2014年7月20日 聖霊降臨後第6主日 「自分の十字架を担って」

マタイによる福音書10章34〜42節
藤木 智広 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。
マタイによる福音書から、主イエスが12弟子を選出し、彼らを派遣する場面を、2週連続に渡って聞いてまいりました。今日の福音書はこの派遣の最後の箇所に当たります。

主イエスは34節から36節で「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。」と言われました。平和ではなく、剣をもたらす。また、家族と敵対させる。そのために主イエスが来られたと言うのです。思わず耳を塞ぎたくなる言葉です。本当に主イエスがこんなことを言ったのかとただ驚かされるばかりであります。この「もたらす」というのは、投げ入れる、注ぐという意味でもあるので、まんべんなく行き渡るということです。非常に厳しいことを主イエスは語っています。Read more

ルターの薔薇
「薔薇の上に置かれたキリスト教徒の心臓は、十字架の真下にあるとき脈打つ」

黒い十字架がついた赤いハートは死んでよみがえったキリストへの信仰、その周りの白い薔薇はこの世を超えた喜び、慰め、平和を、空色の地は天の喜びの始まりを表し、それらを囲む金色の輪は永遠にして高貴な救いを与えられていることを象徴しています

2014年7月13日 聖霊降臨後第5主日 「蛇のように賢く、鳩のように素直に」

マタイによる福音書10章16〜33節
藤木 智広 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

「礼拝にようこそおいでくださいました」とは言いますが、私たちこそが神様によって礼拝に招かれているのですから、本当は逆なんですね。私たちは毎週この礼拝へと招かれ、神様の身許に帰ってくるのです。本来の帰る場所はここなのです。ですから、この礼拝から日常生活、社会という場に出て行くわけですから、礼拝式文の最後の部分は「終わりの部」ではなく、「派遣の部」というのです。そして、神様の祝福をもってして遣わされていくのです。Read more