2012年1月8日 顕現主日 「ユダヤから世界へ」

マタイによる福音書2章1〜12節
説教: 高野 公雄 師

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

マタイによる福音書2章1〜12節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

新年2回目の日曜となるきょうの暦は、顕現主日です。顕現祝日は本来、クリスマスの12日間が終わった翌日の1月6日なのですが、週日に礼拝を守ることの困難な状況から、一般に1月2日から8日の間の日曜日に移して祝われます。

「顕現」は、ギリシア語では「見えるようになる、姿を現わす」という意味で、やや漠然としています。これを「神が人間などの姿をして現れること」ととりますと、それは「降誕」を指すとも考えられます。実際、古代では「顕現」は「降誕」という意味で用いられていたようで、この祝日が定着していたアレクサンドリアでは、この日を「イエスさまの誕生日」だとしていていました。やがて西方から「クリスマス」という祝日が伝わった時、「顕現」は「イエスさまが神の子として認められた日」という現在の意味になってきたようです。

顕現節は降誕節の終わりから四旬節の始まりまで続きます。顕現祝日または顕現主日の福音は毎年、東の博士たちの話が読まれますが、来週以降の各主日には、「これはわたしの愛する子」という点からの声が聞こえたイエスさまの洗礼、イエスさまが水をぶどう酒に変えたカナでの婚礼、イエスさまの姿が光輝き、やはり「これはわたしの愛する子」と天の声が降った山上の変容などを「顕現」の出来事として記念し、祝います。

マルコ福音には誕生物語がなく、「イエスさまの洗礼」から始まっています。古くは「イエスさまが神の子として認められた日」として、顕現祝日には「イエスさまの洗礼」を祝った教会もありました。そうした教会では、東の博士たちの礼拝は、クリスマスと結びつけられました。その影響は、今日にも広く及んでいます。

「顕現」について話はこれまでにして、きょうの福音に戻りましょう。きょうの書き出しは、日本語には訳されていませんが「そのイエスがヘロデ王の時代に・・」と「その」という定冠詞が付いています。これは、前の段落で天使がヨセフに「その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」と告げ、そして生まれるとお告げに従って「その子をイエスと名付けた」とある、それを受けての「そのイエスが」です。きょうの話は、イエスさまが《自分の民を罪から救う》お方だということを大前提としているのです。しかし、きょうの物語ではイエスさまは背景に退き、主役は東から来た無名の外国人とヘロデ王です。

「占星術の学者」と訳された言葉は、メディア(今のイラン)の一部族であり、ゾロアスター教の祭司階級でもあった人を指しています。ユダヤ人は、そんな外国の異教徒は神と出会うことも、救いにあずかることもできないと考えたでしょう。しかし、神は思いもかけない仕方で、彼らに救い主イエスさまとの出会いを、大きな喜びを与えてくださいました。

ベツレヘムは、エルサレムから7KMほど南にある町ですが、マタイ福音はイエスさまがベツレヘムで生まれたことを、旧約の預言の成就と見ています。ベツレヘムはダビデ王の出身地であり、メシア(ダビデの子孫である理想的な王)はベツレヘムで生まれるという伝承がありました。6節で引用されているミカ書もそのひとつです。預言者ミカは、当時さびれていたベツレヘムの町(いちばん小さいもの)から救い主が誕生すると預言し、これを人の思いを超えた神のすばらしい計画を見ています。

このように、メシア(ギリシア語でキリスト)という言葉にはいつも「王」のイメージが付いているのですが、「イエスさま王である」ということの本当の意味は、降誕物語だけでなく、その生涯全体を見なければ、正しく理解できません。

ヘロデは紀元前37~前4年までローマ帝国からユダヤの王として認められて君臨したのですが、純粋なユダヤ人ではなく、ユダヤの南のイドマヤ人の血を引いていたので、ユダヤ人からは正当な王と認められませんでした。それで《ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか》との言葉を聞いたときに自分の地位を脅かす存在と感じて不安を抱きました。16節以下に、彼がその幼子を抹殺しようとしてベツレヘム周辺の幼児を大量虐殺した話があります。

ところで、この「占星術の学者」は、「3人の博士」とか「3人の王」とイメージされています。マタイ福音には3人ということは書かれてなく、黄金・乳香・没薬という3つの贈り物からいつの間にか3人ということになったようです。そして、博士たちが贈り物をささげたことが、クリスマスにプレゼントをする習わしの元になっていると言われています。

