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2012年5月13日 復活後第5主日 「互いに相愛せよ」

ヨハネによる福音書15章11〜17節
説教:高野 公雄 牧師

これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。

わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
ヨハネによる福音書15章11〜17節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

きょうの福音も、イエスさまが最後の晩餐の席で弟子たちに語られたお別れ説教の一部です。きょうも、イエスさまのお言葉を聴くことを通して、今も生きて私たちに語りかける復活のイエスさまに出会いましょう。

きょうの福音は、《わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である》で始まり、《互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である》で終わります。この段落の中心が,弟子たちに「互いに愛し合いなさい」と諭すことにあることは明らかです。できる、できないは別として、「互いに愛し合いなさい」という教えは、当たり前のことを言っているだけで平凡に聞こえるかもしれません。しかし、キリスト教の特徴は、この教えに《わたしがあなたがたを愛したように》という前置き、前提が付いており、これを欠かせないことです。

同じ相互愛を命じる言葉は、実はお別れ説教の前の部分にもありました。

《あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる》(ヨハネ13章34~35)。

ここでも《わたしがあなたがたを愛したように》と、愛の根拠を示す前置きが付いていました。そして、このイエスさまの愛を知っていることこそが、クリスチャンのしるしであると言われています。

では、イエスさまの愛とは、どのようなものだったのでしょうか。それを示すのが、次のみ言葉です。

《友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない》。

これは、自己犠牲の精神を説く道徳の教えではありません。たしかに、この言葉は「女性は家庭を守るために自分のことは犠牲にすべきだ」とか、「若者は国を守るために自分を捧げる覚悟をもつべきだ」、というような意味合いで引かれることがありましたし、今でもあります。しかし、この聖句は、私たち一人ひとりに対する神の愛の質を語っているのです。友のために命を捧げた方は、人に自己犠牲を強いるのではなく、互いに愛し合うことを勧めています。

きょうの第二朗読も,イエスさまの愛をこう描いていました。

《わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです》(Ⅰヨハネ4章10~11)。

神は、私たちが愛されるにふさわしいからではなくて、ふさわしくないからこそ、み子を世に遣わし、み子の生死を通して人間に対するご自分の愛と真実をお示しになったのです。私たちが神を愛しているからではなく、神に無関心でいるとき、それは実は神に敵対していることなのですが、そのとき、神が先手をとって私たちの救いのために、み子の命を賜るほどの深く大きな愛を現わしてくださったのです。これが本当の愛の姿です。これが、私たち相互の愛の模範であり、根拠であり、原動力です。ここを根拠としない倫理・道徳は、本物の力を持ちません。

聖書になじみのある人は、ここでおのずと福音書中の小福音と呼ばれる次の聖句を思い出すでしょう。

《神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである》(ヨハネ3章16~17)。

このようなわけですから、イエスさまが「これがわたしの掟である」、「あなたがたに新しい掟を与える」とこの福音書の著者ヨハネが書いたとき、イエスさまこそが旧約聖書が預言していた救い主であり、ユダヤ教徒が待望していた新しい契約が現実のものとなった、すなわちキリスト教が誕生したことを高らかに宣言しているのです。

神はイエスさまの生涯,とくにも十字架を通して、私たち人間に対するご自身の愛と誠意を表わされました。私たちはイエスさまを通して神の愛を知り、神の愛に応えて、神を信じるに至りました。それゆえに、どうしようもなくわがままで、移り気で、愛のない自分ではあるけれども、少しは他の人のことも大切にし,他の人の益となるようなことを考える気にもなるのです。実際にどのくらいそうできるかということでは、クリスチャンとそうでない人の差はないかもしれません。唯一の違いは、自分の振る舞いふり返る原点をもっているかどうか、悩むとき、苦しむとき、孤独なとき、虚しいとき、頼るべき、見上げるべき原点をもっているかどうかです。クリスチャンはイエスさまの十字架に示された神の愛を知っています。私たちは神から恵みをいただいている、これが私たちの生活の原点です。

《あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ》。

「神の選び」ということが、きょうの福音の二つ目のポイントです。現代人は、神などいないとか、神は死んだとかと言って、神を見失っています。もし誰かが神を信じるに至ったとしたら、それは神の側から人に出会ってくれたからであって、人が神に出会ったのではないことは確かです。

神がイエスさまの振る舞いを通して、ご自身を人々に現わされたこと、しかも人に対するご自身の真実の愛を示されたことが、すべての始まりです。そして、聖書がそのことを証言しています。また、教会がイエスさまと聖書に聴くこと、従うことによって人々に信仰を伝えています。もちろん、聖書も教会も人間的限界をもっているので、人を躓かせる側面もあります。にもかかわらず、イエスさまの振る舞いに人を救う真実を見出し、それを証ししてきました。聖書と教会を抜きにしても救いの神に出会うことができるかもしれませんが、現実には聖書と教会の証しによって神を信じています。このように福音を証ししている側面に注目して、私たちは聖書を信じるとか、教会を信じると言っているのです。

私たちは「神の友」として選ばれたのですが、それは私たちが人々よりも優れていたからではありません。反対に、神は弱い者、貧しい者、小さい者を選ばれました。すべての人を救おうとしておられることが明らかとなるためです。私たちはむしろ選ばれなくて当然の者なのに、イエスさまの愛によって、赦しの力によって、選びの中に加えられたのです。これが福音、良い知らせです。

神の恵みによる選びとは、こういうものですから、私たちの救いは確かです。人間の信仰や行いが選びの基準であるならば、誰がそういう基準に耐えられるでしょうか。信仰といい決心といい、私たちのなすことは、弱く移ろいやすいものですが、選びが人の行いによらず、神の恵みによるのですから、これ以上に確かなことはありません。

とは言え、私たちは丸太のようなものではなく、神に反抗する人間です。それが信仰によって造りかえられようとしているのです。私たちは神の恵みと慈しみに応えて、主の祈りにあるように、「み心が天で行わるように、地上でも行われますように」(マタイ6章10参照)と、また奉献唱にあるように、「神よ、わたしのために清い心を造ってください」(詩51編12参照)と日々祈りつつ歩む者でありたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年5月6日 復活後第4主日 「ぶどうの木のたとえ」

ヨハネによる福音書15章1〜10節
説教: 高野 公雄 牧師

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
ヨハネによる福音書15章1〜10節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

先週まで、私たちは十字架上の死から復活したイエスさまが弟子たちと出会う記事を読みついできましたが、きょうはイエスさまが最後の晩餐の席で弟子たちに語ったいわば遺言を読みます。その言葉をとおして私たちは今も生きておられるイエスさまに出会いたいと思います。

《わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である》。

イエスさまは、神を農夫に、ぼ自分をぶどうの木にたとえます。ぶどう、オリーブ、いちじく、ナツメヤシはパレスチナの特産品であり、イスラエルの人たちにとってなじみ深い果物です。とくにもぶどうの木またはぶどう園は、旧約でも新約でもしばしば神が選ばれたイスラエルの民のたとえとして用いられています。

ヨハネ福音書には「わたしは・・である」という形式の宣言がいろいろ出てきます。「わたしは世の光である」、「わたしは命のパンである」、「わたしは道であり、真理であり、命である」などなど、イエスさまはご自分が何者であるかを率直に人々に言い表しています。それとは少し形式で、「わたしはまことのぶどうの木である」とか、「わたしは良い羊飼いである」というように「まことの」とか「良い」という形容詞が付いた形式のものもあります。これは、偽物のぶどうの木に対して自分こそ本物のぶどうの木であると、悪い羊飼いに対して自分こそ本物の羊飼いであると主張しているのです。

イスラエルの民は、神が造られたぶどう園とか、神が植えられたぶどうの木にたとえられていました。神がイスラエルに期待したのは、豊かに実を結ぶことでした。つまり、神を敬い人を愛すること、神の栄光を表わし地に平和をもたらすことでした。しかし、彼らはその期待を裏切るばかりでした。アブラハムの子孫であっても、モーセの律法を持っていても、実を結ばないぶどうの木でしかないのであれば、役にも立たないものとして焼き捨てられるほかはありません。そういうイスラエルの現実に向かって、イエスさまは、父である神がわたしをまことのぶどうの木として植えた、わたしこそが神の期待するように豊かな果実を実らせる者である、神がイスラエルに託した務めを成就する者であると宣言しておられるのです。

《わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である》。

イエスさまがぶどうの木、幹であるならば、イエスさまに連なる私たちは枝、つるにたとえられます。

《人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ》。

ぶどうの木とその枝は一体です。枝は木から養分をもらうことによって成長し実を結ぶことができ、木は枝に養分を贈ることによってその枝から収穫を得ることができます。そのように、イエスさまと私たちも一体です。目には見えないイエスさまと私たちが信仰によってつながることで初めて、人として成長し、愛する者へと変えられていく、とイエスさまは述べています。

いま信仰によってつながると言いましたが、つながり方にも二通りあり、しばしば猿タイプと猫タイプと呼ばれています。猿は移動するとき、子が親のふところにしがみつきます。猫は親が子をしっかりくわえて移動しますから子は手ぶらで楽ちんです。イエスさまと私たちのつながり方は、この猫タイプです。つながりは、まったくイエスさまの和解の働き、贖いの愛、無償の恵みによっているからです。信仰によってつながるとは、イエスさまが愛と真実によって私たちとつながりを持ってくださったことに、感謝と喜び、安心と信頼をもって応え、イエスさまを受けいれることです。

イエスさまと私たちが一体であることは、他にも、イエスさまを頭に、信徒たちを肢体にたとえることもありますし、もっとちがった仕方で伝える話もあります。二つの事例を挙げてみます。

一つは、使徒言行録が伝える「パウロの回心」の出来事です。ユダヤ教に熱心であったサウロはシリアのダマスコにまでクリスチャン迫害の足を延ばそうとしました。その道の途上で突然、光が彼を照らしました。そして《サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」》(使徒言行録9章4~5)。この事件が転機となって、サウロは異邦人伝道の使徒パウロとして生まれ変わるのですが、それはともかく、ここにはクリスチャンにしたことはイエスさまにしたことだというふうにイエスさまは信徒たちと一体であることが言われています。

もう一つは、マタイ福音による最後の審判のたとえです。栄光の座に着いた王は、羊飼いが羊と山羊を分けるように、全世界の民を右と左に分け、左側に分けられた人に言います。《「呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。」すると、彼らも答える。「主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。」そこで、王は答える。「はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」》(マタイ25章41~45)。このたとえでは、イエスさまは、信仰の有無とは関係なく、貧しい者・苦しむ者とご自分を一体化しています。また、実を結ぶとは、弱者に優先的に愛を向けることだと示唆しています。

きょうの「ぶどうの木のたとえ」は、このように聖書に一貫しているイエスさまと教会とは、または教会に連なる信徒たちとは一体であるとする捉え方にもとづいているのです。このたとえを素直に受けいれられる人は、次の言葉も納得して聞きいれることができるでしょう。

《ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない》。

人はイエスさまを信じなければ善いことができないとは言い過ぎではないだろうか、こう考える人もいるでしょう。でも、この言葉は真実です。聖書を読んでも、新聞を読んでも、それぞれの個人の経験によっても、私たちは人類の文明の進歩がより大きな愚行・惨事を生み出している事実を認めざるをえません。人はどうしようもなく傲慢で自分中心であり、大昔から今日に至るまで愛と謙虚と共生を生きることができていません。それくらい深く罪に捉えられています。真に実を結ぶ台木であるイエスさまに接ぎ木されるほかに、人の心は罪から解放されることはありません。真に神さまに心を向けることのほかに、孤独・失意・無意味から救われて、愛と希望を持って生きることはできません。まことにイエスさまこそが、《道であり、真理であり、命》(ヨハネ14章6)なのです。

《父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい》。

きょうの福音の中心は、この勧めの言葉です。まさにこのことをぶどうの木のたとえは言いたかったのです。これから行う聖餐式は、枝がぶどうの木から命をいただくように、私たちがイエスさまの愛に包まれて、イエスさまと固く結ばれて一体となることを目指しています。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年4月29日 復活後第3主日 「ペトロへの委託」

ヨハネによる福音書21章15〜19節
説教: 高野 公雄 牧師

 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

ヨハネによる福音書21章15〜19節

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

先週に続いて、今週もヨハネ21章から、復活したイエスさまが弟子たちに現われた話です。きょうの個所は小見出しに「イエスとペトロ」とあり、また説教題を「ぺトロへの委託」とつけたように、復活したイエスさまが弟子のペトロに、使徒たちの先頭に立ってイエスさまの福音を宣べ伝えるよう、務めを託された話です。

《食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた》。

この前の記事では、ペトロと仲間の弟子たちが、復活されたイエスさまの備えてくださった食事を一緒にいただいたのでした。その「食事が終わると」、イエスさまはペトロに「この人たち以上にわたしを愛しているか」と尋ねます。イエスさまの弟子はみな、イエスさまを愛しているはずですが、仲間の弟子たちがイエスさまを愛する以上に、あなたはわたしを愛しているか、とペトロに問います。こう問うのは、最後の晩餐の席で、こんな問答があったからです。

《イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』と書いてあるからだ。しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った》(マルコ14章27~31)。

「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」。ペトロは自分が一番弟子である自負と責任から、こう語っていたのです。しかし、ここに予告されたとおり、イエスさまが裁判を受けている大祭司の庭で、イエスさまを「知らない、関係ない」と三度も否定したのでした。

きょうの福音で、イエスさまが三度も「わたしを愛するか」と尋ねますが、三度も尋ねられれば、ペトロはいやでも自分が犯したあの三度の否定を思い出したことでしょう。しかし、イエスさまはペトロの裏切りを責めているのではありません。三度の否定を乗り越えて立ち直るために、ペトロが三度「わたしはあなたを愛しています」と告白しなおす機会を与えているのです。これこそが、イエスさまが十字架において示されたご自分の民への愛と真実なのです。《父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです》(ルカ23章34)。

「この人たち以上にわたしを愛しているか」という問いは、ペトロの裏切りを思い出させるだけでなく、弟子の間のペトロの地位をも示しています。同じペトロの離反を預言する個所で、ルカ福音はこう書いています。

《「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」》(ルカ22章31~34)。

イエスさまはペトロの離反を予見して、立ち直るように祈るだけでなく、前もって仲間の弟子たちを力づけるように託してもいます。ペトロは弟子たちの先頭に立つことを期待されているのです。「主よ、わたしはあなたを愛しています」というペトロの三度の告白に応えて、イエスさまは三度、「わたしの羊を飼いなさい」と、使徒としての使命を委ねています。イエスさまの死から命への復活は、ペトロにとっては挫折からの再起を意味しました。ペトロは、復活されたイエスさまと出会うことによって、罪の赦しの福音を再発見し、福音宣教の使徒としての使命を再確認したのです。

《はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた》。

ここに引用した言葉でイエスさまは、ペトロに使徒たちのリーダーとしての務めを委託したあと、その委託がどのようなものになるかを示します。年をとると、衣服を着るにも人の手を借りるようになる、他人の支えが必要になる、という意味の格言を使って、イエスさまはペトロには予想を越える困難な旅が待ち受けている、それだけでなく「両手を伸ばす」ようになる、つまり十字架にかけられると予告しています。

「ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われた」とあります。史実としては確認できませんが、外典の『ペトロ行伝』に記された伝説では、ペトロは晩年にローマまで伝道の足を伸ばし、皇帝ネロから迫害を受けて、十字架刑に処せられました。西暦60年代のことです。その際、自分がイエスさまと同じ姿勢で処刑されるに値しないとして、みずから望んで逆さまに頭が下の姿勢で十字架に掛けられたとされています。週報の挿絵はそのことを示しています。そして、ペトロは、当時はローマの郊外であったバチカンの丘に葬られたと伝えられますが、後にその場所にサン・ピエトロ大聖堂(聖ペトロの大聖堂)が建てられました。その主祭壇の下にペトロの墓があると伝えられています。

さらに、ペトロの殉教死にはこういう話も伝えられています。ペトロが、迫害の激化したローマから避難するためにアッピア街道を下って行くと、反対側から歩いて来るイエスさまに出会います。彼が「主よ、どこへいかれるのですか?(Domine, quo vadis?)」と問うと、イエスさまは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えます。彼はそれを聞いて悟り、殉教を覚悟してローマへ戻ったといいます。このときのペトロのセリフ「クォ・ヴァディス」(どこへ行くのですか)はよく知られるものとなり、ポーランドの作家ヘンリック・シェンキエヴィチが同名の題で小説を書きノーベル賞を受けました。これは岩波文庫から新訳が出ています。ところで、この言葉もまた、ヨハネ福音によるペテロの離反予告からの引用です。

《シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」》(ヨハネ13章36~37)。

きょうはキリスト教二千年の歴史の発端の物語でしたが、ペトロに言われたイエスさまの言葉「わたしに従いなさい」は、私たちへの招きでもあることを、しっかりと聞き取りましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年4月22日 復活後第2主日 「ふしぎな漁」

ヨハネによる福音書21章1〜14節
説教: 高野 公雄 牧師

 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

 ヨハネによる福音書21章1〜14節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン


先週に続いて、きょうも復活したイエスさまが弟子たちに現われた話を読みました。ヨハネ21章は、実は原文ではなく、後代に付け加えられた記事です。そのことは聖書の右隣のページを見ると明らかです。復活したイエスさまは弟子たちに現われて、《父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす》(20章21)と、あらためて弟子たちを宣教の任に召されました。つまり、今後は、弟子たちの福音を宣べ伝えることばを聞いて信じる時代が始まるということです。また、その場にいなかった弟子のトマスにも現われて、《わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである》(29節)、と宣言なさいました。つまり、今後は、もうトマスのように復活したイエスさまを肉眼で見ることはなく、弟子たちの宣教のことばを聞いて、信仰の眼で復活のイエスさまを仰ぐ時代になるということです。そして最後に、「本書の目的」という小見出しの文が続き、《これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである》(31節)、と締めくくっています。これで、ヨハネ福音はもともと20章で終わっていたことが分かったと思います。

ところで、先週読んだマルコ福音16章の9節以下の記事も、マルコ福音の原文にはない、後代の付加であって、そのしるしとして亀甲カッコで囲まれているという話しをしました。では、ヨハネ福音の21章も原著者が書いたものでないならば、なぜマルコの場合と同じように亀甲カッコで囲まれていないのでしょうか。それは、付加の部分が福音書の本文として認められた時期が異なるからです。ヨハネの付加は、一番古い写本をさかのぼっても、すでに本文として組み入れられています。ところが、マルコの付加は本文に組み入れられる時期が遅く、古い写本では8節までで終わっています。この本文として定着する時期の違いが、マルコには亀甲カッコが付けられ、ヨハネには付かない理由です。しかし、どちらの付加文も福音書の本文として教会は公に認めています。

《その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。・・・シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。》

きょうの福音の最後に《イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である》とあります。復活したイエスさまに三度もお目にかかったのに、イエスさまだと分からなかったとは、どういうことしょうか。私たちの身に引きつけて考えてみましょう。私たちは福音の宣教をとおして、イエスさまの愛と信実に触れて、復活のイエスさまを信じるに至りました。毎週の礼拝をとおして、日々の祈りをとおして、イエさまと繰り返して出会っています。ところが、いったん逆境におちいりますと、イエスさまはほんとうに私のことを見守ってくれているのだろうか、イエスさまの愛と信実は確かだろうか、とイエスさまを見失い、イエスさまがどのような方か分からなくなるのです。

ペトロとゼベダイの息子であるヤコブとヨハネは、ガリラヤ湖の漁師でした。でも、弟子がみな漁師だったわけではありません。ここでは、弟子たちがみな漁に出ます。彼らは、イエスさまに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と招かれた人たちです。この「漁」とは伝道活動のことのようです。著者のヨハネはガリラヤ湖のことを、わざわざティベリアス湖と書いています。ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスは湖の西岸にローマ風の首都を建設し、ティベリアスと名付けました。それでガリラヤの湖はティベリアス湖とも呼ばれるようになりました。ティベリアスとは、ティベリウスに献げる町という意味ですが、そのティベリウスとは、イエスさまが十字架に上げられた当時のローマ皇帝です。ティベリアス湖はローマ世界を象徴し、「漁」は、ローマ帝国の各地に伝道に出たことを表わします。《しかし、その夜は何もとれなかった》とあります。初期のキリスト教は、ローマ帝国からも迫害を受け、同胞のユダヤ教徒からも迫害を受けて、伝道は困難を極めたことでしょう。殉教者も出れば、背教者もいたことでしょう。この苦境にあって弟子たちの群れは、共に歩んでくださっているはずのイエスさまへの信頼が揺らぎ、イエスさまを見失い、イエスさまが誰だか分からなくなる試練を味わったことでしょう。

しかし、実はイエスさまは岸辺に立って、弟子たちの働きを見守っておられたのです。それだけでなく、「舟の右側に網を打ちなさい」と助言を与えて、弟子たちを大漁に導きます。そのとき、《イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った》とあります。「イエスの愛しておられたあの弟子」とは、この福音書の著者だと言い伝えられています。ここには、最初に復活したイエスさまに対して「主だ(彼は主である)」という信仰告白をしたのは彼だという主張が書かれています。もともとイエスさまを救い主と信じる信仰は、「イエスはキリスト」であるという表現をとっていました。そこから「クリスチャン」という言葉も生まれました。ところが、たちまち「キリスト」の意味は忘れられ、単なるイエスの別名となってしまいました。そこで新たに生まれた信仰告白の言葉が、「イエスは主である」または「イエス・キリストは主である」という表現です。当時、ローマ皇帝は神の子であり、主であると信じられていました。キリスト者たちはそれを否定して、真の主は、皇帝ではなく、イエスさまであると告白したのです。キリスト者にとって「主」とは、地上で十字架と復活の道を歩まれたイエスさまこそが真の王であって、全人類を愛をもって支配されるお方、そればかりか世界の万物を司っておられるお方であるということを言い表す言葉です。弟子たちは苦難の中でイエスさまを見失っていましたが、「主」が自らを現わしてくださって、弟子たちはふたたびイエスさまを「主」とする信仰に立ち帰ることができたのです。

弟子たちが陸に上がってみると、すでに《炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった》のです。夜通し働いた弟子たちのためにイエスさまは朝の食事を用意万端整えて待っていてくれました。うれしいことに、《「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた》とあります。弟子たちの働きをも、ご自分の行おうとするわざの中に取り入れてくださることが示されます。

これは、私たちも経験することではないでしょうか。教会として、また個人として、私たちは自分のなすべきことを知恵と力を尽くして行います。行なったのは私たち自身です。でも、時も場も協力者もあって出来たのです。それらすべてを取り計らってくださったのは主だ、主が私たちの行いを祝福してくださったのだと感謝をもって振り返ります。

また、こうも言えると思います。私たちは復活祭のお祝いを、参加者の一品持ち寄りで行いましたが、教会の交わりは、お互いが持ち寄り、分かち合うときに生き生きと成長していきます。教会から何かをいただく、教会から持ち出すだけの信仰のあり方に留まっていたら、教会の交わりは生き生きとしたものになれません。

《イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた》。

こうして、弟子たちは、復活のイエスさまが備えてくださった食事にあずかります。聖餐にあすかることを通して、慰めと励ましと、希望と力を与えられることを表わしているのでしょう。

ところで、迫害の時代、キリスト教のシンボルは、今のように十字架ではありませんでした。十字架は、むごたらしい処刑方法としてあまりに生々しく、とうていシンボルにはならなかったのです。十字架刑が残酷すぎるために廃止されて、生々しさが消えて初めて、十字架はキリスト教を表わすものとなりました。それ以前は「魚」がシンボルでした。キリスト者は人間をとる漁師から釣り上げられた者という意味もあったかもしれません。同時に、魚はギリシア語でΙΧΘΥΣ(イクスース)と言いますが、その五文字の一つ一つをイニシアルとする言葉を並べますと、「イエス・キリスト、神の子、救い主」となります。「魚」はイエスさまを表わすと共に、イエスさまが与えてくださる食事のシンボルでもあります。

聖餐をいただくとき、お昼の食事を共にするとき、私たちは、イエスさまがご自分の命を分け与えてくださったことを覚え、私たち自身が互いに命の基であるイエスさまの愛と恵みを分かち合うものであることを覚えたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン