2012年6月24日 聖霊降臨後第4主日 「安息日について」

マルコによる福音書2章23〜28節
高野 公雄 牧師

ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」

マルコによる福音書2章23〜28節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

 

きょうの福音は、「安息日に麦の穂を摘む」と小見出しが付いた個所です。マタイ12章とルカ6章にも並行する物語が載っています。

《ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った》。

麦畑を通っているときに、弟子たちが麦の穂を摘みました。これは些細なことであって、問題とするような行為とも思えません。しかし、ファリサイ派の人々はそれを見咎めて、イエスさまに「なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と抗議をします。ユダヤ人にとって、安息日の掟を守ることは、それほどに大事なことと考えられていたのです。

安息日の掟については、きょうの第一朗読で聞きました。

《安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである》(申命記5章12~15)。

週の七日目つまり土曜日は安息を守るべき日である。神はその民の惨状を憐れみ、エジプトで奴隷であったあなたがたを解放してくださった。土曜日はこのことを覚えて仕事を休み、神と交流する日とせよ。そうすれば、息子と娘、男女の奴隷、家畜、外国人寄留者たちに休息を与えることができる。これが、安息日の掟です。

出エジプト記には、安息日について別の説明が書かれています。

《安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである》(20章8~11)。

ここでは、土曜の安息を神が天地を創造したあと、7日目には被造物たちを祝福し共に憩われたことが安息日の定めの根拠とされています。創世記にこう記されています。

《第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された》(創世記2章2~3)。

どちらの記事によっても、安息日はユダヤ人にとって創造主にして救い主である神を覚え、感謝と讃美を献げる祝いの日なのです。この日は、町々村々にあるシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)に集い、神を礼拝する聖日として定着しました。

安息日の掟は、以上のような内容なのですが、ユダヤ人は国を失ったり、主権を奪われたりする歴史を繰り返す中で、民族の独自性を守るために、宗教儀礼の中でもとくに安息日・割礼・食物禁忌規定を守ることを重要視するようになりました。そして、ついに熱烈な愛国主義者が、安息日律法を守るために、敵と戦うことを拒否し、死を賭すという「安息日の惨劇」が起きるにいたりました。これは、旧約聖書続編のマカバイ記一の2章に出ています。

ともかく、ユダヤ教では、安息日の規定は守るべきものとして強調されていました。ユダヤ教は「信じる者は救われる」とは教えません。神の定めた律法を守ることを教えているのです。安息日に仕事をしないことの具体例として聖書に書かれていることは、耕さない、刈り入れない、火を焚かないなどわずかです。しかし、律法を守ることを真剣に考えていけば、何をすべきか、何をすべきでないかをもっと細かに規定することが必要になります。それを考え決めていくのが律法学者たちです。いくつか学派がありましたが、その中で最有力になっていったのが、ファリサイ派です。

今日でも厳格に安息日の教えを守っている人は、食事のための煮炊きをしない、電話に出ない、車を運転しない、テレビをみない、エレベーターに乗らない、命に別状がないかぎり医者にかからないなど、一切の労働をしないことを守っているそうです。安息日は家族団欒の日となり、シナゴーグへ行ってお祈りをし、また自宅でも安息日を祝うのです。

このような次第で、厳格に戒律を守るファリサイ派から見れば、イエスさまの弟子たちの行ったことは、麦の収穫という、禁じられた労働をしたことになります。ルカ福音6章1によると、弟子たちは摘んだ穂を手でもみました。これも脱穀という禁じられた労働になります。

《イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか」》。

麦の穂を摘むことは、それが安息日でなければ、律法に照らしても何の問題もないことでした。

《隣人のぶどう畑に入るときは、思う存分満足するまでぶどうを食べてもよいが、籠に入れてはならない。隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない》(申命記23章25~26)。また、《穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない》(レビ記19章9~10)。

このように、律法そのものは、旅人や貧しい人への配慮といたわりに満ちたものなのです。

でも、イエスさまは、このような聖句を引いて麦の穂を摘むことの良し悪しを論じるのでなく、ダビデの例を引いて、緊急(ここでは空腹)の場合には、例外として律法違反が許されることを指摘することで答えています。これでは議論はかみ合いませんが、イエスさまはそもそも律法とは何かという根本問題を論じたいのです。

余談ですが、この個所には「説教者への慰め」が含まれています。ダビデに聖別されたパンを与えた祭司の名は、サムエル記上21章1~6によりますと、アビアタルではなくて、アヒメレクです。聖書にさえこのような間違いが含まれていることは、自分の勘違いとか知識の乏しさに悩む私にとっての慰めです。

イエスさまはさらに言葉を続けます。

《安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある》。

先に見たとおり、もともとの安息日の定めは、神の救いの恵みを強調するものです。そして、人道的な意味もありました。「安息日は人のために定められた」のです。あなたがたは安息日の掟の適用にとらわれて、本当に大切なこと、安息日の定めの本質を見失っている。あなたがたは本末を転倒し、「木を見て森を見ず」の過ちを犯している。神は一方的な恵みによってイスラエル人をあがない、奴隷労働から解放してくださって、人としての尊厳を取り戻させてくださった。この日はそのことを覚えて喜び祝う日だ。あれをするな、これをするなと人間の側の行いばかりに目を向けて、神の無償の愛を受け取るという安息日の一番大事なことを忘れていないか。こうイエスさまは言っておられるのです。

キリスト教会はユダヤ教の安息日(土曜日)を廃して、イエスさまが十字架の死から復活された週の初めの日(日曜日)を「聖日」「主の日」として祝うようになりました。曜日が一日移動しても、この日を守る精神は変わりません。教会はこの日の意義をしっかりと保っていなければなりません。

《疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである》(マタイ11章28~30)。

安息日の主イエスさまの、このような招きに応えて、私たちは教会に集い、礼拝をいたします。私たちの礼拝が、この自覚に立って、神からの安らぎを得られるものとなり、この安らぎを多くの人と分かち合うものとなるよう、真の礼拝を共に作り上げていきましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年6月17日 聖霊降臨後第3主日 「断食をめぐって」

マルコによる福音書2章18〜22節
説教:高野 公雄 牧師

ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。
だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」
マルコによる福音書2章18〜22節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

きょうの福音は、先週の「レビを弟子にする」物語に、直接に続いている話です。先週の物語では、当時の社会で、泥棒や娼婦などと同類の罪びとと見なされて、人々から排斥されていた徴税人のレビをイエスさまが弟子として招かれたこと、そして、イエスさまと弟子たちがレビとその仲間たちと一緒の食事の席に着いていることを批判されたのでした。
そのような考え方に対して、イエスさまは、《わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである》と答えました。つまり、自分を「正しい人」と自認する人々が、「罪びと」と見下しているレビやその仲間の人たちを神の救いに招き入れることこそが、イエスさまがこの世に現われた目的であり、十字架に掛けられた目的であると、明言しておられます。イエスさまが、その言葉と行いによって指示したかったのは、もっとも救われ難いと思われた罪びとをも一人も漏らすことなく救おうと願っている神の広く大きな愛の真実だったのです。

《ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない」》。
さて、きょうの福音はこう始まります。人が生きて行くうえで食事は欠かせません。その食事を一緒にするということは、ただ空腹を満たすものではなく、親しい友人関係を築き、固めるものです。共に生きて行く仲間だと思えない人とは一緒に会食はしないものです。イエスさまはレビとその仲間たちと一緒に食事をしていました。先週の福音では、「なぜあんな奴らと一緒に食事をするのか、けしからん」という批判を受けたのでした。きょうの福音では、「なぜ食事をしているのか、あなたたちは断食をこそ行うべきではないのか」という批判を受けます。
これに対してイエスさまは、今度は、ご自分の仲間であり弟子であるレビたちを、花婿と一緒にいる婚礼の客にたとえて、イエスさまと共に生きることを始めた人、神の愛と真実を知った人にとって、「いまは断食する場合ではない。喜びの会食こそがふさわしい」と答えます。
有名な「放蕩息子のたとえ」を思い出します。このたとえでは、ヨハネの弟子たちやファリサイ派の弟子たちは、兄にたとえられています。父親は兄にこう言います。《お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか》(ルカ15章32)。
このような救いの喜びを知らない者、必要ないと思っている人々にイエスさまは言います。《今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される」》(マタイ11章16~19)。

先週も引いた「ファリサイ派の人の徴税人のたとえ」にこうありました。《ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています」》(ルカ18章11~12)。敬虔な彼らは、モーセがシナイ山に入った木曜日と下山した月曜日に断食したそうです。この断食の場合は、日の出から日没までは何も食べないで、日没後に食事をとることになっていたそうです。断食は、空腹を我慢する苦行であり、神に近づくための行いであり、敬虔さを表わす手段として、大事にされていました。
しかし、いまや花婿イエスが共にいます。人が断食して神に近づくのではなく、神がイエスさまとして人のところに来てくださった。断食は、もはやかつての意味はなくなり、新しい意味をもつものになりました。その新しさは、イエスさまの十字架の死と復活によってもたらされるものでした。それゆえ、イエスさまは最後に付け加えて言いました。《しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる》。
初代の教会では、復活祭の前と洗礼式の前に断食が行われるようになりました。この断食は、キリストの十字架の死を覚え、救いの福音によって神に立ち帰ることを告白する行為でした。
また、二世紀初めに書かれたとされる『十二使徒の教訓』には、「あなたがたの断食を偽善者のそれのようにしてはならない。彼らは週の第二日と第五日に断食するのだから、あなたがたは第四日と金曜日とに断食しなさい」(8章1)と書かれています。

次の段落の、古い服と新しい継ぎ当て、古い革袋と新しいぶどう酒のたとえは、旧いものと新しいものを対比して描いています。このことわざは、古い服に新しい布切れで継ぎを当てたら、服が破れてしまうように、古い革袋に新しいぶどう酒を入れたら、革袋が破れてしまうように、古いものと新しいものとは両立しないというのがその主旨です。「新しいぶどう酒は新しい革袋に」とは、断食という古くからの敬虔の行いも、新約時代の新しい信仰にもとづいて、新しい意味を得ているという教えになっています。
ところで、マタイ6章には、三つの善行、善い行いが取り上げられています。施しと祈りと断食です。これらの善行は互いに切り離された別のものではなく、断食したら、その分の食費を施しに回す。断食しながらみだらなことを考えたりするのでなく、心を神に向けて祈るというように、どれも神に近づく手段として互いに関連しています。祈りと施しから切り離された断食そのものは無益です。
すでに、昔の預言者イザヤがこう言っています。《わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと。》(イザヤ58章6~7)。
ここに示された断食の心は、食事をとるときも同じはずです。わたしたちの食卓にイエスさまが共に着いていてくださることを願いつつ、食卓でうそをついたり、下品な話をしたり、口論したりはできません。神の恵みである日ごとの糧を感謝して受けて、神と隣人に仕える力をいただきます。
わたしたちの毎日の生活が、断食という習慣を取り入れるにしろ、取り入れないにしろ、「花婿が一緒にいる」「イエスさまが共に歩んでくださっている」という現実を世に映し出すものでありたいものです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年6月10日 聖霊降臨後第2主日 「罪びとを招くため」

マルコによる福音書2章13〜17節
説教:高野 公雄 牧師

イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

マルコによる福音書2章13〜17節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

 

先週から教会の暦は後半に入りました。前半は「イエスさまの生涯」をテーマとして、誕生の予告から復活・早天・聖霊の降臨までをたどってきました。先週から始まった暦の後半は「聖霊降臨後」の季節といい、典礼色は「緑」です。これは11月一杯まで6か月間続く長い季節でして、「教会の成長」、ひいては一人ひとりの「信徒の成長」をテーマとして、今日から、今年の福音書、マルコによる福音書を順に読んでいくことになります。

さて、きょうの福音は聖書に「レビを弟子にする」と小見出しがついている個所です。

《イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った》。

マルコ1章に、ガリラヤ湖で漁をする二組の兄弟、四人の漁師を弟子に招く記事がありましたが、今度は、ガリラヤ湖のそばを通っている街道沿いの収税所に座っているアルファイの子レビを弟子として召す物語です。

この物語はマタイ9章とルカ5章にも載っているのですが、この徴税人の名はルカ福音ではレビですが、マタイ福音では、マタイと書かれています。このレビは、マタイという名も持っていたことになります。イエスさまはシモンにペトロという別名を付けたように、レビにはマタイという別名を付けたのでしょう。イエスさまの側近の弟子十二人の表は、マタイ10章、マルコ3章、ルカ6章、使徒言行録1章と4か所にありますが、すべてマタイと書かれています。

マタイ福音書はこの十二弟子のマタイが書いたという説が元になって、マタイ福音書と呼ばれているのですが、直弟子マタイが書いたという通説には、現代の学者たちは否定的です。

また、十二人の表には、アルファイの子ヤコブという名が出てきます。レビもアルファイの子ですから、レビとヤコブもまた、兄弟でイエスさまの弟子になったのではないでしょうか。しかし、これら二つのアルファイが同名異人だったことも考えられます。

イエスさまが徴税人のレビを弟子にしたということは、当時としては異例中の異例の出来事でした。こう書かれています。

《イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。》

ここに「徴税人や罪人」という言葉が3回も出てきます。当時の徴税人と、いま税務署に務めるお役人とは違います。当時、税金は役人が集めたのではなく、入札によって民間人に委託されました。こうして税金を徴収する権利を買い取ったのが、ルカ19章に出てくるザアカイのような「徴税人の頭」です。自分たちの取り分を勝手に上乗せして強引に徴収するので、悪党と見なされましたが、金持ちでした。 洗礼者ヨハネは説教で徴税人たちについて、《規定以上のものは取り立てるな》(ルカ3章13)と言っています。

徴税人の頭に雇われたのが、レビのような下っ端の徴税人です。彼らが収税所で輸出入の税、通行税、市場税などを徴収したのですが、一か所に一人、税ごとに一人という具合に雇われたため、徴税人は大勢いたのです。彼らは、他の仕事が得られず、止むを得ずそういう仕事をしていたのです。

徴税人たちは人殺しや強盗の同類と見なされて、礼拝することも阻止されていました。ルカ18章の「ファリサイ派の人と徴税人のたとえ」では、ファリサイ派の人が神殿に入って祈ったのに対して、徴税人は「遠く離れて立って」祈ったと描かれています。ファリサイ派の律法学者が、《どうして彼(イエスさま)は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか》と弟子たちに言ったのは、こういう背景がありました。ふつうの人にとって、徴税人と交わるのはタブー視されていたのです。ですから、イエスさまが弟子とするのに一番ふさわしくない人、それが徴税人でした。

《イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」》。

ファリサイ派の律法学者たちに対する、このイエスさまの応答は見事です。誰もが納得する言葉でもって世間の常識をひっくり返し、真実に人を見る見方をあざやかに示しています。

世間一般の目で見れば、比較的に良く見える人と悪く見える人がいます。しかし、真実を見通す目で見ると、根本的に正しい人というのは実際にはいなくて、程度の違いはあっても誰もが悪を行なう罪びとです。イエスさまが来たのは、この意味の罪びとに救いをもたらすためでした。マタイ5章45に、《(あなたがたの天の)父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる》とあるように、神は人の目による善人と悪人の区別を超えて、すべての人を、すなわちすべての罪びとを救いへと招き入れるために、イエスさまをこの世に送り出されたのです。

ところで、罪びとの罪びとであるゆえんは、自分が罪びとであり、イエスさまの救いを必要とする者だという自覚がないことです。わたしたちは、他人のことはさておいて、自分の幸せを求めて、何を食べようか、何を着ようかと、日夜、思い悩んで生きています。それが人間の生き方だと悟ったふうに言う人もいますが、彼らも実際には日常に埋没してしまい、本当はもっと軽やかで明るい道が、神と人を愛する生き方があるということに思いが及びません。

さらに、自分を善良に生きているほうだと自認する人には、「善人の罪」が加わります。つまり、彼らは、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ」るような、人を分け隔てせずに愛する神の心の広さを受け入れることができません。イエスさまと弟子たちがレビとその仲間の多くの徴税人や罪人と同席して、一緒に食事をすることに我慢なりません。先ほど引いたルカ18章は、そういう人を《自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々》と言い、彼らの心をこのように描きます。

《ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」》(ルカ18章11~14)。

あなたはファイリサイ派の人と徴税人のどちらに似ているでしょうか。徴税人のような自覚をもつ人こそが、イエスさまの十字架の贖罪、罪びとを義とする神の無条件の愛が自分に向けられていることを知るのです。そこで、イエスさまはファリサイ派の人々に言います。《はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう》(マタイ21章31)。

わたしたちもまたレビのように多くの罪をゆるされ、神の真実と愛に招かれた者です。その自覚を確かなものとなし、真実を求め、真実に目覚め、真実の道を歩む者となりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年6月3日 三位一体主日 「上から生まれる」

ヨハネによる福音書3章1〜12節
説教:高野 公雄 牧師

さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」

イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。

はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。

ヨハネによる福音書3章1〜12節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

先週の聖霊降臨祭をもって50日間の、主イエスのご復活を祝う季節が終わりました。それで、お気づきでしょうが、今まで聖卓の横に灯っていた大きな復活のローソクが片づけられました。今週から教会の暦では新しい季節が始まったのです。「聖霊降臨後」という季節で、これから11月一杯まで6か月間続きます。この季節の典礼色は「緑」、この季節のテーマは「教会の成長」となります。

その始まりにあたって、きょうは神の三位一体を祝います。典礼色は「白」です。きょうのテーマは、教会にとって根本的なこと、つまり、私たちの信じる神はどのようなお方かということです。

きょうの主日の名である「三位一体」(さんみいったい)とは、ただひとりの神がつねに父と子と聖霊という三重の仕方で私たちに働きかけるお方であるということを言い表すキリスト教用語です。三位一体という言葉自体は聖書には出て来ませんが、その言葉が指し示す事柄、つまり唯一の神は父・子・聖霊という三様のあり方をするということは、例えば、《わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい》(マタイ28章18~20)というように、聖書の中に示されています。

神さまを人の言葉で言い表すことは不可能なのですが、それでも何とかその神秘を言い表したいという初代のクリスチャンたちの努力の中でこの三位一体 Trinitas という言葉が生み出されました。二世紀後半にカルタゴ(今の北アフリカのチュニジア)の司教であったテルトゥリアヌスという教父が最初に使ったのだそうです。

キリスト教は313年にローマ皇帝コンスタンティヌスの発した「ミラノの勅令」によって禁教を解かれ、公認宗教の仲間入りをしました。キリスト教が社会の表面に出てみると、各地で教えや習慣の違いが著しい現実がありました。とくに問題だったのは、キリストの神性に関してです。ユダヤ教の影響が強く、イエス・キリストは父なる神から生まれた子であるならば、神に似た人ではあっても神ではありえないという立場の人と、イエス・キリストは人を救う力を持つのだから子なる神だという立場の人との間に、激しい論争がもちあがっていました。

この問題を解決するために、コンスタンティヌスは325年に初めての世界教会会議(公会議)をニケア(ニカイアともいう。今のトルコのイスタンブール近く)で開催しました。この会議で、復活祭の日取りが統一され、ニケア信条が定められました。神である父と子であるキリストは同質であると説くアタナシウスらが正統とされ、神に似た人と説くアリウスとその同調者は異端とされ、破門に処せられました。アリウス派を論駁したアタナシウスは後に、アレクサンドリア教会の司教に叙階され、三位一体の教理において第一人者とされました。

この論争はニケア会議以後も続き、正統派の教会では、私たちが現在使っている式文に見られるように、三位一体の神を称える言葉がいたるところにちりばめられることになりました。

私たちの礼拝は「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン」で始まり、祝福に続く「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン」で終わります。讃美頌に続けていつも「グロリア・パトリ」を歌いますが、これも「父、み子、み霊にみ栄え、初めも今も後も世々に絶えず。アーメン」と三一の神を称える頌栄です。キリエのあとに歌う「グロリア・イン・エクセルシス」は、ルカ2章14にある天使の讃美に、ポアチエ(フランス西部の都市)の司教ヒラリウスが加筆したもので、やはり三一の神を称える頌栄です。この人は東のアタナシウス、西のヒラリウスというように並び称される三位一体信仰の擁護者でした。そして三位一体主日のきょうは、このあと、いつもの「ニケア信条」に代えて「アタナシウス信条」を全員で唱えます。これは毎年この日だけに守られてきた習慣です。この信条は三位一体の神を称えているので、アタナシウスの名で呼ばれますが、本当の著者は不明です。詩編交読と同じように讃美の心をもって交唱しましょう。

「主日の祈り」にも三位一体を称える結びがついています。「あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン」。この長い結びは来週からの緑の季節には省かれる習慣になっています。もっともこの結びは、「奉献の祈り」にも、聖餐の感謝の祈りにも付いており、こちらは緑の季節でも省かれません。

そして、聖餐設定の言葉に続く「感謝の祈り」の結びの句があります。「すべての栄光と讃美が、教会において、ギリストにより、聖霊と共におられるあなたに世々限りなくありますように。アーメン」

このように私たちの礼拝は、三位一体の神に対する讃美に満ちみちているのです。きょうの説教は、礼拝式文の説明のようになってしまいましたが、礼拝の中で礼拝式の説明をするのも、三位一体主日の守り方のひとつの方法になっています。

さて、きょうの福音はイエスさまとニコデモの対話でした。ここで語られているのは、神の働きが人の心に救い主イエス・キリストを示し、人を新たに生まれ変わらせてくださるということです。そして、それがきょうこの個所が読まれる理由です。

《さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです」》。

ユダヤ人の指導者であるニコデモが夜イエスさまを尋ねます。そして、《わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています》と挨拶します。現代でも、この世の闇を知り、真理を求めてキリスト教に近づく人はたいていイエスさまについてこう言います。それが傍観者の公平な判断なのでしょう。

このニコデモは、良識と善意を十分に持ちながらもこの世的生き方に留まり、イエスさまを救い主と告白するに至らない人々を代表しているようです。彼はヨハネ福音書にあと二回登場します。ユダヤ人指導者たちがイエスさまを逮捕しようとしたとき、こう発言しています。《彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか」》(ヨハネ7章50~51)。次は、イエスさまを墓に埋葬する場面です。《その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ》(ヨハネ19章38~40)。

《イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない》。

イエスさまはニコデモに言います。イエスさまに、またはキリスト教に好意的であり、人柄も誠実で知的にも優れているあなたであっても、生まれたままの人は神を知ることはできません。人は勉強や修行といった自力の努力で神の救いを得ること、キリストを救い主と信じることはできません。神さまの賜物である霊によって上から根源的に生まれ変わることによって初めて、イエス・キリストを通して現わされた真の神と出会うことができるのです。霊による再生を即物的にもう一度母の胎から生まれ直すことと誤解するニコデモは、現代人にそっくりです。ニコデモの信仰は、人の営みの地平に留まっており、人が生ける神と出会うという次元が欠けていたのです。人は自分のできる努力はするのが当然ですが、人の努力を超えたことは、神の働きに委ねる、私たちの心に神が働く余地を空けておく、これが人として大事なことなのです。イエスさまとニコデモの対話から、きょうはこのことを心に留めましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン