでもありません。人間が人間であるかぎり、完全な自己放棄はとうてい出来ません。どんなに自分を捨てようとしても、そう努めれば努めるほど自分を意識してしまいます。禁欲的な生活をすればするほど、自分の欲望の深さをみることになります。そこで「自分を捨てる」ことの次にイエスは何と示しておられるのでしょうか。

「わたしに従ってきなさい」です。この従っていくとはどのようなことでしょうか。

自分の主として仰ぎ見ることです。美しい山を見上げる時、美しい絵に見とれるとき、美しい音楽に身を浸す時、私達は自分を感じません、それに、同化してしまいます。

その一部になっています。

芸術が、絵画、演劇、小説、詩、音楽が私たちにそのことを実感させてくれます。

自分がその作品と一体化していると、感じさせてくれます。

あなたはどのような仕方で主を仰ぎ見ますか?

それぞれの仕方でよいのです。そのとき、私たちを主は包み込んでくださいます。

主を仰ぎ見る時、そのとき私達は自分を捨てる事が出来るようになります。それは、もはや自分が自分をコントロールしている状態では無いような気がします。自分の思った通りに生きる事ではなく、神を見あげ、ついて行く事が出来ます。自分の考え、思いのままに生きる者はそれを失い、従うものはそれを得る事ができるのです。

はじめに仏教の因果の法則のお話をしました。

主に従う時に、主に何かを求めるより、まず従える喜びを自分が感じ、また、主を裏切るとき、主を裏切った悲しさを自分に見、そんな自分に、主が同席してくださっていることを知ることです。

今も共にいてくださる主イエスキリストに感謝。

2010年6月27日 聖霊降臨後第5主日

ルカによる福音書7章36-50節

説教: 五十嵐 誠牧師

◆罪深い女を赦す
7:36 さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。7:37 この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、7:38 後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。7:39 イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。7:40 そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。7:41 イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。
7:42 二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」7:43 シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。7:44 そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。7:45 あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。7:46 あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。7:47 だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」7:48 そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。7:49 同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。7:50 イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。


私たちの父なる神と主イエス・キリストから 恵みと平安があるように  アーメン

 

ゆるしは日本語では「赦し」、「許し」とがあります、「赦し」と「許し」をどう区別するかです。本来の意味では固く締められたものを「ゆるくすること」に由来していると言われます。私たちは混同して使っているように思います。でも、これらはずいぶん異なっていると思います。たとえば、「許し」の同意語は「許可」(承諾)ですが、その反意語は「禁止」です。他方、「赦し」は罪やそれの伴う罰、責務を免ずることでえあり、その反意語は「断罪」とか「処罰」を思います。ある先生はこの二つを厳密に区別しなくてはならないと言います。聖書を読む場合に「許し」と「赦し」を区別して読むことは大切で、これを安易に混同してはならないだろうと言います。特に。「赦し」は神と人との間を理解する上で大切なポイントであると言う。人に赦しを乞うことと神に赦しを祈ることとどちらが容易であろうか。ある方が、人に赦しを求めるのはしんどいいました。一方、神に赦しを求めるのはずっと気楽に出来ると。皆さんはどう答えますか。

ゆるしには広辞苑によると、もう一つ「聴し」があるようです。はじめて知りました。

さて、今朝は罪やその行為の「赦し」について学びたいと思います。実際の例は今日の福音書にあります。イエスはあるファリサイ派の招待を受け、食事を共にしました。招待者はシモンという名前でした。福音書には「ファリサイ派」という語が98回出て来ます。ですから一番イエスと接触したグループです。よく見ると、高慢で、鼻持ちならぬファリサイ派・・罪人を見下し、長い祈りで見せびらかし、自慢する・・もいましたが、イエスに好意的なファリサイ派もいました。イエスに誉められた律法学者、また、イエスを招待して、イエスの教えを聞こうとした、今日のようなファリサイ派もいました。私たちは彼らを「偽善者」と言いますが、そうでない点もあります出来事を見ましょう。

「この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」。「罪深い」(aJmartwlov”)・罪深い・罪を犯すなどの意)とありますが、ある写本は「不道徳な女」といいます。言えば彼女は「娼婦」でしょう。彼女は持って来た香油を、イエスのに塗ったのです。しかも、泣きながら、涙で濡れたイエスの足を、その髪でぬぐいながらでした。若い頃、わたしはイエスの生涯を描いた映画で、彼女の心・・感謝と(大いに残念がる、悔やむこと)と愛を見ていました。このシーンを見た記憶があります。じーんとくる場面でした。どうして、この女はこのような態度を取ったのかです。この女にとって、イエスは誰だったのかです。

イエスの後の言葉から分かることは、罪の赦しが問題になっていると言うことです。ただ、イエスとこの女との出会いが、いつか、どこでかが不明ですが。そんなことは別にして、彼女はイエスの語った福音の言葉によって、自分の罪の赦しを確信したと、私は思います。そんなことがあるかと言う人がいますが、これはいつの時代でも起こることです。

アウグスティヌス・Aurelius Augustinus・ですが、彼は初期キリスト教会最大の思想家です。彼は初めマニ教を奉じ、ふしだらな生活を送っていました。ある日、赤ん坊の泣き声と共に「とりて読め、とりて読め」という声を聞いて、それはパウロのローマの信徒への手紙の13:12-13でした。こう書いてありました。「夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい」。彼は読んで回心して、洗礼を受けました。後に北アフリカに帰りヒッポの司教になりました。その神学の核心は「人間は神の絶対的恩恵によってのみ救われる」でしたが、彼の経験だと言えます。彼女は日々、悩み、赦されない自分を思い、悲観的に過ごしていたでしょう。そんな時イエスの言葉を聞き、救い主の権威ある言葉(律法学者にような言葉でなく)であると確信したときは、喜んで飛び上がったに違いないと思います。いつの時代でも、罪を自覚する者には、その者にだけ、イエスの言葉は良い知らせ、福音となるのです。だから、彼女はそれを行為で示しているのです。

その女の行為を理解できないファリサイ派であるシモンは「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。イエスを非難する顔つきだったのでしょう。前に言いましたが、彼らは罪人という部類の者を軽蔑して寄せ付けなかったのです。壁を造って・・かってのベルリンの壁や現在のイスラエルの分断壁のようにな・・差別しました。シモンはましてイエスが預言者なら・・この女のような者には自分を触れさせないはずだし、預言者はその慧眼(物事の本質也裏面を見抜く、すぐれた願力)を持っているはずだ。イエスは両方の性質を欠いていると思った。イエスはそれを見抜いて、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。(イエスを「先生」と呼ぶのが弟子以外が使う)。そこでイエスが一つの譬え話をした。

「イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。「二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」 シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた」。(一デナリは当時では一日の賃金)。

常識でもその通りです。誰でもそう答える。誰だって沢山の借金を免除してもらったら、貸してくれた人に、最大の感謝の行為をします。私だってそうです。イエスはこの世の習わしを持って、神と人との関係をイエスは語ります。その中心は「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」。

問題は何かですが、イエスを救い主・神からのメシアと見るかで福音を聞くか、聞かないかの分離点になります。シモンは多分、イエスを「預言者とか「先生」と呼んではいますが、イエスに好意を持っていたが、内心は普通の人に見ていたと思います。ですから、「わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかった」、「あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかった」、「あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかった」で分かります。ファリサイ派ですから、自分は神に愛されている思っていたのです。彼らは律法を守らない一般の人から自分たちを「分離した」という意味でファリサイ派でした。

この女のは前に言いましたが、イエスが語った福音・・罪の赦し・・を聞いて「いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は」(詩32:1・今朝の第二聖書日課)ということを、また、「悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる」。(マタイ5:4)という言葉を経験したのです。心底知ったのでしょう。で、イエスがいることを知って、人の目をもかまわずに、ある意味では、居ても立ってもおられず、イエスのところに来て、精一杯の感謝を、喜びを表した。イエスは彼女の思いを知って・・彼女に言葉を掛けた。

「イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。 イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。 彼女は直に罪の赦しを聞いた。「安心して行きなさい」。彼女は喜びで満たされたと思います。

「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる」。罪の赦しと愛が比例するとは面白いです。多く赦された人は愛が大きいです。私はどうかなと考えました。キリストに対する愛の大きさは、小さいような気がします。この女に比べて、少し恥ずかしいような気がしました。私たちはキリストによって、自分の罪・・大きな・・が 赦していただいた・・赦しの大きさを思います。その喜びは、キリストに対する愛の大きさとなって現れているかを、今日は考えさせられました。

しかし、多く赦された者の愛は大きいと言うと、分かるような気がしますが、日常的な経験はあまりありませんから、ピント来ない点あります。面白い例がありました。セム族・アラブ人の例です。日本での仕事が終わり、アラブ人が「女房にお土産を買って帰るのんだが・・」と言いました。同行していた日本人が「じゃ!私が適当なものを選んであげますよ。気は心ですから・・」と言いますと、アラブ人は「それは違いますよ」と言いました。説明として、アラブでは愛は金の高さで計るのが普通なんです。だから、千円のお土産を買って来る夫と一万円のお土産を買って来る夫と比べたら、一万円の夫の方が十倍愛しているのだ・・と言うことでした。うーん、成る程と思いました。

*セム族・セム語系の言語を話す諸民族の総称。アラビア人・エチオピア人・ユダヤ人が含まれ、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教を生んだ。ノアの長子セムの名に因んで命名。

しかし、聖書をよく読むと、女性が自分の出来ることをして、イエスに対する自分の喜びを・・イエスに対する愛を現しているのを知ります。イエスと弟子たちの宣教の旅に、出先で、多くの女性が・・女の信徒が仕えていました。たとえば、マグダラのマリア、ヨセフノ母マリア、サロメ、ヨハンナなど(ルカ8:1-3を参照のこと)。また、使徒たちを助けた女性もいます。使徒言行録、パウロの手紙の終わりの言葉に出てくる多くの女性信徒たちです。、

数年前のサマー・キャンプで、歌手の小坂忠さんが、素晴らしい証しをしました。1975年に、娘さんが台所で熱湯を浴びて、叫び声をあげていました。大変な火傷でした。体中包帯でぐるぐる巻きにされて、重傷でした。その包帯が取れるまで、頃の休まらない日々が続きました。ある日、奥さんのお母さんが・・熱心なクリスチャンでした・・きて、教会の牧師に、娘のために祈ってもらおうとさそわれた。生まれて初めての教会に行くことになりました。小坂さんは当時はヒッピー族でドラッグ野郎のような生活をしていたようです。ところが、牧師や教会の人が熱心に祈ってくれたそうで、祈り会が終わると、不思議に小坂さんの心は平安に包まれていいたそうです。

やがて、娘さんの包帯が取れる日が来ました。なんと娘さんの皮膚は、生まれた時のような新しい皮膚が再生していたのです。喜びで、その時、小坂さんは、牧師の祈りを思い出したそうです。あの祈りに神が応えてくれたのだと自然に思えたそうです。それから教会に行くようになりました。

牧師の説教でイエス・キリストの十字架について聞き、十字架が、それがどんなに大きい愛であるかを知ったのです。それが分かったとき、涙があふれ出してました。小坂さんは「僕もこの神の愛が必要だ。救いが必要だ、それを受けるのは今しかないと感じた」のです。小坂さんはイエス・キリストを受け入れるために祈りました。イエスは私の人生も、音楽も、僕のすべてを変えた」と語りました。そして小坂さんは、牧師となり、音楽を通してキリストに仕えているのです。キリストへの愛です。各地を廻って音楽をもって伝道に飛び回っています。小坂さんにとって、香油は音楽と言えましょう。

私たちもイエスの愛を受けた者です。喜びに満たされていました。そして、主を愛して生きてきました。その愛し方は様々です。自分に出来ることをして、イエスに対する自分の喜びを現してきたと思います。今朝、自分の香油はなにかを考えてもう一度、主に対する愛の表し方を考えて見たいと思います。

アーメン

2010年6月13日 聖霊降臨後第3主日 「信仰と信頼・・・」

説教: 五十嵐 誠牧師

◆百人隊長の僕をいやす

7:1 イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。7:2 ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。

7:3 イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。7:4 長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。7:5 わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」7:6 そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。7:7 ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。

7:8 わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」7:9 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」7:10 使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。


私たちの父なる神と主イエス・キリストから 恵みと永安が あるように  アーメン

 

今日はイエスの奇跡・・癒しの奇跡を学びます。主要登場人物はイエスと百人隊長です。 「百人隊長」とはですが、当時のパレスチナがローマの支配下にあったことを示す用語です。百人隊長ちは、 その名が示すように、これはローマの軍隊の歩兵100人の指揮官・将校を指します。その隊長の重要な部下が死に瀕していました。(マタイでは中風で寝込んでいて苦しんでいたとあります)。そこから、この出来事が始まります。この隊長・将校はユダヤ教の求道者・信者になる準備をしていたようです。ユダヤ教の長老・指導者がこう言っています。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです」。(マタイでは隊長自身がイエスのところに来ています)。「わたしたちユダヤ人を愛して」とは・・ユダヤ人は異邦人とは付き合わないからです。

この熱心な願いを聞いてイエスは共に出かけています。その途中に隊長の部下が来てイエスに伝言を伝えます。その言葉は一寸、普通とは違っていました。早く来てくださいではなくて、ただ、「お言葉」をくださいでした。友人を通して「ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください」でした。彼は真に権威ある方は、その言葉で、すべてを可能にすると信じた。新約聖書・ヘブル人への手紙には、こんな言葉があります。「神の言葉は生きており、力を発揮する」と。(4:12)。神の言葉には絶対的な力があるのです。旧約聖書で預言者イザヤは神の言葉について書いています。「そのように、わたし(神)の口から出るわたしの言葉も むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす」。(イザヤ55:11)。

この隊長はそういう聖書の言葉を聞いたいたと思います。

隊長は軍隊の経験から話をしています。軍隊というのは「絶対服従」です。日本でもありました。アメリカと戦った東条英機という方が「戦陣訓」を1941年に軍の大臣の名で全陸軍に下された、戦時下における将兵の心得があります。上官への服従や捕虜の恥辱などありました。軍隊では上官が「白といえば、たとえ黒くても白である」です。「上官の命令は天皇の命令だ」でした。隊長の彼は同じようなことを述べていました。「わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします」。です。

彼・隊長はイエスが直接来て触るとか声を掛けるとかしなくても、言葉を・・その場で頂ければ治ると信じたのです。マタイによると「そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた」とあるとおりです。「使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた」のです。おそらく、隊長はあとでそれを聞いて、イエスの言葉の力を知ったと思います。

イエスは隊長のことばを聞いて「従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」。マタイでは「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」。当時の多くのユダヤ人の信仰はそうでなかったことが浮かび上がります。異邦人の隊長の真実な信仰が目立っています。

イエスから癒しの約束の言葉さえ頂ければ、その言葉には力と権威があり、遠く離れていようとも、自分の僕・部下はすぐに直ると信じたのです。似たような話があります。ヨハネの福音書が書いています。カファルナウム(カペナウム)の役人の子供が死にかかっていて、イエスに助けを求めた。死なないうちに来てくださいと懇願した。すると「イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。・・・僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、「きのうの午後一時に熱が下がりました」と言った。それは、イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして、彼もその家族もこぞって信じた」。

今の時代は言葉が軽んじられ、力がありません。言葉は信じられない・・特に政治家はです。最近は鳩山総理の沖縄の基地問題で経験しました。朝日新聞がCMで「言葉は力・・言葉は・・」とか言って、言葉の強さを述べていました。ペンクラブの「ペンは剣より寄り強い」というのがあります。しかし、この世的には剣が強いようです。

しかし、神の言葉、イエスの言葉は先に言ったように力があります。旧約聖書の創世記で、神の言葉が「・・・であれ」というと創造されました。「光あれ。こうして、光があった」ようにです。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」です。

*ペンクラブ【国際―】世界各国の詩人・劇作家・編集者・評論家・小説家などの文筆従事者の友好と親睦を通じて国際間の理解を深めようとする団体。

信仰にとって、神の言葉を信じ、従うことは重要です。もしそうでなければ、私たちは疑いの中に沈没します。私たちが今まで、何十年と信仰を持続出来たのは、神を信じて来たからです。しかし、私たちは中で、ずーと変わらないで来たわけではありません。それは、一旦信じたのに、そこから漏れる人が・・仲間がいるのも否定できません。わたしはどうしたら、神を信じて・・いろんなことがあっても、歩めるか・・を考えたことあります。皆さんはどうですか。皆さんはいままで信仰の道を歩んできましたが、何が支えでしたしょうかか。わたしは牧師ですから、自分の信仰を支えたのは・・特に「聖餐」でした。キリストの体とその血の聖餐式というのは、弱いときわたしを助ける神の言葉でした。洗礼と聖餐は眼に見える神の言葉なのです。共に「あなたは私の者」だという神の言葉です。それを聞きます。また、私は神の恵みによって養われていると言うことを知るのです。

ある方がこう言いました。イエスの十字架を仰ぐことだと。「十字架を仰いだものは、誰も神の愛を疑いません」と。十字架は神の愛を確信させるからです。英国の詩人のR. .ブラウニング・Robert Browning(イギリス、ヴィクトリア朝の抒情詩人。劇的独白の形式で性格解剖や心理描写を試みた・1812~18)はこんな詩を残しています。

神よ、あなたは愛です。  わたしの信仰をその上に築きます。
あなたがわたしの道を守られたのを知っています。
あなたは暗闇の中でわたしの光りとなり、悲しみを和らげ、
あなたの愛はわたしに厳粛な喜びとして訪れます。
だから、わたしはあなたの愛を疑いません。
パウロはローマ信徒への手紙の中で、こう書いています。8:32です。

「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」。

私たちは有限なものです。神は無限な方ですから、神を完全に、充分に理解することは決して出来ません。ですから、数学的な、幾何学的に説明出来るような神は神ではないのです。G,K、チェスタートン・Gilbert Keith Chesterton・イギリスの作家・批評家。カトリックの伝統主義の立場に立ち、逆説趣味を駆使した知的で諷刺的な作風を示す。探偵小説「木曜日の男」「ブラウン神父の童心」が有名。(1874~1936)。わたしは彼の探偵小説は殆ど読みました。彼はこう書いていました。「天国を自分の頭の中に閉じこめようとする者は愚かであり、そんなことをすれば、自分の頭が爆発しても不思議ではない。賢い者は、その頭を天国の中に入れるだけで満足する」。パウロという弟子は神についてこう言っています。

「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう」。(ローマの信徒への手紙11:33)。3世紀の教父・学者のテルトリァスは言いました。「わたしが理解できるものを、どうして賛美出来るか」と。そして、「不合理で〈あるゆえに〉、われ信じる」とも言いました。そう思います。

ウェルズ・Herbert George Wells・イギリスの作家・評論家。大衆の啓蒙・教化のために「タイム‐マシン」や「世界史概観」などを著す。また、原子爆弾を予想し、SFの祖ともいえる。(1866~1946)は書いています。「わたしの耳には、神の声よりは隣人の声の方が大きく響くものである」と。イエスの弟子とは世間の人がいっていることに注意を払わなくなった人間のことである。弟子とは神の言われたことしか考えられないからである。

「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」とイエスは隊長を賞賛していますが、私たちはそんな誉めことばを頂くほどの信仰はないと考えます。良くお祈りで「信仰を強めてください」とか「増してください」と祈ります。弟子たちでさえ願っていました。ルカ17:5「わたしどもの信仰を増してください」と。それに対してイエスは答えています。有名なからし種程の信仰です。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう」。同じようにマタイ17:20では「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる」。山が動くです。「山が動く」とは、随分前に、野党が政権を取った歴史的勝利の選挙で、元社会党党首の土井たか子さんが言いました。*からし種は聖書では「一番小さい」ことを言います。

信仰を増したいとはよく分かります。自分もかってそうでした。信仰の大小が問題でした。信仰の力はその大小にあると考えるのです。ですから、大きくしたいと考えます。考えなくてはならないのは、信仰の力は信仰そのものにあるのではないことです。信仰の力とはキリストの弟子が・・クリスチャンがその信じている神の力に信頼することなのです。なぜなら、神には出来ないことがないからです。ここが大事なのです。

ギリシャ語で信仰はピステス(hJ pivsti”)です。普通は信仰と訳されますが、広義には(広い意味では)「信頼」(trust)を意味します。ですから、わたしは、ここではイエスに対する「信頼」と思います。イエスは隊長の「信頼」に応えて、部下の病を癒されたのです。

イエスは信仰の大小やなにかでうろうろする私たちに、「からし種一つほど」の信仰・すなわち、「信頼」を言うことによって、力づけているのです。あなた方は「神の力」に信頼しなさいと言われているのです。その例はあります。それはルカも書いています。8:40-56の中の十二年間も病にかかり、財産も使い果たした女の人がイエスの背後から、その服の房(束ねた糸・毛糸などの先を散らして垂らしたもの)に触れると、直ちに病が

治った出来事です。イエスは 「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」 と語やさしくりかけています。これも「信仰」は「信頼」です。イエスは「娘よ」と呼びかけましたが、この場合はこの女に対する親愛の情を示しますが、同時に、苦しみからの解放を求め、必死になってイエスに取りすがり、その後ろからその服に触れようとする、この女の人のけなげなまでの「信頼」も含まれた「娘よ」です。イエスの心が分かります。

私たちも自分の信仰について、動揺することがあるでしょう。こんな信仰ではといって悩むこともあるでしょう、。しかし、イエスは言われます。「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば・・」と。それは「もし、からし種一粒ほどの信頼があれば・・」というイエスの言葉なのです。その「信頼」に対して・・「からし種一つほどの信頼」に対してイエスは答えられるのです。「良く分かった。安心しなさい。信頼しなさい」と。そう信頼して生きたいと思います。

アーメン