また、3人の博士はよく「らくだ」と共に描かれています。これもマタイ福音には書かれていません。実は、きょう旧約の日課で読んだ預言が元になっているようです。《らくだの大群、ミディアンとエファの若いらくだが、あなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる》(イザヤ書60章6)。

3人の博士は「星」に導かれて旅をしたのですが、この「星」はバラムの預言した「ヤコブの星」を思い起こさせようとしているのでしょう。《わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり、モアブのこめかみを打ち砕き、シェトのすべての子らの頭の頂を砕く》(民数記24章17)。この「星」が、後に「ベツレヘムの星」としてクリスマス・ツリーの天辺に飾られるようになったものです。

占星術の学者たちが幼子イエスさまを訪問したこの出来事は、イエスさまによってもたらされた救いが民族の壁を越えてすべての人にもたらされる、ということを示しています。この東の博士たちによる礼拝の行為は、シメオンの賛歌《これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの誉れです》(ルカ2章32)に対応するものであり、イエスさまがすべての国の、すべての人々のためにやって来たことを示し、神の業は、世界のほんの少数の人たちだけに限られるものではないことを示す最初のものでした。きょうの説教題は「ユダヤから世界へ」です。二千年前にユダヤに始まったこの救いの知らせは、現に、極東アジアの私たちにも届けられているのです。

一方には遠路はるばる来て礼拝した博士たちがいます。他方にはメシアがどこで生まれるかを知りながら、真に礼拝しようとはしないヘロデや律法学者たちがいます。メシアを一番よく知っているはずの人たちが、メシアから最も遠い人でした。

私たちにとって、博士たちとヘロデたちは、心のうちの二つの態度を象徴していると考えてよいでしょう。労苦に耐えてイエスさまを追い続けようとする心、現状の生温さを守ってイエスさまに背を向けようとする心。誰もが自分の心にこの二面があることに気づくと思います。2012年の歩みを始めるにあたり、前方に輝くイエスさまにしっかりと目を据えて歩む決心を固めたいと思います。イエスさまが愛の力で励まし、支えてくださることを信じて。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

 

追記
昔から顕現祝日には復活祭その他の日取りを公表する習慣がありました。
復活祭は春分の以後の満月の次の日曜日と定められていますが、今年の春分の日の後の最初の満月は4月7日(土)です。したがって復活祭は4月8日(日)。その50日後の5月19日(日)が聖霊降臨祭になります。

2012年1月1日 主の命名日 「イエスの御名」

ルカによる福音書2章21〜24節
説教: 高野 公雄 師

八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

ルカによる福音書2章21〜24節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

街では、12月25日が過ぎますと、さあクリスマスは終わったとばかりに、ばたばたとクリスマスの飾りつけが取り払われ、角松を立ててお正月の仕度が始まります。

しかし、キリスト教会の伝統では、クリスマスは25日で終わるのではなく、25日から始まるのです。1月6日の顕現祝日の前日までの12日間が降誕節つまりクリスマス・シーズンです。英語の子供の歌に「12日間のクリスマス The Twelve Days of Christmas」というのがあるとおりです。欧米のクリスチャンの家庭では、クリスマス・ツリーやその他の飾りを片づけるのは、12日目つまり1月5日の晩というのが習慣です。

ところで、キリスト教の三大祭り、すなわち復活祭、聖霊降臨祭、降誕祭は、昔から、その当日だけでなく、8日目にもう一度祝うものとされていました。それらは「オクターヴ付きの大祭」という言い方がされます。オクターヴはラテン語で8番目という意味でして、音楽用語ですと、たとえばドから上のドまでの完全8度の音程をいいます。また、一週間を日曜から次の日曜までと数えると、それはオクターヴつまり8番目になります。12月25日のクリスマスのオクターヴは今日つまり1月1日です。きょうはもう一度、クリスマスを祝う日なのです。1月1日は日曜日であってもなくても、クリスマスのオクターヴとして、「主の命名(イエスのみ名)」を祝います。

《八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である》。ユダヤ人の男の子は生後8日目に割礼を受け、名前を付けます。割礼はアブラハムとの契約のしるし(創世記17章10~11)であり、神の民の一員となるしるしであって、割礼を受けることによって神の民としての資格を得ることができるのです。ですから、他の民族の者がユダヤ教に改宗するときも、割礼を受けることが求められました。

この日、イエスさまも割礼を受け、名前を与えられました。その名は、預言されていたものです。マタイ1章20~22に次のようにあります。《(ヨセフが)このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった》。

わたしは大学生の時代にキリスト教への関心を深めたのですが、イエスJesusという名前とイエス・ノーのイエスyesとは何か関係があるのではないかと思って調べましたが、関係ありませんでした。イエスはギリシア語のイエースースをラテン語化したもので、そのギリシア語は旧約聖書のヨシュア記という書物にもなっているヨシュアという人名をギリシア風に音訳したものです。実は、イェシュアに近い発音なのですが、旧約聖書ではヨシュアとカナ書きされ、新約聖書ではイエスとカナ書きされます

イエスすなわちヨシュアという名前の意味ですが、「ヨ」または「イェ」は天地を創造した唯一の神の名ヤハウェの短縮形であり、「シュア」は「救い」です。これを合わせると「神は救いである」という意味になります。

この「救い」という言葉の意味ですが、初めの3世紀の迫害の時代に、「信仰をもっていれば、死んだら天国に行ける」というふうに意味が狭くなってしまいました。今でも救いとはそういう意味だと思っている人がいるかも知れません。ですが、もともとは「完全」「健康」「幸福」などを意味していました。イェシュアという名は「ヤハウェは人の完全さの源、充実した人生を送るための基である」ということを主張しているのです。

この名付けの祝いは、大事なものですが、上手に守ることができませんでした。古代ローマ時代には同じ時に祝われた異教の農業祭の喧騒ために妨げられましたし、現代も新年を迎える各地の習慣に妨げられて、せっかくの休日なのに、残念ですが、聖日として守るために十分には用いられていません。

私たちがイエスという名に敬意を払うのは、その文字や言葉に魔力があると信じるからではありません。この名がイエス・キリストを通して与えられる祝福を思い出させてくれるからです。そしてその祝福に感謝を表わすために、この名を大事にするのです。それは、主のご受難に誉れをたたえるために、十字架を大事にするのと同じことです。

イエスのみ名は、私たちに次の4点を思いいたらせます。

1.キリストは、私たちの身体の必要を満たします。《信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る》(マルコ16章17~18)。イエスのみ名によって、使徒たちは足の不自由な人に力を与えました(使徒言行録3章6、9章34)。

2.キリストは、霊的な試練に慰めを与えます。イエスのみ名は、罪人には放蕩息子の父や善きサマリア人を思い出させ、義人には罪なき神の子羊の苦難と死を思い出させてくれます。

3.イエスのみ名は、サタンとその手下から私たちを守ります。悪魔はイエスの名を恐れています。イエスさまは十字架上で悪魔を征服したからです。

4.キリストは私たちに祝福と恵みを与えます。キリストはこう言います。《その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる》(ヨハネ16章23)。それゆえ、私たちのすべての祈りは「主イエス・キリストのみ名によって」という言葉で終えます。

こうして、パウロの言葉が現実のものとなります。《こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです》(フィリピ2章10~11)。

最後に、このみ名を特別に愛した人、クレルボーの聖バルナール(ベルナルドゥス)に触れておきたいと思います。彼は12世紀の代表的なトラピスト修道士ですが、この名への崇敬を生き生きした表現で説教し、またこの名によって病人を癒しました。彼は説教の終わりに、IHSと彫った板を集まった人々に示し、これにひれ伏すことを求めました。当時イエスの名はIHESUSと綴られており、IHSはその初めと終わりの3文字でした。この3文字は今でも祭壇布のデザインなどに使われています。

このベルナルドゥスは「血しおに染みし主のみかしら」(教会讃美歌81)の作詩者であり、バッハの編曲は「マタイ受難曲」でも用いられていて、私たちにも無縁は人ではありません。

ベルナルドゥス以来、伝統的に、敬虔なキリスト教徒は、イエスのみ名が発せられるたびに、頭を垂れたのです。私たちはこの習慣を身に着けていませんが、これを回復すべきだと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2011年12月25日 降誕祭 「真の光は世に来た」

ヨハネによる福音書1章1〜14節

説教: 高野 公雄 牧師

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

ヨハネによる福音書1章1〜14節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

例年であればクリスマスは夕べの礼拝として祝うところですが、今年はめずらしくクリスマス当日が日曜日に当たりましたので、このように午前11時からの主日礼拝として守っています。

