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2019年5月19日 復活後第4主日の説教「互いに愛し合いなさい」

「互いに愛し合いなさい」ヨハネによる福音書13章31~35節 藤木智広 牧師

 

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

  今日の福音書であるヨハネ福音書13章からは、主イエスの告別説教と言われる箇所です。弟子たちとの最後の語らいの時、この章ので主イエスは弟子たちをこのうえなく愛し抜かれたとあります。その後に、洗足の話が記されています。主イエスは弟子たちの足を洗った後、「あなたがたも足を洗い合いなさい」と言われました。それは愛し合いなさいという掟と同じ響きがあります。しかし、その直後、ユダの裏切りが発覚します。27節で、サタンが彼の中に入ったとあります。ユダはサタンの思い、すなわち人間の思いに立ち、主イエスのもとを離れていくのです。その時、夜であったと30節に記されています。ユダの裏切りが、人間の闇の部分がこの夜という暗さを表わしているかのようにです。主イエスはその闇と向き合いました。「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と言われたのです。そして今日の福音書、31節で、ユダが出て行くと同時に、主イエスはご自身の栄光を顕されたのです。神様の御姿を現したということです。何が原因か、それはユダによってでした。ユダの裏切りという臨場感の中で、すなわちご自身が捕えられ、十字架の死が確定したということが、主の御心を成し遂げたということにおいて、神様の御姿がそこに顕されているのです。

私たちは、この主イエスの御姿から、みすぼらしく、無残な死を遂げてしまう無力なる「人」を思い浮かべるでしょう。どうして、栄光なのか、敗北ではないのかと。しかし、福音書は語ってまいりました。主イエスご自身のお言葉を。「私は復活であり、命であると」。この栄光の中に、その甦りの主が既におられる。失われる命を通り越して、それが死という終わりではなく、永遠の命が輝いているのです。主イエスの十字架という死、その失われる命の中に、ユダの裏切りという闇の勢力が一層際立つように思えるのですが、その闇の只中で、メシアなる主イエスは栄光に満ちているのです。この闇にまさる光を顕している。ユダの裏切り、またそのことに動揺する弟子たちの不安、恐れという闇がここにある。その闇をも照らす光、闇を甘んじて受け入れる神の愛、人間の闇にまさる神の愛が、栄光のメシアとしての主イエスに顕されているのです。わたしがあなたがたを愛した、その愛とは十字架の死という命の消失において、頂点を極めるのです。すなわち、私たちを愛されるが故に、命を捨てたということなのです。

わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛しなさいという主イエスのお言葉を聞いた時、私たちはどのようにして互いに愛し合うのでしょうか。神の愛が、十字架の死というメシアの命の消失において、頂点を極めるのであれば、それでは私たちも、互いに愛するというとき、命を捨てるということなのでしょうか。ヨハネの手紙では、互いに愛し合うということについて、こう記しています。「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」(ヨハネの手紙Ⅰ31618)。命を捨てるということは、命を与えて下さった方に、自分の命を委ねるということ、人生の歩みを、その方に委ねるということです。兄弟のために命を捨てる、すなわち委ねるということにおいて、他者を真っ向から受け入れる。優しくする、支える、与える以上に、その人と生きるということ、そばにいて、共に歩むということに他ならないのです。そのための命、他者を生かす、他者する命として、その灯は燃え続けているのです。なぜそのようなことができるのか、それは私たちが神の愛を知り、永遠の命という希望を見据えて、歩むことが許されているからに他ならないからです。

永遠の命を見据えて、今ある命を委ねる。私たちは命を失うことを恐れます。手放すことを恐れます。安全な囲いの中で、命を守りつつ、歩んでいきたい、その思いがあります。命を粗末にするな、大切にしろ、その通りです。そのことを否定しているわけではありません。粗末にせず、大切にするからこそ、この命を豊かな命として、用いていきたい。失うことを恐れて、この命を守りたいが故に、自分自身の力量や知識に頼って、生きて行こうとする私たちの姿があります。しかし、私たちは、自分の命をコントロールすることはできないのです。いつ失われるかわからない、死という恐怖と向き合いつつ、生きていかなくてはいけないというこの世での生活があります。しかし、主イエスの死と復活によって知りえた神の愛、永遠の命の中に、自分の命、人生を委ねることができたとき、もはや死という闇に恐れることはないのです。死と墓を打ち破った復活のキリストと共に、愛の共同体の中で、羊が緑豊かな牧草地で、草を食むことができるように、その豊かな命の中で生きることができるのです。

主イエスは最後に「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」(35節)と言われました。わたしの弟子というのはキリスト者のことですが、それは主イエスと共にあって、喜びも苦しみも共に共有し、分かち合う共同体であります。この同じ告別説教のところで、主イエスは自らをぶどうの木に例えられ、あなたがたはその枝であると言われました。(15:5)枝は木の幹から来る養分がないと生きてはいけないのです。つまり、ぶどうの木である主イエスの愛なくして、私たちが互いに愛し合うことはできないのです。またパウロは言います。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また一人一人はその部分です」(Ⅰコリント122627一つの部分が苦しめば、全体が苦しむと。一つの部分、それはもしかしたら私たちの欠けている部分かもしれない。私たちの破れそのものかもしれません。しかし、それをひとりが背負うことではないのです。私たちの苦しみは全体の苦しみ、皆が背負う苦しみなのです。また一つの部分が、あなた一人が尊ばれ、大切にされることは私やあなただけの喜びではない、全体の喜びなのです。それがキリストの体に連なる私たちであり、キリストにある愛の共同体なのです。

ですから、互いに愛し合う。共に寄り添い、共有していく、その中で自分たちができることをしていくのです。そして共に負っていく友として、互いに愛し合うということにおいて、私たちはもはや孤独ではないのです。愛の頭であるキリストが私たちの根っこから私たちを支え、今も生きて共にいてくださるからです。この生きた愛の内に共に歩んでまいりましょう。

人知では到底計り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン。

2019年5月12日 復活後第3主日の説教「愛する者の声」

「愛する者の声」ヨハネによる福音書10章22~30節 藤木智広 牧師

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

  今日の福音書の冒頭に「そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。」(22節)とあります。「神殿奉献記念祭」とは、現在も、クリスマスの頃に祝われているユダヤ人の祭りで、ハヌカと言われる光のお祭りです。ハヌカという言葉が奉献と訳されている言葉ですが、口語訳聖書では、「宮清めの祭り」となっています。神様に捧げる奉献とは、聖別され、清められるということでもあります。過去にはソロモン王が神殿を建てて奉献したこと、バビロニア捕囚によって神殿が壊され、そこから帰還する時に、神殿を再建したこともありましたが、この冬に行われた神殿奉献記念祭とは、一度神殿が汚され、荒らされてしまったのを聖め直すという意味が含まれています。再び聖別され、奉献されたことから、「宮清めの祭り」とも言われているのでしょう。

どのようにして聖め直されたのか。そもそもなぜ汚され、荒らされるようなことがあったのでしょうか。そしてなぜ、光のお祭りとも言われているのでしょうか。歴史のお話になりますが、このお祭りの起源は紀元前2世紀前半に遡ります。当時のユダヤはシリア帝国に支配され、そのシリアの王であるアンティオコス・エピファネスは実に暴力的な人物であったと言われています。彼はユダヤ教の教えの要である割礼や安息日の遵守を禁止し、さらには律法の書である聖書を取り上げて、それを引き裂いたとも言われています。そして彼は異教の宗教を強要して、エルサレムの神殿に偶像や豚を持ち込みました。反発するものは殺され、死刑に処せられました。ユダヤ人の信仰の中心である、神殿と、律法が、異邦人達の手によって荒らされていたのです。ユダヤ人たちはこれに反抗し、礼拝の自由、ユダヤの独立を求めて闘争を展開し、遂に紀元前164年、マカバイオスのユダが率いる軍勢が、エルサレム神殿を奪回することに成功しました。彼らは豚や偶像を取り除いて神殿を清め、ようやく神様にお返しすることができました。この時彼らは神様の臨在を思い起こすために、神殿の燭台に火を灯し、常に火を絶やさようにとするのですが、そこには1日分の油しか見つからず、油を補充するまでには8日間かかる状況でした。ところが、その少量の油で奇跡的に火は8日間も燃え続け、油はなくならなかったと言われています。そのことに由来して、このお祭りの時は、ハヌキヤと呼ばれる特別の燭台に8日間に渡って火を灯すことから「光の祭り」とも言われています。

信仰の拠り所であるエルサエム神殿が汚され、荒らされたことは、ユダヤ人たちにとって、悲劇であり、絶望そのものを経験されたということです。希望を失い、闇の中にいる絶望的な状況でありました。そこに、マカバイオスのユダが力で神殿を取り返し、ろうそくに灯された火が消えず、光を放ちづけていたことに、大きな喜び希望を抱くことができたのでしょう。出エジプトの出来事と同じように、彼らにとって忘れられない歴史です。

しかし、主イエスの時代は、シリア帝国に代わって、ローマ帝国がユダヤを支配していました。自分たちの宗教こそ認められていましたが、ローマの圧力もかつてのシリア帝国に匹敵するほどのものでした。だから、ユダヤ人たちは、主イエスに対して「もしかしたらこの人が、マカバイオスのユダのような救い主、キリストかもしれない」と期待を抱いていたのでしょう、その期待の大きさは、主イエスを取り囲んで「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」(24節)と言ったほどでした。「気をもませる」という言葉は、他の聖書の訳では「不安にさせるのか」または、「中途半端にしておかれるのか」という意味になっています。彼らはやきもきしているほどに、主イエスに期待しているわけです。

しかし、主イエスは彼らにこう答えました。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。」(25~27節)主イエスはここで「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」と言います。わたしの羊という時、その羊を飼う羊飼いが主イエスであるということを言われています。このヨハネ福音書10章の冒頭から羊飼いのことが述べられています。3節に「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す」、また14節では、「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」と言います。羊飼い、すなわち主イエスは羊である私たち一人ひとりを名前で呼ぶくらいに私たちのことを個人的に知っているのであります。個人的に知っているのだから、私たちが日々何を考え、何をし、何を必要としているのかご存知です。それはどれほど知っていてくださるのか、11節ではこう言っています。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」羊のために命を捨てる、羊ではなく、羊の代わりに羊飼いが命を捨てるのです。命を捨てられるほどに、羊飼いである主イエスは羊である私たちを知っておられる、それもただ離れたところから私たちの状況を知っているのではなく、実際に私たちの中にあって、ご自身が私たちの思いを担ってくださっているのです。

主イエスは実際に十字架によって死に、命を失うのです。マカバイオスのユダのように、力でローマ帝国のような支配するものを制圧したのではないのです。主イエスの声はそのことを語り、私たちを導くのではないのです。主イエスがもたらす声、羊を生かす命の声は、十字架の死を超えた復活の命を指し示しているのです。

主イエスは「しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。」(26節)と言われます。こう言われると、誰が主イエスの羊で、羊ではないのかという不安を私たちは抱きます。されど、主イエスはここで「あなたたちは信じない」とも言われます。信じることができないものたちがいる、その者たちは羊飼いの声を聞き分けることができないのでしょう。そういう者たちは見捨てられるのでしょうか。ただ、信じることができないものたち、それはここにいるユダヤ人たちに限った事ではないのです。何よりもあの弟子たちが信じることができなかったのです。主イエスの十字架に従うことができず、逃亡し、さらに主の復活をすぐに信じることができませんでした。あなたたちは信じない、信じることができない弟子たち、その姿と重なるように私たちの姿があるのです。信じることができない私たちのために、主は十字架にかかられるのです。そのことを主イエスはご存知なのです。信じられないものに対して、主は十字架の赦しと復活の命をもってして答えられたのです。

そして主は復活され、尚信じることができない弟子たちを、ご自身の羊として新しく招かれるのです。このヨハネ福音書の最後のところで、「私の羊を飼いなさい」(21:17)と、主は弟子のペトロに言われ、その役割を、遣わされて生きる道を与えられるのです。主イエスがもたらした彼らへの光は、復活の光、誠に彼らに命の光を指し示し、立ち直らせるための希望の光だったのです。

過去に神殿が汚され、荒らされ、闇の只中にいたのはユダヤ人だけでなく、主イエスに従えず、絶望の内にあった弟子たちでもありました。彼らもまた主イエスの復活の光によって清められ、命を得ることができたのです。主イエスと共にある命です。主イエスに従って共に歩む命の道であります。

コリントの手紙Ⅰでパウロはこういうことを言っています。「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。」あなたがたの体はあなたがた自身のものではない、私の体は、命は神様から与えられている体であり、命であるということ。復活によって示された命、永遠の命がそこにあるのだということです。主イエスの復活の光によって、私たちも清められ、主イエスと共にある命を生きているのです。

今も主イエスは復活の光として、私たちを照らしています。現実の闇に荒らされ、打ち崩されているものの心に、命の光をもたらして立ち直らせてくださるために、主はいつまでも共にいてくださるのです。この方は私たちの命を救うために、命を失い、死に勝利されて、命を明らかにしてくださいました。この命の声を、聖書のみ言葉を通して今も私たちに語っていてくださるのです。光は闇の中で輝いています。羊である私たちひとりひとりを慈しみ、決して見捨てることのない命の光として。この光を喜びとし、キリストの愛の内に、その豊かさに生きてまいりたいと願います。

人知では到底計り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン。

福音書記者・使徒ヨハネの日

 ヨハネによる福音書の著者ヨハネと12使徒の一人であるヨハネは別人とも言われています。他にも、新約聖書ヨハネの手紙(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)とヨハネの黙示録の著者ヨハネと同一人物であるかどうかということは今日でも学者たちの間で議論されていますので、定かではありません。

 ヨハネは漁師ゼベダイの子で、ヤコブの兄弟です。ペトロ、アンデレ、ヤコブと共に、ゲネサレト湖でイエスと出会い、イエスの弟子となりました。彼は兄弟ヤコブと共に、ボアネルゲス「雷の子ら」というあだ名を付けられ(マルコ3:17)、ヤコブと共にイエスの変容の出来事(マルコ9:2~8)を目の当たりにするなど行動を共にし、ペトロを含めて弟子たちの中心人物でした。

 ヨハネによる福音書で、彼はイエスの愛した弟子のひとりとして登場し(13:23、19:26等)、イエスは十字架上で彼にご自分の母親の世話を託しました(ヨハネ19:25~27)。彼はまた、マグダラのマリアからイエスの復活を聞いた時、ペトロと共に墓が空であるのを発見して復活を信じ(ヨハネ20:1~10)、またティベリアス湖畔で復活のイエスを最初に認めました。

 イエスの昇天後、彼は十二使徒の一人としてエルサレム教会を支え、ペトロと共にエルサレムの神殿で足の不自由な男性を癒します(使徒3:1~10)。またソロモンの回廊でペトロと説教をしているところで、ユダヤ人たちに捕らえられ、議会で取り調べを受けて牢に入れられますが、釈放されて、教会の信徒たちを励まし、大きな働きを担っていきました(使徒3:11~4:31)。後にパウロは、ヨハネをペトロ、ヤコブと共に、エルサレム教会の柱として名前を上げています(ガラテヤ2:9)。

 後にヨハネはエフェソで宣教し、皇帝ドミティアヌスの迫害によってパトモス島に流され、そこでヨハネの黙示録を書いたと言われています。そして再びエフェソに帰還し、福音書と手紙(ヨハネの手紙)を書き、紀元100年に高齢で死去したと言われています。

 紀元200年頃にエフェソで彼の墓が建てられ、4世紀頃に東方教会でヨハネを記念する日(祝祭日)が定められたと言われています。

洗礼者ヨハネの日

 ヨハネはイエスの母マリアの親戚にあたるエリサベトと祭司ザカリアとの間に生まれたイスラエルの預言者です。後にイエスが彼のことを「言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。」(ルカ7:28)と言っているほど、ヨハネはイエスの生涯とそのみ業に大きな影響を与えた預言者でした。

 ザカリアとエリサベトは老齢でしたが、ある時、ザカリアが祭司の務めで聖所に入っていた時、天使が現れ、妻エリサベトが聖霊の働きによって身ごもり、その男の子をヨハネと名づけなさいと言います。また天使は、そのヨハネは主のみ前に偉大な人となり、イスラエルの人々を神のもとに立ち帰らせるという大きな働きをするとザカリアに告げます。やがて、エリサべトは身ごもり、イエスより六ヶ月早くヨハネは誕生します。その時ザカリアは聖霊に満たされてヨハネの働きを預言し、彼を祝福します。

 成人したヨハネはユダヤの荒野で「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ3:2)と神の言葉を語り、人々に悔い改めて罪を告白するように教えます。そして罪を告白したものにヨハネはヨルダン川で洗礼を授けます。人々はヨハネこそが待望していたメシア(救い主)ではないかと噂しますが、ヨハネはそのことを否定し、自分より後から来る方は自分より優れており、履物をお脱がせする値打ちもないと言います。しかし、後からやってきたイエスはヨハネから洗礼を受けるためにやってきたことをヨハネに告げ、ヨハネはイエスに洗礼を授けました。

 その後、ヨハネはガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスに投獄されます。ヘロデが自分の義兄弟の妻であるヘロディアを妻として迎え入れたという結婚の不道徳(律法の教えに背く行為)をヨハネが非難したからでした。その間、ヨハネはイエスの宣教を噂で聞き、イエスに質問するために使者を送っています。ヘロデは自分のことを非難するヨハネを殺そうと考えていましたが、民衆を恐れて実行に移せないでいました。ところが、自分の誕生日の時、祝いの席でヘロディアの娘サロメが父親である王の前で踊りを披露し、ヘロデを喜ばせます。そして、サロメに褒美を与えるために、何でも願い出るように言います。すると、ヘロディアは娘を唆して、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せてこの場でください」(マタイ14:8)とサロメに言わせ、牢獄に居たヨハネは首をはねられて処刑されました。祝いの後、遺体はヨハネの弟子たちが引き取り、彼らはこのことをイエスに報告しました。

 ヨハネは多くの人々に悔い改めの洗礼を授けたことから、洗礼者ヨハネと呼ばれています。彼はイエスの先駆者として認識され、ヨハネが投獄されたと聞いた時、イエスは「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)と言われ、その出来事がイエスの宣教開始のきっかけとなり、また徴となったのです。

 ヨハネの祝祭日は6月24日で、これは彼の誕生を記念する日です。他に、ヨハネの受難と死を記念する「洗礼者ヨハネの斬首」の祝祭日が8月29日に定められています。4世紀以降、教会は洗礼者ヨハネとイエスの誕生を六ヶ月の間隔を置いて定めました、イエスの誕生は昼の時間が一年で最も短い冬至の日、またはそれに近い日である12月25日に定められました。それはイエスがこの世の暗闇を照らす真の光として来られ、その光の輝きを記念するためでした。イエスの誕生の六ヶ月前に誕生したヨハネは、六ヶ月前の6月24日に誕生したとされ、(25日でないのは、6月と12月の長さの相違からと言われています。)この日がイエスの先駆者としての洗礼者ヨハネ誕生の祝祭日と定められたのです。