本日の福音はヨハネによる福音書1章1~14節です。この個所は学者たちによれば、福音書が書かれる前から歌われていた古い賛美歌がもとになっているそうです。私たちが礼拝を賛美歌で始めるように、ヨハネ福音も賛美歌で始めているのです。これは、他の福音書が地味な始まり方をするのと比べて、ヨハネ福音の目立った特徴です。

この個所には、「言」(ことば)という珍しい訳語が繰り返し現れます。これは新約聖書の言葉、ギリシア語ではロゴス logos といいます。「ロゴス」とは何でしょうか。イエスさまは2000年前にユダのベツレヘムで、おとめマリアから人としてお生まれになりました。そして30歳か33歳くらいで十字架に架けられて殺されてしまいました。キリスト教の信じるところによれば、その死は私たち人間を罪から救うための贖い(あがない)すなわち身代金にほかなりません。つまりイエスさまはご自分の命と引き換えに、私たちを死の闇から救い出してくださったのです。神はそういうイエスさまの贖罪死を良しとし、イエスさまが朽ち果てるのを見棄てず、死の三日後に復活させました。復活とは、この地上で息をふき返すことではなく、イエスさまが神の右に高く挙げられたこと、生きている人と死んだ人との永遠の支配者となったということです。この、救い主であり永遠の支配者であるイエスさまは、その十字架と復活によって初めて、いわば養子として受け入れられるように神の独り子となったのではありません。イエスさまは永遠の昔から神の独り子であったのです。イエスさまは2000年前に人として生まれる前から神と共に存在しているのです。昔も今ものちも生きているイエス・キリストを、福音書記者ヨハネは「神の独り子」とか「言」と言い表します。「言 logos」とは永遠の神の子イエス・キリストのことだったのです。

きょうの聖書本文から、元の賛美歌を完全に復元することは難しく、学者によってさまざまな意見が出されています。しかし、6~8節など、洗礼者ヨハネについての言及は元の賛美歌にはなかったもので、福音書記者のヨハネがあとから付け加えたものという点は一致しています。

もともとの賛美歌は、神による救いの歴史を三つの段階に分けて歌ったものです。

第一段落は1~4節です。《初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった》。そもそも「言」によって天地が創造されたこと、「言」が人に命の輝きを与える方である、と歌っています。

第二段落は9~11節です。《その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった》。これは旧約聖書時代の「言」の働きについて歌っています。「言」はまだ人となっていません。モーセを通して律法という形でユダヤ人に与えられました。しかし、彼らは「言」を受け入れませんでした。

第三段落は14節と16~17節です。《言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである》。これは新約聖書時代の「言」の働きについて歌っています。「言」は人となった。私たちはクリスマスにおいてこの方を祝っているのですが、2000年前だけでなく今も、「言」すなわちイエス・キリストは、信じる私たちと共におられ、つねに豊かな恵みを注いでくださっていると、ユダヤ教の律法にまさるイエス・キリストの恵みを賛美しています。

クリスマスが来ても、私たちの闇・苦しみ・問題が消えて無くなるわけではありません。しかし、今やまことの光は世に来て、すべての人を照らしています。それは2000年の昔のことではなく、今日まで続いていることです。その光は聖書を通して、闇を照らし続けています。私たちはそのことを知った喜び、その解放感を感じとることができるでしょうか。

現代に生きる私たち日本人は、クリスマスに関する情報、聖書やキリスト教に関する知識をすでにたくさん得ていると思います。その知識を自分の身に着けて、自分の血肉と化して、生活を明かるくするもの、温かくするものとして活用できているでしょうか。私たちはキリスト教についての知識 knowledge を自分の生活に生きる知恵 wisdom、心の働きに変えていく必要があります。

教会において、私たちが互いに目指すのは、このことです。毎週の礼拝を通して、イエス・キリストの福音、喜ばしい知らせを聞き、それを自分の人生の価値観とし、行動の指針として身に着けていきたいと思います。神さまの大きな愛をいただいて、一緒に生きていきましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2011年12月24日 降誕祭前夜 「闇の世に光を」

ルカによる福音書2章1〜20節
説教: 高野 公雄 牧師

 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

ルカによる福音書2章1〜20節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

本日の礼拝プログラムの第5段「イエスの誕生」(ルカ福音書2章1~7)ではイエスさま誕生の次第が客観的に語られています。人々の反応や出来事の意味には触れていません。これがそのまま歴史的事実であったかというと問題はありますが、大筋は書かれた通りと言ってよいと思います。

イエスさま誕生当時のパレスチナはローマ帝国の植民地になっていました。時の皇帝アウグストゥスが人口調査をせよという勅令を出し、シリア州総督のキリニウスの指揮で、ガリラヤ地方のナザレ村の住民も故郷に戻って登録することになりました。ヨセフは故郷であるユダヤ地方のベツレヘム村に向けて旅立ちます。5節《身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである》は、おだやかな表現ですが、マリアの身ごもっている子供の父はヨセフではないこと、しかしヨセフはマリアもその子も受け入れる覚悟であることを示しています。

ローマ皇帝が人口調査をしたのは、植民地の住民から税金を取り立てるためです。身重のマリアを連れたヨセフは、苦しい旅を強いられます。おかげでイエスさまはベツレヘムで生まれることになり、旧約聖書に「新しい王」はダビデ王の出身地ベツレヘムで生まれるとある預言が実現しました。皇帝はそれとは知らずに神の計画に奉仕することになったのです。

礼拝プログラムの第7段「羊飼いたちの讃美」(ルカ福音2章8~20)で初めて、イエスさまの誕生の意味が語られます。その意味は、この出来事の場所から離れたところで、野宿をしていた羊飼いたちに明かされます。天使が現れて彼らに語りかけます。《恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである》。

ここに《大きな喜びを告げる》と訳された言葉の中に、著者ルカのお気に入りの言葉「喜びの知らせ」=「福音 good news」という語句が含まれています。イエスさまが生まれたという知らせを含めて、イエスさまの語った言葉、行った行為を記した書物を福音書と呼んでいますが、福音とは「喜びの知らせ」という意味です。

パレスチナはもとは羊やヤギなどの小家畜の放牧を仕事とする半遊牧民が暮らす土地でした。ダビデ王も元は羊飼いであり、神さまさえも羊飼いにたとえられています。しかし、イエスさまの時代には定住が進み、多くの人は農民となっていました。羊飼いは流れ者、野宿する者として社会の片隅に追いやられた存在となっていました。その彼らに真っ先にイエスさま誕生の知らせ、喜びの知らせ=福音は届けられたのです。

天使は続けて言います。《あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである》。人類の救い主として生まれたイエスさまは、羊飼いたちと無縁な方ではありません。イエスさまもまた《宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである》とあるように、自分の居る場所がなく、飼い葉桶を寝床としているというのです。羊飼いたちは、自分たちも《民全体に与えられる大きな喜び》から漏れていない、神の国に招かれている、と感じたことでしょう。それで、彼らは《急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当て》、そして《神をあがめ、賛美し》ました。私たちの身近に、家がない人・居場所がない人・生きる上で困難を抱えている人がいるのではないでしょうか。あるいは私たち自身がそういう人の一人かもしれません。救い主の誕生の知らせは、そういう人たちにこそ届けられるのです。

《この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」》。もともと聖書でいう「平和 シャローム」は、神による正義や公平の実現を意味していました。ですから、平和とは戦争のない状態を意味するだけではなく、それだけでも素晴らしいことですが、さらに、秩序と繁栄、自由と平等、民主主義と人権尊重をも意味しています。

きょうはクリスマスの歌をたくさん歌いましたが、最後に、クリスマスの歌が平和を造り出した実例をお話ししたいと思います。

一つは、普仏戦争の最中の1870年のクリスマスイヴの出来事です。戦場でフランス軍とプロイセン(ドイツ)軍が対峙していた時、突然、フランス軍の一人の兵士が塹壕から飛び出して、「さやかに星はきらめき, Cantique de Noel, O Holy Night」を歌いだしました。その歌に感動したドイツ軍の兵士が今度は「いずこの家にも, Vom Himmel hoch da komm ich her」(マルチン・ルター作詞)を、そして「きよしこの夜, Stille Nacht! Heilige Nacht!, Silent Night, Holy Night」を歌い、こうして両方の塹壕からそれぞれのクリスマスの歌声が流れ、暗黙のうちに24時間の停戦が成立。束の間でしたが、平和が造り出されたということです。

いま一つも、これと似た出来事が、1914年のクリスマスイヴに第一次大戦下の西部戦線でも、やはり「きよしこの夜」を巡って起こっています。この出来事は「戦場のアリア」という映画にもなり、ヨーロッパ各地で語り継がれています。

人の善意や平和への思いは厳しい現実を前にして無力に近いものですが、クリスマスは束の間であっても平和を実現させる力があります。クリスマスに「闇の世に光を」もたらします。この希望を忘れないでいてください。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン